⚡ この記事の要点

海は直近10年で人為起源CO2排出の約29%を吸収する地球最大の自然吸収源。溶解度ポンプ・生物ポンプの仕組みと、その代償として進む海洋酸性化・水産業リスクをデータで解説する。

29%
直近10年で海が吸収した人為起源CO2排出の割合(Global Carbon Budget 2025)
21億トン
気象庁が観測する海洋の年間CO2吸収量(炭素換算・1990〜2024年平均)
▲0.1
産業革命以降に表層海水のpHが低下した幅(8.17→約8.1)

海はいま、人類が大気中に出し続ける二酸化炭素(CO2)の3割近くを、静かに引き受けている。Global Carbon Projectの最新報告によれば、直近10年間に人為起源で排出されたCO2のうち29%が海に吸収され、陸上の森林や土壌が吸収した21%を上回る。もし海がこの働きを止めていたら、大気中のCO2濃度と気温上昇は今よりずっと深刻になっていたはずだ。

しかしこの「地球最大の吸収源」としての働きには、目に見えにくい代償が伴う。海水に溶け込んだCO2は化学反応を起こし、海水を少しずつ酸性側へ傾ける。これが「海洋酸性化」で、サンゴや貝類など殻や骨格をつくる生物の成長を妨げ、日本の水産業にも影を落とし始めている。

この記事では、気象庁・Global Carbon Project・JAMSTECなどの観測データをもとに、海がCO2を吸収する仕組みと規模、代償として進む酸性化の実態、そして海の吸収力を人為的に後押しする新技術の動向まで、順を追って整理する。

この記事で学べること

  • 海は過去10年で人為起源CO2排出の約29%を吸収し、陸上生態系の21%を上回る最大の自然吸収源であること
  • CO2は「溶解度ポンプ」と「生物ポンプ」という2つの経路で海洋内部へ運ばれ、大気から隔離されること
  • 吸収の代償として海水のpHが産業革命前より約0.1低下する「海洋酸性化」が進んでいること
  • 酸性化はサンゴ・貝類・ウニなど炭酸カルシウムの殻や骨格をつくる生物に打撃を与えること
  • 日本近海でも酸性化とアラゴナイト飽和度の低下が観測され、水産業へのリスクが指摘されていること
  • 温暖化が進むと海の緩衝能力が下がり、将来的にCO2吸収の伸びが鈍る可能性があること

海は人類が出したCO2の何割を引き受けているのか

気候変動対策の国際研究チームGlobal Carbon Projectが2025年に公表した「Global Carbon Budget 2025」によると、直近10年間(2015〜2024年)に人間活動で排出されたCO2のうち、約29%が海に吸収された。同期間に陸上の森林や土壌が吸収した割合は21%で、海の吸収量がそれを上回っている。1850年の産業革命初期までさかのぼって累積で見ても、海はこれまでに人為起源CO2排出の約27%を吸収してきた。

海に吸収されず、陸にも取り込まれなかった残りの排出分は大気中にとどまり、大気中CO2濃度の上昇と地球温暖化を直接進行させる。つまり海の吸収力は、温暖化の進行速度を実質的に押しとどめている「時間稼ぎ」の役割を果たしていることになる。仮に海の吸収がゼロだったと仮定すると、単純計算でも大気中に残るCO2は現在よりもかなり多くなり、産業革命以降の気温上昇はより急激に進んでいたと考えられている。

海洋は、人間活動により大気に放出された二酸化炭素の約4分の1を吸収していると考えられています。

― 気象庁

海はすでに大気の50倍のCO2を蓄えている

気象庁の解説によれば、海洋はすでに大気中に存在する量の約50倍のCO2を蓄積しており、人間活動により大気に放出されたCO2の約4分の1を吸収してきたと説明している。気象庁の観測に基づく推計では、1990〜2024年の平均で海洋は年あたり21億トン(炭素換算)のCO2を吸収し続けている。この吸収量は数年〜10年規模で変動しながらも、長期的には増加傾向にある。

2024年単年の推計では、海洋のCO2吸収量は約3.4±0.4ギガトン炭素とされ、2025年の速報値はエルニーニョ現象の終息を受けてやや下がり約3.2ギガトン炭素になる見通しが示されている。年ごとの増減はあっても、数十年単位で見れば海の吸収量そのものは右肩上がりを続けてきた。これは大気中CO2濃度が上がり続けている限り、濃度差によって海水がより多くのCO2を溶かし込もうとするためだ。

陸上の吸収源との違い

陸上生態系の吸収量は、干ばつや森林火災、熱波などの影響で年ごとの変動が大きい。実際、2023年には熱帯地域の陸上吸収が落ち込み、大気中CO2の増加率が押し上げられたことが報告されている。これに対して海洋の吸収は年ごとの振れ幅が比較的小さく、地球全体の炭素収支を下支えする「安定した吸収源」としての性格を持つ。この安定性こそが、海が気候変動対策上とりわけ重要視される理由のひとつだ。

吸収先直近10年の割合(Global Carbon Budget 2025)備考
海洋約29%溶解度ポンプ・生物ポンプで内部へ輸送。変動が比較的小さく安定
陸上生態系(森林・土壌等)約21%光合成による炭素固定。干ばつ・火災で年変動が大きい
大気(未吸収分)残りの大部分CO2濃度上昇・温暖化に直結
人為起源CO2排出の行き先(Global Carbon Budget 2025をもとに作成)
地球全体のCO2収支の中で海洋・陸上・大気が排出量を分け合う様子を示すインフォグラフィック
人為起源CO2は海・陸・大気に分配される。海は最大の自然吸収源になっている

こうした数字は年々更新される「生きたデータ」でもある。Global Carbon Projectは毎年11月前後に最新のGlobal Carbon Budgetを公表しており、前年までの排出量・吸収量の推計値を継続的に見直している。海の吸収割合が29%というのも固定された数字ではなく、今後のデータ更新によって微修正されていく性質のものだと理解しておきたい。

海が二酸化炭素を吸収する仕組み:溶解度ポンプと生物ポンプ

海水はなぜこれほど大量のCO2を溶かし込めるのか。海洋がCO2を大気から取り込み、深層へ送り込む経路は大きく2つある。気象庁やJAMSTECの解説では、これらは「溶解度ポンプ」と「生物ポンプ」と呼ばれている。どちらも大気と海水の間のCO2濃度差を利用しながら、表層で取り込んだ炭素を海洋の奥深くへと運び去る点が共通している。

① 溶解度ポンプ:物理・化学的な取り込み

CO2は水に溶けやすい気体で、特に水温が低いほど溶解量が増える性質を持つ。高緯度の冷たい海面でCO2を多く溶かし込んだ海水は、周囲より重くなって沈み込み、北大西洋や南極海などで深層へと運ばれていく。この物理・化学的な過程で表層のCO2が海洋内部へ「輸送」される仕組みが溶解度ポンプである。深層へ運ばれたCO2は、深層循環(いわゆる海洋のコンベアベルト)に乗って数百年から千年単位で地球全体をゆっくりと巡ることになる。

② 生物ポンプ:生き物による輸送

海面付近の有光層では、植物プランクトンが光合成でCO2を有機物に変える。植物プランクトンやそれを食べる動物プランクトン、魚の死骸や排泄物は「マリンスノー」として海底へ沈降し、分解されながら炭素を深海へ運ぶ。これが生物ポンプで、海洋内部への炭素隔離の主要な経路のひとつになっている。沈降する過程で多くの有機物は水柱の途中で分解されてしまうが、一部は深海底に到達し、数百年から数千年単位で大気から隔離された状態が保たれる。

2つのポンプが支え合う関係

溶解度ポンプと生物ポンプは独立して働いているわけではない。植物プランクトンの光合成によって表層のCO2濃度が下がると、大気からより多くのCO2が溶け込みやすくなり、それがまた沈み込みによって深層へ運ばれる、という形で互いの働きを補い合っている。両者のバランスは海域や季節によって異なり、栄養塩の豊富な高緯度海域や湧昇域では生物ポンプの寄与が大きくなる傾向がある。

2つのポンプの違い

  • 溶解度ポンプ:CO2が海水に直接溶け込み、冷たく重い海水の沈み込みとともに深層へ運ばれる物理化学的な過程
  • 生物ポンプ:植物プランクトンの光合成と、死骸・排泄物の沈降によって炭素が深海へ運ばれる生物学的な過程
  • 両者は同時に働いており、海洋全体の炭素吸収量を形づくっている
  • 深層へ運ばれた炭素は数百年〜数千年単位で大気から隔離される
この記事の要点となる3つの数字をまとめた図版
数字で見る:本文で扱う3つの指標

海洋全体で見ると、溶解度ポンプは主に高緯度海域で、生物ポンプは栄養塩が豊富な湧昇域や季節的なプランクトンの大増殖(ブルーム)が起こる海域で強く働く傾向がある。日本近海でも、親潮と黒潮がぶつかる混合水域は栄養塩に富み、プランクトンの生産性が高いことで知られている。こうした海域は生物ポンプの働きが活発な「炭素の窓口」のひとつだと考えられている。

気象庁が見つめ続ける日本近海のCO2吸収

日本の気象庁は1990年代から、東経137度線・東経165度線などの定められた観測線に沿って、観測船による定期的な海洋観測を続けている。表面海水中のCO2分圧(pCO2)を連続測定する装置での観測や、採水した海水の化学分析によって、海域ごとのCO2吸収量の経年変化を長期的に追跡している。

定線観測というコツコツした仕事

気象庁の観測船が毎年ほぼ同じ航路をたどり、同じ地点で海水を採取・分析することで、季節変動やエルニーニョ・ラニーニャといった数年規模の変動を取り除いた「長期トレンド」を見極められる。これは一度きりの調査では決して分からない、地道な継続観測の積み重ねによって初めて得られるデータだ。東経137度線は日本から赤道方向へ、東経165度線は日本からオーストラリア方面へと延びる航路で、緯度によって異なる海域特性のデータを比較できる点が特徴になっている。

何を、どう測っているのか

観測船に搭載された自動観測装置は、航行しながら表面海水を連続的に取り込み、大気中と海水中のCO2分圧の差を測定する。この差がプラスであれば海が大気からCO2を吸収する方向に、マイナスであれば海から大気へCO2が放出される方向に働いていることを意味する。海域や季節によって放出側に転じる場所もあり、地球全体を平均して初めて「海は吸収源である」という結論が導かれる。

数十年分のデータが持つ価値

こうした観測は華やかさこそないが、数十年分蓄積されて初めて「トレンド」として意味を持つ。1回の航海で得られる測定値だけを見ても、それが自然変動なのか長期的な変化なのかは判断できない。気象庁が同じ航路・同じ手法で観測を続けてきたからこそ、日本近海のCO2吸収量やpHの変化率を10年単位の精度で語ることができる。

  • 観測項目:表面海水中のCO2分圧・pH・全炭酸・アルカリ度など
  • 観測頻度:定線ごとに年数回、数十年にわたり継続
  • 観測手法:航行中の連続測定+定点での採水分析を併用
  • 公開データ:気象庁「海洋の健康診断表」で海域別の経年変化を公開

「海洋の健康診断表」とは

気象庁が公開している海洋環境の長期監視データ集。水温・海流だけでなくCO2吸収量やpHの変化など、海の「健康状態」を人間ドックのように定期的にチェックし、誰でもウェブで閲覧できる形で公表している。研究者だけでなく、教育現場や報道でも参照されるデータベースになっている。

こうしたデータは気象庁だけでなく、JAMSTEC(海洋研究開発機構)の研究船や、世界各国が運用する観測ネットワークとも連携しながら蓄積されている。国際的な海洋観測プログラム「GO-SHIP」などを通じて各国のデータが共有され、地球全体でのCO2収支を算出するGlobal Carbon Budgetのような国際的な取り組みを支える基礎データになっている。日本の定線観測は、こうした地球規模の炭素収支推計を支える重要なピースのひとつだ。

吸収の代償:海洋酸性化とは何か

海がCO2を吸収するのは基本的に良いことのように思えるが、そこには化学反応上の代償がある。CO2が海水に溶けると、水(H2O)と反応して炭酸(H2CO3)になり、これが水素イオン(H+)と重炭酸イオン(HCO3-)に分かれる。水素イオンが増えることで海水は酸性側に傾く。これが「海洋酸性化」と呼ばれる現象だ。

現在の海水は弱アルカリ性で、表層のpHはおよそ8.1。だが産業革命以前の平均的なpHは8.17程度だったと推定されており、現在までに表層海水のpHは約0.1低下したとされる。pHは対数目盛りのため、0.1下がるだけで水素イオン濃度(酸性度の強さ)はおよそ30%増加する計算になる。数字としては小さく見えても、化学的にはかなり急速な変化だと言える。

深さによって変わるpH

海水のpHは深さによっても異なる。北西太平洋亜熱帯域では、表層でpH約8.1を示す一方、深くなるにつれてpHは下がり、深度1000m付近では約7.4まで低下する海域もある。これは有機物の分解によってCO2が生成される深層ほど酸性側に傾きやすいためで、酸性化は表層だけでなく海洋の鉛直構造全体に関わる現象であることを示している。

日本近海でも進む酸性化

気象庁の観測では、紀伊半島沖から南方に広がる北西太平洋の海域で、表面海水中のpHが10年あたり約0.02の割合で低下していることが確認されている。日本周辺海域では1998年から2024年までの期間で10年あたり0.022の低下、これは全球平均の低下速度(10年あたり0.018)とほぼ同程度のペースだ。局地的な現象ではなく、世界の海と歩調を合わせて進行していることが分かる。全球平均では1990年以降、表層海水のpHは約0.06低下したとも報告されている。

海水の「緩衝能力」も変化していく

海水にはもともと、CO2を溶かし込んでもpHの変化を穏やかに抑える緩衝能力が備わっている。しかし酸性化が進むほど、この緩衝の働き自体が弱まっていくことが知られている。つまり酸性化は「pHが少し下がって終わり」という単純な変化ではなく、海水がCO2を吸収しやすい状態から少しずつ吸収しにくい状態へと性質を変えていく、より長期的なプロセスの一部でもある。

CO2が海水に溶けて水素イオンが増え、海水が酸性側に傾く化学反応を示す図解
CO2が海水に溶けると水素イオンが増え、海は少しずつ酸性側へ傾く

海洋酸性化は「地球温暖化のもうひとつの顔」とも呼ばれる。温暖化が大気中のCO2濃度上昇による気温への影響だとすれば、酸性化は同じCO2濃度上昇が海水の化学的性質に及ぼす影響であり、原因は共通していながら現れ方が異なる。どちらも根本的な対策はCO2排出量の削減であり、切り離して考えることはできない。

酸性化が海の生き物に与える影響

酸性化が進むと海水中の炭酸イオン濃度が減少する。炭酸イオンはサンゴや貝殻、ウニの骨格、円石藻の殻などをつくる炭酸カルシウム(アラゴナイトや方解石)の材料であり、これが不足すると石灰化生物は殻や骨格をつくりにくくなる。

アラゴナイト飽和度という指標

炭酸カルシウムのつくりやすさを表す指標が「アラゴナイト飽和度(Ω)」だ。Ωが1より大きければ炭酸カルシウムは沈殿しやすく(殻をつくりやすく)、1を下回る「未飽和」の状態になると、既存の殻や骨格が溶け始めるリスクが生じる。日本近海のデータでは、アラゴナイト飽和度が1994年から2008年の間に3.6から3.4へ低下したことが確認されている。まだ未飽和には至っていないが、着実に低下が進んでいる。

低緯度から高緯度、そして深海へ広がる影響

アラゴナイト飽和度はもともと水温が低く、CO2が溶けやすい高緯度・深海ほど低い傾向にある。つまり酸性化が進むと、これまで飽和度がぎりぎり保たれていた高緯度や深海の海域から先に未飽和の状態に近づいていく。北極海や南極海周辺では、すでに一部の海域で季節的な未飽和状態が報告されており、冷たい海に生息する石灰化生物ほど早い段階で影響を受けやすいと考えられている。

生育段階によって異なる脆弱性

同じ種であっても、酸性化への耐性は成長段階によって大きく異なる。一般に卵・幼生期は成体に比べて殻や骨格の形成がより繊細で、周囲の化学環境の変化に敏感だとされる。この時期に十分な炭酸カルシウムを取り込めないと、その後の成長段階に進めないまま死滅する個体が増える。養殖業への影響がしばしば「稚貝・幼生期」に集中して語られるのは、この生態的な理由による。

生物想定される影響
サンゴ骨格形成の阻害、白化との複合ストレスで回復力が低下
貝類(カキ・ホタテ等)稚貝の殻形成が阻害され、成長・生存率が低下する可能性
ウニ骨格・棘の形成に影響、幼生期の脆弱性が増す
円石藻・有孔虫石灰質の殻をつくる微小プランクトンの生産量に影響、食物連鎖の基盤に波及
海洋酸性化の影響を受けやすい石灰化生物の例

「未飽和」になると何が起きるか

アラゴナイト飽和度が1を下回る未飽和の海水では、生物がつくった炭酸カルシウムの殻が化学的に溶け出す方向に反応が傾く。これは新しく殻をつくれないだけでなく、既存の殻を維持することさえ難しくなる状態を意味する。

酸性化した海水の中で貝やサンゴの殻が影響を受ける様子を表したイメージ
炭酸イオンが減ると、貝やサンゴは殻や骨格をつくりにくくなる

食物連鎖の観点から見ると、影響は石灰化生物だけにとどまらない可能性もある。円石藻や有孔虫、翼足類(クリオネの仲間などを含む微小な巻貝の一群)は、サケやニシンなど多くの魚類の重要な餌資源になっている。これらの生産量が酸性化によって落ち込めば、直接には殻を持たない魚類の資源量にも間接的な影響が及ぶ可能性があり、生態系全体を通じた影響評価が世界各地で進められている。

日本の水産業・観光業へのリスク

魚介類の消費量が多い日本では、海洋酸性化は環境問題であると同時に産業・食のリスクでもある。貝類や甲殻類の養殖では、稚貝・幼生期の殻形成が阻害されると成長率や生存率に影響が出る可能性が指摘されており、カキやホタテなど日本の主要な養殖品目にとって無視できない懸念材料になっている。

養殖業への懸念

貝類の養殖では、産卵・浮遊幼生期にあたる初期段階が最も酸性化の影響を受けやすいとされる。この時期に殻をうまく形成できないと、その後の成長段階に進めないまま死滅してしまう個体が増える可能性がある。北米では実際に、酸性化した海水を取り込んだ養殖場でカキの幼生に大量死が起きた事例が報告されており、日本の養殖業にとっても対岸の火事とは言えない状況にある。

サンゴ礁・漁業・観光への波及

サンゴ礁を抱える沖縄などの地域では、水温上昇による白化現象に加えて酸性化による骨格形成の阻害が重なることで、サンゴの回復力そのものが低下するおそれがある。サンゴ礁はダイビングなど観光資源であると同時に、多くの魚介類の産卵・生育場でもあり、漁業資源にも波及しうる。円石藻や有孔虫など微小な石灰化プランクトンの生産量が落ちれば、それらを餌とする魚類やさらに上位の生態系にも影響が連鎖する可能性がある。

  • 養殖業:貝類・甲殻類の稚貝期における殻形成への影響
  • 漁業:サンゴ礁や藻場などの産卵・生育場の機能低下リスク
  • 観光業:サンゴの白化・成長阻害によるダイビング資源への影響
  • 食料安全保障:魚介類消費量の多い日本にとって長期的な供給リスク

こうしたリスクへの備えとして、養殖現場では海水のpHやアラゴナイト飽和度をリアルタイムで監視し、酸性化が進みやすい時間帯や海域を避けて取水するといった対策の研究も進められている。海洋酸性化そのものを地域単位で止めることは難しいが、影響が出やすいタイミングを事前に把握し、被害を最小限に抑える適応策の重要性が高まっている。

海の吸収力に限界はあるのか:IPCCが示す将来シナリオ

海は今後も同じペースでCO2を吸収し続けてくれるのだろうか。IPCC第6次評価報告書(AR6)第1作業部会の分析では、大気中CO2濃度が上昇し続ける限り海洋・陸上の吸収量自体は増加を続けるものの、排出量に対する吸収の「割合」は低下していくと指摘されている。

温暖化が吸収力そのものを弱める

さらに高排出シナリオ(SSP4-6.0やSSP5-8.5)では、表層海水の水温上昇によって海水のCO2緩衝能力(バッファ能力)が低下し、2050年以降は海洋吸収量の伸びが鈍化すると予測されている。一方、低排出シナリオ(SSP1-2.6)では大気中CO2の増加率そのものが鈍るため、それに応じて自然に吸収量の伸びも緩やかになる。CMIP6モデルによる試算では、1850年からの累積海洋吸収量はSSP1-2.6で約290±30ギガトン炭素に落ち着くのに対し、SSP5-8.5では2100年までに約520±40ギガトン炭素に達すると見積もられている。

循環の変化という別のリスク

海水温の上昇は緩衝能力だけでなく、海洋の大規模循環そのものにも影響する。高排出シナリオでは、表層の温暖化と淡水化によって海水の密度差が小さくなり、深層への沈み込みを伴う循環が弱まる可能性が指摘されている。循環が弱まれば、深層への炭素輸送そのものが滞り、生物ポンプが取り込んだ炭素が深海に届く前に再び表層へ戻ってしまう量が増えるおそれがある。この場合、温度上昇による生物生産の変化と循環の弱化が同時に進み、影響を予測することがより複雑になる。

将来シナリオのポイント

  • 排出量が多いほど海の吸収「量」自体は増えるが、吸収「割合」は下がっていく
  • 温暖化で海水の緩衝能力が下がり、高排出シナリオでは2050年以降に吸収の伸びが鈍る
  • 低排出シナリオでは大気中CO2の増加そのものが緩やかになり、吸収量の伸びも自然に落ち着く
  • 海洋循環の弱化が進むと、深層への炭素輸送そのものが滞るリスクもある
  • いずれのシナリオでも、海が排出のすべてを無限に引き受け続けるわけではない

こうした将来予測はモデルごとに幅があり、不確実性も残されている。しかし共通しているのは、海の吸収力が「排出量が増えればいくらでも受け止めてくれる無限のバッファ」ではないという点だ。海が果たしてきた緩衝の役割は、あくまで人類が排出削減に取り組むための猶予期間を与えているに過ぎない、と理解しておく必要がある。

海の吸収力を後押しする新しい技術:海洋アルカリ化という選択肢

海の自然な吸収力を人為的に高めようとする研究開発も、近年活発になっている。代表的な手法が「海洋アルカリ化(Ocean Alkalinity Enhancement、OAE)」で、海水にアルカリ性の物質を加えることで海水の炭酸緩衝能力を高め、大気からより多くのCO2を溶け込ませようとする技術だ。理論上は、局所的に海洋酸性化を緩和しながらCO2除去を進められる「一石二鳥」の手法として注目されている。

実証実験が動き出した2025年

OAEの分野では実証段階が進んでいる。カナダのPlanetary Technologiesは2024年、世界初となる第三者検証済みのOAE炭素クレジットを発行した。米国のEbb Carbonは「Project Macoma」として、米エネルギー省傘下のPacific Northwest National Laboratoryと2年間の実証実験を行い、2025年10月にワシントン州ポート・アンジェルスで操業を開始している。米ウッズホール海洋研究所が主導する「LOC-NESS」プロジェクトでは、メイン州沖での実地試験において、4日間のモニタリング期間中に2〜10トンの大気中CO2が海洋に取り込まれたとの結果が報告されている。

大規模展開にはまだ課題も

一方で、こうした初期の実地試験やモデル解析では、小規模な取り組みによるCO2除去が周辺の保護区域に与える測定可能な影響はほとんど確認されていない、と報告されている。裏を返せば、地球規模でCO2除去に意味のある量を確保しようとした場合に、生態系や海洋化学へどのような影響が及ぶかは、まだ十分に分かっていないということでもある。海の吸収力を「後押し」する技術は、酸性化を止める万能薬ではなく、排出削減と並行して慎重に検証を重ねるべき発展途上の選択肢だと位置づけられている。

海洋CO2除去(CDR)の位置づけ

海洋アルカリ化などの海洋CO2除去技術は、あくまで排出削減を補完する手段として研究が進められている。IPCCをはじめとする科学的知見でも、CO2排出そのものを減らすことが気候変動対策の土台であり、除去技術はその上に積み増す「追加の手段」という位置づけが基本になっている。

日本国内でも、海洋を活用したCO2除去技術への関心は高まりつつある。研究機関や企業による実証実験の動きが報じられ始めており、今後は日本近海の環境特性に合わせた技術検証が課題になっていくと見られる。海に囲まれた島国だからこそ、こうした技術の恩恵とリスクの両方を、他国以上に注意深く見極めていく必要がある。

私たちにできること

海が担ってきた「地球最大の吸収源」としての役割は、今後の排出量次第で強まりも弱まりもする。根本的な対策はCO2排出そのものを減らすことだが、海の吸収力を支える生態系を守ることも重要な選択肢のひとつだ。

マングローブや海草藻場、藻場といった沿岸生態系はブルーカーボンとして大気中CO2を長期的に貯留する働きを持つ。こうした生態系の保全・再生は、海洋酸性化の緩和には直接つながらないものの、CO2排出を相殺する数少ない自然由来の手段として各地で取り組みが進んでいる。詳しくはブルーカーボンの仕組みや海の炭素吸収が抱える限界の記事もあわせて読んでほしい。

企業や自治体の取り組みとしては、CO2排出量の削減目標を掲げるだけでなく、サプライチェーンにおける水産物の調達方針に酸性化リスクへの配慮を組み込む動きも出てきている。個人が直接関与できる場面は限られるが、こうした企業・自治体の取り組みを知り、応援することも間接的な後押しになる。

個人でできることは決して大きくは見えないかもしれないが、排出削減という根っこの部分は一人ひとりの行動の積み重ねでもある。加えて、海洋酸性化のように進行がゆっくりで実感しにくい変化ほど、正しいデータを知り、関心を持ち続けること自体が意味を持つ。海の異変は目に見える形で現れるまでに時間がかかるからこそ、観測データという「早期警戒システム」を社会全体で共有していく姿勢が求められている。

  • 日常のCO2排出削減(省エネ・再エネ利用など)が最も根本的な対策
  • マングローブ・海草藻場などブルーカーボン生態系の保全・再生を支援する
  • 気象庁やJAMSTECなど公的機関の観測データに関心を持ち、変化を知り続ける
  • 水産業・養殖業における酸性化対策研究の動向にも目を向ける

まず知ることから

海洋酸性化はゆっくりと進む変化で、実感しにくい。だからこそ気象庁やJAMSTECが公開する観測データを定期的にチェックし、変化を「知り続ける」ことが最初の一歩になる。

この記事のポイントを箇条書きでまとめた図版
この記事のポイント。詳しくは各章で解説している

参考文献・出典

  1. Global Carbon Project – Global Carbon Budget 2025(ESSD/Copernicus掲載)
  2. 気象庁 – 海洋の二酸化炭素データ・観測の知識
  3. 気象庁 – 海洋酸性化の知識
  4. 気象庁 – 海洋の健康診断表:表面海水中のpHの長期変化傾向(全球)
  5. 気象庁 – 海洋の健康診断表:海洋酸性化の将来予測(日本近海)
  6. 海洋研究開発機構(JAMSTEC) – 日本沿岸域の酸性化進行状況に関するモニタリング(プレスリリース)
  7. 海洋研究開発機構(JAMSTEC) – 海洋酸性化が日本の海でも起きている
  8. IPCC – AR6 WG1 Chapter 5: Global Carbon and other Biogeochemical Cycles and Feedbacks
  9. 国立環境研究所 – 温暖化の影響 Q9 海洋酸性化の影響
  10. 国立研究開発法人科学技術振興機構(JST) – 海水の力でCO2除去、海洋アルカリ度向上の可能性

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