5,578種
採掘候補海域CCZで確認された生物種の記録。約9割が学名すらない未記載種(2023年発表)
50年以上
1989年の採掘模擬実験DISCOLの跡地で、海底の微生物の働きが元に戻るまでに必要と推定される年数
約40か国
深海採掘の一時停止(モラトリアム)や予防的中断を支持する国の数(2025年時点)

スマートフォンにもEV(電気自動車)にも、コバルト・ニッケル・レアアースといった金属が欠かせません。その新たな供給源として、いま太陽の光がまったく届かない水深4,000〜6,000mの深海底が世界中から注目されています。海底にゴロゴロと転がる「マンガン団塊」をロボットで拾い集める——そんな計画が、実現の一歩手前まで来ているのです。

しかし2023年、採掘の最有力候補地であるハワイ沖の海域から5,578種もの生物の記録が報告され、その約9割は学名すら付いていない未知の生き物であることが分かりました。さらに、1989年に行われた採掘の模擬実験の跡地では、26年たっても海底の傷跡がくっきり残り、微生物の働きが半分ほどしか戻っていなかったという研究結果もあります。深海は、いちど壊すと人間の時間感覚では回復しない世界なのです。

この記事では、深海採掘とは何か、なぜ今動き出しているのか、深海生態系にどんな影響が及ぶのか、そして国際ルール作りの現状と日本の動きまで、一次情報にもとづいて丁寧に整理します。「採るべきか、採らざるべきか」を自分で考えるための材料にしてください。

この記事で学べること

  • 深海底に眠る4種類の鉱物資源(マンガン団塊・コバルトリッチクラスト・海底熱水鉱床・レアアース泥)の特徴と分布
  • 採掘候補海域クラリオン・クリッパートン海域(CCZ)で見つかった5,578種の生物と「団塊に卵を産むタコ」の話
  • 37年前の実験跡が今も残る——DISCOL実験が明らかにした深海の回復力の低さ
  • 堆積物プルーム(濁りの雲)が採掘地点の外まで影響を広げる仕組み
  • 国際海底機構(ISA)のルール交渉決裂・モラトリアム・米国の単独路線という国際情勢の最前線
  • 沖縄近海・南鳥島で進む日本の技術試験と、消費者としてできること

深海採掘とは何か——海底に眠る4つの鉱物資源

深海採掘(deep-sea mining/深海底鉱物資源開発)とは、深い海の底にある鉱物資源を採取しようとする産業活動のことです。まず押さえておきたいのは、2026年時点で商業的な深海採掘は世界のどこでもまだ始まっていないという事実です。現在行われているのは資源量の探査と採掘技術の実証試験までで、「本格的に採ってよいかどうか」のルール作り自体が国際交渉の真っ最中にあります。

採掘のイメージはこうです。マンガン団塊なら、キャタピラ付きの大型集鉱ロボットが水深5,000m前後の海底を走行しながら団塊を吸い込み、数千mの揚鉱パイプ(ライザー)を通じて洋上の母船へ送ります。船上で鉱石と泥を選別し、鉱石は運搬船で陸へ、不要な泥水は再び海中へ戻す——陸上の鉱山とはまったく異なる、巨大な海洋エンジニアリングです。海底熱水鉱床では硬い鉱体を砕く掘削機が、コバルトリッチクラストでは岩盤の皮殻を剥ぎ取る技術が必要になります。

ターゲットは4タイプの資源

ひとくちに深海の鉱物資源といっても、性質のちがう4つのタイプがあります。それぞれ含まれる金属も、存在する場所も、採り方もまったく異なります。

資源タイプ主な金属ある場所・水深特徴
マンガン団塊ニッケル・コバルト・銅・マンガン水深4,000〜6,000mの深海平原ジャガイモ状の黒い塊が海底一面に転がる。成長は100万年に数mmという超スローペース
コバルトリッチクラストコバルト・ニッケル・白金水深800〜2,400m前後の海山斜面海山の岩盤をアスファルトのように覆う皮殻状の鉱床
海底熱水鉱床銅・亜鉛・金・銀・鉛水深700〜2,000m前後の熱水噴出域海底から噴き出す熱水に溶けた金属が沈殿してできる。チムニー(煙突状の構造)を作る
レアアース泥レアアース(希土類)水深5,000〜6,000mの海底堆積物日本の南鳥島沖で高濃度の泥層が発見され、世界的に注目される
深海底鉱物資源の4タイプ(出典: JOGMEC・深海資源開発株式会社の公開資料をもとに作成)
マンガン団塊・コバルトリッチクラスト・海底熱水鉱床・レアアース泥の4資源が海底のどこにあるかを示す断面図解
4つの資源はそれぞれ異なる場所・水深に存在する(図解イメージ)

マンガン団塊は、サメの歯や岩のかけらなどを核にして、海水や堆積物中の金属がゆっくり沈着してできると考えられています。その成長速度は100万年に数mm——直径10cmの団塊は、数百万年から1,000万年以上の時間をかけて育った「深海の年輪」です。一方、海底熱水鉱床は、海底下に染み込んだ海水がマグマの熱で数百℃の熱水となり、岩石から溶かし出した金属を噴出口の周囲に沈殿させてできます。熱水噴出孔のまわりには化学合成生態系という独特の生物群集が発達するため、鉱床と生態系が文字どおり同じ場所に重なっているのが厄介な点です。

このうち世界の開発競争の主戦場になっているのが、太平洋の公海に広がるマンガン団塊です。団塊はEVバッテリーの主要材料であるニッケルとコバルトを同時に含むため「海底のバッテリー鉱石」とも呼ばれます。一方、日本の排他的経済水域(EEZ)内では海底熱水鉱床とコバルトリッチクラスト、そしてレアアース泥の調査・技術開発が進められています。

ここがポイント

  • 深海採掘はまだ「商業化前夜」。世界のどこでも本格採掘は始まっていない
  • 資源は4タイプ(マンガン団塊・クラスト・熱水鉱床・レアアース泥)で、場所も採り方も別物
  • マンガン団塊は100万年に数mmしか成長しない——採れば事実上「再生不可能」な資源

なぜ今、深海が狙われるのか——EVシフトとレアメタル争奪戦

脱炭素が皮肉にも深海開発を後押しする

深海採掘が急浮上した最大の理由は、脱炭素社会への転換にともなうレアメタル需要の急増です。EVのリチウムイオン電池にはニッケルやコバルトが、風力発電機やEVモーターの強力磁石にはレアアースが使われます。国際エネルギー機関(IEA)は、クリーンエネルギー技術の普及にともなって、こうした重要鉱物の需要が今後数十年で大きく伸びると繰り返し予測しています。気候変動を止めるための技術が、皮肉にも手つかずの深海に開発圧力をかけているのです。

陸上の鉱山にも課題があります。コバルトは世界の供給の大半をコンゴ民主共和国という一国に依存しており、児童労働などの人権問題や政情不安が指摘されてきました。鉱石の品位(金属の含有率)の低下や、鉱山開発による森林破壊・水質汚染も深刻です。「陸で掘るより海のほうがましではないか」という主張は、深海採掘推進派の代表的な論拠になっています。

最有力候補地クラリオン・クリッパートン海域(CCZ)

マンガン団塊の世界最大の密集地帯が、ハワイ南東沖の太平洋公海に広がるクラリオン・クリッパートン海域(CCZ: Clarion-Clipperton Zone)です。2つの断裂帯に挟まれた約600万km²——日本の国土の約16倍——という広大な深海平原に、ニッケル・コバルトを豊富に含む団塊が高密度で分布しています。

公海の深海底は特定の国のものではなく、国連海洋法条約で「人類の共同の財産」と位置づけられています。その資源を一元管理するのが後述する国際海底機構(ISA)で、ISAと契約を結んだ21の事業者が世界で計30件の探査を進めています(マンガン団塊19件・海底熱水鉱床7件・コバルトリッチクラスト4件)。日本の深海資源開発株式会社(DORD)もCCZに探査鉱区を持つ事業者のひとつです。

太平洋のハワイ南東沖に広がるクラリオン・クリッパートン海域の位置を示す地図イメージ
採掘の最有力候補地CCZはハワイ南東沖の公海に広がる(イメージ)

ISAは探査を認める一方で、CCZについては地域環境管理計画(REMP)を策定し、生物多様性保全のために採掘対象から外す保全区域(特別環境重要海域)のネットワークを設定しています。ただし、保全区域が採掘予定区域の生態系を本当に代表できているのか、面積や配置は十分なのかについては、科学者の間でなお議論が続いています。

  • 需要側の圧力:EV・再エネ普及でニッケル・コバルト・レアアース需要が急増する見通し
  • 供給側の事情:陸上鉱山の品位低下、特定国への偏在、人権・環境問題
  • 技術の成熟:水深6,000mで稼働する集鉱ロボットや揚鉱システムが実証段階に到達
  • 安全保障:重要鉱物のサプライチェーンを自国で確保したい各国の思惑

深海には誰が住んでいるのか——9割が「名もなき生き物」

「暗くて冷たい深海底には、たいした生き物はいないのでは」——かつてはそう考えられていました。しかし調査が進むほど、正反対の事実が明らかになっています。2023年、英国自然史博物館などの研究チームが学術誌Current Biologyに発表した研究では、CCZでこれまでに確認された生物種の記録を集計したところ5,578種にのぼり、そのうち約88〜92%が学名すら付いていない未記載種(事実上の新種)でした。人類は、何が住んでいるかもまだ分からない場所を掘ろうとしているのです。

マンガン団塊は生き物の「マンション」

採掘のターゲットであるマンガン団塊そのものが、実は生態系の土台です。泥ばかりの深海平原において、団塊は数少ない「固い足場」。そこにカイメンやイソギンチャク、ウミエラなどの固着性の生き物が付着し、それを目当てに小さな甲殻類や魚が集まります。2016年には、白い体から「カスパー」の愛称で呼ばれるタコの仲間が、団塊に付着したカイメンの茎に卵を産みつけて守る様子が報告されました。団塊を採り尽くすことは、彼らの産卵場所と住まいを根こそぎ奪うことを意味します。

団塊のまわりの泥の中にも生命はあふれています。CCZの調査で最も多く見つかっているのは、線形動物(線虫)や多毛類(ゴカイの仲間)、端脚類などの小さな生き物たち。泥の表面では、体長数十cmにもなる半透明のナマコがゆっくりと有機物を食べて歩き、ガラスの繊維でできた骨格を持つガラスカイメンが静かに水をろ過しています。1平方メートルあたりの個体数こそ浅い海より少ないものの、種の多様性はきわめて高い——これが最新の深海研究が描くCCZの姿です。

熱水噴出孔の固有種たち

海底熱水鉱床の開発が想定される熱水噴出孔のまわりには、太陽の光ではなく化学エネルギーに支えられた独特の生態系が広がっています(詳しくは熱水噴出孔の生態系の記事で解説しています)。鉄のウロコをまとう巻貝ウロコフネタマガイ(スケーリーフット)は、インド洋のわずか数か所の熱水域にしか生息しておらず、2019年、深海採掘の脅威を主な理由としてIUCNレッドリストの絶滅危惧種(EN)に指定されました。深海採掘のリスクを理由に絶滅危惧評価を受けた初めての動物です。

深海の生き物は総じて成長が遅く、寿命が長く、繁殖の機会が少ないという特徴を持ちます(深海生物の適応戦略の記事も参照)。つまり、いちど個体群が打撃を受けると回復に極端に時間がかかる——採掘の影響を最も受けやすいタイプの生態系だといえます。

マンガン団塊の上で暮らすカイメン・イソギンチャク・白いタコなど深海生物のイメージ
団塊は深海の生き物たちの貴重な足場。白いタコ「カスパー」は団塊上のカイメンに卵を産む(イメージ)

データで見るCCZの生物多様性

  • 確認された種の記録:5,578種(2023年・Current Biology誌)
  • うち未記載種(学名がない):約88〜92%
  • 内訳は節足動物・環形動物・線形動物など。ナマコ・サンゴ・ガラスカイメンも多数
  • 研究者の推計では、CCZ全体の種数は6,000〜8,000種以上に達する可能性も

消えない傷跡——DISCOL実験が示した「回復しない深海」

「採掘しても、時間がたてば海底は元に戻るのでは?」——この問いに対する最も重要な答えが、南米ペルー沖の深海にあります。1989年、ドイツの研究チームは水深約4,000mのペルー海盆でDISCOL(ディスコル)実験と呼ばれる大規模な撹乱実験を行いました。約11km²の海底を鋤(すき)状の装置で繰り返し耕し、マンガン団塊採掘が海底に与える影響を長期観測しようというものです。

26年後、傷跡はくっきり残っていた

2015年、欧州の研究プロジェクトが26年ぶりに現場を再訪すると、鋤の轍(わだち)は昨日つけたかのように海底にくっきり残っていました。2020年にScience Advances誌に発表された解析によれば、轍の中では海底の微生物の細胞数が約半分に減ったままで、有機物を分解するなどの微生物の働き(生物地球化学的機能)は場所により最大4分の1に低下。研究チームは、微生物の機能が完全に回復するには50年以上かかると推定しています。

目に見える大型生物も同様です。2019年のScientific Reports誌の研究では、撹乱から26年たっても、カイメンやイソギンチャクなど団塊を足場にする固着性動物の群集は対照区の水準まで回復していませんでした。足場となる団塊そのものが失われた場所では、100万年に数mmという団塊の成長速度を考えると、回復は人間の時間スケールでは事実上不可能です。

しかも忘れてはならないのは、DISCOLはあくまで約11km²の「小さな」実験だったという点です。想定されている商業採掘では、1つの事業者が1年間に数百km²規模の海底から団塊を回収する計画が示されており、影響の面積はDISCOLの数十倍から数百倍に達します。実験ですらこれだけの傷跡が残るなら、商業規模の採掘が何を残すのか——多くの海洋科学者が警鐘を鳴らす理由がここにあります。

深海底の微生物が担う物質循環の機能は、撹乱から26年を経てもなお完全には回復していなかった。私たちの推定では、その完全な回復には少なくとも50年を要する。

― Vonnahme et al.(2020)Science Advances の結論より要約

なぜ深海はこれほど回復が遅いのか

  • 低温・低栄養:水温1〜4℃、餌となる有機物は海面から沈んでくるわずかな量のみで、あらゆる生命活動がスローモーション
  • 生き物の性質:成長が遅く長寿命・低繁殖のため、個体群の回復に数十年〜数百年単位の時間が必要
  • 足場の喪失:団塊やチムニーという「構造物」自体が資源として持ち去られ、生息環境が物理的に消える
  • 攪乱への免疫のなさ:深海平原は数千年単位で安定した環境のため、大規模撹乱を前提とした生態系になっていない
深海底に何十年も残る採掘実験の轍(わだち)を上から見たイメージ
DISCOL実験の跡地では、26年後も轍がくっきり残り生物は戻っていなかった(イメージ)

DISCOL実験が突きつける事実

  • たった一度の実験的撹乱でも、26年後まで物理的・生物的な傷跡が持続
  • 微生物機能の完全回復には50年以上と推定——商業採掘の規模なら影響はさらに桁違いに
  • 深海の「回復力」を人間の時間感覚で見積もってはいけない

濁りの雲「堆積物プルーム」——影響は掘った場所の外へ広がる

深海採掘の環境影響は、機械が海底を直接壊す範囲だけにとどまりません。専門家がとりわけ懸念しているのが、堆積物プルーム(sediment plume)——採掘にともなって発生する「濁りの雲」です。

プルームは2種類ある

  1. 海底プルーム:集鉱機が海底を走行しながら団塊を吸い上げる際、表層の泥を巻き上げて発生する。海底付近を漂いながら周囲へ広がる
  2. 排水プルーム:吸い上げた団塊を船上へ運んだあと、選別で不要になった泥水を再び海中へ放出することで発生する。放出する深さによっては中層の生態系にも影響が及ぶ

澄みきった深海に「濁り」が持ち込まれると

深海は本来、極めて澄んだ静かな世界です。そこに大量の懸濁粒子がまき散らされると、カイメンや二枚貝など水をろ過して餌をとる生き物のろ過器官が目詰まりを起こす恐れがあります。また深海では多くの生き物が発光でコミュニケーションをとっており、濁りは彼らの「視界」を奪いかねません。巻き上げられた堆積物が沈み直すことで、周辺の海底に住む生き物が埋没する影響も指摘されています。さらに、泥に含まれる重金属が溶け出して食物連鎖に入るリスクも研究されています。

濁りに加えて騒音と光の問題もあります。集鉱機の稼働音や揚鉱ポンプの振動は、静寂な深海に24時間響き続けることになります。音でコミュニケーションをとるクジラ類など、深海を利用する大型動物への影響を懸念する研究者もいます。また作業に使う強力な照明は、生まれてから一度も太陽光を見たことのない深海生物にとって未知のストレスです。深海採掘の影響は「泥」だけでなく、音・光・振動という複数の経路で生態系に及ぶ可能性があるのです。

プルームがどこまで広がるかは、海流・粒子の細かさ・排出方法などの条件によって大きく変わり、まだ確かな答えが出ていません。数値モデルや現場実験からは、濁りの影響が採掘区画の外側、数km〜数十kmスケールに及びうることが示唆されており、「掘る場所を限定すれば影響も限定できる」という単純な話ではないことが分かってきています。

深海採掘機が巻き上げる堆積物プルームが海底に広がっていく様子の図解イメージ
集鉱機が巻き上げる海底プルームと、船からの排水プルーム。濁りは採掘区画の外へ広がりうる(図解イメージ)

「分からない」こと自体がリスク

深海生態系の基礎データが乏しいため、影響の予測にはどうしても大きな不確実性が残ります。科学者たちが「まず調査を、採掘はその後に」と予防原則を訴えるのは、この不確実性ゆえです。取り返しのつかない環境で「やってみて確かめる」ことはできません。

国際ルールはまだない——ISA交渉・モラトリアム・米国の単独行動

公海の深海底資源は国連海洋法条約のもと「人類の共同の財産」とされ、ジャマイカに本部を置く国際海底機構(ISA: International Seabed Authority)が探査・開発を一元管理しています。ISAはこれまで探査契約を認めてきましたが、商業採掘を認めるための規則——通称マイニングコード(採掘規則)——は、環境基準や利益配分をめぐる対立から今も完成していません。

公式情報を見る国際海底機構(ISA)とは(外務省)深海底鉱物資源を一元管理する国際機関の役割・組織・日本の関わりを解説する外務省の公式ページ。🔗 mofa.go.jp

ISAの意思決定には途上国と先進国、採掘を推進したい国と慎重な国の思惑が複雑に絡みます。スポンサー国として事業者を後押しするナウルやトンガのような太平洋島しょ国がある一方、同じ太平洋のパラオやフィジー、バヌアツなどはモラトリアムを主導しており、「海の民」の間でも立場は真っ二つに割れています。海に生計を依存する島しょ国にとって、採掘は貴重な収入源にも、漁業と文化を脅かすリスクにもなりうるからです。

引き金になった「2年ルール」

膠着状態を破ったのが太平洋の島国ナウルです。2021年6月、ナウルは条約の規定に基づき「2年以内に採掘規則を完成させること」を求める通告(いわゆる2年ルール)を発動しました。これにより、規則が未完成でも採掘申請の審査が始まりうる状況が生まれ、国際社会に激震が走りました。しかし期限の2023年7月を過ぎても規則はまとまらず、交渉は年を追うごとに難航しています。

2025年の交渉も決裂、モラトリアム支持は約40か国に

2025年7月にキングストンで開かれたISAの第30回会期でも、環境基準・監視体制・利益配分などをめぐる溝は埋まらず、マイニングコードは採択されないまま交渉は2026年に持ち越しとなりました。一方で、科学的知見が十分に得られるまで採掘を始めるべきではないとするモラトリアム(一時停止)支持国は約40か国まで増加。フランス・ドイツ・イギリスなどの主要国に加え、太平洋島しょ国の一部、そして金融機関や企業からも同調の声が広がっています。

交渉の争点は環境問題だけではありません。深海底は「人類の共同の財産」である以上、採掘で得られた利益は途上国を含む国際社会に公平に配分される必要があります。しかしロイヤルティ(採掘料)の水準や配分方法、環境被害が起きたときの賠償責任の仕組み、監視・査察の体制など、決めるべきことは山積みです。「環境基準の数値ひとつ決めるにも、その根拠となる科学データが足りない」——これが交渉が長引く根本的な理由です。

米国の単独路線という新たな火種

2025年4月24日、トランプ米大統領は深海鉱物の探査・開発許可を迅速化する大統領令に署名しました。米国は国連海洋法条約を批准しておらずISAの枠外にいるため、自国法(深海底硬鉱物資源法)に基づき公海での採掘を独自に許可できると主張しています。これを受けてカナダ企業ザ・メタルズ・カンパニー(TMC)の米国子会社が、CCZでの商業採掘許可を米海洋大気庁(NOAA)に申請。「人類の共同の財産」を一国の許可で採掘してよいのかという根本的な問いを突きつけ、国際社会の強い反発を招いています。

できごと
2021年6月ナウルが「2年ルール」を発動。採掘規則の完成を迫る
2022年TMCがCCZで集鉱試験を実施し、約3,000トンの団塊を回収
2023年7月2年ルールの期限到来。しかしマイニングコードは未完成のまま
2025年4月米大統領令。TMCが米国法に基づきNOAAへ採掘許可を申請
2025年7月ISA第30回会期もコード採択に至らず閉幕。モラトリアム支持約40か国に
2026年〜ISAでの交渉継続。商業採掘の可否は依然決まらず
深海採掘をめぐる国際情勢の年表(各種公開情報をもとに作成)
深海採掘の国際ルールをめぐり対立する各国の交渉を象徴するイメージ
採掘を急ぐ国・企業と、一時停止を求める国・市民社会の対立が続く(イメージ)

日本の動き——世界初の試験と南鳥島レアアース泥

資源の乏しい日本にとって、広大な排他的経済水域(EEZ)に眠る海洋鉱物資源は「国産資源」の切り札と位置づけられてきました。開発の中核を担うのが、エネルギー・金属鉱物資源機構(JOGMEC)です。

公式情報を見るレアアース泥で注目!日本の海洋鉱物資源(JOGMEC)南鳥島沖のレアアース泥をはじめ、日本近海の海洋鉱物資源と開発の現状をJOGMECが解説。🔗 jogmec.go.jp

世界初を重ねる日本の技術試験

日本は深海採掘の要素技術で世界の先頭集団にいます。2017年には経済産業省とJOGMECが沖縄近海の海底熱水鉱床で、鉱石を掘削して水深約1,600mから連続的に船上へ吸い上げる世界初のパイロット試験に成功しました。2020年には南鳥島沖の拓洋第5海山(水深約900m)で、コバルトリッチクラストの掘削試験にも世界で初めて成功しています。一方、経済産業省・JOGMECが2023年にまとめた海底熱水鉱床開発の総合評価報告書は、資源量の把握・採鉱技術・経済性・環境影響評価のいずれにも課題が残ることを示しており、商業化にはなお距離があります。

南鳥島レアアース泥——2026年、世界初の揚泥試験

いま最も注目されているのが、日本最東端・南鳥島沖のレアアース泥です。EEZ内の水深5,000〜6,000mの海底に、ハイテク製品に欠かせないレアアースを高濃度で含む泥の層が広がっていることが東京大学などの調査で分かっています。レアアースは現在、生産の大半を中国が握っており、輸出規制が起きるたびに日本の製造業は揺さぶられてきました。南鳥島沖の泥には、品目によっては世界需要の数百年分に相当するレアアースが含まれるとの試算もあり、経済安全保障の観点から国策として開発が急がれています。2026年1月からは地球深部探査船「ちきゅう」による試験が始まり、同年2月には水深約6,000mの海底からレアアース泥を連続的に吸い上げる世界初の揚泥試験に成功しました。試験では小型の深海探査機を使った周辺環境のモニタリングも行われています。

EEZ内の開発は国際海底機構の管轄外で、日本が自国の判断で進められます。それだけに、環境影響評価の厳格さを自ら担保できるかが問われます。深海環境の長期モニタリング体制をどう作るのか、どこまでの影響なら許容するのか——採掘技術と同じ熱量で、環境側のルール整備を進められるかが日本の試金石になるでしょう。

南鳥島沖で地球深部探査船がレアアース泥を吸い上げる試験を行うイメージ
地球深部探査船「ちきゅう」は2026年2月、水深約6,000mからのレアアース泥の連続揚泥に世界で初めて成功した(イメージ)

日本の深海資源開発のあゆみ

  • 2017年:沖縄近海の海底熱水鉱床で世界初の採鉱・揚鉱パイロット試験に成功
  • 2020年:南鳥島沖・拓洋第5海山でコバルトリッチクラストの掘削試験に世界初成功
  • 2023年:海底熱水鉱床開発の総合評価報告書を公表。商業化には課題が残ると整理
  • 2026年1〜2月:南鳥島沖で「ちきゅう」が水深約6,000mからのレアアース泥揚泥試験に世界初成功

採らない選択肢はあるか——リサイクル・代替技術・私たちにできること

「脱炭素のためにはレアメタルが要る。だから深海を掘るしかない」——本当にそうでしょうか。実は、需要と供給の両側から「深海を掘らずに済ませる」ための選択肢が急速に育っています。深海採掘をめぐる議論は「環境か経済か」の二択に見えがちですが、実際には「いつ・どこまで科学的に分かってから判断するか」という時間軸の問題でもあります。

都市鉱山とサーキュラーエコノミー

使い終わったスマートフォンやEVバッテリーには、コバルト・ニッケル・リチウムなどが濃縮されています。この「都市鉱山」から金属を回収するリサイクル技術は年々進歩しており、使用済み電池から主要金属の大部分を回収できるプロセスの実用化が世界中で進んでいます。製品を長く使い、資源を循環させるサーキュラーエコノミーが本格化すれば、新規採掘への依存はその分だけ減らせます。

「コバルトを使わない電池」への技術シフト

需要側も動いています。EV用電池では、コバルトやニッケルを使わないリン酸鉄リチウム(LFP)電池の採用が世界的に拡大しており、電池の材料構成そのものが変わりつつあります。ナトリウムイオン電池など次世代技術の開発も進んでおり、「深海の団塊がなければEVシフトは成り立たない」という前提は、技術の進歩によって揺らぎ始めています。

企業と消費者の意思表示

BMW・ボルボ・グーグル・サムスンSDIなどの企業は、深海採掘のモラトリアムを支持し、深海由来の鉱物を当面製品に使わないことを宣言しています。金融機関にも深海採掘への投融資を控える動きがあります。企業がこうした姿勢を打ち出す背景には、環境リスクへの懸念とともに、消費者・投資家の視線があります。つまり、私たち一人ひとりの選択が、深海の未来に対する「投票」になるのです。

そして何より——深海を「知る」こと

深海採掘の議論で全員の意見が一致する点がひとつだけあります。それは「私たちは深海のことをまだ知らなすぎる」ということです。地球の表面の約半分は水深3,000mより深い海底ですが、詳細な地形図がある海底は一部にすぎず、生物調査となるとさらにわずかです。深海研究への投資は、採掘の是非を科学的に判断するための土台であると同時に、新薬の候補物質や生命の起源の手がかりなど、鉱物以外の「資源」を見つける営みでもあります。掘る前に知る——その順序を守れるかどうかが、いま問われています。

使用済みスマートフォンやバッテリーから金属を回収するリサイクルと深海保全のつながりを表すイメージ
手元の古いスマホは小さな鉱山。都市鉱山の活用は深海への開発圧力を減らす(イメージ)

今日からできるアクション

  • スマホ・家電を長く使い、買い替え時は自治体や店頭の小型家電回収に出す(都市鉱山への第一歩)
  • 深海採掘のニュースを追い、ISA交渉やモラトリアムの動きを知る——知る人が増えることが政策を動かす
  • 深海鉱物への姿勢を表明している企業・ブランドに注目し、選択の基準に加える
  • 海の環境問題を学び、家族や友人と「深海を掘るべきか」を話してみる

この記事のまとめ

  • 深海採掘は商業化前夜。マンガン団塊・クラスト・熱水鉱床・レアアース泥の4資源が対象
  • 候補地CCZでは5,578種(約9割が未記載)の生物を確認。団塊自体が生き物の足場
  • DISCOL実験では26年後も傷跡が残存。微生物機能の回復には50年以上——影響は事実上不可逆
  • 堆積物プルームにより影響は採掘区画の外へ広がりうる。不確実性の大きさ自体がリスク
  • ISAの採掘規則は2025年も未成立。モラトリアム支持約40か国 vs 米国の単独路線
  • 日本は沖縄・南鳥島で世界初の試験を重ねる。リサイクルと代替電池は「採らない選択肢」を広げている

参考文献・出典

  1. 外務省 – 国際海底機構(ISA)の概要と日本の関与
  2. JOGMEC(エネルギー・金属鉱物資源機構) – レアアース泥で注目!日本の海洋鉱物資源について解説
  3. 経済産業省資源エネルギー庁・JOGMEC – 海底熱水鉱床開発計画 総合評価報告書(令和5年11月)
  4. 深海資源開発株式会社(DORD) – 深海底鉱物資源とは・国際海底機構(ISA)とは
  5. Rabone et al.(2023)Current Biology – How many metazoan species live in the world's largest mineral exploration region?(CCZの生物種5,578種の集計)
  6. Vonnahme et al.(2020)Science Advances – Effects of a deep-sea mining experiment on seafloor microbial communities and functions after 26 years(DISCOL実験26年後の微生物影響)
  7. Simon-Lledó et al.(2019)Scientific Reports – Biological effects 26 years after simulated deep-sea mining(DISCOL実験26年後の大型生物影響)
  8. IISD Earth Negotiations Bulletin – ISA第30回理事会(2025年3月)交渉サマリー
  9. 笹川平和財団海洋政策研究所 Ocean Newsletter – 国際海底機構のこれまでの歩みと今後の展望

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