南極の氷が融けている——このニュースを、私たちは何度も聞いてきました。けれど「南極の氷」と一口に言われるものは、実は性質のまったく違う3つの氷の集まりです。海の上に浮かぶ海氷、陸の氷が海へ張り出した棚氷、そして大陸の上に何千メートルも積み重なった氷床。この3つは、融け方も、海面上昇への効き方も、生き物への影響の出方も違います。混ぜて語ると、大事な変化が見えなくなってしまいます。
南極大陸には地球上の氷の約90%が集まっており、地球最大の淡水の貯蔵庫でもあります。仮にその氷がすべて融けたなら、世界の海面は58メートル以上上がると見積もられています。もちろん明日そうなるわけではありません。しかし2016年以降、南極を取り巻く海氷は明らかにそれまでと違う振る舞いを見せ、2023年2月には衛星観測史上もっとも小さな面積を記録しました。氷の裏側で暮らす小さな藻類から、氷の上で子育てをするコウテイペンギン、そして数千キロ離れた日本の海岸線まで、その変化はつながっています。
この記事では、南極の3種類の氷を整理したうえで、①海氷の急減で何が起きたのか、②氷の下の生態系がどう揺らいでいるのか、③棚氷を底から融かす暖かい海水はどこから来るのか、④海面上昇の予測はなぜこれほど幅が広いのか、という順に、観測データと一次情報にもとづいて追いかけます。危機を煽るためではなく、南極という場所がどれほど精巧に組み上がった仕組みなのかを一緒に眺めるつもりで読んでみてください。
この記事で学べること
- 海氷・棚氷・氷床という3種類の氷の違いと、海面上昇への効き方がまったく違う理由
- 2016年を境に南極海氷が急減し、2023年に衛星観測史上最小を記録した経緯と、2026年に「平均近く」へ戻った意味
- 氷の裏側に広がるアイスアルジー(氷藻)とナンキョクオキアミが支える、南極海の食物網の構造
- 棚氷を底から融かす「暖かい海水」の正体と、日本の観測チームが解き明かしたトッテン氷河の熱の道
- 南極が世界の海面上昇予測で最大の不確実性になっている理由と、2100年に向けた幅のある見通し
- 遠い南極と日本の暮らしをつなぐ、現実的にできること
南極の「氷」は3種類ある——海氷・棚氷・氷床
南極の変化を正しく読むための最初の一歩は、氷を3つに分けて見ることです。ニュースで「南極の氷が最小を記録」と言われたとき、それが海に浮かぶ氷の話なのか、陸に載った氷の話なのかで、意味はまるで変わります。前者は季節ごとに大きく増減する「衣替え」のような現象ですが、後者は数十年〜数百年かけて進む、取り返しのつきにくい変化です。
海氷——海の表面が凍った、季節でふくらむ氷
海氷は、南極大陸を取り囲む海の表面が凍ってできた氷です。厚さはおおむね1〜2メートル程度で、南半球の冬(9月ごろ)に最大へ広がり、夏(2月ごろ)に最小へ縮みます。その振れ幅は驚くほど大きく、最大期には大陸の面積を上回るほどの海面を覆い、最小期にはその6分の1程度まで縮みます。地球上でもっとも大きな季節変化のひとつであり、南極を「毎年呼吸する大陸」のように見せている当事者です。
海氷はすでに海に浮かんでいるため、融けてもそれ自体では海面をほとんど上げません(コップの氷が融けても水位が変わらないのと同じ理屈です)。にもかかわらず海氷が重要視されるのは、①太陽光を跳ね返して地球を冷やす白い蓋であり、②氷の裏側が生き物の住まいと餌場であり、③棚氷を波から守る緩衝材であり、④凍るときに塩を吐き出して深層の水を作る装置でもあるからです。海面を上げないからといって、影響が小さいわけではまったくありません。
- 厚さ:おおむね1〜2m(変形して積み重なると数mになる場所もある)
- 季節変化:冬に最大、夏に最小。振れ幅が非常に大きい
- 海面上昇への直接影響:ほぼゼロ(浮いているため)
- 生態系での役割:氷藻の生育場、オキアミ幼生の越冬場、ペンギン・アザラシの繁殖基盤
棚氷——陸の氷が海へ張り出した「浮いた蓋」
棚氷(たなごおり/ice shelf)は、大陸の氷床が海へ流れ出し、そのまま海面に浮かんだ状態で広がった厚い氷の板です。厚さは数百メートルに達し、南極沿岸の広い範囲を縁取っています。棚氷もすでに海に浮かんでいるので、融けても直接には海面を上げません。ところが棚氷には、もうひとつ決定的な役割があります。背後にある陸の氷が海へ流れ出すのを押しとどめる「栓」としての働きです。
棚氷が薄くなったり崩れたりすると、この抵抗(バットレス効果)が弱まり、後ろの氷河が加速して海へ流れ込みます。つまり棚氷の融解は、海面上昇の「引き金」として効くのです。海面を上げないはずの氷が、海面上昇の速さを決めている——この間接的なつながりが、南極を理解するうえで最も大事な仕掛けのひとつです。
氷床——陸の上に積み上がった、海面58m分の氷
氷床(ice sheet)は、南極大陸そのものを覆う氷の塊です。平均で2000メートル前後、もっとも厚い場所では4000メートルを超えます。降った雪が押し固められて何万年もかけて積み上がったもので、ここに含まれる水こそが海面上昇の本体です。氷床が失われた分だけ、確実に世界の海面は上がります。
氷床は東南極(東半球側)と西南極(西半球側)に大別され、性格が異なります。東南極は標高が高く冷たく、長らく「安定している」と考えられてきました。西南極は逆に、氷の底が海面よりも低い岩盤に載っている場所が多く、暖かい海水が入り込みやすい構造をしています。この地形の違いが、後で見る「どこが危ないのか」という議論に直結します。
| 種類 | どこにある/どうできる | 海面上昇への直接影響 | 生態系での主な役割 | 変化の時間スケール |
|---|---|---|---|---|
| 海氷 | 海面が凍る。厚さ1〜2m | ほぼなし(浮いている) | 氷藻・オキアミ幼生・ペンギンの生活基盤 | 季節〜数年(速い) |
| 棚氷 | 氷床が海へ張り出して浮く。厚さ数百m | ほぼなし(浮いている) | 海氷を守る、氷の下に独特の生物群 | 数年〜数十年(引き金として重要) |
| 氷床 | 大陸上に雪が積み上がる。厚さ平均約2000m | 大きい(全融解で58m超) | 融け水として沿岸の環境を変える | 数十年〜数千年(遅いが不可逆的) |

ここだけ押さえれば混乱しない
- 海面を上げるのは氷床(陸の氷)だけ
- その流出速度を決めているのは棚氷という栓
- 生き物の暮らしを直接支えているのは海氷
- 「南極の氷が最小」というニュースは、ほとんどの場合海氷の話
2016年を境に何が変わったのか——南極海氷の急転
北極の海氷が長期にわたって減り続けてきたのに対し、南極の海氷は長らく「例外」でした。衛星観測が始まった1979年から2015年ごろまで、南極の海氷面積はわずかながら増加傾向を示し、2014年には年平均で観測期間中の最大値を記録しています。温暖化のなかで南極だけ氷が増えている、というこの状況は、気候科学のなかでも説明の難しい謎として扱われてきました。
2016年の急減と、その後に続いた記録的な低さ
その傾向は2016年に唐突に崩れます。この年、南極の海氷面積は急激に落ち込み、以後は低い水準が続くようになりました。2022年2月と2023年2月には続けて史上最小級の値が並び、2023年2月21日には衛星観測史上もっとも小さい最小面積が記録されました。減少は夏だけの話ではありません。米国海洋大気庁(NOAA)のまとめによれば、2024年9月の冬の最大面積は観測史上2番目に小さく、1981〜2010年平均の最大面積を約155万平方キロメートル下回りました。日本の国土面積の4倍ほどの海氷が、冬でも足りていなかったということです。
2026年は「平均近く」へ——では終わったのか
一方で、直近の状況には少し違う色合いがあります。米国雪氷データセンター(NSIDC)の解析によると、2026年の南極海氷は2月26日に258万平方キロメートルで最小となり、48年間の衛星記録では16番目に小さい値でした。1981〜2010年平均を26万平方キロメートル下回るとはいえ、2023年2月21日の史上最小より73万平方キロメートル多く、極端だった過去4年に比べれば平均に近い姿に戻っています。1月から2月にウェッデル海で南からの強風が海氷を沖へ押し出したことも、この年の推移に影響したと報告されています。
この「戻り」をどう受け取るかは慎重さが要る場面です。NSIDC自身が指摘するように、南極海氷は年ごとの変動が非常に大きく、極端な年の次に平均寄りの年が来ることは意外ではありません。逆に言えば、1年だけを見て「回復した」とも「終わった」とも言えないということです。見るべきは単年の値ではなく、2016年以降に水準そのものが一段下がった状態が続いているかどうかです。
| 時期 | できごと | 数値・位置づけ |
|---|---|---|
| 1979〜2015年 | 衛星観測期間の前半。北極とは対照的にゆるやかな増加傾向 | 2014年に年平均で観測期間中の最大 |
| 2016年 | 急激な減少。以後、低い水準が続く「転換点」 | 増加傾向が明確に途切れる |
| 2022年2月・2023年2月 | 史上最小級の最小面積が連続 | 2023年2月21日に観測史上最小 |
| 2024年9月 | 冬の最大面積が観測史上2番目に小さい | 1981〜2010年平均比 約−155万km²(NOAA) |
| 2026年2月26日 | 最小面積は平均寄りへ戻る | 258万km²/48年で16番目に小さい/平均比 約−26万km²(NSIDC) |
なぜ急に減ったのか——海の側の変化
原因の解明は現在も進行中ですが、風だけでは説明がつかないことは早い段階から指摘されていました。海洋研究開発機構(JAMSTEC)の草原和弥氏らが2025年に発表した海氷–海洋モデルによる研究では、2016〜2023年の急減と持続を説明する主要因として、海氷縁の北側にある亜寒帯域の海面水温の上昇という熱的な条件が重視されています。つまり、南極の海氷は上の空気からだけでなく、周囲の海が温かくなったことによって縁から削られている、という描像です。
この見方が重要なのは、海の熱は空気の熱よりも「抜けにくい」からです。ある年に強い風が吹いて海氷が広がっても、下の海が温かいままなら、翌年また薄い氷しか作れません。海氷が薄くなれば夏に融けやすくなり、融けて海面が露出すれば太陽熱を吸収してさらに海が温まる——この積み重ねが、単年の変動を超えた水準の低下として現れます。

「平均に戻った年」の読み方
南極海氷は年ごとの振れ幅が非常に大きいため、平均寄りの1年は珍しくありません。判断材料になるのは、①10年規模の水準、②冬の最大面積の推移、③海氷の厚さと海面下の水温です。単年の最小面積だけを取り出して「回復」「危機」と決めつけないことが、この分野では特に大切です。
氷の裏側は牧草地だった——アイスアルジーとナンキョクオキアミ
海氷が生態系にとって重要なのは、それが「上に乗るための床」だからだけではありません。もっと本質的なのは、氷の裏側が生産の場であるということです。南極の海氷を下から覗くと、氷の底面が茶褐色から黄緑色に染まっていることがあります。氷の内部や下面に取り込まれて育つ微細藻類、アイスアルジー(氷藻)のコロニーです。
光の弱い季節を支える、氷の底の藻類
南極海の冬は、太陽高度が低く、海氷に覆われ、風による混合で表層の水が深くまでかき混ざります。植物プランクトンにとっては、光が足りず、しかも沈み込んでしまう厳しい季節です。ところが氷藻は、海氷という「浮き」に固定されることで、水柱のいちばん上——つまり最も光が届く層に留まり続けることができます。さらに海氷が凍るときにできる細い塩水の通路(ブラインチャネル)には栄養塩が濃縮されるため、光と栄養が同時に得られるという有利な場所になります。
この氷藻は、春に海氷が融け始めると一気に水中へ放出され、氷縁に沿った植物プランクトンの大増殖(氷縁ブルーム)の種にもなります。海氷の縁が季節とともに南下していくのに合わせて、生産のベルトコンベアが南極大陸へ向かって動いていく——南極海の生産性の高さは、この氷と生産の連動に支えられています。
ナンキョクオキアミの幼生は、氷の下で冬を越す
この氷藻をもっとも直接的に利用しているのが、ナンキョクオキアミ(Euphausia superba)の幼生です。体長数ミリの幼生は成体ほど体に脂質を蓄えられず、長い絶食に耐えられません。冬の水中に十分な餌がない環境で生き延びるために、幼生は海氷の下面に張り付き、氷藻をこすり取って食べる行動が観察されています。海洋科学の査読誌 Frontiers in Marine Science に掲載された研究では、氷藻に由来する炭素がオキアミの越冬にとって決定的に重要であることが同位体分析から示されています。
ただし話は単純ではありません。Nature Ecology & Evolution に掲載された研究は、冬の海氷帯を「捕食者から身を隠せるが餌は乏しい生息場所」と表現しています。凹凸に富んだ氷の下面は隠れ家として優れている一方、そこで得られる餌の量は場所と年によって大きくばらつくのです。近年の研究では、ブランスフィールド海峡のように海氷の量に関わらず幼生が水中の植物プランクトンで代替できる海域もあることが示されており、「海氷が減ればオキアミが必ず減る」という単線的な図式にはなっていません。だからこそ、海域ごとの実測が求められています。
生物量は膨大、しかし分布は南へずれている
ナンキョクオキアミの現存量は、南極海全体でおよそ3億7900万トンと見積もられており、地球上で最も生物量の大きい野生動物種のひとつです。主要な漁場である南西大西洋区では、2019年の音響調査による推定値が6260万トン(変動係数13%)と報告されています。この巨大な生物量が、クジラ・アザラシ・ペンギン・魚・イカ・海鳥という南極海のほぼすべての上位捕食者を養っています。
一方で、40年規模の分布の変化として、オキアミの分布域が南へ収縮していることが複数の解析で示されています。とくに大西洋区では、生息域の北縁で1970年代から2010年代にかけて個体数の減少が報告されました。南側の海域では比較的安定しているため「全体として減った」と言い切れる状況ではありませんが、分布の中心が大陸側へ寄るという変化は、北側の島々で繁殖するペンギンやオットセイにとっては餌場が遠くなることを意味します。オキアミそのものの詳しい生態と食物網での位置づけは、ナンキョクオキアミが南極の海を支える理由で詳しく扱っています。


南極海の食物網が「短い」ということ
- 氷藻・植物プランクトン → オキアミ → 上位捕食者、と段数が少ない
- 少ない段数は効率がよい反面、ひとつの種の変動がそのまま全体に響く
- オキアミは餌であり、同時に炭素を深海へ運ぶ運搬役でもある
- 海氷の減少は、餌の場と隠れ家の両方を同時に削る
頂点捕食者に届いた波紋——コウテイペンギンの繁殖失敗
海氷の減少が生態系に及ぼす影響として、これまでにもっとも明瞭に記録されたのが、コウテイペンギンの繁殖失敗です。統計的な傾向ではなく、特定の年・特定の海域で何が起きたかを衛星画像で追跡した記録として、この事例は重要な位置を占めています。
2022年、5つのうち4つのコロニーで雛が育たなかった
英国南極調査所(British Antarctic Survey)のPeter Fretwell氏らは、2018年から2022年の衛星画像を用いて、南極半島西側のベリングスハウゼン海にある5つのコウテイペンギンのコロニーを繁殖期ごとに監視しました。その結果、2022年の繁殖シーズンには5つのうち4つのコロニーで、雛が1羽も巣立ちに至らなかったことが確認されました。この海域の中央部から東部では、2022年11月に海氷が100%失われていました。研究成果は2023年、査読誌 Communications Earth & Environment に発表されています。
この報告が画期的だったのは、海氷面積の大規模な縮小と、コウテイペンギンの広域的な繁殖失敗が明確に結びついた最初の記録だったという点です。個体数の推定には常に幅がありますが、「雛が巣立たなかった」という結果は解釈の余地が小さく、影響の現れ方を直接に示しています。
なぜ「動かない氷」でなければならないのか
コウテイペンギンは、陸に接して固定された海氷(定着氷)の上で繁殖します。彼らの繁殖スケジュールは非常にタイトです。おおよそ4月から翌年1月にかけて安定した氷が必要で、その間に産卵・抱卵・育雛・換羽を終えなければなりません。とりわけ決定的なのは、雛の羽毛が防水性を獲得するのは巣立ちの直前だという点です。それより早く氷が割れて海に落ちれば、雛は体温を保てず、泳ぐこともできません。
つまりコウテイペンギンに必要なのは「氷があること」ではなく、「必要な期間、割れずにあり続けること」です。海氷面積の平均値が平年並みでも、そのタイミングと安定性が崩れれば繁殖は失敗します。面積という指標だけでは捉えきれない脆さが、ここにあります。
アザラシ・クジラ・海鳥へと広がる連鎖
同じ論理は他の動物にも当てはまります。ウェッデルアザラシやカニクイアザラシは海氷を出産と休息の場として使い、カニクイアザラシは名前に反してオキアミを主食としています。ザトウクジラやナガスクジラは夏の南極海でオキアミを大量に食べ、そこで蓄えた脂肪で長距離の回遊と繁殖をこなします。アデリーペンギンは海氷の状態に応じて採餌の距離が大きく変わり、繁殖の成否がその年の氷の配置に左右されます。
こうした種はいずれも寿命が長く、1年の失敗で個体群が消えるわけではありません。しかしコウテイペンギンのように繁殖に長い期間を要する種では、失敗の年が続くことが個体群の減少に直結します。海氷という土台の「安定性」が揺らぐことは、南極の大型動物にとって、餌不足以上に直接的な打撃になり得るのです。

面積の指標では見えないこと
- 重要なのは面積だけでなく、いつ・どこで・どれだけ長く安定していたか
- コウテイペンギンは概ね4月〜翌1月の定着氷を必要とする
- 雛の羽毛が防水になるのは巣立ち直前——早い崩壊は致命的
- 寿命の長い種では、失敗年の連続が個体群の減少につながる
棚氷は氷床の「栓」——底から融かす暖かい海水
ここから話は、海面上昇の本体である氷床へ移ります。ただし氷床は、南極の冷たい気温のもとで表面から融けているわけではありません。南極内陸の年平均気温は氷点下数十度で、表面融解はごく限られた沿岸部にしか起きません。それでも氷床は質量を失っています。理由は、海に接した部分が下から融かされ、陸の氷が海へ流れ出す速度が上がっているためです。
栓が緩むと、後ろの氷が加速する
棚氷は海に浮かんでいますが、その側面や底が海底の高まりや湾の壁に触れることで摩擦を生み、背後の氷河の流れにブレーキをかけています。これがバットレス(支え)効果です。棚氷が薄くなり、あるいは崩壊してこの支えが失われると、後ろの氷河は加速して海へ流れ込み、その分だけ氷床の質量が減って海面が上がります。棚氷そのものは海面を上げないのに、棚氷の変化が海面上昇の速さを左右する——この間接的な因果が、南極を「予測しにくい大陸」にしています。
棚氷を薄くする主役は、大気ではなく海です。南極大陸を取り巻く周極深層水(CDW)は、氷点よりも数度高い温度を持っています。この水塊が大陸棚の上に乗り上げ、棚氷の下の空洞へ入り込むと、氷は下面から削られていきます。ここで地形が決定的な役割を果たします。大陸棚に深い谷(トラフ)が刻まれ、それが棚氷の下まで続いていれば、暖水はそこを通り道として奥まで届くのです。
東南極トッテン氷河——日本の観測が解いた「熱の道」
この「熱の道」を具体的に描き出したのは、日本の研究チームでした。東京海洋大学の溝端浩平氏、北海道大学低温科学研究所の青木茂氏らのグループは、現場観測データと衛星データを統合的に解析し、東南極最大級のトッテン氷河の沖合に定在する巨大な海洋渦が、比較的温度の高い海水を効率よく大陸側へ輸送していることを2021年に明らかにしました(国立極地研究所プレスリリース)。棚氷を底から融かす熱の主要な供給源が、この渦であると位置づけられたのです。
続く2023年の発表では、暖水が大陸棚上の深いお椀状の地形に沿って時計回りに循環し、その一部が氷河前面の局所的に深いトラフを通ってトッテン氷河の下へ流れ込む、という具体的な経路が示されました。トッテン氷河は東南極にありながら、その氷が全て融ければ約4メートルの海面上昇に相当する量の氷を後ろに抱えています。「東南極は安定」という前提が、観測によって書き換えられていった過程でもありました。
この一連の研究が日本の観測に支えられている点は、覚えておく価値があります。南極観測船「しらせ」による航海と、砕氷船では到達できない海域へのヘリコプター観測、そして係留計による通年観測。厳しい環境での地道なデータ取得が、地球規模の予測の精度を上げているのです。
西南極スウェイツ氷河——海洋氷床不安定性という懸念
西南極では、スウェイツ氷河とパインアイランド氷河が最も注目されています。スウェイツ氷河の集水域の氷は、海面より低く、しかも内陸に向かって深くなる岩盤の上に載っています。この形状では、氷が後退すると接地線(氷が岩盤から離れて浮き始める境界)付近の氷が厚くなり、流出量が増え、さらに後退が進むという自己増幅が起こり得ます。これが海洋氷床不安定性(MISI)です。スウェイツ氷河が抱える氷は、単独で世界の海面を0.5メートル以上上げる量に相当します。
ただし、この分野の理解も一方向には進んでいません。スウェイツ氷河東側の接地帯で行われた実測では、想定より基底融解が抑えられている場所があることも報告されています。融解は空洞の形と水の循環に強く依存するため、「暖水が来れば一律に融ける」という単純化はできません。不確実性が大きいことは、危険が小さいという意味ではなく、上振れも下振れもあり得るという意味です。
| 場所 | 位置 | 注目される理由 | 抱える海面上昇相当量の目安 |
|---|---|---|---|
| トッテン氷河 | 東南極 | 沖合の海洋渦が暖水を運び、深いトラフから棚氷下へ流入 | 約4m |
| スウェイツ氷河 | 西南極 | 内陸に深くなる岩盤の上に載り、海洋氷床不安定性のリスク | 0.5m以上 |
| パインアイランド氷河 | 西南極 | 棚氷の基底融解が大きく、氷の流出が加速 | スウェイツと並ぶ主要な寄与源 |


海面上昇——南極が最大の不確実性である理由
では実際に、南極の氷はどれだけ失われ、海面をどれだけ上げてきたのでしょうか。ここは数字が錯綜しやすい領域です。観測手法(重力衛星・高度計・質量収支法)によって値が違い、期間の切り方で傾向も変わります。だからこそ、どの数字が何を測っているのかを押さえておく必要があります。
いま観測されている質量損失
欧州のコペルニクス気候変動サービスが整理した気候指標によれば、1979年から2024年末までに南極氷床は合計4,876±530ギガトンの氷を失い、世界平均海面を13.5±1.5ミリメートル押し上げました。NASAの重力観測衛星GRACEのデータでは、2002年から2020年の平均で年あたり約150ギガトンが失われ、海面を年0.4ミリメートル上げています。国際共同プロジェクトIMBIE(24の衛星観測、42機関80名の科学者による統合評価)は、2012年以降に損失速度が約3倍に上がり、年間約219ギガトン(海面換算で年0.6ミリメートル)に達したと報告しました。
同時に、単調な減少ではないことも記録されています。GRACEデータの地域別解析では、2011〜2020年に年−142.06±56.12ギガトンだった損失が、2021〜2023年には年+107.79±74.90ギガトンの質量増加に転じたことが報告されています。東南極の一部で降雪が増えたことが主な理由と考えられており、温暖化が進むと大気が保持できる水蒸気が増えて南極の降雪も増える、という予想された効果のひとつです。この増加は損失を打ち消すものではなく、数年規模の変動が大きいことを示しています。
2100年の見通しはなぜこれほど幅が広いのか
将来予測の幅は、率直に言って大きいままです。氷床モデルの国際比較プロジェクトISMIP6の推計では、高排出シナリオのもとで2100年までの南極氷床の寄与は海面換算で−5センチメートルから+43センチメートルという範囲になります。マイナスがあるのは、降雪増加が流出増加を上回る可能性を含むためです。この幅の広さこそが、南極が全球の海面上昇予測における最大の不確実性である理由です。
さらに議論があるのが海洋氷崖不安定性(MICI)です。棚氷が失われて高い氷の崖が露出すると、自らの重みで崩れ、後退が急激に進むという考え方で、もしこの過程が現実に働くなら、南極の寄与は上の範囲を大きく超え、全体の海面上昇量を倍にし得るとも論じられています。MICIが実際にどれほど効くかは決着していません。IPCCによる総合的な見通しとしては、排出シナリオに応じて2100年までに世界平均海面が0.5メートルから1メートル程度上昇するとされており、これには氷床・氷河の融解と海水の熱膨張のすべてが含まれます。
日本の沿岸にとって、それはどういう意味か
「50センチや1メートル」という数字は、平時の水位の話としては小さく感じられるかもしれません。しかし沿岸災害の被害を決めるのは平均水位ではなく、高潮・高波・大潮が重なったときの極値です。平均水位が上がることは、同じ台風が来たときの到達高度をそのまま押し上げます。低平地の浸水面積、堤防の余裕高、砂浜の後退、地下水への塩水侵入、排水機能の限界——影響は水位の上昇分より大きく効きます。日本の沿岸で何が起きるのかは、海面上昇と日本の海岸で具体的に整理しています。
もうひとつ押さえておきたいのは、南極の氷が融けたときの海面上昇が、地球上で一様ではないという点です。巨大な氷床は自らの重力で周囲の海水を引き寄せており、氷が減るとその引力が弱まって、近くの海面は相対的に下がり、遠くの海面はより大きく上がります。この重力効果によって、南極から遠い北半球中緯度——日本を含む地域——では、世界平均を上回る上昇が生じ得ます。南極の変化は、地理的な距離のわりに日本に強く響く現象なのです。

数字を読むときの3つの注意
- 期間で傾向が変わる:数年の質量増加は長期の損失を否定しない
- 手法で値が違う:重力衛星・高度計・質量収支法はそれぞれ別の量を測っている
- 幅の広さ=安全ではない:−5〜+43cmという幅は、上振れの可能性も含んでいる
南極は世界の海と気候につながっている
南極の変化が問題になるのは、海面上昇と現地の生態系だけではありません。南極は、地球全体の海洋循環と熱の配分を駆動する機関室でもあります。ここで起きた変化は、赤道を越えて世界の海に伝わります。
南極底層水——海の底を動かすポンプ
南極沿岸では、海氷が凍るときに塩が吐き出されて周囲の海水が高塩分になり、極度に冷えた重い水が生まれます。これが南極底層水で、世界のあらゆる大洋の底へ向かって広がっていく、地球でもっとも重い海水です。深層に酸素を運び、熱と炭素を長期間しまい込み、千年規模の海洋大循環の一方の駆動源になっています。
この底層水にも変化が観測されています。北海道大学低温科学研究所、JAMSTEC、東京海洋大学などの共同研究チームは、オーストラリア–南極海盆の南極大陸近傍で、1970年代から2010年代前半にかけて底層の塩分が低下し続け、同時に底層水の量も減り続けていたことを確認しました。氷床や棚氷からの融け水が増えて表層が軽くなり、重い水が沈み込みにくくなっていた——という描像です。2020年に Scientific Reports で発表された同チームの解析では、その連続的な低塩化がいったん止まり、急激に塩分が高まる局面へ転じたことも報告されています。海洋循環は一方向に単調変化するのではなく、大きく振れながら動いているのです。
沈み込みが弱まれば、深層への酸素供給が減り、熱と炭素を深く運ぶ働きも弱まります。大西洋側で議論されている熱塩循環(AMOC)の弱化と並んで、南極側の沈み込みは全球循環のもう一方の要です。両端が同時に弱まった場合の帰結は、まだ十分に見通せていません。
白い蓋が失われると、海は熱を吸い始める
海氷のもうひとつの役割は、太陽光を跳ね返す鏡であることです。海氷や雪面は入射光の大部分を反射しますが、開いた海面は逆にその大部分を吸収します。海氷が減って暗い海面が広がれば、同じ日射でも海が受け取る熱は増え、海水温が上がって海氷はさらに作られにくくなります。このアイス–アルベド・フィードバックは北極でよく語られますが、南極でも季節を通じて働きます。
さらに、海氷が減ると波が沿岸まで届きやすくなります。海氷は棚氷の縁を波から守る緩衝材でもあるため、海氷の後退は棚氷の縁を機械的に弱め、崩壊しやすくします。海氷(海面を上げない氷)の減少が、棚氷(同じく海面を上げない氷)を弱め、それが氷床(海面を上げる氷)の流出を速める——南極では、こうした「連結」が随所にあります。
9000年前の教訓——融解が融解を呼ぶ
この連結を、過去の記録から取り出した研究があります。国立極地研究所を中心とする14機関の共同研究チームは2025年11月、海底堆積物の分析と数値モデルを組み合わせ、約9000年前に暖かい海洋深層水が沖合から湾内へ流入したことで棚氷が崩壊し、南極氷床の急速な縮小が起きたことを明らかにしました。さらに、融け水が海水の成層構造を強め、それが深層水の流入を促進するというフィードバック機構を見いだしています。
研究チームはここから、南極氷床には「ある場所での融解が周囲の融解も促進して連鎖的に広がる性質」があり、いわゆるティッピング・カスケードが起こり得ると指摘しています。ある一点を越えたら世界が終わるという話ではなく、局所の変化が隣へ伝わり、全体として後戻りしにくい方向へ進む——という性質の指摘です。将来予測の幅が広い理由の一端も、ここにあります。

遠い南極に、私たちはどう関われるのか
南極はどの国の領土でもなく、南極条約のもとで平和利用と科学研究に開かれた場所です。個人が現地でできることはほとんどありません。それでも、南極の氷の行方に効く行動は確かに存在します。順番をつけるなら、効果の大きいものから並べるのが誠実だと思います。
いちばん効くのは、やはり排出を減らすこと
南極の氷を融かしている熱は、大気に増えた温室効果ガスが地球に溜め込んだ熱です。その9割以上は海に吸収され、周極深層水として棚氷の下へ運ばれます。つまり排出削減は南極の氷に直接効く対策です。ISMIP6の予測幅が排出シナリオによって大きく変わることは、逆に言えば、私たちの選択が2100年の南極の姿をまだ動かせるということでもあります。
個人の暮らしでできることは地味ですが確実です。電力の契約先を再生可能エネルギー比率の高いものに切り替える、住宅の断熱を上げる、移動を鉄道や自転車へ寄せる、食品ロスを減らす。どれも「南極のために」という実感は持ちにくいでしょうが、熱の総量に効く行動という点では一貫しています。海が炭素をどう吸収し、その能力がどこまで持つのかについては海の炭素吸収の飽和で扱っています。
オキアミ漁業と海洋保護区——南極海の資源をどう扱うか
南極海では、ナンキョクオキアミが商業的に漁獲され、養殖飼料やオキアミオイル(サプリメント)などに使われています。管理は南極海洋生物資源保存委員会(CCAMLR)が担い、主要漁場である南西大西洋区(第48区)では1991年以降、年間の漁獲上限が62万トンに設定されてきました。推定生物量6260万トンに対して1%程度という水準で、量そのものは控えめです。
問題は総量よりも場所と時期の重なりにあります。漁業はオキアミが濃く集まる海域に集中し、そこはペンギンやオットセイが繁殖期に採餌する場所と重なりがちです。全体では余裕があっても、繁殖コロニーの近くで局所的に餌が薄くなれば、上位捕食者には効いてしまいます。近年は、漁獲上限を海域や時期に細かく配分し直す管理へ更新すべきだという議論(PNAS掲載の提言など)が続いています。消費者としては、オキアミ由来のサプリメントや飼料が本当に必要か、認証や調達方針を確認するという選択の余地があります。
観測を続けること、そして知っておくこと
この記事で挙げた数値のほとんどは、衛星と、現地に人が行って測ったデータの組み合わせから来ています。南極観測船「しらせ」の航海、昭和基地での通年観測、係留計の設置と回収、砕氷船が入れない海域でのヘリコプター観測。トッテン氷河の「熱の道」が分かったのも、こうした地道な観測の蓄積があったからです。日本の南極観測は1957年の第1次観測隊から続く長期事業であり、その継続そのものが世界の予測精度を支える公共財になっています。
そして、知っておくこと自体に意味があります。「南極の海氷が最小を記録」というニュースを見たとき、それが海面を上げる氷の話ではなく、氷藻とオキアミとペンギンの土台の話だと分かる。「南極の氷が増えたらしい」と聞いたとき、降雪増加という別の過程が混じっていて長期の損失を否定しないと分かる。この解像度があるだけで、極端な悲観にも安易な楽観にも流されずに済みます。南極は恐ろしい場所ではなく、驚くほど精巧に組み上がった仕組みです。その精巧さを知ることが、守りたいと思う気持ちの元になります。

今日からできること
- 電力とエネルギー:再エネ比率の高いプランへの切替、住宅の断熱、省エネ家電への更新
- 移動:短距離の自動車利用を鉄道・自転車・徒歩へ寄せる
- 買い物:オキアミ由来サプリや飼料の必要性を見直し、調達方針を公表している製品を選ぶ
- 情報:NSIDCや国立極地研究所の発表を一次情報として確認する習慣をつける
- 伝える:海氷・棚氷・氷床の違いを、身近な人に一度だけ説明してみる
この記事のまとめ
- 南極の氷は海氷・棚氷・氷床の3種類で、海面を上げるのは氷床、速さを決めるのは棚氷、生態系を支えるのは海氷
- 南極海氷は2016年以降に水準が一段下がり、2023年2月21日に観測史上最小。2026年は258万km²(48年で16番目)と平均寄りに戻ったが、単年で判断はできない
- 氷の裏の氷藻はオキアミ幼生の越冬を支え、2022年にはベリングスハウゼン海の5コロニー中4つでコウテイペンギンの雛が巣立てなかった
- 棚氷は暖かい深層水に下から融かされており、トッテン氷河では沖合の巨大な渦が熱の運び手だと日本の観測が示した
- 1979〜2024年に南極氷床は4,876±530Gtを失い海面を13.5±1.5mm押し上げた。2100年の寄与は−5〜+43cmと幅が広く、南極は最大の不確実性
- 重力効果により、南極から遠い日本のほうが世界平均を上回る海面上昇を受け得る
参考文献・出典
- National Snow and Ice Data Center (NSIDC) – Antarctic sea ice extent arrives at a near-average minimum(2026年の最小面積258万km²・2月26日・48年で16番目)
- Communications Earth & Environment(Fretwell et al., 2023) – Record low 2022 Antarctic sea ice led to catastrophic breeding failure of emperor penguins
- British Antarctic Survey – Loss of sea ice causes catastrophic breeding failure for emperor penguins(研究の解説)
- 国立極地研究所 – 東南極最大級の氷河へ向かう暖かい海水のルートを解明(2023年8月22日/トッテン氷河)
- 国立極地研究所 – 巨大な海洋渦が暖かい海水を南極大陸方向へ運ぶ(2021年10月26日/東京海洋大・北大低温研との共同研究)
- 国立極地研究所 – 南極氷床の融解がさらなる融解を呼ぶ(2025年11月7日/9000年前の急速縮小とティッピング・カスケード)
- Copernicus Climate Change Service – Climate Indicators – Ice Sheets(1979〜2024年で4,876±530Gtの損失、海面13.5±1.5mm)
- Geophysical Research Letters(Kusahara et al., 2025) – Causes of the Abrupt and Sustained 2016–2023 Antarctic Sea-Ice Decline: A Sea Ice–Ocean Model Perspective
- Antarctic Environments Portal – Antarctic krill and its fishery: current status and challenges(生物量・分布の南下・CCAMLR管理)
- NOAA Climate.gov – 2024 Antarctic sea ice winter maximum second lowest on record
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