肉眼でほとんど見えないほど小さなプランクトンが、なぜ体長30mを超えるシロナガスクジラの命を支えられるのだろうか。答えは、海の食物連鎖が持つ独特の「ピラミッド構造」にある。
植物プランクトンが光合成で作った有機物は、動物プランクトン、小魚、大型魚、クジラへと段階を追って受け渡される。だがそのたびに、エネルギーの約9割は熱として失われ、残る1割だけが次の段階に引き継がれる。この「10%ルール」こそが、海の生態系が下から上へ細くなるピラミッド型になる理由であり、同時に頂点の生物がなぜ少数しか存在できないかを説明する物理法則でもある。
近年、この精巧なエネルギーの連鎖に、海洋酸性化と地球温暖化という2つの脅威が影響を及ぼし始めている。プランクトンの殻が溶けやすくなり、春の植物プランクトンの増殖(ブルーム)の時期が早まることで、捕食者との「タイミングのズレ」が起き始めている。この記事では、海の食物連鎖の基本構造から、気候変動が引き起こす連鎖の乱れまでを、最新の研究データとともに解説する。
この記事で学べること
- 海の食物連鎖が「ピラミッド型」になる10%ルールの仕組み
- 植物プランクトンが光合成でエネルギーの出発点になる理由
- 動物プランクトンから魚、クジラへとエネルギーが受け渡される経路
- 海洋酸性化がプランクトンの石灰化を妨げるメカニズム
- 温暖化が引き起こす「季節のズレ」(match-mismatch)と漁業への影響
海の食物連鎖とは何か——生産者から頂点捕食者までの一本の道
「食物連鎖」とは、生物同士の「食べる・食べられる」の関係が鎖のようにつながった構造を指す。海の場合、その出発点に立つのはほぼ例外なく植物プランクトンである。太陽光と二酸化炭素、水中の栄養塩(窒素・リン)を材料に光合成を行い、有機物という形でエネルギーを最初に作り出す「生産者」の役割を担う。
生産者・消費者・分解者という3つの役割
生態系は大きく3つの役割で回っている。有機物を作る「生産者」(植物プランクトン・海藻)、それを食べて生きる「消費者」(動物プランクトン・魚・海獣類)、そして死骸や排せつ物を分解して栄養塩に戻す「分解者」(細菌・古細菌)である。分解者が作り出した栄養塩は、再び植物プランクトンの光合成に使われ、物質は循環する。エネルギーだけは一方通行で、生産者から消費者へと流れたのち、最終的に熱として海中に放出されて系の外へ出ていく。
海の食物連鎖を構成する4つの階層
- 第1段階(生産者): 植物プランクトン(珪藻・円石藻・渦鞭毛藻など)
- 第2段階(一次消費者): 動物プランクトン(カイアシ類・オキアミ・仔魚)
- 第3段階(二次消費者): イワシやサンマなどの小型〜中型魚
- 第4段階(高次消費者): マグロ・サメ・アザラシ・ヒゲクジラなどの大型捕食者

「食物連鎖」と「食物網」の違い
- 実際の海では1種類の生物が複数の生物を食べ、複数の生物に食べられるため、鎖というより網目状の「食物網(food web)」を形成している。
- 例えば動物プランクトンは植物プランクトンだけでなく他の動物プランクトンも食べ、小魚だけでなくクジラの幼生や海鳥のヒナにも食べられる。
食物連鎖は「誰が生き残るか」を決める土台
どの海域でどの生物が優占するかは、この食物連鎖の土台がどう組まれているかに大きく左右される。例えばイワシやマイワシのような多獲性浮魚類は、動物プランクトンが豊富な海域で数十年単位の資源量の増減(レジームシフト)を繰り返すことが知られており、その変動の引き金の多くは、食物連鎖の下層である植物プランクトン・動物プランクトンの量やタイミングの変化にある。海の生態系を理解するうえで、頂点の生物だけでなく土台の変化に目を向けることが欠かせない理由がここにある。
陸上の食物連鎖との違い
陸上の生態系では、生産者である樹木や草本は何十年、何百年という長い年月をかけて成長し、その体そのものが大量の有機物として蓄積される。一方、海の生産者である植物プランクトンは寿命が数日から長くて数週間ほどしかなく、絶えず食べられ、絶えず増殖を繰り返すことで生態系を支えている。「現存量は少ないのに生産量は膨大」という海の食物連鎖の特徴は、この生産者の寿命の短さから生まれている。ある瞬間だけを切り取って海水をすくっても、そこにいる植物プランクトンの量はわずかに見えるかもしれないが、1年を通じた生産の総量では陸上に匹敵する規模になる。
なぜピラミッド型になるのか——「10%ルール」の正体
海の食物連鎖を図に描くと、必ず下が広く上が細い「ピラミッド型」になる。これは偶然ではなく、生態学における「生態効率(ecological efficiency)」という物理的な制約から生まれる必然の形である。
エネルギーの9割は「熱」として消えていく
生物がある栄養段階で得た食物エネルギーのうち、そのまま次の段階の生物に食べられて引き継がれるのはおよそ10%にすぎない。残りの約90%は、呼吸・体温維持・消化・運動といった生命活動の中で熱として失われるか、消化されずに排出される。この経験則は「10%ルール」と呼ばれ、生態系全体でおおよそ成り立つ大まかな目安として広く紹介されている。
生態効率が生む生物量の減衰
| 栄養段階 | 主な生物 | 相対的な生物量の目安 |
|---|---|---|
| 第1段階(生産者) | 植物プランクトン | 100 |
| 第2段階(一次消費者) | 動物プランクトン | 10 |
| 第3段階(二次消費者) | 小魚 | 1 |
| 第4段階(高次消費者) | 大型魚・クジラ | 0.1 |
だからこそ、海の生態系では植物プランクトンの現存量に比べて頂点捕食者の数は桁違いに少なくなる。逆に言えば、頂点に立つクジラやマグロの個体数を支えるには、その何十倍・何百倍もの植物プランクトンや小魚が海の中に存在していなければならない、ということでもある。
変温動物と恒温動物で変わる効率
生態効率は生物の体のしくみによっても変わってくる。魚や甲殻類のような変温動物(外温性動物)は、体温を一定に保つためのエネルギー消費が少ないぶん、比較的高い効率でエネルギーを次の段階へ渡せるとされる。一方、クジラのような恒温動物(内温性動物)は、冷たい海水の中でも体温を一定に保つために多くのエネルギーを消費するため、体重あたりで見るとより多くの餌を必要とする。シロナガスクジラの並外れた食欲は、この恒温性というコストとも無関係ではない。
「10%ルール」という考え方の由来
栄養段階ごとにエネルギーが縮小していくという考え方は、1940年代にアメリカの生態学者レイモンド・リンデマンが提唱した「栄養動態的概念(trophic-dynamic concept)」にさかのぼる。彼は湖沼の生態系を対象に、各栄養段階でのエネルギー収支を定量的に追跡し、上位の段階に渡るエネルギーが大きく目減りしていくことを示した。この考え方はのちに海洋生態系にも応用され、「10%ルール」という分かりやすい経験則として広く知られるようになった。ただし実際の効率は生態系や生物種によって数%〜20%程度まで幅があり、10%はあくまで代表的な目安である点には注意したい。

植物プランクトン——海の食物連鎖のスタートライン
海の生産者を担う植物プランクトンには、殻がガラス質(シリカ)でできた珪藻、炭酸カルシウムの円盤(ココリス)を持つ円石藻、鞭毛で泳ぐ渦鞭毛藻など、多様な種類が存在する。いずれも肉眼では見えないほど微小だが、その数は膨大で、海の表層に薄い「緑のスープ」を作り出している。
地球の酸素の半分以上を作る
植物プランクトンの現存量そのものは陸上の森林などに比べてはるかに小さいが、世代交代が非常に速いため、地球全体の一次生産(光合成による有機物生産)のおよそ半分を担っているとされる。光合成の副産物として放出される酸素は、大気中の酸素のおよそ50〜85%を植物プランクトンが作り出しているという推計もあり、海は「地球の肺」とも呼ばれる。この酸素供給のメカニズムについては、姉妹記事『植物プランクトンが地球の酸素の半分をつくる』でより詳しく扱っている。
一次生産を左右する栄養塩と光
- 光合成には太陽光が届く水深約200mまでの「有光層」が必要
- 窒素・リン・鉄などの栄養塩が不足すると、光があっても増殖できない
- 河川からの栄養塩流入や、深層水が湧き上がる「湧昇流」が豊かな漁場を作る

海全体でどれだけの有機物が作られているのか
研究者による推計では、海洋全体の年間純一次生産量は炭素換算でおよそ480億トンにのぼり、これは陸上の森林や草原が行う光合成による生産量とほぼ同じ規模になるとされる。海の植物プランクトンの現存量そのものは陸上植物よりもはるかに小さいにもかかわらず、これほどの生産量を実現できるのは、数日から数週間という非常に速い世代交代のペースで増殖を繰り返しているためである。人工衛星によるクロロフィルa濃度の観測(海色リモートセンシング)は、この植物プランクトンの分布と季節変化を宇宙から追跡する重要な手段になっている。
植物プランクトンが持つ2つの顔
- 食物連鎖の出発点として、動物プランクトンや魚のエネルギー源になる「生産者」の顔
- 光合成でCO2を吸収し、死骸として深海へ沈むことで炭素を海底に閉じ込める「生物ポンプ」の担い手としての顔
動物プランクトン——生産者と捕食者をつなぐ橋渡し役
植物プランクトンが作った有機物を最初に受け取るのが動物プランクトンである。代表格はミジンコに似た甲殻類の「カイアシ類」と、エビに似た「オキアミ」で、海の動物プランクトンの生物量の多くを占めるとされる。
カイアシ類とオキアミ——数の力で支える生態系
カイアシ類は体長数mmほどと小さいが、海洋全体では膨大な個体数が生息し、多くの魚類の仔魚や幼魚にとって欠かせない餌となっている。一方、南極海に生息するナンキョクオキアミは体長5cmほどながら大群を作り、その生物量は数億トン規模に達すると推定されており、ヒゲクジラ・アザラシ・ペンギンなど南極の生態系を丸ごと支える存在になっている。ナンキョクオキアミが支える食物網の詳細は『ナンキョクオキアミが南極の海を支える理由』で解説している。
毎晩くり返される「日周鉛直移動」
多くの動物プランクトンは、昼間は捕食者の目を避けて深い層に潜み、夜になると餌となる植物プランクトンを求めて表層近くまで浮上する「日周鉛直移動」という行動をとる。これは地球上で毎日起きている生物の移動としては最大規模ともいわれ、海の炭素循環にも大きく関わっている。
動物プランクトンが果たす2つの役割
- 植物プランクトンの有機物を、魚など次の段階が食べられる形(体・卵・糞粒)に変換する
- 夜間の鉛直移動を通じて、表層の炭素を深海へ運ぶ「生物ポンプ」の一部を担う
北大西洋のカイアシ類が示す食物連鎖の脆さ
北大西洋に広く分布するカイアシ類の一種カラヌス・フィンマルキクスは、タラをはじめとする多くの水産重要種の仔魚にとって欠かせない餌になっている。この種は特定の水温帯を好むため、海水温の上昇にともなって分布域そのものが北へシフトしつつあると指摘されており、餌となるカイアシ類が減った海域では、それに依存してきた魚類の資源量にも影響が及ぶ可能性が研究者の間で議論されている。動物プランクトン1種の分布変化が、その海域の食物連鎖全体を揺さぶりかねないことを示す事例といえる。
糞粒が運ぶ、もうひとつの物質の流れ
動物プランクトンは、食べた植物プランクトンをすべてエネルギーとして使い切るわけではない。消化しきれなかった分は「糞粒(ふんりゅう)」という小さな粒として排出され、これが集まって沈むことで、表層で固定された炭素を深海へ運ぶ経路の一つになっている。日周鉛直移動による能動的な炭素の運搬と合わせて、動物プランクトンは食物連鎖の担い手であると同時に、海が大気中のCO2を吸収し続けるための「生物ポンプ」を支える存在でもある。
魚からクジラへ——エネルギーの旅の終着点
動物プランクトンを食べるのは、イワシやニシンなどの小型魚だけではない。ヒゲクジラ類の多くは、歯の代わりに「クジラひげ」と呼ばれる濾過器官を使い、動物プランクトンや小魚を海水ごと大量に飲み込んでこし取る「ろ過摂食」という戦略で、直接プランクトンから栄養を得ている。
シロナガスクジラの想像を超える大食い
地球最大の動物であるシロナガスクジラは、かつて1日あたり4〜8トン程度のオキアミを食べると考えられてきた。しかし2021年に発表された研究では、実際の摂食量はその約3倍にあたる1日平均16トンにのぼると報告され、研究者の間でも従来の推定が大きく更新される結果となった。1回の「パクリ」で取り込む海水とオキアミの量は数トンに達するともいわれ、巨体を維持するために驚異的な量の動物プランクトンを消費していることになる。
少数の頂点捕食者を支える広大な裾野
10%ルールに従えば、1頭のクジラの巨体を支えるためには、その何十倍もの魚やオキアミ、さらにその何十倍もの植物プランクトンが海の中に存在していなければならない。頂点捕食者が「少数精鋭」であることは、ピラミッドの裾野がそれだけ広大であることの裏返しでもある。
ろ過摂食という戦略を選んだのはクジラだけではない
ザトウクジラ・ナガスクジラ・セミクジラなど、多くのヒゲクジラ類が同様のろ過摂食を行っている。一方でマグロやカツオといった魚食性の高次捕食者は、動物プランクトンを直接食べる小魚や中型魚をさらに捕食することで、食物連鎖のもう一段上に立っている。同じ「頂点捕食者」でも、動物プランクトンから直接エネルギーを得るクジラ型の経路と、魚を介して間接的にエネルギーを得るマグロ型の経路があり、後者のほうがエネルギーの目減りをより多く経験することになる。
「食物連鎖が短いほど有利」という考え方
ヒゲクジラのように動物プランクトンを直接食べる経路は、食物連鎖の段階数が少ない「短い食物連鎖」にあたる。10%ルールに従えば、段階を1つ飛ばすごとにエネルギーのロスを1回減らせる計算になるため、短い経路のほうがより効率よく大きな体を維持できる。ヒゲクジラ類が現在の地球上で最大級の体を持つ動物になれた背景には、この「途中の段階を飛ばして直接プランクトンを食べる」という戦略上の利点があると考えられている。
回遊というもう一つの戦略
広大な海でオキアミやカイアシ類の大群を効率よく見つけるため、多くのヒゲクジラ類は季節ごとに数千kmにおよぶ大移動、いわゆる「回遊」を行う。夏は餌の豊富な高緯度の海域で徹底的に食べてエネルギーを蓄え、冬は繁殖のために暖かい低緯度の海域へ移動する、というパターンが多くの種で見られる。食物連鎖の頂点に立つ生物が、限られた餌をいかに効率よく確保するかという課題への進化的な答えの一つが、この長距離の回遊行動だといえる。回遊の詳しいしくみについては『クジラの回遊はなぜ数千kmも続くのか』でも取り上げている。

海洋酸性化——ピラミッドの土台が揺らぐ
人間活動で排出された二酸化炭素の一部は海に吸収され、海水の化学組成をゆっくりと変化させている。これが「海洋酸性化」である。ピラミッドの土台を支える植物プランクトンの一部が、この変化の影響を直接受けつつある。
円石藻・有孔虫——石灰化生物への打撃
植物プランクトンの一種である円石藻は、炭酸カルシウムでできた円盤状の殻(ココリス)で細胞を覆っている。また、海中を浮遊する原生生物である有孔虫も炭酸カルシウムの殻を持つ。海洋酸性化が進むと海水中の炭酸カルシウムの飽和度が下がり、これらの生物は殻を作りにくくなる、あるいは既存の殻が溶けやすくなるとされる。円石藻は海の一次生産を支える重要な生物群であるだけに、その減少は食物連鎖全体に影響しうる。
進行するpHの変化
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第6次評価報告書によれば、外洋の表層水では年間およそ0.0017〜0.0027というペースでpHが低下し続けていると報告されている。数字としてはわずかに見えるが、地質学的な時間スケールで見れば極めて急速な変化であり、炭酸カルシウムの殻を持つ生物にとっては無視できない負荷になっている。
酸性化の影響は「じわじわ」広がる
- 円石藻・有孔虫だけでなく、貝類・サンゴ・甲殻類など炭酸カルシウムの殻や骨格を持つ生物全般が影響を受けうる
- 食物連鎖の底辺にいる生物ほど数が多く目立ちにくいため、変化が水産資源に表れるまでに時間差が生じやすい
日本近海でも進む酸性化のモニタリング
海洋酸性化は外洋だけの現象ではない。気象庁は日本近海を含む複数の定点で海水のpHやアラゴナイト飽和度を長期観測しており、太平洋側・日本海側のいずれでも緩やかなpH低下傾向が確認されている。さらにJAMSTECの研究では、日本海と太平洋の水が交わる津軽海峡のような沿岸域でも酸性化の兆候がとらえられており、酸性化がもはや遠い外洋だけの問題ではないことを示している。プランクトンを起点とする食物連鎖への影響を評価するうえで、こうした継続的なモニタリングデータの蓄積が欠かせない。
光合成そのものへの影響は一様ではない
海洋酸性化はプランクトンの「殻」だけでなく、光合成のしくみそのものにも影響しうることが研究で指摘されている。例えば円石藻では、海水中の二酸化炭素濃度の変化が石灰化と光合成の両方に作用することが分かっており、種や条件によって影響の出方はプラスにもマイナスにもなりうる複雑な現象であるとされる。海洋酸性化の影響を「一律にすべての植物プランクトンが減る」と単純化せず、種ごとの応答の違いを踏まえて評価する必要がある点は、この分野の研究が強調しているところである。
複合ストレスとしての温暖化と酸性化
実際の海では、酸性化と水温上昇は同時に、しかも同じ原因(大気中のCO2濃度の上昇)から進行している。水温が上がると海水に溶け込める酸素の量が減り、プランクトンの呼吸や代謝にも負荷がかかる一方で、酸性化は殻の形成を妨げる。この2つのストレスが同時にかかる「複合ストレス」の状態が、単独の要因だけを調べた実験結果よりも大きな影響を生物に与える可能性があると考えられており、近年の海洋研究では両者を切り離さずに評価する試みが進められている。
温暖化が引き起こす「タイミングのズレ」——match-mismatch仮説
食物連鎖が正常に機能するためには、量だけでなく「タイミング」も重要になる。この視点から海の生態系を説明するのが、1960年代にイギリスの水産学者デイヴィッド・カッシングが提唱した「match-mismatch仮説」である。
春季ブルームと魚の産卵時期の同調
春になると水温上昇と日照時間の増加により、植物プランクトンが爆発的に増える「春季ブルーム」が起こる。多くの魚は、この植物プランクトンを食べる動物プランクトンが増える時期に合わせて産卵し、孵化した仔魚が豊富な餌にありつけるよう進化してきた。この「同調(match)」がとれているときは、仔魚の生存率が高くなる。
温暖化が生む「ズレ(mismatch)」
ところが気候変動によって水温上昇のペースが早まると、植物プランクトンのブルームが従来より早い時期に起こる一方で、動物プランクトンの増殖や魚の産卵時期はそれほど早まらない、という「ズレ」が生じることがある。栄養段階ごとに温暖化への反応速度が異なるため、これまで同調していたタイミングが崩れ、仔魚が餌にありつけないまま生存率が下がる「トロフィック・ミスマッチ」が起きるリスクが指摘されている。
- 植物プランクトンのブルームが例年より早まる、あるいは規模が縮小する
- 動物プランクトンの発生時期が追いつかず、餌の量がピークを過ぎてから仔魚が孵化する
- 結果として特定の年の稚魚の生き残りが大きく減り、数年後の漁獲量に影響する
北海のタラで観測された同調のずれ
カッシングが仮説を組み立てるきっかけとなったのは、北海における魚類の加入量(その年に生まれ育った稚魚が漁獲可能な資源に加わる量)の年による大きな変動だった。動物プランクトンの発生ピークと魚の孵化時期がうまく重なった年は加入量が多く、ずれた年は極端に少なくなる傾向が確認され、これが海洋生態系のタイミングの重要性を示す代表的な研究として、その後の気候変動と水産資源の研究に大きな影響を与えてきた。

食物連鎖の乱れが漁業と私たちの暮らしに与える影響
海の食物連鎖の変化は、海の中だけの出来事では終わらない。私たちの食卓や沿岸地域の暮らしにも直結している。
水産資源への影響
水温上昇は魚の分布域そのものを変化させるだけでなく、餌となる動物プランクトンの発生パターンも変える。これにより、これまで安定して獲れていた漁場で漁獲量が減少したり、逆に今まで獲れなかった海域で新たな魚種が獲れるようになったりと、水産業に地理的・時期的な変化をもたらしている。
沿岸生態系サービスへの波及
プランクトンを起点とする食物連鎖は、魚だけでなく海鳥やアザラシ、クジラといった多様な生物の生存基盤でもある。食物連鎖の下層で起きたわずかな変化が、数年後に上位の捕食者の個体数変化として表面化することも珍しくない。海の生態系がもつ「時間差の連鎖反応」を理解しておくことは、水産資源管理や海洋保護区の設計においても重要になっている。
クラゲの増加という「もう一つのシナリオ」
水温上昇や富栄養化など環境が変化した海域では、魚が減る一方でクラゲの仲間が増加する事例が世界各地で報告されている。クラゲも動物プランクトンを食べるが、魚に比べて食物連鎖の効率が悪いとされ、クラゲが優占する生態系では漁業資源として利用できるエネルギーの取り分が小さくなりやすい。同じ「動物プランクトンを食べる生物」でも、魚が優占するか、クラゲが優占するかで、その海が持つ生産力を私たちがどれだけ活用できるかが大きく変わってくる。
私たちにできること
- 水産物を選ぶときに、資源管理がなされた漁業(MSC認証など)を意識してみる
- 海洋酸性化・温暖化の原因であるCO2排出削減につながる省エネ行動を積み重ねる
- プランクトンや海洋生態系に関する研究・観測データに関心を持ち続ける
日本の漁業でも報告される分布・漁期の変化
日本の水産業関連団体も、海水温の上昇にともなって従来の主要漁場での漁獲量が不安定になったり、漁期がずれたりする事例が各地で報告されていることを指摘している。こうした変化の背景には、水温そのものの影響に加えて、餌となる動物プランクトンの発生時期や分布が変わることも一因として考えられている。プランクトンという食物連鎖の土台の変化は、数年から数十年という時間差をともないながら、私たちの食卓に並ぶ魚の種類や価格にも影響を及ぼしうる。
まとめ——小さなプランクトンが支える大きな海
目に見えないほど小さな植物プランクトンから、地球最大の動物であるシロナガスクジラまで。海の食物連鎖は、「10%ルール」という物理的な制約のもとで、エネルギーを絞り込みながら受け渡す精巧なピラミッド構造でできている。
このピラミッドは、何千万年という進化の歴史の中で、光合成という生産の仕組みと、それを利用する多種多様な消費者の仕組みが噛み合って作られてきた。しかし人間活動に起因する海洋酸性化や地球温暖化は、数百年、数十年という進化にとっては一瞬ともいえる速さでこのバランスを揺さぶりつつある。プランクトンという小さな存在の変化を継続的に観測し、そこから海全体の健康状態を読み取ろうとする研究が、いま世界各地で続けられている。
次に海辺に立ったとき、目の前の透き通った海水の中にも、無数の植物プランクトンと動物プランクトンが漂っていることを思い出してほしい。その一滴一滴の積み重ねが、遠く沖合を回遊するクジラやマグロの命を、そして私たちの食卓に並ぶ魚たちを、いまこの瞬間も支え続けている。
- 海の食物連鎖は10%ルールに従い、上に行くほど生物量が減るピラミッド型になる
- 植物プランクトンは地球の酸素の50〜85%を作り出す一次生産の起点
- 動物プランクトンが橋渡し役となり、魚からクジラまでエネルギーが受け継がれる
- 海洋酸性化はプランクトンの石灰化を妨げ、ピラミッドの土台を揺るがしうる
- 温暖化によるタイミングのズレ(match-mismatch)は、漁業資源にも影響を及ぼしうる
このピラミッドがどれだけ精巧で、同時にどれだけ気候変動に対して脆弱であるかを知ることは、海と共に生きていくための第一歩になる。
この記事のポイント
- 海の食物連鎖はエネルギー転送効率10%というルールでピラミッド型になる
- 植物プランクトン→動物プランクトン→魚→クジラという段階を経てエネルギーが受け継がれる
- 酸性化と温暖化という2つの気候変動リスクが、このピラミッドの土台と同調性を脅かしている
参考文献・出典
- 気象庁 – 海洋酸性化の知識・海洋酸性化の影響
- JAMSTEC(海洋研究開発機構) – IPCC第6次評価報告書(第1作業部会)の公表
- JAMSTEC BASE – 海洋酸性化が日本の海でも起きている!? 津軽海峡で起きている変化とは
- 日本海事広報協会 – 酸素は海からもつくられる
- 国立環境研究所 – 地球上の植物はどれだけ光合成を行っているか-純一次生産力に関するメタ分析-
- Nature Ecology & Evolution – Tritrophic phenological match–mismatch in space and time
- 日本経済新聞 – クジラは想像超える大食いだった 推定の3倍!毎日16t
- 北海道大学 – 海洋生態系を支えるプランクトンと気候変動の影響
- 大日本水産会 魚食普及推進センター – 地球温暖化による水産物・魚介類への影響
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