⚡ 30秒でわかる答え

  • ニホンザルが温泉に入るのは、氷点下まで下がる冬の寒さをしのぐために身につけた行動で、長野県の地獄谷では1960年代に子ザル1頭が始めたとされる。
  • 群れは母系社会で成り立ち、メスは生涯群れに残って序列を継承する一方、オスは4〜5歳で群れを離れて別の群れへ移籍する。
  • 環境省の全国調査では、ニホンザルの推定個体数は中央値で約15万5千頭、群れの数は約3,069とされている。
  • 農作物被害は年間約8億円規模で発生しており、過疎化や耕作放棄地の増加、狩猟者の減少が背景にあるとされる。
約15.5万頭
環境省調査による全国推定個体数(中央値)
約8億円
ニホンザルによる年間農作物被害額の目安
北緯41度
世界最北の野生霊長類が暮らす下北半島の緯度

冬の長野県・地獄谷温泉で、雪化粧した渓谷の露天風呂に肩まで浸かり気持ちよさそうに目を閉じるサルたち。「スノーモンキー」として世界中の写真家や観光客を惹きつけるこの光景の主は、日本の固有種であり、ヒトを除く霊長類の中で世界最も北まで分布を広げたニホンザル(Macaca fuscata)である。

本州から九州まで、標高ゼロの海岸林から3,000m級の高山帯まで暮らすニホンザルは、母系社会と厳格な順位制からなる複雑な群れ社会を築き、氷点下の雪国でも生き抜く独自の適応を進化させてきた。その一方で、近年は集落や農地に出没して作物を食い荒らす「加害群」の存在が各地で問題になっており、年間8億円規模ともいわれる農作物被害が続いている。

この記事では、地獄谷温泉のサルが生まれた経緯や母系社会の仕組みといった生態的な面白さから、環境省の個体数調査が示す生息状況、そして被害が深刻化する背景と現場の対策まで、政府機関や研究資料など一次情報にもとづいて整理する。

この記事で学べること

  • ニホンザルが世界の野生霊長類の中で最も北(下北半島)に暮らす種であること
  • 群れが母系社会と厳格な順位制によって維持される仕組み
  • 地獄谷温泉で猿が温泉に入るようになった歴史的な経緯と「文化」としての広がり
  • 環境省の個体数調査からわかる全国の生息状況の実態
  • 農作物被害が深刻化する背景と、加害群対策の現場でのアプローチ

ニホンザルとは何者か——世界最北に暮らす霊長類

ニホンザル(Macaca fuscata)は日本の固有種で、本州・四国・九州の広い範囲に分布するオナガザル科の中型霊長類である。体長は50〜60cm前後、体重はオスで平均11kg、メスで平均9kg程度。顔と尻が赤みを帯びるのが特徴で、冬になると全身が厚い体毛で覆われる。「サル」と一言で呼ばれることが多いが、動物園などで見かけるチンパンジーやゴリラといった類人猿とは分類上大きく異なるグループに属する。

生息域はゼロメートルから標高3,000mまで

分布の北限は青森県・下北半島(北緯41度付近)、南限は鹿児島県・屋久島で、この間の海岸林から亜高山帯の針葉樹林まで、実に幅広い環境に適応している。特に下北半島の個体群はヒトを除く霊長類として世界で最も北に生息する野生集団として知られ、1メートルを超える積雪と氷点下20度近い寒さの中で越冬する。屋久島には亜種のヤクシマザルが生息し、垂直分布の豊かさで知られる同島の生態系を特徴づけている。標高で見ても、海岸沿いの照葉樹林から中部山岳の3,000m級の高山帯まで利用することが報告されており、霊長類全体で見ても際立って広い環境幅を持つ種といえる。

本州・四国・九州に分布するニホンザルの生息域と北限・南限を示すイラストマップ
ニホンザルは本州・四国・九州の幅広い標高帯に分布し、下北半島が世界最北の生息地となっている

食性と1日の暮らし

雑食性で、木の葉や果実、種子、樹皮、昆虫、時には小動物まで100種類以上の食物を利用するといわれる。季節ごとに食べられるものが大きく変わるため、冬場は樹皮や冬芽など栄養価の低い食物に頼らざるを得ず、体脂肪を蓄えて乗り切る個体もいる。日中に活動し、夜は樹上や崖の岩場で休む昼行性の動物で、群れはおおむね日の出とともに採食に出て、日没前にねぐらへ戻るという規則的な生活リズムを持つ。

赤い顔とお尻の理由

ニホンザルといえば赤みを帯びた顔とお尻が印象的だが、これは血管が皮膚表面近くを通っているために血色が透けて見えるためとされる。特に繁殖期にはメスの顔やお尻の赤みが強まる個体もあり、体の状態を仲間に伝える視覚的なサインとしての役割も指摘されている。冬場に体を寄せ合う姿とあわせて、寒冷地に暮らす個体ほど顔の赤みが目立ちやすいという指摘もある。

日本文化に根付いた存在

ニホンザルは古くから日本人の生活圏の近くで暮らしてきたため、民俗文化にも深く根を下ろしている。日光東照宮の「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿彫刻はその代表例で、庚申信仰と結びつきながら全国に広まった図像である。干支の「申(さる)」としても親しまれ、各地の民話や地名にもその存在が刻まれている。身近さゆえに古くから摩擦も生まれてきた動物であり、その関係は現代の農作物被害の問題にも地続きでつながっている。

ニホンザルの基礎データ

  • 分類:オナガザル科マカク属(Macaca fuscata)
  • 分布:本州・四国・九州(北限=下北半島、南限=屋久島)
  • 体重:オス平均約11kg/メス平均約9kg
  • IUCNレッドリスト:低懸念(Least Concern)※屋久島の地域個体群は国内で保全上の注目対象

母系社会と厳格な順位制——群れはどう機能しているか

ニホンザルは数十頭から数百頭規模の群れをつくって暮らす社会性の高い動物である。群れは複数のオスと複数のメスで構成される「複雄複雌群」で、その運営を支えているのが母系社会と呼ばれる仕組みだ。

メスは一生群れに残り、オスは群れを渡り歩く

メスは生まれた群れから離れることなく一生を過ごし、母から娘へと血縁関係にもとづく序列(順位)を受け継いでいく。一方でオスは、繁殖可能な年齢に達する4〜5歳ごろになると生まれた群れを離れ、他の群れへ移籍する。この「メスは残り、オスは出ていく」という性による分散パターンは、近親交配を避けるうえで重要な役割を果たしていると考えられている。移籍を繰り返すオスは複数の群れを渡り歩くこともあり、群れ同士の遺伝的なつながりを保つ役割も担っている。

毛づくろいが果たす社会的な機能

群れの中でしばしば見られる毛づくろい(グルーミング)は、単に体を清潔に保つだけの行動ではない。個体間の親愛や仲直りの意思表示、緊張の緩和、そして序列関係を確認し合うコミュニケーション手段としての意味を持つ。順位の高い個体ほど多くの相手から毛づくろいを受ける傾向があり、群れの中の力関係が行動の端々に表れる。

鳴き声と表情によるコミュニケーション

ニホンザルは複数の鳴き声を使い分けて仲間とやり取りすることでも知られる。仲間を呼び集める声、危険を知らせる警戒の声、子どもが母親を探すときの声など、状況に応じて異なる音声が使われる。あわせて、口を歪めて歯をむき出す「グリメス(服従・恐れの表情)」のような表情も、力関係が明確な群れ社会の中で無用な争いを避けるためのシグナルとして機能していると考えられている。

子育ても群れぐるみで

母ザルは出産後しばらく子どもを片時も離さずに世話をするが、成長するにつれて群れの他のメス(姉や叔母にあたる血縁個体であることが多い)が代わって子どもを抱いたり毛づくろいをしたりする「アロマザリング」と呼ばれる行動もしばしば観察される。血縁を中心とした助け合いは、母ザルの負担を分散させると同時に、群れ内の絆を強める役割も果たしているとされる。

順位が生死を左右することもある

順位の高いメスは、食物が乏しい時期でも優先的に採食場所を確保できるため、栄養状態や繁殖成功率が高くなりやすいことが知られている。逆に順位の低いメスやその子どもは、食物をめぐる競合で不利な立場に置かれやすい。オスにとっても、群れの中での順位は食物や交尾の機会に直結するため、移籍先での序列争いは繁殖戦略そのものと深く結びついている。

群れが大きくなりすぎると分裂する

群れの規模が大きくなりすぎると、食物や休息場所をめぐる競合が激しくなり、群れ全体が2つに分かれる「分裂(フィッション)」が起こることがある。大分県の高崎山自然動物園はその好例として知られる。1953年(昭和28年)の開園当初はA群しかいなかったが、1959年ごろにA群からB群が分裂し、その後さらにC群も誕生した。A群は2002年(平成14年)を最後に姿を見せなくなった一方、B群・C群はその後も存続し、2022年時点で両群あわせて約1,000頭が高崎山の斜面で暮らしている。半世紀以上にわたる観察の蓄積は、群れの分裂・消滅・存続という長期的な力学を追ううえで貴重な記録になっている。

性別群れとの関係序列の決まり方
メス生まれた群れに一生とどまる母親の順位をほぼそのまま継承
オス4〜5歳で群れを離れ移籍する移籍先の群れで新たに序列が決まる
ニホンザルの母系社会における性別ごとの違い

第一位オス(アルファオス)とは

群れの中で最も高い順位にあるオスは「第一位オス」や「αオス」と呼ばれ、食物や交尾の機会において優先権を持つとされる。ただし順位は固定的ではなく、他の群れから移籍してきたオス同士の力関係や年齢によって入れ替わることも珍しくない。

地獄谷温泉と「スノーモンキー」——世界が注目した偶然の始まり

長野県の志賀高原に源を発する横湯川の渓谷にある地獄谷野猿公苑は、1964年(昭和39年)に開苑した。ここで見られる「温泉に入るサル」は、いまや日本の野生動物を象徴する光景の一つとなっている。

きっかけは1頭の子ザルだった

その始まりは、寒さをしのごうと1頭の好奇心旺盛な子ザルが近くの旅館の露天風呂に入ったことだったと伝えられている。次第に仲間のサルたちもつられて湯に浸かるようになり、気持ちよさそうな表情が新聞に取り上げられたことで全国的な注目を集めた。人の風呂に入っては衛生上好ましくないため、野猿公苑内にサル専用の露天風呂が新たに設けられ、以来その入浴行動は世代を超えて受け継がれている。

『LIFE』誌の表紙が世界的な知名度をつくった

1970年(昭和45年)には、米国の写真雑誌『LIFE』の表紙に地獄谷のサルが「Snow Monkey(スノーモンキー)」として掲載され、これをきっかけに世界的な知名度を獲得した。現在も海外からの観光客が雪の渓谷を訪れる目的地の一つになっている。

サルたちが温泉に入るのは、氷点下10度を下回ることもある冬の地獄谷の厳しい寒さをしのぐために身につけた知恵である。

― 地獄谷野猿公苑 公式サイト

宮崎県・幸島の「いも洗い行動」——動物に見つかった最初の“文化”

ニホンザルの行動が世代や群れを越えて広がる現象は、地獄谷の温泉に限った話ではない。宮崎県串間市の無人島・幸島では、京都大学の今西錦司・伊谷純一郎らによる研究チームが1948年から野生ザルの観察を続けていた。1953年、研究に協力していた三戸サツヱが、1歳のメスの子ザルが与えられたサツマイモの土を落とすために水で洗う行動を発見・報告する。この「いも洗い行動」はやがて血縁や仲間を通じて群れ全体に広がり、海水に浸すことで塩味がつくことを好む個体も現れたとされる。ヒト以外の動物にも学習によって広がる「文化」が存在することを示した先駆的な発見として、世界の霊長類学史に位置づけられている。

地獄谷・幸島の事例が教えてくれること

  • 野生動物の行動は、個体の偶然の発見が群れ全体、さらには世代を超えて広がることがある(文化的伝播)
  • 厳しい環境や新しい食物との出会いなど、変化にさらされた個体群ほど新しい行動を柔軟に取り入れやすい
  • 地獄谷では人が専用の風呂を用意することで、衛生面と観光資源化を両立させた

北限のサルはなぜ雪国で生きられるのか——下北半島の生態

青森県の下北半島に暮らすニホンザルは、ヒトを除く霊長類として地球上で最も北に生息する野生集団である。北緯41度に位置するこの地域は、冬になると1mを超える積雪に覆われ、気温は氷点下20度近くまで下がることもある。霊長類のほとんどが熱帯・亜熱帯に生息することを考えると、この寒冷地への適応は極めて例外的だ。

雪深い下北半島の森で身を寄せ合い暖を取るニホンザルの群れ
積雪地帯で暮らすニホンザルは、群れで身を寄せ合うなどして寒さをしのぐ

厚い体毛と行動での体温維持

冬毛は夏毛に比べて格段に密度が高く、断熱性を高めている。加えて、群れの仲間同士で身を寄せ合う、日当たりの良い岩場や南向きの斜面を休息場所に選ぶ、活動量を抑えてエネルギー消費を減らすといった行動面での工夫も寒冷地適応の一部である。冬場の食物が乏しい時期には、樹皮や冬芽、落ちた木の実など消化しにくい低品質な食物にも依存し、夏から秋にかけて蓄えた体脂肪を計画的に消費して乗り切る。

積雪期ならではの採食行動

中部山岳地帯のニホンザルの中には、渓流の水生生物を食べるなど、季節に応じて食性を柔軟に切り替える個体群も報告されている。雪に閉ざされる時期をどう乗り切るかは地域によって異なり、各地の個体群がそれぞれの環境に合わせた工夫を重ねてきたことがうかがえる。積雪が深い年には行動範囲を大きく縮小し、限られた範囲でじっと寒さをやり過ごす個体群も観察されており、エネルギーを浪費しないための省エネ戦略とも解釈されている。

季節で変わる体重と繁殖のタイミング

ニホンザルは食物が豊富な秋にかけて体脂肪を蓄え、厳しい冬を乗り越えたのち、春から夏にかけて出産のピークを迎える。この季節性は、子育てに必要な食物が豊富になる時期に出産を合わせる適応と考えられており、寒冷地に生息する下北半島の個体群ほどこうした季節変動が顕著になる傾向が指摘されている。

  • 厚く密度の高い冬毛による断熱
  • 群れでの身を寄せ合い(ハドリング)による保温
  • 日当たりの良い斜面・岩場の選択的利用
  • 冬芽・樹皮など低品質食物への依存と体脂肪の計画的な消費
  • 積雪期の行動範囲縮小による省エネ

個体数はどれくらいいるのか——環境省の推定調査からわかること

ニホンザルは戦中・戦後の食料難や乱獲によって一時的に生息数を大きく減らし、地域によっては絶滅寸前まで追い込まれた記録も残る。その後、狩猟規制や保護管理が進んだことで個体数は回復に転じ、近年は全国的に緩やかな増加と分布の拡大傾向が指摘されている。では、実際どれほどの数が生息しているのだろうか。

この記事の要点となる3つの数字をまとめた図版
数字で見る:本文で扱う3つの指標

推定個体数は中央値で約15万5千頭

環境省がヒグマ・ツキノワグマ・ニホンジカ・イノシシとあわせて実施した全国的な個体数推定調査によれば、ニホンザルの推定群れ数は3,025〜3,149(中央値3,069)、推定個体数は145,973〜165,062(中央値154,805)と報告されている。1つの群れの平均的な規模は数十頭であり、全国に約3,000の群れが分散して暮らしている計算になる。

分布拡大の背景にある土地利用の変化

個体数の回復と並行して、ニホンザルの生息域そのものも拡大してきたとされる。中山間地域における人口減少や耕作放棄地の増加によって、かつて人の管理下にあった里山が藪化し、サルにとって利用しやすい環境へと変化したことが一因として挙げられている。結果として、以前はサルが定着していなかった地域にも群れが分布を広げ、被害地域の拡大にもつながっている。

特定鳥獣保護管理計画による地域ごとの管理

ニホンザルは「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」にもとづく特定鳥獣保護管理計画の対象種の一つで、2020年代時点で29の府県が個別の計画を策定している。地域によっては対策により被害が軽減した例もある一方、生息数・分布域そのものが拡大傾向にあり、被害が継続している地域も少なくない。

個体数調査の見方の注意点

野生動物の個体数はセンサーカメラや目撃情報、遺伝子解析などを組み合わせた統計的な推定であり、実際の数を1頭単位で数え上げたものではない。そのため公表値には幅(レンジ)が示されるのが一般的で、この記事で紹介した「約15.5万頭」も中央値の目安として理解する必要がある。

どうやって個体数を推定しているのか

群れをつくって生活するニホンザルは、群れの分布状況の調査(メッシュ単位での目撃・生息情報の集計)と、群れごとの平均的な頭数の推定を組み合わせることで、地域や全国レベルの個体数が推計される。捕獲記録や自動撮影カメラの情報、研究者による直接観察のデータなども補助的に用いられ、複数の手法を統合することで、より確からしい推定値の範囲が導き出される仕組みになっている。

深刻化する農作物被害——なぜ人里に下りてくるのか

農林水産省の発表によれば、令和5年度の野生鳥獣による全国の農作物被害額は164億円にのぼる。内訳ではシカ(約70億円)、イノシシ(約36億円)が突出して大きいが、ニホンザルによる被害も果樹や野菜、水稲を中心に年間8億円前後の規模で発生し続けている主要な加害鳥獣の一つである。

人里の畑に出没して作物を食べるニホンザルの群れ
人里近くの畑に出没し作物を食べるニホンザル(イメージ)

「加害群」はなぜ生まれるのか

被害の主な原因となっているのは、人里の作物の味を覚え、繰り返し出没するようになった一部の「加害群」である。背景として指摘されているのが、中山間地域の過疎化・高齢化に伴う耕作放棄地の増加だ。人の手が入らなくなった農地は藪化し、サルにとって身を隠しながら移動できる通り道となる。加えて、狩猟者の減少や高齢化によって、サルを人里に近づけない「圧力」そのものが弱まっていることも一因とされる。一度人里の食物の豊かさや取りやすさを学習した群れは、森林の食物より効率よくカロリーを得られるため、対策を講じない限り出没を繰り返す傾向が強い。

被害を受けやすい作物

被害の対象は地域によって異なるが、リンゴ・カキ・ミカン・ブドウなどの果樹、キャベツや根菜類などの野菜、収穫期の水稲や大豆まで幅広い。特に収穫直前の果樹は糖度が高く、サルにとって効率よくエネルギーを得られる食物であるため、集中的に狙われやすいとされる。

  • 果樹(リンゴ・カキ・ミカン・ブドウなど)
  • 野菜(キャベツ・根菜類など)
  • 水稲・大豆などの穀物
  • 家庭菜園や庭先の作物

被害が集中しやすい時期

被害は年間を通じて発生しうるが、果樹や野菜の収穫期にあたる夏から秋にかけて特に集中しやすいとされる。この時期は山林の自然の食物が実り始める前後と重なることもあり、群れが効率よくエネルギーを得られる農地に引き寄せられやすい時期でもある。地域の営農カレンダーと群れの出没パターンを重ね合わせて対策のタイミングを計ることも、被害軽減の実務上のポイントとされている。

被害は経済的損失だけでは測れない

農作物被害は金額換算される直接的な損失にとどまらない。収穫直前に作物を荒らされる精神的な負担や、営農意欲の低下、それに伴う耕作放棄のさらなる拡大という悪循環を引き起こす点も、農林業の現場で繰り返し指摘されてきた課題である。被害地域では、集落単位での見守りや対策の申し合わせが、単なる獣害対策を超えて地域コミュニティを維持する取り組みとしての意味合いを持つ場合もある。

獣種令和5年度の被害額(全国)
シカ約70億円
イノシシ約36億円
クマ約7億円
ニホンザル年間8億円前後(複数年の傾向)
農林水産省が公表する野生鳥獣による農作物被害額の比較(令和5年度・一部は近年の傾向値)

加害群対策と共存への道——特定鳥獣保護管理計画の現場

ニホンザル対策の基本は、被害を出している「加害群」を単位として捕獲や追い払いを行う考え方にある。個体を無差別に減らすのではなく、群れ単位で対策の優先順位を判断する点が特徴だ。

電気柵・緩衝帯・追い払いという3本柱

現場で採用されている対策は大きく分けて、農地を物理的に守る電気柵の設置、集落と森林の境界に見通しの良い緩衝帯を確保して隠れ場所をなくす取り組み、そして花火や犬などを使ってサルを農地から遠ざける追い払いの3つに整理できる。サル用の電気柵は、地面を歩いて侵入するだけでなく柵をよじ登る習性にも対応する必要があるため、上部の線を「マイナス線」として組み合わせるなど、シカやイノシシ向けとは異なる設計上の工夫が必要とされる。これらを組み合わせ、群れを森林側に留めておくことが被害軽減の鍵とされている。

GPS首輪による群れの行動把握

近年は、加害群の一部の個体にGPS発信機付きの首輪を装着し、リアルタイムで群れの位置を把握する取り組みも各地で導入されている。群れが集落に接近したタイミングで住民へ自動的に通知する仕組みと組み合わせることで、被害が発生する前に追い払いや警戒を行える体制づくりが進められている。従来は目撃情報や痕跡調査に頼っていた群れの行動範囲把握が、通信技術の活用によってより正確かつ迅速に行えるようになったことは、限られた予算と人員で対策にあたる自治体にとって大きな効果を持つ変化といえる。

捕獲だけに頼らない発想

対策というと捕獲による個体数の削減がイメージされやすいが、ニホンザルの管理では「加害群を森林側にとどめておく」という発想がより重視される。むやみに群れを刺激したり、群れの構成を大きく崩したりすると、かえって行動が不安定になり被害が拡大する場合もあるとされる。このため、緩衝帯の整備や追い払いによって人里との境界線を明確に保ちながら、被害が特に深刻な加害群に限定して計画的な捕獲を行うという、群れ単位でのメリハリのある対応が基本方針とされている。

10年で加害群を半減させる目標

環境省のガイドラインでは、効果的な捕獲を中心とした対策により、10年後までに加害群の数を半減させることを目標に掲げている。個体数そのものを大きく減らすのではなく、人里に依存する群れを減らし、森林本来の資源で暮らす群れとの間に距離を保つことが、被害軽減と個体群の存続を両立させる方策として位置づけられている。

現場で組み合わされる主な対策

  • 電気柵など物理的な侵入防止(登はんに対応した設計)
  • 集落周辺の緩衝帯整備(藪の刈り払いなど)
  • 花火・犬などによる追い払い
  • 加害群を対象とした計画的な捕獲
  • GPS首輪などによる群れの行動把握と接近通知

私たちにできること——観光・研究・地域が支える共生のこれから

ニホンザルは、京都大学の研究者たちをはじめとする国内外の研究機関が半世紀以上にわたり個体識別調査を続けてきた、世界的に見ても研究の蓄積が厚い野生霊長類でもある。幸島のいも洗い行動や地獄谷の入浴行動といった「文化的な広がり」に関する知見の多くは、こうした地道な観察研究によって明らかになってきた。日本発の野生ザル研究は、個体を1頭ずつ識別して長期に追跡する手法の先駆けとしても国際的に評価されている。

長期観察が支える保全政策

幸島や高崎山のように、特定の群れを何十年にもわたって追い続ける長期観察は、単なる興味深いエピソードの発見にとどまらない意味を持つ。群れの分裂や消滅、順位の継承、繁殖成功率の変化といった長期的なデータの蓄積は、個体数推定や特定鳥獣保護管理計画の見直しなど、実際の保全政策の土台にもなっている。息の長い基礎研究への理解と支援が、結果としてサルと人との関係を科学的根拠にもとづいて調整する力になっている。

観察マナーが個体群を守る

地獄谷野猿公苑や、1953年の開園以来ニホンザルの観察拠点として知られる大分県の高崎山自然動物園のように、決められた場所・ルールの中でニホンザルを観察できる施設は、野生動物と人との適切な距離感を学ぶ場でもある。餌付けを施設管理者以外が行わない、大声を出さない、至近距離で目を合わせ続けないといった基本的なマナーは、サルの野生の行動を維持し、人里への依存を助長しないためにも重要とされている。こうした管理された観察拠点にサルを引き寄せておくことは、結果的に周辺の農地への出没を抑える緩衝的な役割も果たしていると考えられている。

地域ぐるみの取り組みが被害を減らす

電気柵の設置や緩衝帯の整備は、個々の農家だけでなく地域全体で取り組むことで効果が高まることが各地の事例で示されている。生ごみや収穫残さを畑に放置しない、集落点検で誘引物を減らすといった日常的な工夫の積み重ねも、加害群を生まないための土台になる。市民が参加できる出没情報の共有アプリや、目撃情報を自治体へ報告する仕組みも各地で広がりつつあり、行政と住民が同じ情報を見ながら対応する体制づくりが進んでいる。

ニホンザルをめぐる課題は、絶滅の心配がある希少種の保護とは異なり、「増えすぎ・近づきすぎ」への対応という、人と野生動物の距離をどう調整するかという別の難しさを持つ。同じように人里と隣り合わせで生きる野生動物の事例として、佐渡島で共存の道を探ってきたトキと佐渡|絶滅から野生500羽へ、田んぼが支えた復活と本州放鳥や、希少種の個体数管理という観点で参考になるアマミノクロウサギはなぜ「生きた化石」か|マングース根絶で個体数8倍にもあわせて読むと、日本各地で進む野生動物との距離の取り方の多様さが見えてくる。

この記事のポイントを箇条書きでまとめた図版
この記事のポイント。詳しくは各章で解説している

参考文献・出典

  1. 環境省 – 特定鳥獣保護・管理計画作成のためのガイドライン(ニホンザル編)改定版
  2. 環境省 – ニホンザルの保護・管理に関する最近の動向
  3. 環境省 生物多様性センター – 自然環境保全基礎調査 特定哺乳類生息状況調査
  4. 農林水産省 – 全国の野生鳥獣による農作物被害状況について(令和5年度)
  5. 地獄谷野猿公苑 – 公式サイト・施設について
  6. 地獄谷野猿公苑 – ニホンザルの社会
  7. 京都大学野生動物研究センター – 三戸サツエ・幸島のサル アーカイブス
  8. 高崎山自然動物園 – 施設の歴史と群れ(A群・B群・C群)について
  9. New England Primate Conservancy – Japanese macaque, Macaca fuscata(生態解説)

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