岬の突端に白い塔が立ち、夜になると一定のリズムで光が回る。灯台は日本の海岸線でもっとも見慣れた建造物のひとつでありながら、その多くが明治時代から現役で働き続けている「生きた産業遺産」であることは、あまり知られていません。
海上保安庁が管理する航路標識は、令和8年3月31日現在で総数5,094基。そのうち灯台は3,096基を占めます。船が自分の位置を数メートル単位で知ることができる衛星測位の時代になってもなお、これだけの数の光が毎晩ともり続けているのはなぜなのでしょうか。
この記事では、幕末に結ばれた条約から始まった日本の灯台の歴史、石と煉瓦とレンズが織りなす技術、灯台守が守った灯、そして現役灯台が国の重要文化財に指定されるまでの流れをたどります。あわせて、全国に16基ある「のぼれる灯台」と、日本財団・海上保安庁が進める観光活用の取り組みも紹介します。海の安全を支えてきた塔が、いま新しい役割を得ようとしています。
この記事で学べること
- 灯台が「光波標識」として果たしている役割と、GPSの時代でも残り続ける理由
- 江戸条約・大坂条約で決まった13基の「条約灯台」と、ヴェルニー・ブラントンの仕事
- 石造・煉瓦造の二重壁構造やフレネルレンズなど、灯台を支えてきた技術のしくみ
- 灯台守が暮らした79年間と、2006年に無人化されるまでの自動化の歩み
- 現役の灯台が重要文化財に指定された経緯と、文化遺産としての価値
- 全国16基の参観灯台の一覧と、恋する灯台・海と灯台プロジェクトによる観光活用の現在
灯台とは何か──「海の道しるべ」の現在地
灯台は、岬の先端や港の入り口に設置され、船に自分の位置を知らせたり、岩礁や浅瀬の存在を伝えたりする施設です。海上保安庁はこれらをまとめて航路標識と呼び、その設置と管理を担っています。
灯台は「光波標識」の一種
航路標識は大きく三つに分かれます。光や形で位置を伝える光波標識、電波を使う電波標識、そして船舶の通航状況や潮流を知らせるその他の標識です。灯台はこのうち光波標識の代表格にあたります。海上保安庁の公表値によれば、令和8年3月31日現在の内訳は次のとおりです。
| 区分 | 種類 | 基数 |
|---|---|---|
| 光波標識 | 灯台 | 3,096基 |
| 光波標識 | 灯浮標(ブイ) | 1,148基 |
| 光波標識 | 灯標 | 455基 |
| 光波標識 | 照射灯 | 135基 |
| 光波標識 | 立標 | 106基 |
| 光波標識 | 導灯・指向灯・浮標 | 89基 |
| 電波標識 | AIS信号所・無線方位信号所 | 33基 |
| その他 | 船舶通航信号所・潮流信号所 | 32基 |
| 合計 | 航路標識 総数 | 5,094基 |
灯浮標が1,000基を超えている点にも注目してください。私たちが「灯台」と聞いて思い浮かべる塔は全体の6割ほどで、実際の航路は海に浮かぶブイや岸壁の小さな灯標を含む、緻密なネットワークによって示されています。

GPSがあっても灯台が消えない理由
衛星測位(GNSS)が普及し、船は電子海図上で自船の位置をリアルタイムに把握できるようになりました。それでも灯台が維持されているのは、次のような理由からです。
- 視覚による直感的な確認ができる:計器の画面に視線を落とすより、正面に見える光を確認するほうが操船中の姿勢として安全な場面がある
- 単一システムへの依存を避けられる:受信障害・機器故障・電波妨害が起きても、光そのものは目視で確認できる
- 小型船やプレジャーボートに届く:高度な航海計器を備えない船にとって、灯台は依然として基本的な位置の手がかり
- 陸からの目印にもなる:漁業者や沿岸利用者にとって、灯台は海域を語るときの共通の座標になっている
灯台の高さと、光が届く距離
灯台の光がどこまで届くかは、光源の明るさだけで決まるわけではありません。地球は丸いため、灯火が水平線の向こうへ隠れてしまえば、どれほど強い光でも見えなくなります。つまり灯火の高さと見る側の目の高さの組み合わせが、見える距離の上限を決めているのです。
大型の灯台がわざわざ断崖の上や高い塔の上に置かれているのは、この幾何学的な制約に対応するためです。灯台の諸元で「塔高」と「灯火の海面上の高さ」が別々に示されるのもそのためで、たとえば出雲日御碕灯台は塔高43.65mに対し、海面上の灯火の高さは63.30mとなります。岬そのものの標高が、光を遠くまで運ぶ土台になっているわけです。
逆に、港の入口や防波堤の先端に立つ灯台は数メートルほどの高さしかありません。遠くの船に位置を知らせる必要がなく、近づいてきた船に「ここが入口だ」と示せればよいからです。灯台の大きさの違いは、そのまま担っている役割の違いを表しています。
覚えておきたい用語
- 航路標識:船舶交通の安全のために設置される施設の総称。海上保安庁が所管する
- 光波標識:光・形・色で位置や危険を伝える標識。灯台・灯標・灯浮標などが含まれる
- 灯質(とうしつ):光り方のパターン。何秒ごとに何回光るかでどの灯台かを識別できる
- 光達距離:その灯台の光が届く距離。海里(1海里=1,852m)で表される
灯台はなぜそこに立っているのか──岬・海峡・港口の地理
灯台の分布図は、日本の海の危険地図でもあります。灯台が立っている場所には、必ず「船がそこで迷う理由」「そこで座礁する理由」があります。
岬の突端は、目印であり危険地形でもある
犬吠埼、潮岬、佐多岬、都井岬、尻屋埼。灯台の名前に「埼」「岬」が多いのは偶然ではありません。岬は陸地が海へ突き出した地形なので、沖を航行する船からよく見えます。同時に、突き出した岩盤が海中にも続いているため、周囲に暗礁や浅瀬を伴いやすい危険地帯でもあります。
つまり岬は「見つけやすい」と「近づくと危ない」を同時に満たす場所です。だからこそ、そこに光を置いて位置を知らせつつ、近づきすぎないよう警告する意味があります。幕末の条約灯台13基が、房総・三浦・伊豆・紀伊・薩摩と主要航路の要所を押さえていたのは、この論理に沿った選定でした。
海峡と水道は、複数の灯台で守る
狭く、潮流が速く、通航量の多い水域は、単独の灯台では守りきれません。大坂条約で定められた5基のうち、六連島・部埼が関門海峡、江埼が明石海峡、友ヶ島が紀淡海峡と、いずれも瀬戸内海への出入口に集中していることは象徴的です。
こうした水域では、灯台に加えて灯標・灯浮標・照射灯を組み合わせ、「進んでよい水路」を光の並びで描き出します。二つの灯火が縦に重なって見える位置が安全な航路になる導灯という仕組みもあり、船はそれを目印に狭い水路の中心線をたどります。

赤い灯台と緑の灯台──港口のルール
港の入口に立つ小さな灯台が、赤や緑に塗られているのを見たことがあるでしょうか。これは装飾ではなく国際的な取り決めです。日本が属するIALAB地域では、港へ入る船から見て右側に赤、左側に緑の標識を配置します(ヨーロッパなどのA地域では左右が逆になります)。
- 赤い灯台:入港する船から見て右舷側。この外側は航路ではないことを示す
- 緑(白)の灯台:入港する船から見て左舷側
- 灯浮標も同じ配色:海面に浮かぶブイも赤・緑で左右を示し、夜は同色の光を放つ
- 地域によって左右が逆:IALA A地域とB地域で規則が異なるため、外航船の航海士は必ず海図で確認する
「灯台のある景色」は偶然ではない
観光地として親しまれている灯台の風景は、その多くが航海上の要衝だからこそ生まれたものです。展望が良く、断崖があり、沖の海が広く見渡せる──それは船から灯台がよく見えるという条件の裏返しでもあります。灯台を訪ねるとき、「なぜここに建てたのか」を地形から考えてみると、その土地の海の歴史が見えてきます。
幕末に始まった日本の洋式灯台──13基の「条約灯台」
日本の洋式灯台は、開国後の外交交渉から生まれました。開港場に出入りする外国船が座礁事故を繰り返したことを背景に、幕府は列強との条約のなかで灯台の建設を約束します。
江戸条約で8か所、大坂条約で5か所
1866年(慶応2年)5月、江戸幕府はアメリカ・イギリス・フランス・オランダの4か国と改税約書(江戸条約)を結び、8か所への灯台設置を定めました。翌1867年(慶応3年)4月にはイギリスとの大坂約定(大坂条約)で、さらに5か所が追加されます。この合計13基は、のちに条約灯台と呼ばれるようになりました。
| 条約 | 年 | 設置が定められた灯台 |
|---|---|---|
| 改税約書(江戸条約) | 1866年(慶応2年) | 観音埼・剱埼・野島埼・神子元島・樫野埼・潮岬・佐多岬・伊王島(8か所) |
| 大坂約定(大坂条約) | 1867年(慶応3年) | 六連島・部埼・江埼・和田岬・友ヶ島(5か所) |
地図の上でこの13か所を確認すると、房総・三浦・伊豆・紀伊・瀬戸内・九州と、当時の主要航路を押さえるように配置されていることが分かります。灯台の建設は単なる土木工事ではなく、開国後の海上交通を国際基準に合わせるための国家事業だったのです。
ヴェルニーとブラントン──二人のお雇い外国人
最初に着工したのは、三浦半島の突端に立つ観音埼灯台でした。設計を担当したのはフランス人技師レオンス・ヴェルニー。横須賀製鉄所(造船所)の建設で日本に来ていた人物です。着工は1868年(明治元年)11月1日、初点灯は翌1869年(明治2年)2月11日で、これが日本初の洋式灯台とされています。
その後の灯台建設を一手に引き受けたのが、イギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Brunton)です。1868年に来日し、約8年間で全国の主要な灯台の設計・監督にあたりました。石造・煉瓦造の技術、資材の調達、灯台守の養成に至るまでを整備したことから、「日本の灯台の父」と呼ばれています。

お雇い外国人から日本人技術者へ
明治政府は灯台建設を担う専門部局を設け、資材の輸入、灯台守の養成、灯台巡回船の運用までを一体で進めました。ブラントンが日本を離れた後は、彼のもとで学んだ日本人技術者が事業を引き継ぎます。石材の加工、煉瓦の焼成、レンズの据付といった技能が国内に根づき、明治30年代には設計・施工のすべてを日本人が担う大型灯台が完成するようになりました。
1903年(明治36年)に初点灯した出雲日御碕灯台は、その到達点を示す建造物です。条約で外国から建設を求められた時代から数えて、わずか35年ほどで技術を自前のものにしたことになります。現在は、公益社団法人燈光会などの航路標識協力団体が参観灯台の運営や灯台文化の普及を担っており、明治から続く事業の裾野を支えています。
現存最古の現役灯台は神子元島灯台
条約灯台のうち、建設当時の姿をとどめたまま現役で稼働している最古の灯台が、静岡県下田市沖の神子元島灯台です。明治3年11月11日(西暦1871年1月1日)に竣工したブラントン設計の石造灯台で、初点灯には三条実美・大久保利通・大隈重信ら明治政府の要人とイギリス公使ハリー・パークスが立ち会ったと伝えられます。国の史跡に指定され、国際航路標識協会(IALA)の「世界灯台100選」にも選ばれました。
ただし、150年以上を海上の孤島で過ごした構造体は無傷ではいられません。速成セメントの経年劣化と波浪による損傷が確認されたため、1982年と1995年には炭素繊維などを用いた耐震補強工事が行われています。歴史的建造物を「保存」しながら「現役」で使い続けるという難題は、この時点ですでに始まっていました。
灯台記念日が11月1日である理由
11月1日は灯台記念日です。これは日本初の洋式灯台である観音埼灯台の起工日(1868年11月1日)にちなんで定められました。初点灯の日ではなく、工事が始まった日が記念日になっているところに、灯台建設という事業そのものを画期と捉えた当時の受け止め方が表れています。
石・煉瓦・レンズ──灯台をかたちづくる技術
灯台は「塔」と「光」という二つの技術の組み合わせでできています。どちらも明治期に海外から導入され、日本の気候と地震に合わせて改良されてきました。
二重壁構造が塔を守る
明治期に建てられた大型灯台の多くは、外壁と内壁を分けた二重壁構造を採用しています。千葉県銚子市の犬吠埼灯台は煉瓦造の二重壁で高さ約31m、島根県出雲市の出雲日御碕灯台は外壁が石造・内部が煉瓦造という組み合わせです。二重にすることで、外壁が受けた強風や波しぶきの荷重・熱・湿気が内側の階段室に直接伝わりにくくなります。
この構造は、結果として耐震性にも寄与しました。とはいえ建設から100年以上が経過した現在、コンクリートや目地の劣化、鉄部の腐食は避けられません。前述の神子元島灯台のように炭素繊維で補強する例のほか、灯室の鉄枠交換、外壁の再塗装、避雷設備の更新といった維持工事が定期的に行われています。

フレネルレンズが遠くまで光を届ける
灯台の光を遠方まで届けているのは、フレネルレンズと呼ばれる同心円状の階段構造をもつ大型レンズです。厚い凸レンズを輪切りにして薄く並べたような形で、重量を抑えながら光を一方向に絞り込むことができます。レンズは大きさによって等級が付けられ、もっとも大きい第1等レンズは焦点距離920mm、人の背丈を超える巨大なものです。犬吠埼灯台や出雲日御碕灯台では、この第1等レンズを見ることができます。
レンズが回転すると、観測者から見た光は一定の周期で明るくなったり消えたりします。この光り方のパターンを灯質と呼び、灯台ごとに変えることで「いま見えているのがどの灯台か」を判別できるようにしています。
- 単閃光:一定の周期で1回ずつ光る、もっとも基本的な灯質
- 群閃光:2回・3回といったまとまりで光り、周期の中に「回数」の情報を持たせる
- 等明暗光:明るい時間と暗い時間が同じ長さで交互に入れ替わる
- 不動光:点滅せず、一定の明るさで光り続ける
- 光の色:白のほか、危険側を示す赤、安全側を示す緑などが使い分けられる

霧の日は、音が光の代わりになる
光の弱点は霧です。視界が失われると、どれほど強い光も役に立ちません。そこで設けられたのが、音で位置を知らせる霧信号所(霧笛)でした。低く長い音を一定の間隔で鳴らし、光の代わりに存在を伝える仕組みです。
重要文化財に指定された犬吠埼灯台に旧霧笛舎が併設されているのは、この装置を収める建物だったからです。ただし音は光より減衰しやすく、風向きに強く左右されるうえ、船側でも聞き取りにくいという弱点がありました。レーダーや衛星測位、AIS(船舶自動識別装置)の普及にともない、霧信号所は順次役目を終え、現在では建物だけが遺構として残っている例が少なくありません。
石造で日本一の高さ、出雲日御碕灯台
島根半島の西端に立つ出雲日御碕灯台は、地面から塔頂までの高さが43.65m、海面から灯火までの高さが63.30mで、石造灯台としては日本一の高さを誇ります。明治36年(1903年)に初点灯した、日本人の設計・施工による大型洋式灯台であり、条約灯台の時代から30年あまりで技術が完全に国産化されたことを示す建造物でもあります。
光源の世代交代
灯台の光源は、石油ランプから電化、白熱電球、メタルハライドランプを経て、現在はLEDへの置き換えが進んでいます。LEDは消費電力が小さく寿命が長いため、太陽電池と組み合わせて離島や無電源地点にも設置しやすいという利点があります。一方で、歴史的な回転レンズを保存したまま光源だけを更新する灯台もあり、「文化財としての価値」と「設備としての効率」の折り合いが実務上の論点になっています。
灯台守が守った灯──女島灯台までの79年
自動化される前の灯台は、人が住み込んで火を絶やさないように守るものでした。灯台守(灯台職員)と呼ばれた人々とその家族の暮らしは、日本の海の記憶の一部です。
灯台守の仕事と暮らし
灯台守の仕事は、日没とともに点灯し夜明けに消灯するだけではありません。レンズの清掃、回転装置のぜんまい巻き上げ、光源の燃料補給、霧が出れば霧笛の吹鳴、気象の観測と記録、そして塔と官舎の維持管理まで、生活と職務が完全に一体化していました。
- 灯器の運転と保守:点消灯、レンズ磨き、回転機構の調整、予備光源の確認
- 霧笛の運用:視界が悪いときに音で位置を知らせる。犬吠埼灯台には旧霧笛舎が現存している
- 気象・海象の観測:風向風速、視程、波の状況を定時に記録する
- 官舎での生活:離島や断崖の上では、食料・水・燃料の補給船が唯一の生命線だった
- 子どもの教育:離島勤務では就学が課題となり、家族が離れて暮らす例も少なくなかった

映画『喜びも悲しみも幾歳月』が伝えたもの
灯台守という職業を広く知らしめたのが、1957年(昭和32年)に公開された松竹映画『喜びも悲しみも幾歳月』です。木下惠介監督、佐田啓二・高峰秀子主演で、全国の灯台を転勤しながら暮らす灯台守夫婦の25年間を描きました。同名の主題歌とともに大きな反響を呼び、離島や断崖で光を守る人々の存在が一般にも意識されるようになります。
この作品が公開された時代は、まだ多くの灯台に職員が常駐していた頃でした。映画が描いた暮らしは、その後の半世紀で完全に過去のものになります。灯台守の記録が「文化遺産」として意味を持つのは、そこに技術史だけでなく、家族の生活史が刻まれているからでもあります。
2006年、最後の灯台守がいなくなった
全国の灯台は戦後にかけて段階的に自動化・無人化が進みます。最後まで職員が常駐していたのが、長崎県五島市の男女群島にある女島灯台でした。昭和2年(1927年)12月1日に初点灯したこの灯台は、2006年(平成18年)12月5日をもって無人化され、日本から灯台守という職が姿を消しました。初点灯から数えて79年間、人が島に住み込んで光を守り続けたことになります。
無人化は「人手を減らす合理化」であると同時に、「危険な勤務地から人を引き上げる安全対策」でもありました。荒天時に補給船が近づけない孤島で、家族ごと数か月単位の孤立に耐える勤務形態は、現代の労働環境としては維持が難しくなっていたのです。
いまの灯台はどう守られているのか
現在の灯台は、次のような仕組みで無人運用されています。
- 自動点消灯:周囲の明るさを検知するセンサーが、日没・日出に合わせて自動で光をつけ消しする
- 予備光源への自動切替:光源が切れると、機械が自動的に予備に切り替える
- 非常用電源:停電時にはバッテリーや太陽電池が働き、光が途切れないようにする
- 遠隔監視:各地の海上保安部が通信回線で動作状況を常時監視し、異常があれば職員が現地へ向かう
- 定期点検:機器の更新、塔体の補修、周辺の樹木伐採(光を遮らないため)などを計画的に実施する
この章のまとめ
- かつての灯台は、職員と家族が住み込んで光を守る「生活の場」でもあった
- 最後の有人灯台・女島灯台は2006年12月5日に無人化され、灯台守の歴史は79年で幕を閉じた
- 現在は自動点消灯・予備光源切替・非常用電源・遠隔監視によって無人でも光が絶えない体制が組まれている
- 官舎や霧笛舎などの附属施設は、灯台守の暮らしを伝える貴重な遺構として残っている
文化遺産としての灯台──現役の建造物が重要文化財になる
灯台は「使い続けている施設」であるため、長く文化財としての評価とは別の世界にありました。その前提が変わったのが2020年です。
なぜ灯台は長く文化財の外側にあったのか
明治期の灯台は、近代建築としての価値が早くから指摘されていました。それでも重要文化財の指定が2020年まで進まなかった背景には、いくつかの事情があります。
- 現役の施設である:安全確保のために機器を更新し続ける必要があり、文化財としての「現状維持」と両立しにくい
- 立地が厳しい:離島や断崖の上にあり、詳細な調査や記録作成そのものに手間と費用がかかる
- 建築より土木・産業設備として扱われてきた:近代化遺産という評価枠組みが定着するまで、評価の物差しが定まらなかった
- 保存の担い手が見えにくい:所有・管理は国であり、地域が主体的に関わる回路が細かった
2000年代以降、近代化遺産の調査が全国で進んだことで、灯台の技術的・歴史的価値が体系的に整理されました。現役であることを理由に評価を先送りにするのではなく、稼働させながら守る方法を設計する──2020年の指定は、その方針転換を示す出来事でもありました。
2020年、現役灯台が初めて重要文化財に
2020年(令和2年)12月23日、明治初期に建てられた4基の灯台が国の重要文化財(建造物)に指定されました。現役で稼働している灯台が重要文化財になるのは、このときが初めてです。いずれもR.H.ブラントンの指導のもとで建設された、日本の洋式灯台の草創期を示す建造物です。
| 灯台名 | 所在地 | 備考 |
|---|---|---|
| 六連島灯台 | 山口県下関市 | 明治初期建設の石造灯台 |
| 部埼灯台 | 福岡県北九州市 | 関門海峡東口を守る石造灯台 |
| 犬吠埼灯台 | 千葉県銚子市 | 明治7年初点灯、煉瓦造二重壁・高さ約31m。旧霧笛舎・旧倉庫とともに指定 |
| 角島灯台 | 山口県下関市 | 日本海に面した無塗装の御影石造灯台 |
犬吠埼灯台については、灯台本体だけでなく旧霧笛舎と旧倉庫もあわせて指定されました。塔だけを単体で評価するのではなく、霧笛・倉庫・官舎を含めた「灯台施設群」として近代化遺産の価値を認める考え方が示されたことになります。
2022年、出雲日御碕灯台の指定
続いて2022年(令和4年)2月9日、出雲日御碕灯台が重要文化財に指定されました。こちらはお雇い外国人ではなく日本人技術者が設計・施工した明治36年の大型灯台で、外国から学んだ技術を自前のものにした到達点として評価されています。石造灯台としての高さ日本一という記録も、当時の施工技術の水準を物語ります。

世界灯台100選と「日本の灯台50選」
文化財指定のほかにも、灯台の価値を示す選定がいくつか存在します。
- 世界灯台100選:国際航路標識協会(IALA)が1998年に選んだ、歴史的に特に重要な世界の灯台100基。日本からは犬吠埼灯台(千葉)・姫埼灯台(新潟・佐渡)・神子元島灯台(静岡)・美保関灯台(島根)・出雲日御碕灯台(島根)の5基が選ばれている
- あなたが選ぶ日本の灯台50選:第50回灯台記念日(1998年11月1日)を記念して海上保安庁が公募し、投票によって選定した50基
- 国の史跡指定:神子元島灯台のように、建造物としてではなく史跡として保護されている例もある
「現役の文化財」という難しさ
重要文化財に指定された灯台は、いずれも航路標識として現在も稼働中です。文化財としては現状変更に厳格な手続きが求められる一方、航路標識としては安全確保のために光源や機器を最新のものに保つ必要があります。この二つの要請をどう両立させるかは、灯台の保存に固有の課題です。海上保安庁と文化庁、地元自治体が協議しながら、更新すべき部分と残すべき部分を切り分けています。
全国16基の「のぼれる灯台」──参観灯台を歩く
灯台の多くは施設内に立ち入ることができませんが、一部は内部が一般公開されています。海上保安庁はこれを参観灯台と呼び、「航路標識事業に対する国民への理解・知識の普及を図ることを目的として通年、一般公開している灯台」と定義しています。通年で参観できる灯台は、全国で16基です。
| 都道府県 | 灯台名 |
|---|---|
| 青森県 | 尻屋埼灯台 |
| 秋田県 | 入道埼灯台 |
| 福島県 | 塩屋埼灯台 |
| 千葉県 | 犬吠埼灯台/野島埼灯台 |
| 神奈川県 | 観音埼灯台 |
| 静岡県 | 初島灯台/御前埼灯台 |
| 三重県 | 安乗埼灯台/大王埼灯台 |
| 和歌山県 | 潮岬灯台 |
| 島根県 | 出雲日御碕灯台 |
| 山口県 | 角島灯台 |
| 宮崎県 | 都井岬灯台 |
| 沖縄県 | 残波岬灯台/平安名埼灯台 |
この16基には、日本初の洋式灯台である観音埼灯台、重要文化財の犬吠埼灯台・角島灯台・出雲日御碕灯台が含まれています。歴史的に重要な灯台ほど一般公開されている傾向があるのは、保存と公開を両立させようという運営方針の表れといえます。

参観のしかたと、知っておきたいこと
参観灯台は、公益社団法人燈光会などの航路標識協力団体が運営を担っています。訪れる前に確認しておきたいポイントを挙げます。
- 参観寄附金が必要:多くの灯台で大人1人300円程度。金額や対象年齢は灯台ごとに異なる
- 参観時間が季節で変わる:冬季は短縮されることが多く、荒天時は中止になる
- 階段が急でエレベーターはない:90〜160段程度のらせん階段を自力で上る必要がある
- 強風・高所に注意:屋外バルコニーは吹きさらしで、帽子や小物が飛ばされやすい
- 最新情報は公式で確認:改修工事や気象条件で一時休止することがある
16基は北は青森県の尻屋埼から、南は沖縄県の平安名埼まで全国に散らばっていますが、千葉県(犬吠埼・野島埼)、静岡県(初島・御前埼)、三重県(安乗埼・大王埼)、沖縄県(残波岬・平安名埼)のように同じ県に2基ある地域もあります。近接する2基を組み合わせれば、構造や灯質の違いを比べながら一日でめぐることもできます。
参観灯台をもっと楽しむ工夫
- 灯質を確かめてみる:現地の説明板で「何秒に何回光るか」を読み、夜に沖から見えるパターンを想像してみる
- レンズを間近で見る:フレネルレンズの階段状の断面は、実物を見ると精密さがよく分かる
- 附属施設もめぐる:霧笛舎、旧官舎、資料館が併設されている灯台も多い
- スタンプラリーに参加する:参観灯台をめぐる企画が実施されることがあり、複数基を訪ねるきっかけになる
- 周辺の海岸を歩く:灯台が置かれた岬は、地形と海流の要衝であることが多い
恋する灯台と「海と灯台プロジェクト」──観光資源としての再発見
航路標識としての役割に加えて、灯台を地域の観光資源・文化資源として位置づけ直す動きが2010年代後半から広がっています。中心にあるのが、日本財団と海上保安庁による取り組みです。
「恋する灯台」というまなざしの転換
恋する灯台プロジェクトは、長崎県雲仙市に本部を置く一般社団法人日本ロマンチスト協会と日本財団が共同で実施している事業です。灯台を「ふたりの未来を語り合う場所」と読み替え、「ロマンスの聖地」にふさわしい灯台を恋する灯台として、その周辺地域を恋する灯台のまちとして認定します。2016年から2017年にかけて、全国30エリア・31基が認定されました。
航路標識という機能から離れて、灯台を「訪れたい場所」として提示したこと自体が転換点でした。地域の観光資源としての灯台の価値を見直し、あらゆる世代の来訪者を増やして海への関心を高めるという目的が、後続の事業に引き継がれていきます。
海と灯台ウィーク(11月1日〜8日)
2020年、日本財団と海上保安庁は11月1日から8日までを海と灯台ウィークと設定しました。灯台記念日である11月1日を起点に、全国に約3,000基ある灯台の役割と価値を伝え、新しい海洋体験を生み出すことを目的としています。期間中は各地の灯台でライトアップ、特別公開、見学会、シンポジウムなどが開催されます。
この取り組みは、日本財団の「海と日本PROJECT」の一環として進められている海と灯台プロジェクトに発展しました。「海と灯台のまち」として連携する自治体を増やし、灯台を核にした地域づくりを支援する枠組みです。
「海と灯台のまち」という枠組み
海と灯台プロジェクトでは、灯台を地域資源として位置づける自治体との連携も進めています。灯台を核にした観光ルートの設計、学校教育での海洋学習、地元事業者と連携した商品開発など、取り組みの内容は地域によってさまざまです。共通しているのは、灯台を「行政が管理する施設」から「まちが誇る場所」へと読み替えている点です。
この読み替えには実務上の意味もあります。周辺の草刈りや清掃、案内表示の整備、来訪者対応といった作業に地域の人々が関わることで、国の予算だけでは行き届かない部分が補われ、灯台の状態を日常的に見守る目も増えます。
灯台利活用モデル事業──官舎に泊まる、灯台で過ごす
海と灯台プロジェクトの中核が、新たな灯台利活用モデル事業です。全国の団体・企業・自治体から灯台活用の企画を公募し、実証を支援します。2024年度は全国15地域で調査検証や活用イベントが実施されました。
代表的な事例が、高知県の室戸岬灯台です。かつて灯台守が暮らした石造りの官舎を活かし、宿泊事業として再生する取り組みが進められています。使われなくなった附属施設を、灯台の記憶を体験できる場所へと転換する発想です。2025年度は「調査検証コース」と「利活用実施コース」の2コースで公募が行われ、2025年6月から12月を事業期間として、リトリート体験プログラムの開発、ガイドスクリプトの作成、モニターツアーなどが実証されました。

灯台を活用するときの前提
灯台はあくまで船舶の安全を守る現役の航路標識です。観光活用にあたっては、灯器の運用を妨げないこと、光を遮る構造物を設けないこと、重要文化財の場合は現状変更の手続きを踏むことなど、いくつもの制約があります。「自由に使える古い建物」ではなく、「働いている施設をお借りする」という前提を共有することが、持続的な活用の条件になります。
これからの灯台──保存の課題と、私たちにできること
3,096基の灯台をどう維持していくのか。文化遺産としての灯台には、時間との競争という側面があります。
塩害・老朽化・災害という宿命
灯台は、その役割上もっとも過酷な場所に立っています。潮風による塩害、波浪、強風、落雷、地震、そして近年は台風の強大化。明治期の建造物であればなおさら、維持には継続的な費用と技術が必要です。
- 塩害による鉄部の腐食:手すり、灯室の窓枠、扉、階段の腐食は避けられず、定期的な塗装・交換が必要
- 石材・煉瓦・目地の劣化:凍結融解や雨水の浸入で少しずつ組積が緩む
- 基礎地盤の侵食:岬の先端に立つ灯台では、崖の崩落そのものがリスクになる
- 海面上昇・高潮の影響:低い位置にある防波堤灯台や附属施設では、浸水リスクが高まる可能性がある
- 技能の継承:石積みや歴史的レンズの整備ができる技術者が限られている
気候変動による海面上昇や高潮の激化は、灯台そのものだけでなく、灯台へ至る道路や周辺の海岸地形にも影響します(→海面上昇で日本の砂浜は消えるのか)。海岸線が動けば、灯台が示す「岬の位置」の意味も少しずつ変わっていきます。
地域が「守る人」になる
行政だけで3,000基を超える施設を文化財として手厚く保存することは現実的ではありません。だからこそ、灯台のある地域が価値を理解し、活用しながら守る仕組みが重要になります。海と灯台プロジェクトが自治体や民間団体を巻き込んでいるのは、その担い手を増やす試みでもあります。
灯台の記録を残す作業には、専門家でなくても参加できる部分があります。訪問記録の蓄積、古写真の収集、地元の聞き書き、ライトアップ時の観察といった活動は、市民科学の手法とよく似ています。人の手が加わることで海が豊かになるという里海の考え方も、灯台と地域の関係を考えるうえで参考になります。

観光活用は、単に来訪者を増やすための施策ではありません。参観寄附金や地域での消費が灯台の維持や周辺整備に還っていく流れをつくれれば、保存の財源そのものが太くなります。灯台を訪ねること自体が、次の補修工事を支える行為になり得るということです。
一方で、来訪者が増えれば、駐車場や歩道、トイレ、ごみの処理といった受け入れ側の負担も増えます。断崖に近い立地では安全管理も欠かせません。灯台の活用を持続させるには、「訪れる人」「守る人」「働いている施設」の三者のバランスをどう設計するかが問われます。
海の文化遺産として、次の世代へ
灯台は、海運という産業の遺産であり、近代化の記念物であり、地域の景観の中心であり、そしていまも船の安全を守る現役の設備です。ひとつの建物がこれだけ多くの顔を持つ例は多くありません。だからこそ、どの側面から見るかによって「保存」の意味も変わってきます。
重要文化財に指定された5基はもちろん、指定されていない多くの灯台も、その土地の海の歴史を語る手がかりです。参観灯台を訪ねる、灯台記念日や海と灯台ウィークのイベントに参加する、地元の灯台の初点灯年を調べてみる。そうした小さな行動の積み重ねが、次の100年に光を残すことにつながります。

この記事のまとめ
- 海上保安庁が管理する航路標識は総数5,094基、うち灯台は3,096基(令和8年3月31日現在)
- 日本の洋式灯台は幕末の江戸条約8基・大坂条約5基=13基の「条約灯台」から始まった
- 現存・現役で最古の洋式石造灯台は神子元島灯台(明治3年竣工)
- 2006年12月5日の女島灯台無人化により、日本の灯台守の歴史は幕を閉じた
- 2020年に現役灯台4基、2022年に出雲日御碕灯台が国の重要文化財に指定された
- 通年で内部を参観できる「のぼれる灯台」は全国16基
- 恋する灯台・海と灯台ウィーク・灯台利活用モデル事業により、灯台の観光資源化が進んでいる
参考文献・出典
- 海上保安庁 – 航路標識の種類と基数(令和8年3月31日現在)
- 海上保安庁 – 全国の参観できる灯台等(参観灯台16基の一覧)
- 文化庁 – 近代の文化遺産の保存と活用|灯台の保存と活用
- 文化庁 文化遺産オンライン – 犬吠埼灯台(重要文化財・建造物)
- 文化庁 – 神子元島燈台(近代の文化遺産の保存と活用)
- 文化庁 文化遺産オンライン – 角島灯台(重要文化財・建造物)
- 日本財団 – 日本財団と海上保安庁が、11月1日〜8日を「海と灯台ウィーク」に設定
- 海と灯台プロジェクト(日本財団) – 2025年度 新たな灯台利活用モデル事業・海と灯台利活用チャレンジ事業
- 海と日本PROJECT(日本財団) – 恋する灯台プロジェクトの取り組み
- 公益社団法人 燈光会 – あなたが選ぶ日本の灯台50選
- 海上保安庁 第七管区海上保安本部 長崎海上保安部 – 女島灯台無人化について
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