「自然は手つかずのままがいちばん豊か」――多くの人がそう信じています。ところが日本の沿岸には、人が積極的に手を入れることでかえって生きものが増え、多様性が高まってきた海があります。それを表すのが「里海(さとうみ)」という言葉です。陸の「里山」に対応するこの考え方は、1998年に瀬戸内海を舞台に生まれ、いまでは国際的にも「Satoumi」として知られる日本発の思想になりました。
里海が問いかけるのは、「豊かな海とは何か」というシンプルで奥深いテーマです。汚染を減らしてきれいにするだけでは、海は必ずしも豊かになりません。栄養が足りなければ魚も海藻も育たず、人が関わらなくなれば干潟やアマモ場は静かに消えていきます。海の恵みを次の世代につなぐには、人と海のちょうどよい関係を設計し直す必要がある――里海はそう教えてくれます。
この記事では、里海という言葉の意味と成り立ちから、里山との共通点、瀬戸内海が経験した「汚れた海」から「きれいすぎる海」への変化、そして栄養塩バランスの管理やアマモ場の再生といった具体的な取り組みまでを、環境省や水産庁などの一次情報にもとづいて丁寧にたどります。
この記事で学べること
- 「里海」が手つかずの自然ではなく、人手が加わって豊かになった海を指すこと
- 里山と里海が「二次的自然」という同じ思想でつながっていること
- 瀬戸内海が汚れた海から一転、栄養不足の「きれいすぎる海」になった歴史
- 栄養塩バランスを管理する栄養塩類管理制度のしくみと目的
- 日生町のアマモ場再生など、住民が主役になる里海づくりの実際
- ブルーカーボンや担い手育成につながる持続可能な沿岸利用の考え方
里海とは何か――人の手が海を豊かにするという逆説
里海(さとうみ)とは、沿岸の海のうち、人の手が加わることで生物の生産性と多様性が高まった海域のことを指します。「人が関わるほど自然が壊れる」という一般的なイメージとは正反対で、適切に関わることでこそ海が豊かになる、という発想が核心にあります。手つかずの原生的な自然ではなく、人と海が長く付き合ってきた結果として保たれてきた豊かさに光を当てるのが、里海という言葉の特徴です。
1998年、瀬戸内海から生まれた言葉
里海という概念は、1998年に九州大学の海洋物理学者・柳哲雄(やなぎ・てつお)氏によって提唱されました。柳氏は里海を「人手が加わることにより生物生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域」と定義しました。長く瀬戸内海の環境を研究してきた柳氏が、汚染対策だけでは取り戻せない海の豊かさを説明するために生み出した言葉であり、その舞台が瀬戸内海だったことは象徴的です。
この言葉は日本国内にとどまらず、海外でも「Satoumi」「Sato-umi」とローマ字のまま紹介されるようになりました。翻訳しづらい独特の思想を含むため、あえて日本語のまま使われることが多く、瀬戸内海生まれの日本発の概念として国際的にも認知が広がっています。欧米の自然保護がしばしば『人の手を排した原生の自然を守る』ことを理想としてきたのに対し、里海は『人が関わることで保たれる自然』を積極的に評価します。人と自然を対立させるのではなく共生の相手として捉えるこの視点は、人口減少や高齢化に直面する多くの国にとっても、示唆に富む考え方として関心を集めています。

環境省による里海の定義
行政の場でも里海は明確に位置づけられています。環境省は里海を「人間の手で陸域と沿岸域が一体的・総合的に管理されることにより、物質循環機能が適切に維持され、高い生産性と生物多様性の保全が図られるとともに、人々の暮らしや伝統文化と深く関わり、人と自然が共生する沿岸海域」と定義しています。ここで重要なのは、海だけを見るのではなく、川でつながる陸と海をひとつのまとまりとして管理するという視点です。
つまり里海は、単なる自然保護のスローガンではなく、物質循環・生態系・人の暮らしを同時に成り立たせるための具体的な管理の考え方なのです。海の生きものを守ることは、同時に日本の海の生物多様性を支えることにもつながります。
里海づくりを支える3つの要素
環境省は、里海づくりを構成する要素を整理しています。保全・再生の対象となるのは次の3つで、それを支える「場」と「主体」があってはじめて里海は成り立ちます。
- 物質循環:窒素やリンなどの栄養が、陸から海へ、そして生きものの間を過不足なくめぐること
- 生態系:干潟・藻場・砂浜など多様な生息場所と、そこに暮らす生きもののつながりが保たれること
- ふれあい:漁業・レジャー・環境学習など、人が海と関わり続ける文化があること
この3つは、どれか一つだけを追いかけてもうまくいきません。栄養(物質循環)が整っても、産卵場となる干潟や藻場(生態系)が失われていれば魚は増えませんし、いくら環境が整っても、海に関わる人(ふれあい)がいなくなれば管理そのものが続かなくなります。物質循環・生態系・ふれあいが互いに支え合ってはじめて、里海は成り立つのです。そしてこの3要素を実際に動かすのが、活動の舞台となる「場」と、活動を担う「主体」――漁業者・住民・行政・研究者・企業といった人々です。
いま里海が注目される理由
里海がふたたび脚光を浴びているのには、いくつかの背景があります。第一に、汚染を減らすだけの環境対策では取り戻せない海の変化――後の章で詳しく見る貧栄養化――が現実の問題として表面化したこと。第二に、藻場や干潟が二酸化炭素を蓄える「ブルーカーボン」として気候変動対策の文脈で見直されていること。そして第三に、漁業者の高齢化と減少によって、海に手を入れる担い手そのものが失われかねないという危機感です。里海は、こうした複数の課題を一つの枠組みで捉え直すための言葉として、いま改めて必要とされています。
ここがポイント
- 里海=人手が加わって生産性と多様性が高まった沿岸海域
- 1998年に柳哲雄氏が瀬戸内海を背景に提唱した日本発の概念
- 陸と海を一体で管理し、物質循環・生態系・ふれあいを両立させる
里山と里海――「二次的自然」という共通の思想
里海を理解するいちばんの近道は、陸の「里山」と並べて考えることです。実際、里海は「里山の海版」として説明されることが多く、両者は同じ思想を陸と海で表現したものだといえます。人が適度に手を入れることで保たれてきた自然、という共通点が両者を貫いています。
里山とは何か
環境省は里地里山を「都市域と原生的自然との中間に位置し、様々な人間の働きかけを通じて環境が形成されてきた地域」と定義し、集落を取りまく雑木林(二次林)と、農地・ため池・草原などが入り混じった地域概念としています。薪や炭のために木を伐り、落ち葉を集め、田畑を耕す――そうした人の営みが、明るい林床やモザイク状の環境を生み、多様な生きもののすみかを支えてきました。
その広がりは意外なほど大きく、里山を構成する二次林は約800万ヘクタール、農地などの里地は約700万ヘクタールに及び、両者を合わせると国土のおよそ4割を占めます。日本の生物多様性の多くが、この人の手が入った自然に支えられているのです。里山を彩るカタクリやギフチョウ、メダカやトンボといった身近な生きものの多くは、実は人の営みがつくり出した明るい環境に適応してきた種であり、人が手を引けば真っ先に姿を消してしまう存在でもあります。
ところが戦後、暮らしが薪や炭からガスや電気へと移り、農業のかたちも変わると、里山に手を入れる必要が薄れていきました。放置された林は暗く茂り、竹が広がり、里山ならではの明るい環境を好む生きものが減っていきます。皮肉なことに、『使われなくなること』が里山の危機を招いたのです。同じ構図は海でも起きており、漁業の担い手が減れば、里海もまた静かに痩せていきます。里山の歩みは、里海の未来を映す鏡でもあります。

里山と里海の対応関係
里山と里海は、キーワードをそろえて並べると対応関係がよく見えてきます。次の表は、両者の考え方を対比したものです。
| 観点 | 里山(陸) | 里海(海) |
|---|---|---|
| 主な場 | 雑木林・農地・ため池・草原 | 干潟・藻場・砂浜・浅い内湾 |
| 人の働きかけ | 伐採・下草刈り・農作業 | 漁労・海底耕耘・藻場再生・清掃 |
| 失われる原因 | 管理放棄・過疎・高齢化 | 汚染・埋め立て・管理放棄・過疎 |
| 共通する思想 | 人が関わることで保たれる二次的自然 | 人が関わることで豊かになる二次的自然 |
石川県の「能登の里山里海」は、里山と里海が一体で受け継がれてきた景観として、2011年に日本で初めて世界農業遺産(GIAHS)に認定されました。山と海が近く、両者を行き来しながら暮らしてきた日本ならではの自然観が、国際的にも評価された例だといえます。田畑や山を手入れしながら、目の前の海でも漁をし、藻場を守る――こうした陸と海をまたぐ暮らしの総体こそが、里山里海という言葉に込められた豊かさです。
陸と海は川でつながっている
里山と里海は別々のものではなく、川によって一本につながっています。「森は海の恋人」という言葉があるように、森が育んだ栄養は川を通じて海へ運ばれ、プランクトンや海藻を育てます。逆に、山の手入れが行き届かなくなったり、川がコンクリートで固められたりすれば、海に届く栄養や土砂のバランスも変わってしまいます。里海が「陸域と沿岸域を一体で管理する」ことを重視するのは、まさにこの流域全体のつながりを見据えているからです。海の問題は、しばしば陸の問題でもあります。
「手を入れない」ことのリスク
里山でも里海でも、近年の共通課題は人の関わりが減ることです。里山では手入れをやめた林が荒れ、竹が侵入し、かつて明るかった林床が暗くなって、そこに暮らしていた生きものが姿を消します。里海でも同じように、漁業者の高齢化や減少によって藻場や干潟の管理が行き届かなくなり、静かに生態系が痩せていきます。守るために放っておく、という発想が通用しない自然があること――これこそ、里山・里海という考え方が私たちに投げかける最大のメッセージです。豊かさは、関わり続ける手間の中でこそ保たれます。
二次的自然という考え方
原生林や手つかずの海だけが価値をもつのではなく、人と自然が長く関わり合ってつくられた「二次的自然」にも固有の豊かさがある――里山と里海はともに、この考え方の上に立っています。
瀬戸内海はなぜ里海の原点なのか
里海という言葉が瀬戸内海で生まれたのは偶然ではありません。瀬戸内海は、外海との水の出入りが限られた閉鎖性海域の代表格で、人の活動の影響を良くも悪くも受けやすい海です。そのため、汚染と再生の両方をもっとも劇的な形で経験してきました。里海の思想は、この海の苦い歴史から絞り出されたものだといえます。
閉鎖性海域という宿命
瀬戸内海は、本州・四国・九州に囲まれ、いくつもの島が点在する内海です。外海とつながる海峡が狭いため、いったん流れ込んだ物質は外へ出ていきにくく、海水が入れ替わるのに長い時間がかかります。この「閉じている」という性質が、瀬戸内海を二つの意味で特別な海にしました。一つは、人が出した汚れや栄養がたまりやすく、影響が増幅されやすいこと。もう一つは、だからこそ人の関わり方しだいで海の姿が大きく変わる、つまり管理の効果が現れやすいことです。里海という発想が瀬戸内海で育ったのは、この海が人の営みと切り離せない海だったからにほかなりません。
高度経済成長と「瀕死の海」
1960年代の高度経済成長期、瀬戸内海の沿岸には工場が立ち並び、工業排水と生活排水が大量に流れ込みました。栄養が過剰になって赤潮(富栄養化)が頻発し、魚が大量死する被害が相次ぎます。透明度は落ち、海は「瀕死の海」とまで呼ばれました。人が海に負荷をかけすぎた結果、海の恵みそのものが失われかけたのです。

法律による水質改善
この危機に対し、国は法律で対応しました。1973年に「瀬戸内海環境保全臨時措置法」が、1978年にはこれを恒久化した「瀬戸内海環境保全特別措置法(瀬戸内法)」が制定されます。工場ごとの排水規制に加え、海域全体の汚れの総量を減らす「総量削減」の考え方が導入され、窒素やリンの流入が段階的に絞られていきました。
その効果は数字にはっきり表れます。長期的な取り組みの結果、瀬戸内海に流れ込む窒素は最盛期のおよそ半分、リンはおよそ3分の1の水準にまで減少しました。赤潮の発生も大きく減り、海の透明度は回復します。汚染対策としては、まぎれもない成功でした。同時に、大規模な埋め立てによって沿岸の干潟や浅場の多くが失われたことも、この時代の瀬戸内海に刻まれた大きな変化でした。工場用地や港湾のために遠浅の海が次々と埋め立てられ、魚の産卵場や水を浄化する自然のフィルターが姿を消していったのです。

きれいになった、その先で
ところが、きれいになった海で新たな異変が起き始めます。栄養が減りすぎて、今度は魚や海藻が育ちにくくなってきたのです。汚染を減らすことと、海を豊かにすることは同じではない――この気づきこそが、里海という考え方を必要とさせました。次章では、この「きれいすぎる海」の逆説を詳しく見ていきます。
瀬戸内海の歩みは、環境政策そのものの転換点でもありました。長らく日本の海の環境対策は、『いかに汚さないか』という一点に集中してきました。それは公害の時代には正しい処方箋でしたが、汚染がおおむね収まった後の海には、別の物差しが必要になります。どんな海を目指すのか、豊かさとは何を指すのか――瀬戸内海はこの根本的な問いを日本社会に投げかけ、改正瀬戸内法が掲げる『きれいで豊かな海』という新しい理念へとつながっていきました。里海は、その理念を先取りした思想だったともいえます。
瀬戸内海は、かつては瀕死の海と呼ばれ、厳しい排水規制のもとで大きく水質が改善した。しかし今度は栄養の不足が新たな課題となっている。
― 兵庫県資料をもとにした要約
「きれいすぎる海」の逆説――貧栄養化とイカナゴ・ノリ
海の栄養が減りすぎた状態を貧栄養化(ひんえいようか)といいます。かつて富栄養化に苦しんだ瀬戸内海が、いまや貧栄養化に悩むという逆転が起きています。栄養が足りない海は透きとおって美しく見えますが、その水の中では食物連鎖の土台が細り、漁業に深刻な影響が出ています。『きれいな海=豊かな海』という素朴なイメージが、必ずしも正しくないことを、この現象は突きつけます。
ここで大切なのは、富栄養化も貧栄養化も、どちらも『バランスが崩れた状態』だという点です。栄養が多すぎれば赤潮や貧酸素で生きものが死に、少なすぎれば食物連鎖が痩せて魚が育たない。海の豊かさは、栄養がゼロでも過剰でもなく、ちょうどよい範囲に収まっているときに最大になります。里海が『管理』を重んじるのは、この繊細なバランスを人の手で保とうとするからです。汚染をなくせば終わり、ではなく、適正な水準を探り続けることが求められています。
食物連鎖の土台が痩せる
海の栄養(窒素・リンなど)は、まず植物プランクトンの増殖を支えます。植物プランクトンを動物プランクトンが食べ、それを小魚が食べ、さらに大きな魚へとつながっていきます。栄養が減ると、この連鎖の一番下が細り、上に位置する魚まで痩せていきます。栄養塩は「多すぎても少なすぎてもいけない」バランスの問題なのです。

イカナゴの激減
貧栄養化の象徴とされるのが、瀬戸内海東部のイカナゴです。春を告げる「くぎ煮」の材料として親しまれてきた魚ですが、その漁獲量は劇的に落ち込みました。2016年までは年間1万トン以上を保っていた東部の漁獲量が、2017年には前年のおよそ1割にまで急減し、その後も回復せず、近年は2千トンを下回る低水準が続いています。
原因として、栄養塩の減少で餌となる動物プランクトンが減り、イカナゴの成長や産卵に影響した可能性が指摘されてきました。一方で、広島大学の研究では、環境の変化によってイカナゴが他の魚に食べられやすくなったことが減少の一因だとする成果も示されており、要因は一つではありません。いずれにせよ、栄養バランスの崩れや環境変化が漁業資源に及ぼす影響の深刻さを示す象徴的な出来事でした。海の変化は海水温の上昇と漁業の問題とも複雑に絡み合っており、単純な因果では説明できない難しさがあります。
イカナゴは夏の高水温期に砂の中にもぐって過ごす「夏眠(かみん)」という珍しい習性をもち、産卵場となる良質な砂地を必要とします。栄養不足で餌が減るだけでなく、砂の採取や海底環境の変化によって産卵場が痩せたことも、資源の回復を難しくしている要因と考えられています。一つの魚の激減の背後には、餌・産卵場・水温・捕食といった複数の要素が折り重なっているのです。
ノリの「色落ち」
もう一つの代表的な被害が、養殖ノリの「色落ち」です。ノリは海水中の溶存無機態窒素(DIN)を吸収して黒く濃い色に育ちますが、窒素が不足すると色が抜けて赤茶けたようになり、味も品質も価格も大きく下がってしまいます。瀬戸内海東部では1990年代後半から、この色落ちによる被害が繰り返し起きるようになりました。ノリの養殖は瀬戸内海沿岸の重要な産業であり、色落ちは漁家の経営を直撃します。海が『きれいになりすぎた』ことが、そのまま生活の問題として現れているのです。
兵庫県などの調査によれば、栄養の指標となる無機態窒素の濃度は、ノリの生育に必要とされる水準を下回る海域も出てきました。いったん下がった栄養濃度を回復させるのは容易ではなく、下水処理場の運転を工夫しても、目標の水準に届かない状況が続いている海域もあります。『減らす』のは制度と技術で実現できても、『適切な水準に戻す』のははるかに難しい――この非対称性が、貧栄養化という課題の厄介さを物語っています。
| 時期 | 瀬戸内海の状態 | 主な課題 |
|---|---|---|
| 1960〜70年代 | 富栄養化(栄養過剰) | 赤潮の頻発、魚の大量死 |
| 1980〜90年代 | 水質改善が進む | 総量削減で栄養が減少へ |
| 2000年代以降 | 貧栄養化(栄養不足) | ノリの色落ち、イカナゴの激減 |
見落とされがちな逆説
「海はきれいなほどよい」とは限りません。栄養が不足しすぎた海では、魚も海藻も育たなくなります。求められているのは、汚さないことと痩せさせないことを両立させる、栄養の適切な管理です。
栄養塩バランスを管理する――改正瀬戸内法と栄養塩類管理制度
貧栄養化という新しい課題に対して、日本は法律の考え方そのものを転換しました。汚れを「減らす(規制)」だけでなく、栄養を適切な水準に「保つ(管理)」へと軸足を移したのです。その象徴が、2021年の瀬戸内法の改正です。
2021年改正・2022年施行の瀬戸内法
改正された瀬戸内海環境保全特別措置法は、2021年6月9日に公布され、2022年4月1日に施行されました。この改正の目玉が「栄養塩類管理制度」です。それまでは栄養を減らす方向一辺倒だった法律に、地域によっては栄養を適切に供給できるしくみが加わりました。法律の基調が「規制」から「規制+管理」へと大きく踏み出した転換点です。

制度のしくみ
栄養塩類管理制度では、都道府県知事が「栄養塩類管理計画」を策定できます。海の環境保全と調和する範囲で、特定の海域に栄養塩を供給できるようにするもので、海域や季節ごとにきめ細かく栄養を管理する点に特徴があります。たとえば、ノリの養殖が盛んな冬場に、特定の内湾で窒素をやや高めに保つ、といった運用が可能になります。
- 都道府県が対象海域と目標とする栄養塩の水準を定める
- 下水処理場の運転などを通じて、季節に応じて栄養の供給量を調整する
- 海の状態をモニタリングし、赤潮などの悪影響が出ないよう管理を続ける
現場での工夫――季節別運転
この制度を先取りしてきたのが兵庫県です。県内の下水処理場や工場では、処理水に含まれる窒素の量を季節によって変える「季節別運転」に取り組んできました。ノリ養殖や魚の生育に栄養が必要な時期には、あえて窒素を抜きすぎずに放流し、海に栄養を届ける工夫です。汚水処理施設が「海に栄養を送る装置」としての役割も担うという発想の転換がここにあります。
ただし、栄養を増やす管理は簡単ではありません。窒素をやや高めに保とうとしても、いったん下がった濃度を回復させるのは難しく、赤潮を招かないよう慎重なさじ加減が求められます。栄養塩の管理は、汚染を減らす以上に繊細な科学とモニタリングを必要とする作業なのです。
順応的管理という考え方
栄養塩の管理で欠かせないのが、「順応的管理(じゅんのうてきかんり)」という進め方です。あらかじめ完璧な正解を決めて実行するのではなく、栄養を少し供給しては海の反応を観測し、その結果を見て次の運転を微調整していく――このように、実行と観測と修正をくり返しながら最適解に近づいていく方法です。海は生きものと物理・化学が複雑に絡み合う系であり、一度の判断で答えが出るものではありません。だからこそ、水質や生物のデータを取り続けるモニタリングが制度の生命線になります。
水産庁も、瀬戸内海における栄養塩の動態を把握し、ノリ養殖などに必要な栄養を管理するための研究に取り組んでいます。どの海域で、いつ、どれだけの栄養が不足しているのかを科学的に明らかにしなければ、適切な供給はできません。栄養塩類管理制度は、行政・研究機関・漁業者がデータを共有しながら海を運転していく、いわば『海の共同管理』のしくみだといえます。過剰でも不足でもない、ちょうどよい水準を探り続けることが、里海の水づくりの核心です。
規制から管理へ
- 改正瀬戸内法は2021年公布・2022年4月施行
- 知事が海域・季節ごとの栄養塩類管理計画を策定できる
- 下水処理の季節別運転などで栄養を「保つ」方向へ舵を切った
アマモ場を取り戻す――日生町の里海づくり
栄養バランスの管理が「海の水」への働きかけだとすれば、もう一つの柱は「海の場所」を取り戻すことです。その代表が、魚の産卵場やすみかとなるアマモ場(海草の草原)の再生です。里海づくりのお手本としてよく知られるのが、岡山県備前市の日生(ひなせ)町の取り組みです。
アマモ場という「海のゆりかご」
アマモは、浅い海の砂地に生える種子植物(海草)です。その群落は小魚や稚魚、エビ・カニなどの隠れ家や産卵場となり、「海のゆりかご」と呼ばれます。さらにアマモ場は水中の栄養を吸収して水質を浄化し、波をやわらげて海岸の浸食を抑え、光合成によって二酸化炭素を固定します。まさに里海の機能が凝縮した場所であり、アマモ場(海草藻場)の再生は各地で重要なテーマになっています。

590ヘクタールから12ヘクタールへ
日生のアマモ場は、かつて豊かでした。1950年頃には約590ヘクタール(東京ドーム100個分以上)に広がっていたとされます。ところが埋め立てや水質悪化などが重なり、1980年にはわずか12ヘクタールにまで激減してしまいました。アマモ場の消失とともに漁獲も落ち込み、地元の漁師たちは強い危機感を抱きます。
漁師たちが始めた種まき
1985年頃から、日生町漁協の漁師たちはアマモの種をまく地道な再生活動を始めました。当初は思うように定着せず、まいた種が波に流されたり、濁った水で芽が育たなかったりと、試行錯誤の連続でした。転機になったのは、「牡蠣の殻が積もった海底の周りは濁りが少なくアマモが育つ」という現場ならではの発見です。カキ養殖とアマモ再生を組み合わせる工夫によって、5年ほどでアマモ場は約70ヘクタールまで回復しました。カキ殻という漁業の副産物を海の再生に生かす――科学の理屈より先に、日々海を見てきた漁師の観察眼が突破口をひらいた、まさに里海らしい知恵です。
この再生が一度きりの成功で終わらなかった点も重要です。アマモは多年草とはいえ、放っておけば環境の変化で減ってしまうため、種を採り、選別し、まき続ける作業を毎年くり返す必要があります。日生の人々は、花をつけたアマモの株を集めて種を取り出し、翌シーズンにまくというサイクルを地道に回してきました。里海づくりは一大イベントではなく、こうした『続けること』の集積なのだと、この取り組みは教えてくれます。
| 年 | アマモ場の面積 | できごと |
|---|---|---|
| 1950年頃 | 約590ha | アマモ場が最も豊かだった時代 |
| 1980年 | 約12ha | 埋め立て・水質悪化で激減 |
| 1985年頃〜 | 再生開始 | 漁師による種まき活動が始まる |
| 2007年 | 約80ha | カキ殻を生かす工夫で回復が加速 |
| 2015年 | 約250ha | 住民・行政・学校の協働で拡大 |
中学生が受け継ぐ
再生活動は着実に実を結び、アマモ場は2007年に約80ヘクタール、2011年に約200ヘクタール、2015年には約250ヘクタールまで回復しました。一方で漁師の高齢化が進み、人手不足が課題になります。そこで地元の日生中学校の生徒たちが、授業の一環としてアマモの種まきや育成に取り組むようになりました。生徒たちは種を採る作業から関わり、2016年に開かれた全国アマモサミットでは、演劇でこの取り組みを発表するまでになりました。海の再生を次の世代へ手渡す――里海づくりが目指す「担い手の継承」が、ここで確かな形になっています。
日生の里海づくりは、アマモ場の再生だけにとどまりません。海面の使い方についてのルールづくり、カキ養殖とアマモ場を舞台にした子ども向けの環境学習など、漁師・市民・子どもが協働する仕組みが幾重にも組み合わさっています。海を『守る対象』としてだけでなく、『みんなで使い、育てる場所』として捉え直したことが、この町の取り組みを持続的なものにしています。里海とは、生態系の再生であると同時に、地域社会の再生でもあるのです。
アマモ場の再生は、漁師だけでなく、市民や子どもたちの協働によって進められてきた。
― 岡山県日生町の里海づくりの取り組みより
日生町が示したこと
- アマモ場は590haから12haへ激減した後、住民主導で約250haまで回復
- カキ殻を活用するなど、漁業と再生を結びつける現場の知恵
- 中学生が授業で参加し、海の再生を次世代へつないでいる
里海がひらく持続可能な沿岸利用
里海は、栄養管理やアマモ場再生といった個別の取り組みにとどまりません。海の恵みを使いながら守り、次の世代へ受け渡していく――そんな持続可能な沿岸利用の全体像を描く考え方でもあります。ここでは、里海がひらく可能性を三つの視点から見ていきます。
ブルーカーボンという追い風
近年、里海の価値をさらに高めているのがブルーカーボン生態系への注目です。ブルーカーボンとは、アマモ場や干潟、海藻の森などの海の生態系が吸収・貯留する炭素のこと。里海づくりで藻場や干潟を再生することは、生きものを増やすだけでなく、気候変動の緩和にも貢献します。海を豊かにする活動が、そのまま脱炭素の取り組みにもなる――里海は環境と経済をつなぐ結節点になりつつあります。

干潟・浅場という多機能な現場
アマモ場と並んで里海の要となるのが、干潟や浅場です。干潟の保全は、水質浄化・生物多様性・漁業・野鳥の飛来地など、いくつもの機能を同時に支えます。干潟に暮らすアサリやゴカイ、無数の微生物は、海水中の有機物や栄養を取り込んで分解する『天然の浄化装置』であり、渡り鳥にとってはかけがえのない餌場でもあります。埋め立てや護岸の整備によって、瀬戸内海をはじめ各地で藻場や干潟といった浅場は大きく失われてきました。これらを取り戻すことは、里海づくりの中心的な現場であり続けています。
こうした藻場や干潟が生み出す水質浄化・防災・漁業・レジャーといった恵みは、まとめて「生態系サービス」と呼ばれます。ふだんは値段のつかないこれらの恵みを、もし人工の施設で置き換えようとすれば莫大な費用がかかります。里海を守ることは、自然が無償で提供してくれているこの大きな価値を守ることでもあります。海を豊かにする活動が、防災や食料、観光といった私たちの暮らしの土台を支えている――そう捉えると、里海づくりは一部の関係者だけの問題ではないことが見えてきます。
担い手をどう育てるか
里海が直面する最大の課題は、実は生態系そのものよりも「人」にあります。漁業者の高齢化と減少が進めば、海に手を入れる担い手そのものが失われてしまうからです。だからこそ、日生町のように学校教育と結びつけたり、市民ボランティアや企業と連携したりして、多様な人が海に関わる裾野を広げる工夫が欠かせません。海の恵みを取り戻した三陸の水産業の再生のように、地域ぐるみで海と関わり続けることが、里海を支える力になります。
- 漁業者:日々の漁労を通じて海の状態を最もよく知る担い手
- 行政・研究機関:計画づくりやモニタリング、科学的な裏づけを担う
- 市民・学校・企業:清掃・植え付け・環境学習で裾野を広げる
- 消費者:里海の産品を選んで買うことで、経済面から取り組みを支える
海の情報を、中立的に受け取る
持続可能な沿岸利用を考えるうえでは、海に関するさまざまな情報を落ち着いて受け取る姿勢も大切です。たとえば福島第一原発のALPS処理水については、放出後も海水や魚のモニタリングが継続的に行われ、その結果が公表されています。科学的な事実と、モニタリングのデータ、そして風評の問題を分けて捉え、断定や決めつけを避けて冷静に理解しようとする態度は、里海のように「人と海の関係」を長く考えていくうえで欠かせないものです。
私たちにできる里海への関わり方
- 近くの海岸清掃やアマモ植え付けなどの活動に参加してみる
- 地元でとれた旬の魚介を選んで、里海の経済を支える
- 海の情報は一次情報(環境省・水産庁など)で確かめる習慣をつける
- 子どもと一緒に干潟や磯で生きものを観察し、海に親しむ
まとめ――人と海のちょうどよい関係を設計する
里海は、「自然は手つかずが一番」という思い込みをやさしく揺さぶります。人が適切に関わることでこそ豊かになる海がある――この発想は、汚染に苦しみ、次いで栄養不足に直面した瀬戸内海の苦い経験から生まれました。汚さないことと痩せさせないことを両立させ、失われた藻場や干潟を取り戻し、その営みを次の世代へつなぐ。里海とは、人と海のちょうどよい距離を設計し直す試みだといえます。
栄養塩類管理制度のような新しいしくみも、日生町のアマモ場再生のような地道な現場も、根底にあるのは同じ問いです。「豊かな海とは何か、そのために私たちはどう関わるべきか」。この問いに一人ひとりが向き合うことが、日本の沿岸を未来へつなぐ第一歩になります。
里海は、遠い海の専門的な話ではありません。食卓にのぼる魚や海苔、休日に訪れる浜辺、子どもが磯で見つける小さな生きもの――そのすべてが里海とつながっています。海に関わる人が増えるほど、海はその手応えに応えて豊かになっていきます。豊かさは、遠ざけることではなく、関わり続けることの中に生まれる。里海という日本発の思想は、自然との付き合い方そのものを、私たちに問い直させてくれます。次に海辺に立つとき、その海が誰かの関わりに支えられていることを、少しだけ思い出してみてください。

この記事のまとめ
- 里海とは、人手が加わることで生産性と生物多様性が高まった沿岸海域のこと
- 1998年に柳哲雄氏が瀬戸内海を背景に提唱した、里山と対をなす日本発の概念
- 瀬戸内海は富栄養化から一転して貧栄養化に直面し、イカナゴ激減やノリ色落ちが起きた
- 2022年施行の栄養塩類管理制度で、栄養を「減らす」から「適切に保つ」へ転換
- 日生町のアマモ場は12haから約250haへ回復し、中学生が担い手を受け継ぐ
- ブルーカーボンや担い手育成を含め、里海は持続可能な沿岸利用の思想でもある
参考文献・出典
- 環境省 里海ネット – 里海とは?/里海Q&A(里海の定義・3要素・実践事例)
- 環境省 – 瀬戸内海環境保全特別措置法の一部を改正する法律について(栄養塩類管理制度)
- 環境省 自然環境局 – 里地里山の保全・活用(里山の定義と面積)
- 水産庁 – 栄養塩類対策に関する研究(瀬戸内海の栄養塩動態とノリ養殖)
- 兵庫県 – 兵庫県栄養塩類管理計画〜豊かで美しい里海を目指して〜
- 日生町漁業協同組合 – アマモ場再生計画(面積の推移と再生の取り組み)
- 笹川平和財団 海洋政策研究所 – Ocean Newsletter『イカナゴの減少と貧栄養化』
- 広島大学 – 研究成果『瀬戸内海のイカナゴが突然減った謎に迫る』
- EICネット – 環境用語集『栄養塩類管理制度』(改正瀬戸内法の解説)
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