3万3629種
日本近海で確認された海洋生物の種数
約14.6%
世界の海洋生物種のうち日本近海に分布する割合
38種
2025年の南海トラフ・海山調査で見つかった新種

四方を海に囲まれた日本。その海が、実は「世界で最も生きものが密集する海」のひとつだと知っていますか。海洋研究開発機構(JAMSTEC)などの解析によると、日本近海には世界の海洋生物種のおよそ14.6%にあたる3万3629種が確認されています。しかもその海域は、全海洋の体積のわずか0.9%にすぎません。狭い海に、世界の7分の1もの多様性が凝縮しているのです。

この豊かさは偶然ではありません。南から暖かい黒潮、北から冷たい親潮が流れ込み、複雑な海底地形と深い海が重なり合う――そんな条件が奇跡的に揃った場所が、日本列島の周りなのです。そして2026年に入っても、南海トラフや太平洋の海山からは次々と新種が見つかり、私たちはまだこの海の全貌を知りません。

この記事では、環境省・JAMSTEC・水産庁など一次情報をもとに、日本の海の生物多様性がなぜこれほど高いのか、それが私たちの食卓や気候をどう支えているのか、そしていま何が起きているのかを、順を追ってひもといていきます。

この記事で学べること

  • 日本近海が「全海洋の0.9%の海水量に世界の海洋生物の約14.6%」という驚異的な密度を持つ理由
  • 暖流・黒潮と寒流・親潮がぶつかる混合域が、なぜ世界有数の好漁場と多様性を生むのか
  • 駿河湾・相模湾・海山に広がる深海が、いまも新種を生み出し続けているフロンティアであること
  • 生物多様性が漁業・水質浄化・ブルーカーボンなど、暮らしをどう支えているか(生態系サービス)
  • 海水温上昇による磯焼け・サンゴの北上・魚の分布変化など、いま日本の海で進む異変
  • 30by30目標など、この豊かさを次世代へ引き継ぐための保全の枠組みと私たちにできること

日本の海はなぜ「生物多様性ホットスポット」なのか

「日本近海は生物多様性のホットスポットである」――これは印象論ではなく、数字に裏づけられた事実です。JAMSTECが京都大学・東京大学などと共同で、1953年以降の膨大な文献を解析した研究(米科学誌PLoS ONEに掲載)によれば、日本の排他的経済水域(EEZ)を含む近海には、バクテリアから哺乳類までを含めて3万3629種の海洋生物が確認されました。これは世界の海に生息するとされる約23万種の、実に14.6%にあたります。

さらに驚くべきは、その「密度」です。日本近海は全海洋の体積のわずか0.9%にすぎません。つまり1%にも満たない海の空間に、世界の海洋生物の7分の1が集まっていることになります。単位面積・単位体積あたりで見れば、日本の海は世界でもトップクラスの多様性を誇るのです。地図の上では小さな島国に見える日本ですが、こと海の生きものに関しては、まぎれもない「大国」なのです。

この研究の意義は、単に種類が多いと示したことだけではありません。1953年以降の文献を丹念に洗い出して初めて、日本近海の全体像がおぼろげに見えてきたという点にあります。裏を返せば、それまで私たちは自分の国の海に何がいるのかを正確に把握していませんでした。そして後述するように、いまも新種は次々と見つかっており、3万3629種という数字すら「わかっている分だけ」の暫定値にすぎないのです。日本の海の本当の多様性は、これよりさらに大きいと考えられています。

日本近海の海洋生物種数の内訳を示すフラット図解
日本近海の3万3629種は軟体動物や甲殻類が特に多い(イメージ図)

どんな生きものが多いのか

確認された3万3629種のうち、最も多いのはタコ・イカ・貝などの軟体動物で8658種。次いでカニ・エビなどの甲殻類が6232種と続きます。魚類も豊富で、日本は他の水産国と比べても際立って魚種が多い国です。頭のよさで知られるタコやイカも日本の海の主役のひとつで、その知性については頭足類の知能に関する記事でも詳しく紹介しています。

分類群確認種数(日本近海)代表的な生きもの
軟体動物約8,658種タコ、イカ、二枚貝、巻貝
甲殻類約6,232種カニ、エビ、ヤドカリ
魚類多数(世界有数)マグロ、サンマ、深海魚
海棲哺乳類約50種クジラ、イルカ、アザラシ
合計(全分類群)33,629種バクテリアから哺乳類まで
日本近海で確認された主な分類群と種数(JAMSTEC等の解析より)

哺乳類も見逃せません。世界に生息する海棲哺乳類127種のうち、クジラ・イルカ類、アザラシ・アシカ類、ラッコなど約50種が日本近海で確認されています。世界の海棲哺乳類のおよそ4割が、日本の海を訪れたり暮らしたりしているのです。壮大な回遊を続けるクジラたちの生態はクジラの回遊の謎の記事でも掘り下げています。

軟体動物や甲殻類が上位を占めるのは、これらのグループがもともと種数が多いことに加え、日本の海が浅瀬から深海まで、砂地・岩礁・泥地・サンゴ礁と、実に多彩な「すみか」を提供しているからです。生きものは環境の数だけ多様化します。入り組んだリアス海岸、干潟、藻場、深い湾、沖合の海山――こうした環境の豊かさが、そのまま生きものの豊かさに直結しているのです。多様性とは、環境の多様性の写し鏡でもあります。

ここがポイント

  • 日本近海は全海洋の0.9%の海水量に世界の海洋生物種の約14.6%(3万3629種)が集中
  • 軟体動物・甲殻類が特に多く、海棲哺乳類も世界の約4割が生息
  • 「面積のわりに種類が多い」=生物多様性ホットスポットの典型

黒潮と親潮 ― 二つの海流が生む奇跡の交差点

なぜ日本の海はこれほど多様なのか。その最大の理由が、性質のまったく異なる二つの海流――暖流の黒潮と寒流の親潮――が日本列島の東で出会うことにあります。海流のしくみそのものについては海水温と海流の記事もあわせて読むと理解が深まります。

南から来る黒潮 ― 熱帯の多様性の入り口

黒潮は、フィリピン近海から日本の南岸を北上する世界有数の暖流です。この黒潮・亜熱帯海域は、世界で最も生物多様性が高いとされる東南アジアの「コーラル・トライアングル(サンゴの三角地帯)」とつながっています。つまり黒潮は、熱帯の豊かな生きものたちを日本の海へと運ぶ「多様性のハイウェイ」の役割を果たしているのです。透明度の高い暖かい海水は、サンゴや南方系の魚を日本の南の海に運びます。

黒潮のもうひとつの重要な働きが、卵や稚魚の「輸送」です。南の海で生まれた生きものの卵や幼生は、黒潮に乗って日本各地の沿岸へと運ばれ、そこに新たな個体群を築きます。魚だけでなく、サンゴの幼生(プラヌラ)やウミガメの子どもたちも、この巨大な流れを利用して分布を広げてきました。黒潮は日本の海の多様性を「更新し続ける」ベルトコンベアのような存在なのです。

北から来る親潮 ― 栄養を運ぶ「親の潮」

一方の親潮は、オホーツク海・北太平洋から南下する冷たい海流です。その名は「魚を育てる親のような潮」に由来するといわれ、栄養塩(プランクトンの栄養)を豊富に含むことで知られます。冷たく栄養に富んだ海水は植物プランクトンを大量に育て、それを食べる動物プランクトン、小魚、大型魚へと連なる食物連鎖の土台をつくります。海の一次生産を担うプランクトンの働きは植物プランクトンの記事で詳しく解説しています。

興味深いのは、黒潮と親潮が「多様性」への貢献の仕方が対照的なことです。黒潮は透明度が高く栄養は少ないものの、熱帯からたくさんの「種類」を運び込みます。対する親潮は種類こそ限られますが、圧倒的な栄養で生きものの「量」を増やします。質(多様さ)を運ぶ黒潮と、量(豊かさ)を生む親潮。この二つが日本の東で出会うことで、種類も量も兼ね備えた稀有な海が完成するのです。まさに二つの潮の合作といえるでしょう。

黒潮と親潮が日本の東で交わり混合域をつくる流れの模式図
暖流・黒潮と寒流・親潮が交わる「混合域」は世界有数の好漁場になる

二つが交わる「混合域」の豊かさ

黒潮と親潮がぶつかる日本の東沖合は「混合域(潮境)」と呼ばれます。ここでは暖かい海を好む魚と冷たい海を好む魚が入り混じり、暖流系・寒流系の生きものが同居する、地球上でもまれな海域が生まれます。栄養豊富な親潮と、多様な生きものを運ぶ黒潮が重なることで、混合域は世界有数の好漁場となりました。サンマ、カツオ、マグロ、サバ、イワシといった日本の食卓を支える魚たちの多くが、この潮境の恵みです。

潮境で漁業が栄えるのには、はっきりした理由があります。性質の違う二つの水塊が接する場所では、海水がかき混ぜられて深いところの栄養が表層へ湧き上がり、植物プランクトンが爆発的に増えます。それを追って動物プランクトン、小魚、大型の回遊魚が集まる――こうして食物連鎖の全段階が一か所に凝縮するのです。世界の主要漁場の多くが、こうした暖流と寒流の境目や湧昇域に位置しているのは偶然ではありません。日本はその代表格を、自国のすぐ沖に持っているのです。

黒潮と親潮がぶつかる日本の東沖合は混合域と呼ばれ、暖水を好む魚と冷水を好む魚が混在し、多様な生物が生息する世界有数の好漁場となっている。

― 環境省 海洋生物多様性保全戦略

海流の豆知識

「黒潮」の名は、栄養塩が少なく透明度が高いため光をあまり反射せず、濃い藍色(黒っぽく)に見えることに由来します。逆に「親潮」は栄養に富みプランクトンが多いため緑がかって見えます。海の色は、そこに生きる小さな生命の量を映す鏡でもあるのです。

日本にしかいない ― 固有種と手つかずの海

多様性の高さは「種数」だけでは語れません。日本の海には、ここでしか見られない固有種が数多く暮らしています。周囲を海で隔てられ、南北に長く伸び、暖流と寒流、浅瀬から深海まで環境が多彩な日本列島は、生きものが独自に進化する舞台として理想的でした。国立科学博物館も、日本を独自性の強い生物が集まる「生物多様性ホットスポット」と位置づけています。

南北3000kmが生む多様な環境

日本列島は亜寒帯から亜熱帯まで、南北におよそ3000kmにわたって伸びています。北海道の流氷の海から、沖縄のサンゴ礁の海まで、まったく異なる気候帯の海が一つの国に共存しているのです。この環境の幅広さが、それぞれの海に適応した多様な生きもの――そして固有種――を生み出してきました。サンゴ礁で暮らすクマノミとイソギンチャクのような密接な関係はクマノミとイソギンチャクの共生の記事でも紹介しています。

固有種が生まれるのは、地理的に「隔てられる」ことが鍵になります。周囲を海に囲まれた島国では、外の集団と交わりにくくなり、その土地の環境に合わせて独自の進化が進みます。日本には陸海あわせて確認されているだけで9万種を超える生きものが暮らすとされ、そのなかには他の国では決して見られない種が数多く含まれます。国立科学博物館はこうした独自性の高さから、日本を世界的な「生物多様性ホットスポット」の一つに数えています。海の固有種は、日本という国の自然が長い時間をかけて生み出した、かけがえのない財産なのです。

  • 亜寒帯の海(北海道周辺):流氷、コンブの森、冷水性の魚介
  • 温帯の海(本州沿岸):黒潮・親潮の交わる混合域、多様な回遊魚
  • 亜熱帯の海(南西諸島):サンゴ礁、色鮮やかな魚、南方系の生きもの
  • 深海(各地の深湾・海溝):光の届かない世界に適応した固有の深海生物
北海道の流氷の海から沖縄のサンゴ礁まで日本列島の海の多様な環境
南北3000kmに広がる日本の海は、気候帯ごとに異なる生きものを育む

いまも見つかり続ける新種

日本の海の多様性は、まだ「調べ尽くされていない」という点でも際立っています。JAMSTECが国際プロジェクト「オーシャン・センサス(Ocean Census)」と共同で行った深海調査では、2025年6月の南海トラフと七曜海山列(東京の南東沖500〜700km)の調査だけで、38種の新種と、新種の可能性が高い28種を発見しました。採集された生物標本は528ロットを超えます。光の届かない深海の暗闇に発光生物が見つかるなど、日本の海は21世紀のいまも「発見のフロンティア」であり続けています。深海の発光現象については生物発光の記事もご覧ください。

1回の調査でこれだけの新種が見つかるという事実は、逆に言えば、私たちがまだ日本の海のごく一部しか見ていないことを物語ります。とくに深海は、宇宙と並んで「地球最後のフロンティア」と呼ばれるほど未知の領域です。海底の面積は膨大で、そこに至るには特殊な調査船や潜水艇が必要なため、これまで人の目が届いた場所はごくわずか。新種の発見が続くということは、日本の海の多様性がまだまだ過小評価されているということでもあるのです。

身近なところにも固有性の高い生きものはいます。世界最大級のカニであるタカアシガニは日本周辺の深海を代表する存在ですし、深海の高い水圧のなかで暮らすメンダコやオオグソクムシなど、日本の深海はユニークな生きものの宝庫です。こうした種の一つひとつが、日本の海が歩んできた進化の歴史を物語る「生きた証人」なのです。彼らを失うことは、二度と取り戻せない自然史の一ページを失うことを意味します。

新種発見の最前線

2025年11月には、沖縄・大東諸島の深海洞窟で光を放つ新種のスナギンチャク(Corallizoanthus aureus)が見つかりました。深海洞窟での生物発光の確認は世界で初めて。ほんの数百キロ沖の海底に、まだ名前すらない生きものが眠っているのです。

深海というフロンティア ― 駿河湾・相模湾・海山

日本の生物多様性を語るうえで欠かせないのが深海です。海に囲まれ、しかも急峻な海底地形を持つ日本には、岸からわずかな距離で深海に達する場所がいくつもあります。深海はまさに、日本の海が世界に誇る「奥行き」です。

日本三大深湾 ― 駿河湾・相模湾・富山湾

とりわけ有名なのが、駿河湾・相模湾・富山湾の「日本三大深湾」です。駿河湾は海岸からわずか2kmほどで水深500mに達し、最深部は水深2500mと日本一の深さを誇ります。ここには世界最大級のカニであるタカアシガニや、ソコダラ、シンカイザメなど、貴重な深海生物が数多く暮らしています。深海の暗く冷たく高圧の世界に、生きものたちがどう適応しているかは深海生物の適応の記事で詳しく解説しています。

相模湾もまた特別な海です。表層には暖かい黒潮系の海水が流れ、水深約250m〜1000m付近には北からの冷たい親潮系の海水が入り込みます。一つの湾のなかに暖流と寒流が層をなして共存するため、相模湾には豊富な栄養がもたらされ、浅海から深海まで層ごとに異なる生きものが暮らす、多様性の宝庫となっています。相模湾は明治時代から海洋生物研究のメッカとして知られ、多くの新種がここで記載されてきた「学術の海」でもあります。

こうした深湾が生きものの宝庫になるのは、深さそのものが多様な「環境の層」を生むからです。太陽の光が届く表層、薄明かりの中層、真っ暗な深層――深さが変われば光・水温・水圧・栄養がすべて変わり、それぞれの層に適応した生きものが暮らします。岸から一気に深海へ落ち込む日本の深湾では、この垂直方向の多様性がとりわけ豊かに表れます。海の豊かさは横に広がるだけでなく、下へ下へと積み重なっているのです。

深湾特徴最深部の目安
駿河湾(静岡)岸から2kmで水深500m、日本一深い湾約2,500m
相模湾(神奈川)黒潮系と親潮系が層をなして共存約1,000m超
富山湾(富山)急な海底谷、深海の幸「白えび」等約1,000m級
日本三大深湾はそれぞれ独自の深海環境を持つ
駿河湾の急峻な海底地形とタカアシガニなどの深海生物
岸のすぐ近くに深海が広がる駿河湾には、タカアシガニなどの深海生物が暮らす

海山 ― 太平洋の海底に立つ「山」

沖合の深海には、海底からそびえる海山(かいざん)が点在します。海山の周りは湧き上がる流れが栄養を運び、生きものが集まる「オアシス」になります。前述の七曜海山列の調査では、これまで調べられていなかった4つの海山から、コシオリエビ類の新種5種を含む多くの新種が見つかりました。南海トラフのメタン湧水域では、過去に1〜6種しか記録がなかった場所で、軟体動物33種を含む合計80種が確認されるなど、深海の多様性は私たちの想像をはるかに超えていました。

太陽に頼らない生態系 ― 化学合成の世界

深海の生きものの多くは、地上の常識が通じない世界に生きています。とくに驚くべきが、南海トラフのようなメタン湧水域や熱水噴出域に広がる「化学合成生態系」です。ここでは太陽の光の代わりに、海底からしみ出すメタンや硫化水素をエネルギー源にする微生物が食物連鎖の土台を担い、それに依存する貝や甲殻類、チューブワームなどが独自の群集をつくります。光合成に頼らない生態系は、生命のあり方そのものへの理解を広げ、地球外生命の探査にも示唆を与える存在として世界的に注目されています。日本の海は、そんな別世界のような生態系の研究拠点でもあるのです。

海底の化学合成生態系に集まる深海のチューブワームや貝の群集
太陽の光の代わりにメタンをエネルギーにする、深海の化学合成生態系

深海の生物多様性を守ることには、実利的な意味もあります。極限環境に適応した深海生物がもつ特殊な酵素やタンパク質は、医薬品や産業技術のヒントになりうる「生物資源」として世界的に注目されています。まだ名前もついていない生きものが、将来の新薬や新素材の鍵を握っているかもしれないのです。深海を理解し守ることは、未来の可能性そのものを守ることでもあります。日本が豊かな深海を持つことは、科学と産業の両面で大きな財産だといえるでしょう。

深海が「フロンティア」である理由

  • 日本は岸のすぐ近くまで深海が迫る、世界でもまれな地形を持つ
  • 駿河湾・相模湾・富山湾など、それぞれ独自の深海生態系がある
  • 海山やメタン湧水域は栄養が集まり、新種の宝庫になっている
  • 深海の大部分は未調査。日本の海はいまも発見の最前線

生物多様性が支える水産 ― 私たちの食卓と海

日本の海の豊かさは、私たちの食卓に直接つながっています。世界有数の魚種の多さは、和食に欠かせない多彩な魚介の供給源であり、日本の食文化そのものを支えてきました。刺身、寿司、焼き魚、煮付け――季節ごとに旬の魚を楽しむ文化は、生物多様性の高い海があってこそ成り立つものです。

多様性がもたらす「魚種の豊かさ」

日本近海に3万3629種もの海洋生物が暮らすという事実は、そのまま「利用できる水産資源の幅広さ」を意味します。マグロやカツオのような回遊魚から、深海のカニやエビ、沿岸の貝や海藻まで、日本人はこの多様性を余さず食文化に取り込んできました。ひとつの魚が不漁でも別の魚で補える――多様性は、水産という営みの「保険」でもあるのです。

この魚種の豊かさは、地域ごとの食文化も育みました。北海道のサケやコンブ、東北のサンマ、北陸の白えびやカニ、瀬戸内のタイやタコ、九州のブリやアジ、沖縄の色鮮やかな魚――土地ごとに旬の魚が異なり、それが郷土料理や食の風景を形づくってきました。日本の食文化の奥深さは、突き詰めれば海の生物多様性の奥深さに支えられているのです。「多様な海」は「多様な食卓」と直結しています。

日本の多様な魚介が並ぶ市場と季節ごとの旬の魚
多彩な魚介は、生物多様性の高い日本の海からの贈り物だ

「水産大国」の現在地

かつて日本は世界一の漁業国でした。1984年には漁業・養殖業生産量が1282万トンに達し、世界第1位の「水産大国」と呼ばれました。しかし近年は資源状況や海洋環境の変化により生産量が減少し、2022年には約391万トン・世界12位となっています。豊かな海を「使い続ける」ためには、資源を守りながら利用する持続可能な管理が不可欠になっています。

日本の漁業・養殖業生産量世界順位
1984年約1,282万トン世界第1位
2022年約391万トン世界第12位
日本の漁業生産量の推移(水産庁等の統計より)

生産量減少の背景には、資源の獲りすぎだけでなく、海水温上昇によるサンマ・スルメイカ・サケなど主要魚種の不漁の長期化があります。海の環境変化が漁業にどう影響しているかは温暖化と漁業の記事で詳しく扱っています。豊かな生物多様性は、こうした変化に対する回復力(レジリエンス)の源でもあり、守ることが将来の水産を守ることに直結します。

ここで大切なのが、多様性と持続可能性のつながりです。特定の魚だけに頼る漁業は、その魚が不漁になれば一気に立ちゆかなくなります。しかし多様な魚種が健全に存在していれば、変化に柔軟に対応でき、資源全体としての安定が保たれます。だからこそ、単に「たくさん獲る」のではなく、資源を将来にわたって使い続けられるよう科学的に管理し、生物多様性そのものを守ることが、水産大国・日本の再生の鍵になります。海の豊かさを守ることと、漁業を守ることは、決して対立しないのです。

世界に目を向けると、水産物の需要は人口増加を背景に伸び続け、養殖業が急速に拡大しています。そのなかで、天然資源を持続可能に管理し、豊かな生物多様性を保つ日本の海の価値はますます高まっています。良質で多様な水産物を安定して供給できる海は、食料安全保障の観点からも国の財産です。日本が世界に率先して資源管理を強化していくことは、自国の食卓を守るだけでなく、世界の海の持続可能性にも貢献する道なのです。

数字で見る日本の水産

日本の周辺海域には全海洋生物の約14%にあたる3万3629種が生息するといわれ、これは他の水産国と比べても際立った魚種の多さを支えています。多様性は、豊かで安定した水産の土台なのです。

目に見えない恵み ― 海の生態系サービス

海が私たちに与えてくれるのは、食べものだけではありません。生物多様性の高い海は、水をきれいにし、気候を調整し、災害から沿岸を守り、心を癒やす――こうした働きをまとめて「生態系サービス」と呼びます。ふだん値札のつかない恵みですが、私たちの暮らしはこれなしには成り立ちません。海は、地球全体の酸素の多くを生み出し、大量のCO₂と熱を吸収して気候を安定させる、巨大な「生命維持装置」でもあるのです。

生態系サービスの4つの種類

  • 供給サービス:魚介類、海藻、医薬品の原料など、海から得られる産物
  • 調整サービス:CO₂の吸収、水質の浄化、気候の緩和、沿岸の保護
  • 文化的サービス:レジャー、観光、教育、精神的な豊かさ
  • 基盤サービス:栄養循環、酸素の生産、生息地の提供など、他を支える基礎

ブルーカーボン ― 海がためこむ炭素

近年とりわけ注目されているのがブルーカーボンです。これは、藻場(海草・海藻)や干潟・塩性湿地といった沿岸・海洋の生態系が光合成でCO₂を取り込み、海底や深海に長期間ためこむ炭素のこと。日本は2024年4月に国連へ報告した温室効果ガスインベントリで、世界で初めて海草藻場・海藻藻場によるCO₂吸収量を算定・報告しました。海の生きものが気候変動対策の担い手になっているのです。ブルーカーボンのしくみはブルーカーボン生態系の記事で詳しく解説しています。

藻場や干潟がCO2を吸収して海底に炭素をためこむブルーカーボンの模式図
藻場や干潟はCO₂を吸収してためこむ「青い炭素の貯金箱」だ

藻場や干潟は、CO₂を吸収するだけでなく、魚の産卵・生育の場となり、水質を浄化し、多様な生きもののすみかになります。まさに生物多様性と気候対策、水産が一体となった恵みです。海の生きものは互いに支え合い、その多様性が高いほど生態系サービスは安定して発揮されます。多様性を守ることは、こうした「目に見えない恵み」を守ることでもあるのです。

なぜ多様性が高いと恵みが安定するのでしょうか。ひとつの生態系を、たくさんの部品でできた機械にたとえてみましょう。部品(=生きものの種類)が多ければ、ひとつが失われても別の種が役割を補い、全体としての働きが保たれます。逆に種類が少ない生態系は、ひとつの異変で一気に機能を失いかねません。これを生態学では「生物多様性が生態系の安定性を高める」と言います。日本の海のように多様性が高いことは、気候変動や環境変化という荒波のなかで、恵みを絶やさないための丈夫な保険にほかならないのです。

文化・観光・そして「学び」の恵み

生態系サービスには、数字にしにくい「文化的サービス」も含まれます。ダイビングやホエールウォッチング、磯遊び、釣り、水族館――多様な生きものがいる海は、レジャーと観光の舞台であり、地域経済を潤す資源です。そして何より、豊かな海は学びと感動の源です。子どもが磯だまりでカニを見つけ、深海生物の不思議に目を輝かせる。その体験が、海を大切に思う次の世代を育てます。生物多様性を守ることは、こうした文化や心の豊かさを未来へ手渡すことでもあるのです。

ここがポイント

  • 海の恵みは食料だけでなく、CO₂吸収・水質浄化・沿岸防護・観光など多岐にわたる
  • 藻場や干潟がためこむ炭素=ブルーカーボンは気候変動対策の鍵
  • 日本は海藻藻場のCO₂吸収を世界で初めて国連に報告
  • 生物多様性が高いほど、これらの生態系サービスは安定して働く

いま日本の海で起きている変化

世界有数のこの海が、いま急速に変わりつつあります。最大の要因は地球温暖化による海水温の上昇です。日本近海は世界平均を上回るペースで水温が上がっている海域もあり、生きものたちの分布や生態が大きく揺らいでいます。長い時間をかけて築かれた繊細なバランスが、わずか数十年で崩れ始めているのです。

魚もサンゴも「北へ」動いている

海水温が上がると、暖かい海を好む生きものが分布を北へと広げます。実際、造礁サンゴの分布北限に近い長崎県の五島・対馬や千葉県館山などで、熱帯性のサンゴが新たに出現し、年に約14kmという速さで北上している例が報告されています。魚や海藻でも同様に、これまでいなかった南方系の種が北の海で見つかるようになりました。生態系の地図そのものが書き換わりつつあるのです。海水温上昇がもたらす酸性化とサンゴへの影響は海洋酸性化とサンゴの記事もご参照ください。

海水温上昇でサンゴや魚の分布が北へ広がる様子を示す日本地図
熱帯性のサンゴは年約14kmの速さで日本の海を北上している

磯焼け ― 海の森が消えていく

分布が北へ動くこと自体は自然な適応ですが、問題はその速さです。生きものが移動できても、それが依存する餌や、卵を産む環境、共生する相手がついてこなければ、生態系のつながりはバラバラにほどけてしまいます。ある魚が北上しても、その魚を狙う漁業や、それを餌にしていた別の生きものは取り残される――こうした「ずれ」が各地で生じ、長年安定していた食物網や漁業のかたちが崩れ始めているのです。

沿岸では「磯焼け」が深刻です。磯焼けとは、海藻が生い茂る藻場が消失し、岩肌がむき出しになる現象。藻場は多くの魚介の産卵・生育の場であり、その消失は生物多様性と漁業の両方に打撃を与えます。北日本を中心に、海水温上昇でウニが一年中活発に活動し、芽吹いた海藻を食べ尽くしてしまうことが一因とされています。海の「森」が失われると、そこに依存していた無数の生きものも行き場を失います。藻場はブルーカーボンの担い手でもあるため、磯焼けはCO₂吸収能力の低下にもつながる、二重三重の損失なのです。

  • 分布の北上:サンゴ・魚・海藻が北へ移動し、在来の生態系が変化
  • 主要魚種の不漁:サンマ・スルメイカ・サケなどの不漁が長期化
  • 磯焼けの拡大:藻場が消え、産卵・生育の場と多様性が失われる
  • サンゴの白化:高水温でサンゴが共生藻を失い白化・死滅するリスク

高水温はサンゴの白化も引き起こします。サンゴは体内に共生する藻類(褐虫藻)から栄養を得ていますが、水温が上がりすぎるとこの共生が壊れ、サンゴは白くなり、やがて死んでしまいます。サンゴと褐虫藻の関係や白化のしくみはサンゴと褐虫藻の共生の記事で詳しく解説しています。

これらの変化は、それぞれ独立して起きているのではなく、鎖のようにつながっています。海水温が上がれば分布が動き、藻場が減り、サンゴが弱り、餌の関係が崩れ、漁業が揺らぐ――ひとつの引き金が連鎖的に生態系全体へ広がっていくのです。そして海洋酸性化やプラスチック汚染といった別のストレスも同時に押し寄せています。だからこそ、温暖化そのものを抑える取り組みと、海の生きものを守る取り組みの両方を、待ったなしで進める必要があります。

見過ごせない変化

海水温の上昇は、遠い将来の話ではなく「いま」進行しています。分布の北上、磯焼け、主要魚種の不漁、サンゴの白化――これらは互いに絡み合い、日本の海の多様性と水産の土台を静かに、しかし確実に揺さぶっています。

この豊かさを未来へ ― 30by30と私たちにできること

世界に誇る日本の海の多様性を、次の世代へどう引き継ぐか。いま国際社会と日本が掲げているのが「30by30(サーティ・バイ・サーティ)」目標です。これは、2030年までに陸と海のそれぞれ少なくとも30%以上を保全しようという世界共通の目標です。

30by30という世界の約束

日本では2020年時点で海の約13.3%が保護地域に設定されており、30%の達成に向けて新たな保護地域の設定や、企業・地域による自然共生サイト(OECM)の登録が進められています。ただ「立ち入り禁止にする」だけでなく、人が海と関わりながら豊かさを保つ「里海」の考え方も日本の強みです。海洋保護区が生物多様性の回復にどう役立つかは海洋保護区の記事で詳しく紹介しています。

海を守ることは、決して「自然のためだけ」の活動ではありません。健全な藻場や漁場は水産資源を豊かにし、CO₂を吸収し、観光や地域の暮らしを支えます。つまり保全は、長い目で見れば人にとっての投資でもあるのです。世界がいっせいに30%という目標に向かうのは、生物多様性の損失が食料・気候・経済のすべてに直結する、人類共通の課題だと認識されたからにほかなりません。世界有数の海を持つ日本の取り組みは、国際的にも大きな意味を持ちます。

2030年までに海の30%を守る30by30目標のイメージ
2030年までに海の30%を守る「30by30」は世界共通の目標だ

回復させる取り組みも進む

守るだけでなく、失われた海を取り戻す試みも各地で進んでいます。磯焼けした海での藻場の再生、白化したサンゴ礁の再生、ブルーカーボンを生かした里海づくりなど、生物多様性を回復させる取り組みです。傷んだサンゴ礁を人の手で再生する挑戦はサンゴ礁再生の記事で紹介しています。こうした活動は、地域の漁業や観光、気候対策とも結びつき、海と人が共に豊かになる道を探っています。増えすぎたウニを獲って商品化し、磯焼け対策と地域経済を両立させる取り組みなど、課題を逆手に取ったユニークな試みも各地で生まれています。

藻場を再生する活動やビーチクリーンに取り組む人々
守るだけでなく取り戻す。人と海が共に豊かになる取り組みが各地で進む

私たちにできること

  1. 知る:日本の海がどれほど豊かで、いま何が起きているかを知る(この記事もその一歩)
  2. 選ぶ:持続可能な漁業でとられた水産物(認証マークなど)を選んで食べる
  3. 減らす:温暖化とプラスチックごみの原因を減らす、日々の小さな選択を積み重ねる
  4. 関わる:地域の海の保全活動や里海づくり、ビーチクリーンに参加してみる

今日からできるアクション

  • 旬の魚・地元の魚を選び、多様な魚介を楽しむ食文化を続ける
  • MSC/ASCなど持続可能性の認証がついた水産物を意識して選ぶ
  • 海のニュースや白書に触れ、変化を「自分ごと」として知る
  • 海岸清掃や保全イベントに一度参加してみる

まとめ ― 世界に誇る「海の国」として

日本の海は、全海洋のわずか0.9%の海水量に世界の海洋生物種の約14.6%――3万3629種――が集まる、まぎれもない世界有数の生物多様性ホットスポットです。黒潮と親潮が交わる混合域、南北3000kmに広がる多彩な環境、そして岸のすぐ近くに口を開ける深海。これらが重なり合って、この奇跡的な豊かさが生まれました。

その多様性は、私たちの食卓を彩り、気候を調整し、暮らしを支えてきました。しかしいま、海水温の上昇による分布の変化や磯焼け、不漁といった異変が進んでいます。世界に誇るこの海を未来へ引き継ぐために、知り、選び、関わる――一人ひとりの行動が問われています。

忘れてはならないのは、私たちが手にしている3万3629種という数字が、あくまで「いまわかっている分」にすぎないことです。深海や海山には、まだ名前のない生きものが無数に眠っています。日本の海は、解き明かすほどに新たな謎を差し出してくれる、尽きることのない自然の図書館です。その一冊一冊を失う前に守り、読み解いていくことこそ、海に囲まれて生きてきた私たちに託された役割ではないでしょうか。この記事が、身近な海の豊かさに目を向ける小さなきっかけになれば幸いです。

この記事のまとめ

  • 日本近海は全海洋の0.9%の海水量に世界の海洋生物種の約14.6%(3万3629種)が集まるホットスポット
  • 暖流・黒潮と寒流・親潮が交わる「混合域」が、世界有数の多様性と好漁場を生む
  • 駿河湾・相模湾・海山など深海はいまも新種が見つかるフロンティア(2025年の調査で新種38種)
  • 生物多様性は水産・水質浄化・ブルーカーボンなど多くの生態系サービスを支える
  • 海水温上昇による分布北上・磯焼け・サンゴ白化が進行中。30by30など保全と回復の取り組みが急務

参考文献・出典

  1. 環境省 – 海洋生物多様性保全戦略(第3章 海洋の生物多様性及び生態系サービス)
  2. 海洋研究開発機構(JAMSTEC) – 日本の豊かな深海生物多様性が明らかに(南海トラフ・七曜海山列の調査、新種38種)
  3. 海洋研究開発機構(JAMSTEC) – 大東諸島の深海洞窟で光輝く新種を発見(Corallizoanthus aureus)
  4. 水産庁 – 令和6年度 水産白書(海洋環境の変化による水産業への影響と対応)
  5. 環境省 – ブルーカーボン(藻場・干潟によるCO₂吸収、国連への報告)
  6. 環境省 – 30by30目標(2030年までに陸と海の30%以上を保全)
  7. 国立科学博物館 – 日本の生物多様性ホットスポットの構造に関する研究(日本固有種リスト)
  8. 気象庁 – 海水温・海流の知識(親潮・黒潮)
  9. 東京大学 – 温暖化でサンゴが北上しているってホント?(分布北上・年約14km)
  10. 静岡県 – 駿河湾の多様な生物(日本一深い湾・深海生物)

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