夏の土用の丑の日、香ばしいタレの匂いに誘われて多くの人が口にするウナギ。その主役であるニホンウナギは、実は国際自然保護連合(IUCN)が「絶滅危惧IB類」に、環境省も同じく「絶滅危惧IB類」に指定した、れっきとした絶滅危惧種である。私たちは、絶滅のおそれがある生きものを毎年当たり前のように食べているのだ。
この矛盾の根っこには、ニホンウナギという魚の特異な生き方がある。日本の川で数年を過ごしたあと、はるか南のマリアナ海嶺まで数千キロを旅して産卵し、その子どもがまた黒潮に乗って日本へ帰ってくる。この壮大な回遊のどこか一か所でも断ち切られれば、資源はたやすく崩れる。そして実際に、産卵からたどり着く稚魚シラスウナギの採捕量は、この60年で95%以上も減ってしまった。
本記事では、産卵回遊の謎、シラスウナギの乱獲と生息地の減少、希望の技術である完全養殖研究、そして「どう食べるか」という持続可能な消費のあり方まで、環境省・水産庁・水産研究・教育機構・大学など一次情報をもとにたどっていく。ウナギをこれからも食べ続けられる未来があるとすれば、その鍵はどこにあるのだろうか。
この記事で学べること
- ニホンウナギがなぜ「絶滅危惧IB類」に指定されたのか——減少率という科学的根拠
- 産卵場マリアナ海嶺まで往復6000km、新月と塩分フロントに導かれる産卵回遊の謎
- シラスウナギの採捕量が60年で95%以上減った背景と、池入れ上限という資源管理の仕組み
- 河口堰やコンクリート護岸が奪ったウナギの「すみか」と、石倉カゴなど再生の試み
- 2010年の世界初・完全養殖から、コスト20分の1へ——人工種苗が食卓に届くまでの壁
- 違法漁獲・無報告流通の実態と、消費者として「どのウナギを選ぶか」という視点
ニホンウナギはいま、どれほど危ういのか
「ウナギが絶滅危惧種」と聞くと、多くの人は意外に思うだろう。スーパーにも専門店にもかば焼きは並び、季節になれば大量に消費される。それでもニホンウナギは、科学的な基準に照らして「近い将来に野生で絶滅する危険性が高い」と評価された種である。豊富に流通していることと、資源が健全であることは、まったく別の話なのだ。
IUCNと環境省による「絶滅危惧IB類」指定
IUCNは2014年、ニホンウナギをレッドリストの「絶滅危惧IB類(EN/Endangered)」に分類した。これに先立ち環境省も2013年2月、第4次レッドリストでニホンウナギを従来の「情報不足」から絶滅危惧IB類へと引き上げている。IB類とは、「IA類ほどではないが、近い将来における野生での絶滅の危険性が高い」ランクを指す。オオサンショウウオやライチョウと肩を並べる、深刻なカテゴリーである。
指定の理由として挙げられたのは、大きく分けて過剰な漁獲、生息地(川や沿岸)の環境悪化、そして海流変化など海洋環境の変動だ。ウナギの数がなぜ減ったのかは単一の原因では説明できず、川から海までの複数の要因が折り重なっている——この「原因の複雑さ」こそが、対策を難しくしている。犯人が一人なら捕まえればよいが、いくつもの要因が絡み合っていると、どれか一つを解決しても資源は戻ってこないのだ。
しかも、ニホンウナギだけが危機にあるわけではない。ヨーロッパウナギはより早くから深刻な減少に陥り、CITES(ワシントン条約)で国際取引が規制されている。アメリカウナギの資源も懸念されている。世界のウナギ類が軒並み数を減らしているという事実は、これが日本一国の問題ではなく、人と川と海の関わり方そのものが問われている構造的な課題であることを示している。
「減少率」という科学的な物差し
絶滅危惧の判定でよりどころになるのが、個体数の減少スピードだ。ウナギの成熟には4〜15年ほどかかるとされ、この寿命をもとに3世代(およそ12〜45年)分の漁獲データから資源量の変化を推定すると、その減少率は72〜92%に達すると評価された。つまり、ここ数十年でウナギの資源は半分どころか、大きく見れば10分の1近くまで縮んだ可能性がある、ということだ。

ウナギの資源評価が難しいのは、生涯の大半を人目の届かない川底や海で過ごし、しかも産卵場が日本から数千キロ離れているためだ。日本の海の生物多様性を語るうえでウナギは象徴的な存在だが、その「見えなさ」ゆえに、資源が減っていることに私たちが気づくのは遅れがちだった。実際、産卵の現場が科学的に確認されたのはようやく2009年のこと。私たちは、生態のほとんどが謎に包まれたままの魚を、大規模に消費し続けてきたのである。
「絶滅危惧種を食べる」という矛盾
ここで一度、立ち止まって考えたい。トキやコウノトリが絶滅危惧種だと聞けば、多くの人は「守るべき鳥」と即座に理解する。ところがウナギの場合、同じ絶滅危惧IB類でありながら、私たちはそれを季節の風物詩として大量に食べている。この落差は、ウナギが「自然の生きもの」であると同時に「食材・商品」でもあるという二面性から生まれている。保全と利用のバランスをどう取るかという難題が、ウナギには凝縮されているのだ。
誤解してはならないのは、「絶滅危惧種だから食べてはいけない」という単純な話ではない、という点だ。専門家の多くは、資源を科学的に管理し、持続可能な形で利用しながら守っていく道を探るべきだと考えている。禁止か消費かの二択ではなく、どうすれば食文化と資源保全を両立できるか——本記事全体を貫くのは、この問いである。
この節のポイント
- ニホンウナギはIUCN・環境省ともに「絶滅危惧IB類(EN)」に指定された絶滅危惧種
- 指定の根拠は過去3世代(約12〜45年)で72〜92%という高い個体数減少率
- 減少の原因は乱獲・生息地悪化・海洋環境変動が複合しており、単純な特定が難しい
6000kmの謎——産卵回遊とマリアナの産卵場
ニホンウナギを守るには、まず「どこで生まれ、どう暮らすのか」を知らなければならない。ところが、その一生は長らく最大級の生物学的ミステリーだった。川にいる成魚は誰もが知っているのに、卵を産む現場を見た人は、つい最近まで誰もいなかったのである。
川と海を行き来する「降河回遊魚」
ニホンウナギは、海で生まれて川で育ち、産卵のためにふたたび海へ下る降河(こうか)回遊魚だ。日本の川や河口で5〜15年ほどかけて成長した個体は、秋になると銀色がかった「銀ウナギ」へと姿を変え、餌もとらずに一路、太平洋の南へと旅立つ。この長距離移動という点で、ウナギは数千キロを回遊するクジラにも通じる、海を舞台にした壮大な旅人である。
産卵を終えた親ウナギはそのまま命を終えると考えられている。生涯にたった一度、遠い海で子孫を残すためだけに、体力を使い果たす旅に出る——ウナギの一生は、そんなドラマチックな設計になっている。餌もとらずに数千キロを泳ぎきるためのエネルギーを、ウナギは川にいるうちに体にたっぷりと蓄える。かば焼きにして脂がのっているのは、この長旅への備えでもあるのだ。
さらに驚くべきことに、ウナギは川にのぼるかどうかすら柔軟だ。すべての個体が川の上流を目指すわけではなく、河口や沿岸にとどまって育つものもいる。環境に応じて生き方を変えるこの柔軟さが、ウナギを世界の温帯・熱帯の広い水域に適応させてきた。だが、その適応力をもってしても、近年の急速な環境変化と乱獲の前には、資源を保てなくなっている。
塚本勝巳らが突き止めた産卵場
この謎に挑み続けたのが、塚本勝巳・東京大学名誉教授を中心とする研究グループだ。数十年にわたる調査の末、2005年ごろにはごく小さなレプトケファルス(柳の葉のような形をした仔魚)を手がかりに、産卵場がグアム島西方の西マリアナ海嶺・スルガ海山付近にあることを絞り込んだ。そして2009年5月、ついに天然のウナギの卵31個を採集することに成功する。人類が初めて、ニホンウナギの「産卵の現場」に立ち会った瞬間だった。

新月と塩分フロント——産卵のタイミングの仮説
研究から見えてきたのは、産卵が偶然ではなく、いくつもの手がかりに導かれて起きているらしいということだ。採集された卵は、いずれも新月の数日前に集中していた。暗い夜は外敵に見つかりにくく、生まれた仔魚が生き延びやすいのかもしれない。これが「新月仮説」である。月の満ち欠けという天体のリズムに、深海での産卵が同期しているという事実そのものが、生命の不思議を感じさせる。
さらに研究チームは、塩分の高い海水と低い海水がぶつかる境目(塩分フロント)が海山の列と交わるあたりで卵が見つかったことから、ウナギがこのフロントを目印に産卵場を探し当てているのではないか、と考えた。新月・塩分フロント・海山列という三つの条件が重なる一点を、往復6000kmの旅の果てに探し当てる——その精緻さには驚くほかない。どうやってその一点を知るのか、ウナギがどんな感覚器で環境を読み取っているのかは、いまも完全には解明されていない。
この産卵場の特定は、単なる学術的な発見にとどまらない。どこで卵が生まれ、仔魚がどんな海流に乗って運ばれるのかがわかれば、海水温や黒潮の変動が資源にどう影響するかを予測できるようになる。近年のシラスウナギ不漁を、漁獲だけでなく海洋環境の側から読み解くためにも、産卵回遊の解明は保全の土台になっている。
- 生まれた仔魚(レプトケファルス)は黒潮に乗り、数か月かけて東アジアの沿岸へ
- 沿岸に近づくと透明な稚魚「シラスウナギ」に変態し、川をのぼって定着する
- 川で5〜15年育った成魚が銀ウナギとなり、ふたたびマリアナへ下って産卵する
レプトケファルスとシラスウナギ
ウナギの赤ちゃんは、生まれてしばらくは透明で柳の葉のような形をした「レプトケファルス」という特殊な仔魚の姿をしている。これが沿岸で細長い「シラスウナギ(稚魚)」へと変態し、川をさかのぼる。この独特の変態こそ、後述する完全養殖を難しくしている大きな理由でもある。
なぜ稚魚は消えたのか——シラスウナギ乱獲と資源管理
ウナギ養殖は、卵から育てるのではなく、川に戻ってきた天然の稚魚シラスウナギを捕まえて育てる仕組みが主流だ。つまり養殖といっても、その出発点は天然資源に完全に依存している。だからこそ、シラスウナギの減少はそのまま資源の危機に直結する。
60年で95%以上減ったシラスウナギ
国内のシラスウナギ採捕量は、1960年代には年間200トンを超えていた。それが1980年代には20〜40トン台に落ち込み、近年はさらに深刻だ。水産庁の統計によれば、2024年の国内採捕量は約7.1トンにまで減少している。ピーク時と比べれば実に95%以上の減少であり、川に帰ってくる稚魚の数がいかに細ってしまったかがわかる。
成長した黄ウナギの天然漁獲量も減り続けており、2024年には過去最低となる52トンを記録した。稚魚も成魚も減っている——この事実は、単年の不漁ではなく、資源全体が構造的に縮んでいることを物語る。

乱獲だけではない、複合的な要因
減少の原因を漁獲だけに帰することはできない。研究者の多くは、過剰な漁獲に加えて、後述する川や河口の環境悪化、そして地球規模の海流の変化が重なっていると指摘する。とりわけ黒潮の流路や海水温の変動は、仔魚が無事に日本へたどり着けるかどうかを左右する。ウナギの不漁は、日本近海だけでなく太平洋規模の環境と結びついているのだ。
海水温の上昇が魚の分布や資源量を変えつつあることは、サンマやスルメイカの不漁とも共通する構造だ。ウナギもまた、気候変動という大きな波のなかに置かれている。産卵場付近の海洋環境がわずかに変わるだけで、仔魚が日本へたどり着ける割合は大きく変動する可能性がある。私たちが川や漁港で目にする「不漁」の背後には、はるか南の海で起きている見えない変化が横たわっているのだ。
もう一つ見落とせないのが、獲る対象が「これから産卵する未来の親」だという点だ。シラスウナギは川にのぼって成魚になり、やがて産卵に向かうはずの世代である。その稚魚を大量に獲れば獲るほど、次に卵を産む親の数が減り、資源の回復力そのものが削られていく。乱獲が資源に与えるダメージが大きいのは、この「未来を先食いする」構造ゆえである。
「池入れ上限」という資源管理
こうした危機を受け、日本・中国・台湾・韓国は2012年から国際的な協議を続け、養殖池に入れる稚魚の量に上限を設ける「池入れ数量管理」を導入した。日本国内では、2024年の池入れ上限が24.2トン(うちニホンウナギ11トン、その他の種13.1トン)に設定されている。ただし2024漁期の実際の池入れは15.8トンで、その多くは輸入に頼っており、国内採捕は約5トンにとどまった。
池入れ量に上限を設ける仕組みは、資源管理の第一歩として意義がある。しかし課題も残る。上限そのものが近年の実際の池入れ量より高く設定されているため、「上限があっても実質的な歯止めになっていないのではないか」という指摘がある。また、後述する無報告のシラスウナギが流通に混じれば、数量管理の前提となる統計の正確さが揺らいでしまう。管理の枠組みはできたが、それを実効あるものにするための精度向上が、これからの宿題だ。
| 区分 | おおよその量(2024年前後) | 備考 |
|---|---|---|
| 1960年代の国内採捕量 | 200トン超 | ピーク時の水準 |
| 2024年の国内採捕量 | 約7.1トン | ピーク比95%以上の減少 |
| 2024年の池入れ上限 | 24.2トン | ニホンウナギ11トン+その他13.1トン |
| 2024漁期の池入れ実績 | 約15.8トン | うち輸入約10.5トン・国内採捕約5トン |
この節のポイント
- 国内シラスウナギ採捕量は1960年代の200トン超から2024年に約7.1トンへ(95%以上減)
- 黄ウナギの天然漁獲も2024年に過去最低の52トンを記録
- 日中台韓は池入れ上限で管理するが、実績は輸入依存で国内採捕は細るばかり
川からいなくなったウナギ——生息地の劣化と再生
ウナギ減少の物語では稚魚の乱獲が注目されがちだが、忘れてはならないのが、育つ場所そのものが失われてきたことだ。たとえ稚魚が川をのぼってきても、安心して隠れ、餌を食べ、大きく育てる環境がなければ、資源は回復しない。
河口堰と護岸が奪った「すみか」
高度経済成長期以降、日本の川は治水や利水のために大きく姿を変えた。河口堰やダムは稚魚が川をさかのぼる道をふさぎ、コンクリートの護岸は川岸の石の隙間や水草といったウナギの隠れ場所を奪った。環境省の資料によれば、水際がコンクリートで隙間なく覆われた場所ではウナギの個体数密度が低く、餌となる生物も減って成長が悪くなることが報告されている。
ウナギは昼間、大きな石や岩、コンクリートブロックの隙間、水草、堆積した落ち葉などに身を隠す。こうした「すきま」が失われることは、ウナギにとって住宅難に等しい。川の直線化・単調化は、干潟の埋め立てと同じく、生きものの居場所を静かに削ってきたのである。
河口や汽水域も、ウナギにとっては重要な成育の場だ。川と海が混じり合うこの領域は餌が豊富で、多くの若いウナギが育つ。ところが河口堰はこの汽水域を分断し、干拓や埋め立ては餌場そのものを消してしまう。ウナギの一生は淡水と海水の境目を巧みに使い分けることで成り立っているだけに、その境界の環境が壊れることの影響は大きい。

環境省「生息地保全の考え方」と石倉カゴ
環境省は「ニホンウナギの生息地保全の考え方」を公表し、隠れ場所や餌場となる環境をどう守り、取り戻すかの指針を示している。その具体策のひとつが石倉カゴだ。金網のカゴに石を詰めて川底に沈めることで、人工的にウナギの隠れ家をつくる試みで、各地の河川で設置が進む。
ただし研究者からは、石倉カゴがウナギを「増やす」のか、それとも周囲のウナギを「集めているだけ」なのかは慎重に見極める必要があるとの指摘もある。局所的にウナギが集まっても、川全体の資源が増えなければ本当の回復とはいえない。生息地再生は、効果を科学的に検証しながら進めるべき息の長い取り組みなのだ。
遡上を助ける魚道と、流域全体での視点
隠れ家づくりと並んで重要なのが、稚魚が海から川の上流域まで移動できる「通り道」を確保することだ。堰やダムがあっても、脇に魚道(魚が越えられる水路)を整備すれば、ウナギは再び上流にたどり着ける。ウナギは体をくねらせて濡れた斜面をよじのぼる能力が高く、ちょっとした工夫で遡上できる範囲が大きく広がる。河川管理と資源保全を切り離さず、流域全体で考える視点が求められている。
こうした取り組みは、目に見える成果がすぐには出にくい。稚魚がのぼれる川を取り戻しても、その個体が産卵に向かうのは何年も先だ。だからこそ、短期の漁獲量だけを見て一喜一憂するのではなく、川の環境という「資源を生み出す土台」を長い目で育てる姿勢が欠かせない。海の保護区づくりと同じく、生息地保全は世代を超えた投資なのである。

- 河口堰・ダムは稚魚の遡上を妨げ、川の上流域からウナギを遠ざける
- コンクリート護岸は隠れ家と餌生物を減らし、成長の場を奪う
- 石倉カゴなどの隠れ家づくりや、堰への魚道整備が再生策として進む
見落とされがちな「陸の要因」
ウナギの危機は「海の乱獲」の物語として語られやすいが、川という生息地の劣化も同じくらい重い。稚魚を守る資源管理と、川を再生する環境保全は、車の両輪として同時に進めなければ効果が上がらない。
卵から育てる夢——完全養殖研究の歩み
天然の稚魚に頼るかぎり、ウナギ養殖は資源の危機とつねに背中合わせだ。ならば、卵から人の手で稚魚を育て、天然資源にまったく依存しない養殖をつくれないか——それが「完全養殖」の夢である。この難題に、日本の研究者たちは半世紀にわたって挑み続けてきた。
2010年、世界初の完全養殖成功
大きな節目は2010年に訪れた。当時の水産総合研究センター(現・水産研究・教育機構)が、人工的に育てた親ウナギから卵をとり、その卵をふ化させて次の世代を得るという「完全養殖」に世界で初めて成功した。研究室で生まれたウナギから、また新たなウナギを生み出す——生活史の輪を人の手で閉じたこの成果は、ウナギ研究の歴史に刻まれる快挙だった。
さらに2023年10月には、近畿大学が大学として初めてニホンウナギの完全養殖に成功したと発表した。クロマグロの完全養殖で知られる同大が加わったことは、研究の裾野が広がり、技術が特定の機関だけのものではなくなりつつあることを示している。国の研究機関、大学、そして民間企業がそれぞれの強みを持ち寄る体制が整いつつあり、かつては夢物語だった「卵から育てるウナギ」が、現実の産業として立ち上がろうとしている。
この歩みは一朝一夕のものではない。日本のウナギ人工繁殖研究は1960年代にさかのぼり、卵をふ化させることすら長く困難だった。仔魚が何を食べるのかもわからず、多くの個体が餌にたどり着けずに死んでいった時代を経て、少しずつ生存率を上げ、ようやく2010年に生活史の輪を閉じた。半世紀という時間の長さは、この技術がいかに手ごわい相手だったかを物語っている。

なぜウナギの人工繁殖は難しいのか
ウナギの完全養殖がここまで難関だった理由は、その独特な生活史にある。まず親ウナギは自然には養殖池で成熟せず、産卵させるにはホルモン投与などの手助けが要る。そして最大の壁が、ふ化したレプトケファルス仔魚の「餌」だ。この仔魚は海中のマリンスノー(プランクトンの死骸などの微粒子)を食べていると考えられ、何を与えれば育つのかを突き止めるまでに膨大な時間がかかった。
研究の末に開発された飼料は、アブラツノザメの卵などをベースにしたペースト状のもので、扱いも管理も難しい。水質が少し崩れただけで仔魚が弱ってしまうため、飼育には細やかな手間がかかる。ここを安定して乗り越えられるかどうかが、次に述べる「量産化」の最大のカギになる。1匹を育てる技術と、それを効率よく何万匹も育てる技術の間には、想像以上に大きな隔たりがあるのだ。
興味深いのは、この難しさそのものが、ウナギという生きものの奥深さを物語っている点だ。海の生きものには、ウミガメのように人の手での繁殖・保護が進んだ種もあるが、ウナギの複雑な変態と長距離回遊は、それを容易には許さなかった。半世紀をかけてようやく輪を閉じた完全養殖は、地道な基礎研究の積み重ねがあってこそ実った成果である。
研究室で生まれた1匹を育て上げる技術と、それを何万匹も安定して量産する技術は、まったく別の課題である。
― 完全養殖研究の一般的な論点より
「完全養殖」と「人工種苗」
完全養殖とは、人工的に育てた親から卵をとり、次世代を得る循環を成立させること。そこで生産された稚魚を「人工種苗」と呼ぶ。技術的には2010年に確立したが、天然のシラスウナギを置き換えるには、この人工種苗を安く大量につくれるかどうかが問われている。
量産化の壁とコスト——人工種苗はいつ食卓に届くのか
完全養殖が「できる」ことと、それが「商売として成り立つ」ことの間には、深い谷がある。1匹のウナギを研究室で育てられても、コストが天然稚魚より何十倍も高ければ、食卓には届かない。近年の進展は、まさにこのコストの谷を埋めようとする闘いだ。
1匹4万円から約1,800円へ
水産研究・教育機構によれば、人工種苗の生産コストは2016年度には1匹あたり約4万円もかかっていた。それが技術改良によって、2023年度には約1,800円まで低下している。20分の1以下という劇的な改善だ。さらに、2027年度には1,000円を下回る見通しも示されている。天然シラスウナギの取引価格に近づけば、人工種苗が現実的な選択肢になる。

量産用水槽と自動化の技術
コスト削減を支えるのが、飼育設備の進化だ。2025年には、水産研究・教育機構とヤンマーホールディングス、マリノフォーラム21が、シラスウナギを低コストで生産できる新たな量産用水槽を開発したと発表した。仔魚の飼育に適した水流や給餌を工夫することで、より少ない手間で多くの稚魚を育てられるようになる。自動給餌システムや、丈夫で育てやすい優良家系の選抜も並行して進む。研究の現場では、いわば「ウナギの品種改良」に相当する取り組みまで視野に入りはじめている。
コストが下がった背景には、こうした地道な改良の積み重ねがある。餌の配合を見直し、水槽の形や水流を工夫し、病気を防ぐ飼育管理を確立する——一つひとつは小さな進歩でも、それが掛け合わさって「1匹4万円」を「約1,800円」へと押し下げた。派手な発明ではなく、無数の試行錯誤の総和が、この20分の1という数字を生んだのである。
商業化への具体的な動き
国も後押しを強めている。水産庁は「ウナギ種苗の商業化に向けた大量生産システムの実用化事業」に約7億円を投じ、民間企業と連携して量産体制づくりを進めている。すでに一部の企業は年1万匹以上の人工種苗を安定生産する段階に入り、2026年の土用の丑の日商戦を一つの目標に、人工ふ化ウナギのかば焼きの試験販売も視野に入りつつある。研究室の成果が、いよいよ店頭の一皿へとつながろうとしているのだ。

| 年度・時期 | 人工種苗のコスト/生産 | 位置づけ |
|---|---|---|
| 2016年度 | 1匹 約4万円 | 研究段階・コストが高すぎる |
| 2023年度 | 1匹 約1,800円 | 20分の1以下に低減 |
| 2027年度(見通し) | 1匹 1,000円未満 | 実用化ライン |
| 2024年以降 | 年1万匹以上を安定生産 | 商業化の入り口 |
とはいえ、天然のシラスウナギが年に数トン単位で消費されている現実に対し、人工種苗の生産はまだ「万匹」の桁だ。シラスウナギ1匹はわずか0.2グラムほどで、数トンといえば数千万匹にあたる。完全養殖が資源の危機を根本から救うには、生産規模をさらに数桁引き上げる必要がある。希望は確かに大きくなっているが、それが天然依存を置き換えるまでには、なお時間がかかる。
それでも、この技術がもつ意味は大きい。仮に完全養殖が量産化され、天然稚魚に頼らずウナギを育てられるようになれば、川に帰ってきた稚魚をそっとしておく余地が生まれる。人工種苗は、単に「代わりの食材」を作るだけでなく、天然資源の回復を後押しする切り札にもなりうる。研究の最終目標は、ウナギを食べ続けることと、野生のウナギを守ることを、同時に実現することにある。
この節のポイント
- 人工種苗の生産コストは2016年度の4万円から2023年度に約1,800円へ、20分の1以下に低減
- 水産庁は約7億円を投じ、量産用水槽・自動給餌など商業化技術を後押し
- 年1万匹以上の安定生産が始まったが、天然依存を置き換えるには規模拡大が課題
密漁・違法流通・国際規制——どのウナギを選ぶか
資源管理も生息地再生も完全養殖も、どれか一つで解決する魔法ではない。そしてもう一つ、消費と流通の側にも大きな問題が横たわっている。私たちが食べているウナギの多くは、どこで、どう獲られたのかが不透明なのだ。
「白いダイヤ」と密漁・無報告
希少になったシラスウナギは高値で取引され、「白いダイヤ」とも呼ばれる。その結果、密漁や無報告の流通が横行してきた。WWFジャパンなどによれば、国内で獲られるシラスウナギのうち出所不明の「無報告」が4〜5割にのぼると推定され、輸入分では大半が出所不明とされる年もあった。数字が正確につかめないままでは、そもそも資源を適切に管理することができない。絶滅危惧種であるがゆえに価格が高騰し、その高値がさらに密漁を誘発するという悪循環が、ウナギの世界では起きているのだ。
これは、獲ってはいけない海域や時期のルールを破って魚を獲るIUU漁業(違法・無報告・無規制漁業)そのものだ。海に取り残されたゴーストギア(幽霊漁具)と同じく、ルールの外にある行為が、資源管理の努力を静かに掘り崩している。どれだけ立派な池入れ上限を定めても、そこに入ってくる稚魚の何割かが「どこから来たのかわからない」ままでは、管理の土台そのものが砂上の楼閣になってしまう。
罰則強化とトレーサビリティの義務化
対策も動き出している。2018年の改正漁業法で特定水産動植物の密漁への罰則が大幅に強化され、シラスウナギについては2023年12月から、最大で懲役3年または罰金3,000万円という重い罰則が適用されるようになった。さらに2025年12月からは、水産流通適正化法の枠組みでシラスウナギが対象品目に加わり、採捕から池入れまでの取引記録の作成・保存や漁獲番号の伝達が義務づけられる。ウナギがどこから来たのかを追える仕組みづくりが、ようやく本格化する。

CITES(ワシントン条約)をめぐる攻防
ウナギの管理は、いまや国際政治の舞台にも乗った。2025年、EU(欧州連合)は、ニホンウナギを含むすべてのウナギ類をワシントン条約(CITES)の附属書IIに掲載し、国際取引を規制するよう提案した。ヨーロッパウナギが違法に獲られ、産地を偽って東アジアで取引される「ロンダリング」への懸念が背景にある。CITES事務局はこの提案を採択すべきだと勧告していた。
しかし日本は「ニホンウナギは資源が確保されており、国際取引によって絶滅するおそれはない」として、中国・韓国とともに強く反対した。2025年11月から12月にウズベキスタンのサマルカンドで開かれた第20回締約国会議(COP20)で、EUの全種掲載提案は賛成35・反対100の大差で否決された。規制は当面見送られたが、違法流通という根本問題が消えたわけではなく、議論は今後も続く見通しだ。
この一件は、ウナギをめぐる立場の違いを鮮明にした。輸出入を厳しく規制して資源を守るべきだという考え方と、四か国の協調による池入れ管理でこそ実効性を確保できるという考え方——どちらも「ウナギを絶滅させたくない」点では一致している。問題は、その手段をめぐる合意がまだ得られていないことだ。国境を越えて回遊する魚を守るには、国境を越えた協力が欠かせないという事実を、この攻防はあらためて突きつけた。
食べ方を変えることが、いちばん確かな一票
制度や技術の議論は大きく複雑だが、私たち消費者にできることは、意外と身近なところにある。まず、産地や漁獲・養殖の方法がきちんと表示されたウナギを選ぶこと。出所の不透明な安価な商品に飛びつかないことは、違法・無報告の流通に「需要」という形で加担しないための、最も直接的な行動だ。これは水産物のフードロスを減らす意識とも地続きである。
さらに踏み込めば、「食べる量そのものを見直す」という選択もある。土用の丑の日に大量に売られ、売れ残れば廃棄されるという流れは、資源への圧力とフードロスを同時に生む。旬や量を考え、本当においしく味わえる分だけをいただく——そんな一人ひとりの小さな判断の積み重ねが、めぐりめぐって川と海のウナギを守る力になる。消費者の選択は、市場に対する静かな、しかし確かな一票なのだ。
消費者としてできること
- 産地や漁獲方法の表示を確認し、出所のはっきりしたウナギを選ぶ
- WWFのシーフードガイドなど、持続可能性の情報を参考にする
- 「安さ」だけで飛びつかず、価格の裏にある資源や労働の背景を意識する
- 旬や量を考え、食べる量そのものを見直す(食べ過ぎ・買い過ぎを避ける)
まとめ:土用の丑の日と、これからのウナギ
ニホンウナギは、日本の食文化に深く根ざした魚であると同時に、絶滅危惧IB類に指定された絶滅危惧種でもある。その危機は、産卵場マリアナ海嶺への6000kmの旅、稚魚シラスウナギの乱獲、川という生息地の劣化、そして不透明な流通という、海と川と社会にまたがる複数の問題が折り重なって生まれている。
希望がないわけではない。2010年の世界初の完全養殖から、人工種苗のコストは20分の1以下に下がり、商業化の入り口に立った。池入れ上限による資源管理、川の生息地再生、密漁対策とトレーサビリティの義務化も、少しずつ前に進んでいる。ウナギを守る技術と制度は、確かに育ちつつある。
けれども、どれか一つに頼って解決できる問題ではない。稚魚を獲りすぎない、川を再生する、卵から育てる技術を磨く、そして私たち一人ひとりが「どのウナギを、どれだけ食べるか」を考える——その全部が同時に動いてはじめて、ウナギは未来の食卓に残る。土用の丑の日にウナギを味わうその一口が、絶滅危惧種を口にしているのだという自覚から、持続可能な消費は始まる。
ウナギは、日本人にとって単なるタンパク源ではない。万葉集にも夏やせに効く食べ物として登場し、江戸時代にかば焼きの技が磨かれ、土用の丑の日という習慣が根づいた。千年を超えて受け継がれてきたこの食文化を、次の世代にも手渡していけるかどうか。それは、遠いマリアナの海で新月の夜に卵を産む一匹のウナギと、私たちの食卓とが、確かにつながっているという想像力にかかっている。
海の資源をどう分かち合い、次の世代へ手渡すか。ウナギの物語は、海洋保護区や水産物のフードロスと同じく、「食べること」と「守ること」をどう両立させるかという、私たち自身への問いでもある。
この記事のまとめ
- ニホンウナギは絶滅危惧IB類。3世代で72〜92%減という科学的根拠がある
- 産卵場は西マリアナ海嶺・スルガ海山付近。新月や塩分フロントに導かれ往復6000kmを旅する
- 国内シラスウナギ採捕は1960年代の200トン超から2024年に約7.1トンへ(95%以上減)
- 河口堰・護岸による生息地劣化も深刻。石倉カゴなど川の再生も両輪で必要
- 完全養殖は2010年に世界初成功、人工種苗コストは4万円→約1,800円へ低減し商業化の入り口に
- 違法・無報告流通が根深く、罰則強化とトレーサビリティ義務化が進む。CITES規制は2025年に否決
- 資源管理・生息地再生・完全養殖・持続可能な消費を同時に進めることが、ウナギを残す鍵
参考文献・出典
- 環境省 – 第4次レッドリストの公表について(汽水・淡水魚類)/ニホンウナギを絶滅危惧IB類に指定
- 環境省 自然環境局 – ニホンウナギの生息地保全の考え方
- 水産庁 – ウナギに関する情報(資源管理・池入れ数量・完全養殖)
- 水産庁 水産研究・教育機構 – 国際漁業資源の現況 83 ニホンウナギ(令和7年度)
- 水産研究・教育機構 – ウナギ人工種苗生産技術に関する情報(完全養殖・人工種苗)
- 水産庁 – ウナギ種苗の商業化に向けた大量生産システムの実証事業 成果概要(2017〜2023年度)
- 東京大学 – 研究成果「ニホンウナギの産卵地点の発見」(塚本勝巳ら)
- 近畿大学 – ニホンウナギの完全養殖に大学として初めて成功(2023年10月)
- WWFジャパン – シラスウナギの不透明な流通とその改善に向けて/ウナギという魚の絶滅の危機
- 水産庁 – ワシントン条約(CITES)第20回締約国会議の結果について(2025年)
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