10%以上
海洋プラスチックごみに占める漁具の割合
50万〜100万トン
毎年海に流れ込む漁具の推定量
46%
太平洋ごみベルトの重量に占める漁網の割合

漁師が使わなくなった網やロープが海に残されても、それは静かに眠るわけではありません。潮に流され、岩や沈船に絡みつきながら、誰の手も借りずに魚やカニ、ときにはウミガメやイルカまでも捕らえ続けます。獲物は逃げられずに死に、その死骸が次の獲物を呼び寄せ、罠はさらに獲物を集める——。持ち主を失ってもなお「漁」を続けるこの漁具を、私たちはゴーストギア(幽霊漁具)と呼びます。

ゴーストギアは、遠い海の話ではありません。世界の海洋プラスチックごみの少なくとも10%を占め、毎年50万〜100万トンもの漁具が新たに海へ流れ込んでいると推定されています。しかもプラスチック製の漁具は数十年から数百年分解されず、その間ずっと海の生き物を傷つけ続けます。WWFがこれを「不死身の脅威(immortal menace)」と呼んだのは、決して大げさではありません。

この記事では、環境省・水産庁・FAO(国連食糧農業機関)・WWF・査読論文などの一次情報をもとに、ゴーストギアとは何か、どれだけの量が海に失われ、どんな被害を生み、そして世界と日本がどう立ち向かおうとしているのかを、順を追ってわかりやすく整理します。読み終える頃には、海のニュースの見え方が少し変わっているはずです。

この記事で学べること

  • ゴーストギア(幽霊漁具)とは何か、なぜ「幽霊」と呼ばれ、なぜ半永久的に生き物を獲り続けるのか
  • 海洋プラスチックごみ全体の中でゴーストギアが占める割合と、それを裏づける具体的な数値・研究
  • ウミガメ・クジラ・海鳥・サンゴなど、海の生き物や生息地が受けている被害の実態
  • 漁具が海に失われる主な原因と、なぜ完全にはなくせないのかという構造的な難しさ
  • 回収活動・漁具マーキング・国際ルール(FAO・GGGI)・生分解性漁具という最前線の対策
  • 消費者・市民として私たちにできる具体的な行動

ゴーストギア(幽霊漁具)とは何か

ゴーストギア(ghost gear)とは、海に放棄・遺失・投棄された漁網、ロープ、釣り糸、カゴ、浮きなどの漁具の総称です。国際的にはALDFG(Abandoned, Lost or otherwise Discarded Fishing Gear=放棄・遺失・その他の方法で投棄された漁具)という用語が使われ、FAO(国連食糧農業機関)やUNEP(国連環境計画)の報告書でもこの呼び方が標準になっています。

「幽霊漁具」という日本語からもわかるとおり、この問題の核心は「持ち主がいなくなっても漁を続けてしまう」という点にあります。漁師が管理していれば、網にかかった魚は水揚げされ、混獲された生き物は逃がされます。しかし網が海に取り残されると、そこにかかった生き物は誰にも回収されず、逃がされることもなく、ただ死んでいきます。この現象こそが、次に説明するゴーストフィッシングです。ここで重要なのは、漁具そのものは決して『悪』ではないということです。漁具は私たちの食卓に魚を届けるための、なくてはならない道具です。問題は道具ではなく、それが管理から外れて海に取り残されたときに生まれます。つまりゴーストギアとは、有用な道具が『制御を失った瞬間』に姿を変えた、いわば漁業の負の副産物なのです。

「ゴーストフィッシング」の負のサイクル

ゴーストフィッシングとは、放置された漁具が漁獲能力を失わずに海の生き物を捕らえ続ける現象を指します。恐ろしいのは、それが自己増殖的な悪循環を生むことです。まず網やカゴに小さな魚や甲殻類がかかる。逃げられずに死ぬと、その死骸が餌となってカニや大型魚などの捕食者を引き寄せる。集まった捕食者もまた網に捕らわれて死ぬ——。こうして一つの漁具が、何年にもわたって獲物を集め続けるのです。

特に深刻なのが、海底に沈んだカゴ漁具(トラップ)によるゴーストフィッシングです。カニやエビ、貝などを獲るためのカゴは、失われても海底にとどまり、入り口の仕掛けが機能し続けます。一度入った獲物は出られず、次々と犠牲が積み重なる。ある研究では、失われたカニカゴ1個が数年間にわたって毎年何十匹ものカニを捕らえ続けた例も報告されています。網のように潮で流されて破れることも少ないため、静かに、しかし着実に生き物を殺し続けるのです。漁師の手元では『価値ある資源』を獲るはずだった道具が、海の底では『命をただ浪費する装置』に変わってしまう——これがゴーストフィッシングの本質的な悲劇です。

ゴーストギアが「特別に厄介」な3つの理由

  • 持ち主がいないため、かかった生き物が回収も解放もされず必ず死ぬ
  • プラスチック製で数十年〜数百年分解されず、その間ずっと漁を続ける
  • 死骸が餌となって次の獲物を呼ぶ「自己増殖」の悪循環が起きる

「意図的な投棄」だけが原因ではない

ゴーストギアと聞くと「漁師がわざと海に捨てたもの」というイメージを持つかもしれません。しかし実際には、意図的な投棄はむしろ少数派です。多くは悪天候による流失、岩礁や沈船への根がかり(引っかかり)、他船の航行による切断、漁具どうしの絡まりなど、不可抗力に近い形で失われます。つまりゴーストギアは、一部の心ない行為の問題ではなく、漁業という営みに構造的につきまとう課題なのです。だからこそ、罰則だけでは解決できず、後述する回収・マーキング・素材転換といった多面的な対策が必要になります。

漁網・ロープ・カゴ・釣り糸・浮きなどゴーストギアになりうる漁具の種類をフラットに図解したイラスト
ゴーストギアになりうる漁具の主な種類。網・ロープ・カゴ・釣り糸・浮きなど多岐にわたる。

海洋プラスチック問題全体の中でゴーストギアがどう位置づけられるかは、海洋プラスチックの分解深海ゴミ問題の記事とあわせて読むと、より立体的に理解できます。ゴーストギアは「海に出るプラスチックの入口」の一つであり、その後の分解・拡散・深海への沈降という長い物語の始まりでもあるのです。

海洋プラスチックごみに占めるゴーストギアの割合

「海洋プラスチックごみ」というと、多くの人はレジ袋やペットボトル、ストローを思い浮かべます。しかし実は、海に漂う大型のプラスチックごみの相当部分は漁業由来です。ここでは、その割合を示す代表的なデータを見ていきましょう。数字は情報源や測定方法によって幅がありますが、共通して言えるのは「漁具は海洋プラスチック問題の主要プレイヤーである」ということです。

なぜ私たちの実感とデータがこれほどずれるのでしょうか。理由は『どこで観測するか』にあります。ビーチや街中で目にするごみは、消費者が使い捨てた包装容器が中心です。しかし外洋、とりわけ人けのない沖合や海面下では、風景ががらりと変わります。そこに漂うのは、生活ごみよりもはるかに大きく重い漁網やロープなのです。漁具は海の上で使われるため、当然ながら陸のごみを経由せず、直接そして大量に海へ入ります。この『発生源が海そのものである』という特徴こそ、漁具が海洋プラスチック問題で突出した存在になる根本的な理由です。

全体では『少なくとも10%』、大型プラスチックでは最大『70%』

WWFが2020年に発表した報告書「Stop Ghost Gear」によれば、海洋プラスチックごみ全体のうち少なくとも10%が漁具由来とされています。さらに注目すべきは、海面に浮かぶ大きなプラスチック(20cm超)に限れば、重量ベースで最大70%が漁具という推計です。細かく砕けたマイクロプラスチックは「数」では圧倒的ですが、「重さ」と「生き物を直接からめとる力」で見ると、漁具の存在感は際立ちます。

海洋プラスチックごみに占める漁具の割合を示す円グラフ風のフラットな図解
海面に浮かぶ大型プラスチックの重量に占める漁具の割合は最大で7割にのぼるとされる。

太平洋ごみベルトの『46%』は漁網だった

こうした割合の違いを理解しておくと、報道やSNSで見かける数字に振り回されずに済みます。大切なのは、どの数字が正しいかを争うことではなく、『観測の仕方によって見える景色が変わる』こと、そして『どの見方をしても漁具は無視できない存在である』ことを押さえておくことです。では、その象徴的な現場を具体的に見てみましょう。

この事実を象徴するのが、ハワイとカリフォルニアの間に広がる巨大なごみの集積域「太平洋ごみベルト(Great Pacific Garbage Patch)」の調査です。Lebretonらが2018年に科学誌『Scientific Reports』に発表した研究では、18隻の船団による大規模な採取調査の結果、このごみベルトの質量の少なくとも46%が漁網で占められ、残りの多くもロープやカゴ、かご網の間隔材といった漁業由来のプラスチックだったことが明らかになりました。私たちが想像する「生活ごみの島」ではなく、実態は「漁具の海」だったのです。

同じ研究は、ごみの『数』と『重さ』のギャップも浮き彫りにしました。この海域を漂う推定約1.8兆個のプラスチック片のうち、94%は5mm未満のマイクロプラスチックです。ところが重量で見ると、マイクロプラスチックは全体のわずか8%にすぎません。逆に、5cmを超える大きなごみが全体の重量の4分の3以上を占めていました。つまり『数えればマイクロが圧倒的、量ればマクロ(漁網など)が圧倒的』という構図です。生き物を絡めとり、生息地を物理的に破壊するのは主に後者の大きなごみであり、だからこそ漁具対策は海洋プラスチック問題の中でも優先度が高いのです。

太平洋ごみベルトの質量の少なくとも46%は漁網が占めており、残りの多くもロープやカゴなどの漁業由来ギアだった。

― Lebreton et al. (2018), Scientific Reports
データ数値情報源
海洋プラスチックごみ全体に占める漁具の割合少なくとも10%WWF (2020)
海面の大型プラスチック(重量)に占める漁具の割合最大約70%WWF (2020)
太平洋ごみベルトの質量に占める漁網の割合少なくとも46%Lebreton et al. (2018)
毎年海に流入する漁具の推定量50万〜100万トンWWF (2020)
ゴーストギアの規模を示す主要な数値。情報源により定義や範囲は異なる。

数字の読み方に注意

「10%」「46%」「70%」はどれも正しい数字ですが、対象範囲が違います。10%は海洋プラスチックごみ『全体』、46%は太平洋ごみベルトという『特定の海域』、70%は海面に浮かぶ『大型プラスチック』に限った割合です。ニュースで割合を見たときは、必ず『何に対する割合か』を確認するのがデータを正しく読むコツです。

毎年どれだけの漁具が海に失われているのか

では、実際にどれだけの漁具が毎年海に消えているのでしょうか。長らく信頼できる世界推計がありませんでしたが、2022年に大きな前進がありました。オーストラリアのタスマニア大学とCSIRO(連邦科学産業研究機構)の研究チームが、世界451人の漁業者への聞き取りと世界の漁獲努力量データを組み合わせ、査読誌『Science Advances』に世界規模の推計を発表したのです。海の中の出来事は目撃者が少なく、失われた漁具を一つひとつ数えることは事実上不可能です。そこで研究者は、実際に漁具を使っている当事者=漁業者に『年間どれくらい失うか』を丁寧に聞き取り、その割合を世界全体の漁業活動量に掛け合わせるという手法で、初めて信頼に足る全体像を描き出しました。

『毎年、漁具全体の約2%』が海へ

Richardsonらの2022年の研究によれば、世界で使われている漁具のうち毎年およそ2%が海に失われていると推定されました。わずか2%と侮ってはいけません。世界の漁業が使う漁具の総量は膨大で、2%という割合を実数に落とし込むと、想像を超えるスケールになります。具体的な内訳を見ると、その規模の大きさに息をのむはずです。

  • 延縄(はえなわ)の幹縄:年間およそ74万km(地球を18周以上できる長さ)
  • 釣り針:年間およそ140億本
  • カゴ・トラップ類:年間2,500万個以上
  • 巻き網:年間およそ75,000km²相当
  • 刺し網:年間およそ3,000km²相当
海に失われる延縄の長さが地球を18周する規模であることを示すフラットな図解
毎年海に失われる延縄の幹縄だけで約74万km。地球を18周以上できる長さになる。

漁具の種類で『失われやすさ』が違う

同じ漁具でも、種類によって海に失われる割合は大きく異なります。WWFがまとめたデータによると、世界で使われる漁網の5.7%、カゴ・トラップ類の8.6%、そして釣り糸に至っては29%が、毎年失われたり放棄されたりしています。特に釣り糸の損失率の高さが目立ちます。細くて切れやすく、根がかりで失われやすいうえ、透明で回収も困難だからです。損失率が高い漁具ほど、後述するマーキングや素材転換といった対策の優先順位も高くなります。逆に言えば、どの漁具がどれだけ失われているかというデータが整うことで、限られた予算や労力を『効果の大きいところ』に集中できるようになるのです。数字を測ることは、それ自体が対策の第一歩と言えます。

漁具の種類年間の損失・放棄率特徴
漁網(刺し網・底引き網など)約5.7%面積が大きく生き物を絡めやすい
カゴ・トラップ類約8.6%海底に沈み長期間漁を続ける
釣り糸(延縄など)約29%細く切れやすく回収が困難
漁具の種類別の年間損失・放棄率(WWFによる整理)。

『2%』が積み重なる怖さ

毎年失われるのが全体の2%でも、プラスチック製漁具は数十年から数百年分解されません。つまり失われた漁具は毎年ほぼそのまま海に『蓄積』していきます。10年で20%、数十年でその何倍もが海に残り続ける計算になり、回収が追いつかなければ被害は年々増える一方なのです。

海の生き物と生息地が受ける深刻な被害

ゴーストギアが「最も致命的な海洋プラスチックごみ」と呼ばれるのは、それが単なるごみではなく、生き物を直接殺す『道具』だからです。被害の形は大きく分けて絡まり(entanglement)誤飲(ingestion)の2つ。ここでは、その規模を示すデータと具体的な被害を見ていきます。ペットボトルやレジ袋が主に『誤飲』で生き物を苦しめるのに対し、漁具は『絡まり』という物理的な拘束で直接命を奪う点に、その特異な残酷さがあります。

海洋哺乳類の66%、海鳥の50%、ウミガメの全種が被害

WWFの報告書によれば、ゴーストギアによる絡まりの被害を受けているのは海洋哺乳類の66%、海鳥の50%、そして7種すべてのウミガメにのぼります。網に絡まった生き物は、泳げなくなって溺れたり、餌を獲れずに衰弱したり、体に食い込んだ網で傷ついて感染症を起こしたりして、ゆっくりと苦しみながら死んでいきます。クジラが何十kgもの漁網を引きずったまま何年も生きる例も報告されており、その苦痛は計り知れません。成長期の若い個体では、体に巻きついたロープが成長とともに肉に深く食い込み、やがて骨まで達することもあります。人間に発見されて救助されるのはごく一部で、大多数は誰にも知られないまま海の底で最期を迎えます。WWFがゴーストギアを『最も致命的な海洋プラスチックごみ』と位置づけたのは、こうした残酷さと、被害が広範囲かつ長期にわたることを踏まえてのことです。

漁網に絡まったウミガメを描いた、被害の深刻さを伝えるイラスト
7種すべてのウミガメがゴーストギアによる絡まり被害を受けている。

被害を受ける生き物の範囲も年々広がっています。絡まりや誤飲の影響を受ける海洋生物の種数は、1997年の267種から557種へと約20年でほぼ倍増したと報告されています。これは調査が進んだ影響もありますが、海に蓄積するプラスチックと漁具が増え続けていることの表れでもあります。しかも被害は、私たちが名前を知っているウミガメやクジラのような大型動物にとどまりません。海鳥はプラスチック片を餌と間違えて飲み込み、胃を満たしたまま栄養失調で死にます。深海生物のように、まだ生態のよくわかっていない生き物も、深海に沈んだ漁具の影響を受けている可能性があります。ゴーストギアの被害は、海の表層から深海まで、あらゆる階層に及んでいるのです。

サンゴ礁やマングローブなど『生息地そのもの』も破壊する

被害は個々の生き物にとどまりません。潮に流された重い漁網は、サンゴ礁に覆いかぶさってサンゴを窒息させ、折り、こすり続けて破壊します。すでに海洋酸性化や高水温による白化で弱っているサンゴにとって、ゴーストギアはとどめの一撃になりかねません。マングローブや海草藻場といった、多くの生き物のゆりかごとなる沿岸生息地も同様に傷つけられます。

分解されて『マイクロプラスチック』にもなる

さらに長期的な問題として、漁網やロープは紫外線と波で少しずつ砕け、無数のマイクロプラスチックへと姿を変えます。細かくなった繊維は魚や貝に取り込まれ、食物連鎖をたどって最終的に私たちの食卓にも戻ってくる可能性があります。この経路についてはマイクロプラスチックと健康の記事で詳しく解説しています。ゴーストギアは「大きな網が生き物を殺す」という目に見える被害と、「砕けて広がる」という見えない被害の、二重の脅威を持っているのです。

ゴーストギアによる被害の4つの経路

  • 絡まり:生き物が網やロープに巻き込まれ、溺死・衰弱・負傷する
  • 誤飲:破片を餌と間違えて食べ、消化管を傷つけたり詰まらせたりする
  • 生息地破壊:サンゴ礁やマングローブを覆い、折り、こすって壊す
  • 微細化:砕けてマイクロプラスチックとなり食物連鎖に取り込まれる

なぜゴーストギアは生まれ続けるのか

被害の深刻さがわかると、「なぜなくならないのか」という疑問がわいてきます。前述のとおり、ゴーストギアの多くは意図的な投棄ではなく、漁業に構造的につきまとう理由で発生します。原因を理解することは、有効な対策を考える出発点になります。犯人を探して罰することが解決につながる問題もありますが、ゴーストギアはそうではありません。むしろ『どうすれば失われにくくなるか』『失われても被害を最小化できるか』という仕組みの設計こそが鍵になります。ここでは、その背景にある要因を整理します。

『失いたくて失う漁師』はいない

まず大前提として、漁具は漁師にとって高価な商売道具です。網一式で数十万円から数百万円かかることも珍しくありません。漁師には漁具を失う経済的な動機がない——むしろ失えば大損害です。この点を誤解したまま『漁師が悪い』と決めつけてしまうと、対策の方向性を見誤ります。彼らもまた、望まずに漁具を失う『被害者』の側面を持っているのです。それでも失われてしまうのは、次のような避けがたい要因があるからです。

  • 悪天候・時化(しけ):強風や高波で網やブイが流され、回収できなくなる
  • 根がかり:海底の岩礁や沈船、他の障害物に引っかかって切れる
  • 漁具どうしの衝突:混雑した漁場で他船の漁具や船のスクリューに絡まって切断される
  • タグ・目印の欠如:誰の漁具かわからず、流失しても回収の責任者が特定できない
  • 陸上での処理難:使い終えた漁具を適切に処分する費用や施設が不足し、放置されやすい
悪天候・根がかり・他船との衝突など漁具が失われる原因を示すフラットな図解
ゴーストギアの多くは意図的な投棄ではなく、悪天候・根がかり・衝突などで失われる。

『共有地の悲劇』としての海

もう一つの根深い要因は、海が誰のものでもない「共有地(コモンズ)」だという点です。個々の漁師が失う漁具はわずかでも、世界中で積み重なれば巨大な被害になります。しかし一人ひとりにとっては「自分の1枚くらい」で、回収コストを負担する強い動機が働きにくい。この構造は、まさに『共有地の悲劇』そのものです。だからこそ、個人の善意だけに頼るのではなく、後述するマーキングの義務化・デポジット制度・回収の仕組み化といった、社会全体のルールづくりが不可欠になります。

気候変動も一因に

近年は海水温上昇と海流変化にともなう異常気象の激化も、漁具の流失を増やす要因として指摘されています。台風や高波が強く・頻繁になれば、それだけ漁具が失われるリスクも高まります。ゴーストギア問題は、気候変動という大きな課題とも地続きなのです。

回収と予防――世界が動き出した対策の最前線

ここまで読むと暗い気持ちになるかもしれませんが、対策は確実に前進しています。ゴーストギア対策は大きく「出さない(予防)」「回収する(除去)」の2本柱で進められています。順に見ていきましょう。この2つは車の両輪のような関係です。いくら回収しても新しく失われる量が上回れば海の漁具は減りませんし、予防だけでは既に海にある膨大なゴーストギアはなくなりません。だからこそ、蛇口を締める『予防』と、床に溢れた水を拭く『回収』の両方を同時に進める必要があります。近年は、この両輪を国境を越えて回すための国際的な枠組みも整いつつあります。

国際的な旗振り役『GGGI』とFAOのルールづくり

この分野を世界規模で牽引しているのが、2015年に発足したGGGI(Global Ghost Gear Initiative/世界幽霊漁具イニシアチブ)です。GGGIには2021年時点で17か国の政府をはじめ、100を超える企業・NGO・研究機関・国際機関などが参加し(その後も参加国・組織は拡大を続けています)、漁具管理のベストプラクティスを共有しています。この動きを受けてFAOは、2018年に「漁具マーキングに関する任意ガイドライン(VGMFG)」を採択しました。漁具に持ち主がわかる目印をつければ、流失時の回収や責任の所在が明確になり、放棄の抑止にもつながります。自動車にナンバープレートがあるように、漁具にも『身元』を与えようという発想です。FAOはさらに2019年、GGGIと協力して南西太平洋・東南アジア・西アフリカ・南米カリブといった各地域でワークショップを開き、マーキングの手法や漁具管理のベストプラクティスを現場へ広げてきました。

漁具マーキング・回収・リサイクルなどゴーストギア対策の全体像を示すフラットな図解
ゴーストギア対策は『予防・回収・リサイクル』の循環で進められている。

G7・国際社会の関心も高まる

ゴーストギアは主要国の政策課題にもなっています。OECDは2021年に「G7によるゴーストフィッシング漁具対策に向けて」と題した政策提言を公表し、漁具の設計改善・回収・データ整備などを各国に促しました。国連のプラスチック汚染に関する国際条約づくりの議論でも、漁具は重要な論点の一つとして扱われています。ゴーストギアは、いまや一国だけでは解決できないグローバルな課題として認識されているのです。

回収されたゴーストギアは『資源』になる

回収面でも希望があります。世界各地でダイバーや漁業者による回収活動が行われ、引き上げられた漁網はナイロン素材として再生される取り組みが広がっています。使用済み漁網を回収してカーペットや衣料、水着、サングラスなどの製品に生まれ変わらせる企業も登場しました。『捨てればごみ、集めれば資源』——ゴーストギアを負債から価値へ転換する循環経済の発想が、少しずつ現実になっています。回収した漁網に買い取り価格がつけば、漁業者や地域にとって回収が『負担』ではなく『収入』になり、放置された漁具を進んで集める動機が生まれます。罰則で縛るのではなく、経済的なインセンティブで人を動かすこの発想は、前述した『共有地の悲劇』を乗り越える現実的な処方箋として注目されています。

テクノロジーの活用も進んでいます。GPS付きのブイや電子タグで漁具の位置をリアルタイムに追跡できれば、流失してもすぐに回収に向かえます。人工衛星やドローンによる漂流ごみの検出、失われた漁具の位置を漁業者どうしで共有するアプリなど、『失っても見つけられる』仕組みづくりが各国で試みられています。ゴーストギア対策は、地道な清掃活動から最先端のデジタル技術まで、あらゆる手段を組み合わせた総力戦の様相を呈しているのです。

予防と回収――対策の2本柱

  • 予防:漁具マーキングの導入、丈夫で失いにくい漁具設計、使用済み漁具の適正処理
  • 回収:ダイバー・漁業者による回収活動、位置を追える電子タグ・ブイの活用
  • 循環:回収した漁網をナイロン製品へリサイクルし『資源』として再利用
  • ルール:GGGIやFAOガイドライン、国連条約による国際的な枠組みづくり

生分解性漁具という希望と、その課題

予防と回収に加えて、もう一つの有望なアプローチが「そもそも自然に還る素材で漁具を作る」という発想です。もし漁具が海の中で一定期間後に生分解されれば、たとえ失われてもゴーストフィッシングが永遠に続くことはなくなります。これが生分解性漁具の考え方です。

日本発の研究が世界を動かす

この分野では日本の研究が世界的に注目されています。2025年、東京大学・九州大学・愛媛大学などの研究グループは、これまで分解しないとされてきた市販のナイロン系釣り糸の一部が、実は海洋中で生分解することを発見しました。ナイロン6とナイロン6,6の共重合体でできた釣り糸は、すでに量産・市販されていてコストも実用的であるため、ゴーストギア問題の『決定打』になりうると期待されています。群馬大学の粕谷健一教授らのグループも、漁具に応用できる新たな生分解性素材の開発を進めています。

海の中で漁網が時間とともに分解して消えていく様子を段階的に示したフラットな図解
生分解性漁具なら、海に失われても一定期間後に分解され、ゴーストフィッシングを防げる。

実証も進んでいます。愛媛県愛南町では大規模なフィールド試験が行われ、生分解性の釣り糸による海洋汚染の歯止め効果が検証されています。これは海洋プラスチックの分解の科学が、現場の漁業に応用されつつある好例と言えます。日本は世界有数の水産国であり、それだけに漁具由来のごみに対する責任も大きい一方、素材科学や精密なものづくりの強みを生かして『解決策を輸出する国』になれる可能性も秘めています。ゴーストギア問題は、日本にとって課題であると同時に、技術で世界に貢献できる好機でもあるのです。

研究室で生分解性の漁具素材を開発する研究者を描いたフラットなイラスト
日本発の素材研究が、ゴーストギア問題解決の鍵を握ると期待されている。

『魔法の素材』ではない――残る課題

生分解性漁具のもう一つの意義は、失われた後の被害期間を『無限』から『有限』へと変える点にあります。従来のナイロン漁具は数十年から数百年にわたって漁を続けますが、もし数年で分解される素材なら、ゴーストフィッシングの期間は劇的に短くなります。完全に失われないことが理想ですが、『失われても被害が永遠には続かない』という保険をかけられること自体が、大きな前進なのです。予防・回収と並ぶ、いわば『第三の防波堤』と言えるでしょう。

ただし、生分解性漁具は万能の解決策ではありません。乗り越えるべき課題も少なくないのが実情です。第一に強度と耐久性。漁具は使用中は丈夫でなければならず、失われた後だけ都合よく分解してほしいという、相反する性質が求められます。第二に分解速度の制御。早く分解しすぎれば漁の最中に壊れ、遅すぎればゴーストフィッシングを防げません。第三にコスト。従来のプラスチック漁具より高価であれば、漁業者に普及しにくいのです。

生分解性漁具の課題求められること
強度・耐久性使用中は従来漁具と同等に丈夫であること
分解速度の制御使用中は分解せず、失われた後に適切な期間で分解すること
コスト漁業者が導入できる価格に近づけること
分解の確実性海の低温・暗所・深海でも確実に分解が進むこと
生分解性漁具の実用化に向けた主な課題。

『生分解性』の落とし穴

『生分解性』と表示されていても、高温の工業的な堆肥化施設でしか分解しない素材も多く、冷たく暗い海の中では従来プラスチックと同じように残り続けることがあります。だからこそ『海洋生分解性(海の環境で分解する)』が確認された素材かどうかを見極めることが重要です。ラベルの言葉だけで安心しない姿勢が、消費者にも求められます。

日本の取り組みと、私たちにできること

最後に、日本国内の動きと、市民として私たちにできることを整理しておきましょう。ゴーストギアは規模の大きな問題ですが、政策・産業・個人のそれぞれのレベルで打てる手があります。四方を海に囲まれ、世界有数の水産物消費国である日本にとって、この問題は決して他人事ではありません。豊かな漁場の恵みを受け取ってきたからこそ、その海を次の世代に手渡す責任もまた、私たちにあるはずです。

水産庁・環境省の動き

日本でも対策は進んでいます。水産庁は2019年に「漁業におけるプラスチック資源循環問題に対する今後の取組」を取りまとめ、生分解性など環境配慮素材を用いた漁具の開発・実証支援、海洋ごみの回収促進、使用済み漁具の適正・迅速な処理、使用中の漁具の適正管理などを打ち出しました。環境省も海洋プラスチックごみ対策全体の中で、漁業由来のごみを重要課題として位置づけています。笹川平和財団海洋政策研究所なども、放棄・投棄漁具に関する政策研究を継続的に発信しています。

日本には、漁業者自身が海の掃除の担い手になる仕組みも根づきつつあります。漁の最中に網にかかった海底のごみを持ち帰って処理する『海洋ごみ回収・処理』の取り組みは、その代表例です。魚を獲る人が同時に海を守る人になる——この当事者による循環は、外部の善意だけに頼らない持続的な対策として、国際的にも高く評価されています。漁業を『問題の発生源』とだけ捉えるのではなく、『解決の主役』として位置づける発想の転換が、いま静かに進んでいるのです。

ビーチクリーンで漁網やロープを回収する人々を描いた、市民参加を促す明るいイラスト
海辺の清掃活動は、漂着したゴーストギアを回収する身近な一歩になる。

消費者・市民としてできること

「漁業の話だから自分には関係ない」と思うかもしれませんが、そんなことはありません。私たちの選択や行動も、確かに問題解決に寄与します。私たちが食べる魚は、誰かが漁具を使って獲ったものです。その漁具の一部が海に残り、次の命を奪っている——この連鎖の当事者に、消費者もまた含まれています。難しいことをする必要はなく、日常の中でできる小さな一歩から始められます。

  • 海辺の清掃活動に参加する:漂着した漁網やロープを回収する直接的な貢献になる
  • 釣りをするなら仕掛けを持ち帰る:レジャーの釣り糸・仕掛けも立派なゴーストギアの原因になる
  • 回収漁網を再生した製品を選ぶ:リサイクルナイロン製品を買うことで循環を後押しする
  • 持続可能な水産物を選ぶ:MSC認証など、環境に配慮した漁業の水産物を選ぶ
  • 問題を知り、伝える:SNSや会話でゴーストギアの存在を共有し、関心の輪を広げる

今日からできる一歩

  • 近所の海辺・川辺の清掃イベントを一度調べてみる
  • 釣りやレジャーで出た糸・プラスチックは必ず持ち帰る
  • 『海洋生分解性』『リサイクルナイロン』などの表示に注目して買い物する

ゴーストギアは、海の見えない場所で静かに進行する問題です。だからこそ「知ること」自体が、対策の最初の一歩になります。この記事を読んで得た知識を、ぜひ身近な人にも共有してください。関心を持つ人が増えることが、政策や産業を動かす一番の力になります。

まとめ――『幽霊』を海から追い出すために

ゴーストギアは、持ち主を失っても漁を続ける「不死身の漁具」であり、海洋プラスチックごみの少なくとも1割、大型プラスチックに至っては最大7割を占める、海洋環境問題の主要プレイヤーです。毎年50万〜100万トンが海に流れ込み、ウミガメ・クジラ・海鳥など数百種の生き物を苦しめ、サンゴ礁などの生息地も破壊しています。

しかし希望もあります。GGGIやFAOによる国際ルールづくり、漁具マーキングや回収・リサイクルの仕組み、そして日本発の生分解性漁具の研究——世界は確実に動き始めています。この問題の良いところは、原因がはっきりしていて、打つべき手も見えていることです。あとは、それを支える一人ひとりの関心と行動を、どれだけ大きな流れにできるかにかかっています。海の『幽霊』を成仏させられるかどうかは、遠い誰かではなく、この記事を読んでいるあなたを含む私たちの選択にかかっているのです。

この記事のまとめ

  • ゴーストギア(幽霊漁具)とは、海に放棄・遺失・投棄された漁網・ロープ・釣り糸・カゴなどの漁具(ALDFG)で、持ち主を失っても生き物を獲り続ける
  • 海洋プラスチックごみ全体の少なくとも10%、海面の大型プラスチックでは最大70%、太平洋ごみベルトでは46%を漁具が占める
  • 毎年およそ50万〜100万トン、漁具全体の約2%が海に失われ、分解されずに蓄積し続ける
  • 海洋哺乳類の66%・海鳥の50%・全7種のウミガメが被害を受け、サンゴ礁など生息地も破壊される
  • 多くは意図的投棄ではなく、悪天候・根がかり・衝突など構造的な原因で失われる
  • 対策はGGGI・FAOの国際ルール、漁具マーキング、回収・リサイクル、生分解性漁具の開発が柱
  • 清掃参加・仕掛けの持ち帰り・リサイクル製品選び・情報共有など、市民にもできることがある

参考文献・出典

  1. 水産庁 – 漁業におけるプラスチック資源循環問題に対する今後の取組(海洋プラスチックごみ対策)
  2. 環境省 – 海洋プラスチック問題の解決に向けた環境省の取組について
  3. FAO(国連食糧農業機関) – Voluntary Guidelines on the Marking of Fishing Gear(漁具マーキングに関する任意ガイドライン)
  4. WWF – Stop Ghost Gear: The most deadly form of marine plastic debris(2020年報告書)
  5. Science Advances – Richardson et al. (2022) Global estimates of fishing gear lost to the ocean each year
  6. Scientific Reports(Nature) – Lebreton et al. (2018) Evidence that the Great Pacific Garbage Patch is rapidly accumulating plastic
  7. OECD – Towards G7 Action to Combat Ghost Fishing Gear(2021年政策提言)
  8. 東京大学大学院新領域創成科学研究科 – これまで分解しないとされていた市販の釣り糸が海洋で生分解することを発見(記者発表)
  9. 笹川平和財団 海洋政策研究所 – 「海の論考」放棄・投棄された漁具による海洋汚染について(豊島淳子, 2021)
  10. The Global Ghost Gear Initiative(GGGI) – 世界幽霊漁具イニシアチブ 公式サイト・リソース

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