⚡ 30秒でわかる答え
- ウインドチャレンジャーは、高さ最大53mまで伸縮する硬翼帆で風の力を推進力に変え、エンジンの燃料消費を減らす商船三井の技術である。
- 実証船「松風丸」は竣工から約18か月・7往復の実航海で、1日最大17%、航海平均5〜8%の燃料節減を確認した。
- 商船三井は2030年までに25隻、2035年までに80隻へウインドチャレンジャー搭載船を拡大する計画を掲げている。
- 石炭輸送船の改造搭載や、LNG船・LCO2輸送船の新造設計にも応用が広がっている。
巨大な貨物船の甲板に、翼のような白い帆がそびえ立つ。これは帆船時代への回帰ではなく、商船三井が実用化した最先端の風力推進技術「ウインドチャレンジャー」である。
国際海運は世界のCO2排出量の約3%を占めるとされ、国際海事機関(IMO)は2050年前後のネットゼロを目指す規制を強化している。エンジンの燃料を燃やして進む船に、無料で吹き続ける風の力を組み合わせることができれば、燃料消費と排出量を直接的に減らせる。
ウインドチャレンジャーは、この発想を硬翼帆という工学技術で実現し、実際の商業航路で燃料節減の実測データを積み上げてきた技術である。本記事では、その仕組みと実証結果、今後の搭載計画までを一次資料に基づいて整理する。
この記事で学べること
- ウインドチャレンジャーの硬翼帆がどのように風力を推進力へ変えるか
- 実証船「松風丸」で得られた燃料節減の実測データ
- 石炭輸送船だけでなくLNG船・LCO2船にも広がる搭載計画
- 国際海運のGHG規制と風力推進技術が結びつく背景
- 帆による脱炭素化の限界と、他の技術との組み合わせ方
ウインドチャレンジャーとは何か
「ウインドチャレンジャー」は、商船三井が中心となって開発した硬翼帆式風力推進装置である。布製の帆ではなく、飛行機の翼のような硬い構造物(硬翼帆)を船の甲板に立て、風を受けて推進力を生み出す。
最大の特徴は、帆の高さを最大53mまで伸縮できる点にある。強風時や港湾での荷役時、橋の下を通過する際には帆を収縮させ、外洋の巡航時には帆を伸ばして風を最大限に活用する。開発は東京大学などの研究機関と連携し、2009年頃から基礎研究が積み重ねられてきた。
研究の出発点は2009年の東京大学
ウインドチャレンジャーの原型となる研究は、2009年10月に東京大学工学系研究科を中心とした産学共同研究として始まった。同年12月には大内一之特任教授(東京大学大学院工学系研究科システム創成学専攻)らが「ウィンドチャレンジャー計画」として発表会を開催し、鵜沢潔特任准教授、早稲田卓爾准教授(同大学大学院新領域創成科学研究科)らとともに、同性能の従来型機走船と比べて燃料使用量を3分の1以下にすることを目標とした「帆主機従」の新形式風力推進船の研究開発を進めた。
2013年からは国土交通省の「次世代海洋関連技術研究開発費補助金」の交付対象事業に選定され、産学連携での実用化研究が加速した。2018年1月以降は商船三井と大島造船所が中心となって開発を引き継ぎ、大学発の基礎研究を実際の商業船に搭載できる工業製品へと磨き上げていった。約10年にわたる研究の蓄積が、2022年の実船搭載という形で結実したことになる。
第1船「松風丸」の建造
ウインドチャレンジャーを世界で初めて実装した石炭輸送船が「松風丸」である。大島造船所(長崎県)で建造され、2022年10月に竣工した。硬翼帆1基を搭載し、東北電力向けの石炭輸送専用船として、主にオーストラリア・インドネシア・北米からの航路で運航している。竣工に先立ち、この搭載計画は国土交通省の「環境性能等に優れた船舶(特定船舶)導入計画」としても認定されており、国の環境政策としても後押しを受けた事業であることがうかがえる。
松風丸という船名には、風を動力源とする新しい世代の船であることへの期待が込められている。石炭輸送船を最初の実証対象に選んだ背景には、資源輸送船は長距離の外洋航路を定期的に往復するため、風況データの蓄積や燃費改善効果の検証がしやすいという事情がある。

帆はどう風をとらえるのか
ウインドチャレンジャーの硬翼帆は、単に風を受け止める板ではなく、航空機の翼と同じ原理で「揚力」を生み出す断面形状を持つ。風向きに合わせて帆の角度を自動調整することで、追い風だけでなく横風や斜め前方からの風でも効率よく推進力に変換できる設計になっている。船橋(ブリッジ)のシステムが気象データと航路情報をもとに帆の角度と高さを自動制御し、乗組員が常時操作する必要がない点も実用化のポイントとなった。
従来のヨットの帆が「風を受け流して進む」原理に近いのに対し、硬翼帆は断面形状が固定された翼型構造であるため、より安定した揚力を発生させやすく、強風時にも制御しやすいという特性がある。台風接近時など危険な気象条件では、帆を最も低い収縮状態まで下げることで、船体への風荷重を最小限に抑える設計になっている。
既存の船体構造を大きく変えずに搭載できる
ウインドチャレンジャーのもう一つの特徴は、帆を支える基部(マスト部分)さえ確保できれば、船体そのものの大規模な改造を必要としない点にある。新造船であれば設計段階から組み込むことができ、就航中の既存船であっても、甲板上の適切な位置に基部を設置する改造工事によって後付けできる。この汎用性の高さが、石炭船・LNG船といった船種の異なる船舶へ横展開できた技術的な背景になっている。
この「後付けしやすさ」は、海運業界全体で見たときに大きな意味を持つ。船舶は建造から解役まで20〜30年程度使われ続けることが多く、船隊の入れ替えには長い年月がかかる。すべての排出削減を新造船だけに頼るのであれば、船隊全体の性能改善には数十年単位の時間が必要になる。既存船に後付けできる技術があれば、現在稼働中の船隊にも短期間で排出削減効果を及ぼすことができ、新造船の導入と並行して排出削減のペースを速められる。
帆の材質には軽量かつ高強度な複合材料が用いられており、長期間の洋上環境(塩害・紫外線・繰り返しの風荷重)に耐える耐久性が求められる。可動部にはメンテナンス性も考慮されており、定期的な点検・整備のサイクルは既存の船舶機器の保守体制に組み込む形で運用されている。海上を長期間航行する商業船に搭載する以上、性能そのものだけでなく、こうした「壊れにくさ」「直しやすさ」も実用化の重要な条件となる。
実証データが示す燃料節減効果
「松風丸」は竣工後、約18か月間(2024年4月まで)にわたり日本への往復航海を7回実施し、ウインドチャレンジャーの性能を実測で検証した。
| 指標 | 実測結果 |
|---|---|
| 1日あたりの最大燃料節減率 | 17% |
| 1航海あたりの平均燃料節減率 | 5〜8%(竣工前の想定通り) |
| 検証期間 | 竣工から約18か月・往復7航海 |
| 主な航路 | オーストラリア・インドネシア・北米 → 日本 |
節減率は風況によって変動するが、航路によっては日本〜オーストラリア間で約5%、日本〜北米西岸間で約8%の削減効果が見込まれるとされる。風が強く安定して吹く条件では、1日単位で17%という大きな節減が確認された点が、この技術の実用性を裏付けている。
重要なのは、これらの数値が実験室でのシミュレーションではなく、実際の商業航路を7往復した上での実測値だという点である。海運業界では新技術に対して「机上の性能」と「実運航での性能」の間にギャップが生じることが少なくないが、松風丸のケースでは竣工前の想定(5〜8%)を実運航でもほぼ再現できたことが、その後の搭載拡大計画を後押しする材料になったとみられる。
燃料節減率は、CO2排出量の削減率にほぼ比例する。船舶用燃料(重油)は燃焼時に一定量のCO2を排出するため、燃料消費量を5〜8%減らせれば、その航海で排出されるCO2もおおむね同じ割合で減る計算になる。1隻あたりの削減量は決して小さくはなく、これが数十隻・数百隻規模で積み上がれば、海運会社全体のCO2排出量に目に見える影響を与える水準になる。

帆1本でもGHG排出を5〜8%削減
商船三井によれば、ウインドチャレンジャーを1基搭載することで、同型の従来船と比較して温室効果ガス(GHG)排出量を平均5〜8%程度削減できると見込まれている。帆を2本搭載する船型や、回転式のローターセイルと組み合わせる構成では、削減率をさらに引き上げる設計も検討されている。
燃料節減率がそのまま燃料費の削減に直結する点も、海運会社にとって導入を後押しする要因となる。長期にわたって同一航路を往復する専用船(発電会社向けの石炭輸送船など)は、燃料コストの削減効果を長期間にわたって享受できるため、設備投資の回収計画が立てやすいという特徴がある。松風丸が発電事業者向けの専用船として最初の実証対象に選ばれた背景にも、こうした投資回収の見通しやすさがあったと考えられる。
松風丸の実証で分かったこと
- 竣工前の想定(平均5〜8%)を実運航でもほぼ再現できた。
- 風況が良い日には1日単位で17%という大きな節減も観測された。
- 約18か月・7往復という長期の実航海データに基づく検証である。
搭載拡大の計画と広がる応用分野
商船三井は2050年までのネットゼロ・エミッション達成を経営目標に掲げており、その主要な施策の一つに「燃費効率の改善」を位置づけている。ウインドチャレンジャー搭載船については、2030年までに25隻、2035年までに80隻への拡大を計画している。
- 石炭輸送船(新造・既存船改造の双方)
- ドライバルク船(穀物・鉱石などのばら積み貨物船)
- LNG(液化天然ガス)輸送船
- LCO2(液化CO2)輸送船の新造設計
既存船への改造搭載という世界初の挑戦
電源開発(Jパワー)向けの石炭輸送船「黒滝山丸Ⅲ」では、新造ではなく就航中の既存船にウインドチャレンジャーを後から搭載する改造工事が完了した。これは世界初の事例とされ、すでに稼働している船隊にも風力推進技術を展開できることを示した点で意義が大きい。新造船だけに頼らず、既存の船舶ストックを生かしながら排出削減を進められる道筋が開けたことになる。
LNG船・LCO2船への展開
商船三井はLNG輸送船に硬翼帆2基を搭載する世界初の事例も進めている。さらに、韓国・サムスン重工業と共同で、ウインドチャレンジャー3基を搭載する4万立方メートル級のLCO2輸送船の概念設計を開発し、船級協会ClassNKから基本設計承認(AiP)を取得した。CO2を回収して地中に貯留するCCS(Carbon Capture and Storage)事業の広がりに伴い、CO2そのものを船で輸送する需要が今後増える見込みで、その輸送段階でも風力推進による排出削減を組み込もうとする動きである。
LCO2輸送船へのウインドチャレンジャー搭載構想が注目される理由は、CCS事業そのものが「CO2を減らすための輸送で新たなCO2を排出してしまう」という矛盾を抱えやすいためである。CO2を圧縮・液化して船で長距離輸送する工程はエネルギーを消費するため、輸送段階そのものの排出をできるだけ抑える工夫が求められる。3基のウインドチャレンジャーを搭載する設計は、CCSサプライチェーン全体の排出削減効果を高める狙いがあるとみられる。
| 船種 | 搭載基数の例 | 特徴 |
|---|---|---|
| 石炭輸送船「松風丸」 | 1基 | 世界初の実装・実証データを取得 |
| 石炭輸送船「黒滝山丸Ⅲ」 | 1基 | 既存船への改造搭載として世界初 |
| LNG輸送船 | 2基 | 世界初の2基搭載事例 |
| LCO2輸送船(概念設計) | 3基 | サムスン重工業と共同開発・AiP取得 |

なぜ今、帆が見直されているのか
国際海運は世界のCO2排出量の約2〜3%を占めるとされ、国際海事機関(IMO)は2023年に温室効果ガス削減戦略を改訂し、2050年前後のネットゼロ達成を目指す方針を全会一致で合意した。これに先立ち2023年1月からは、既存船の燃費性能を評価する「EEXI規制」と、実際の燃費実績を格付けする「CII(燃費実績格付け)制度」が世界の大型外航船を対象に適用開始されている。船会社は自社の船隊がこれらの規制・格付けに適合しているかを継続的に評価され、格付けが低い船は今後の運航や取引に不利になる可能性がある。
船舶からの排出削減には、燃料そのものをアンモニアやメタノールなど低炭素燃料へ転換する方法(詳しくは国際海運の脱炭素とは?IMO規制とアンモニア・メタノール燃料への転換を徹底解説を参照)と、風力などの自然エネルギーを補助的に活用してエンジンの負荷そのものを減らす方法の、大きく2つのアプローチがある。IMOは2025年4月の会合(MEPC83)でカーボンプライシングを含むネットゼロ枠組みを承認しており、2027年の発効・2028年の施行が予定されている。排出に価格が付くようになれば、燃料を節約できる技術ほど経済的な価値も高まっていく。
ウインドチャレンジャーは後者(自然エネルギー活用)の代表例であり、燃料の種類を問わず既存のディーゼルエンジン船にも組み合わせられる点が実用面での強みとなっている。新燃料へのフルモデルチェンジには燃料供給インフラの整備が不可欠だが、風力推進は既存のエンジンと燃料を使いながら段階的に排出削減を進められる、いわば「橋渡し」の技術としても位置づけられる。
小型船にも広がる風力活用
- 大型商船だけでなく、漁船の分野でも風力や電動化を組み合わせた燃費改善の取り組みが進んでいる(関連記事:漁船の脱炭素化とは|燃費改善と電動化最前線)。
- 帆による推進アシストは、船の大きさや航路を問わず応用できる汎用性の高い技術として注目されている。
風力推進技術の限界
一方で、風力推進には限界もある。風がほとんど吹かない海域や、向かい風が続く航路では節減効果が小さくなる。また帆の設置には甲板上のスペースやクレーンなど荷役機器との干渉を避ける設計が必要で、既存船への後付けにはコストと工期がかかる。ウインドチャレンジャーはあくまでエンジンを補助する装置であり、単独で船を動かす主動力ではない点に留意が必要である。
船種によっては帆の設置スペースを確保しにくいケースもある。コンテナ船のように甲板上にコンテナを高く積み上げる船型では、帆の可動域や視界確保との両立が課題になりやすく、比較的甲板が開けているばら積み貨物船やタンカー、LNG船から実用化が先行しているのはこうした事情もある。
また、風力推進による削減効果は航路によって大きくばらつくため、「この技術を搭載すれば一律で何%削減できる」と単純に言い切れない点にも注意が必要である。実際の削減率は、季節ごとの卓越風、航路が通る緯度帯、船の速力設定など複数の要因によって変動する。商船三井が長期間の実航海データを積み上げてから搭載拡大に踏み切った背景には、こうした変動要因を十分に見極める必要があったことも影響しているとみられる。
商船三井の脱炭素戦略の中での位置づけ
商船三井は「BLUE ACTION MOL」と名付けた環境戦略のもとで、ウインドチャレンジャーを含む複数の技術を組み合わせて2050年ネットゼロを目指している。風力推進はその中でも、追加の燃料調達コストがかからず、一度設置すれば継続的に燃料費を削減できる技術として位置づけられている。
- 風力推進装置(ウインドチャレンジャー等)による燃費改善
- アンモニア・メタノールなど代替燃料船の導入
- 省エネ運航(減速航行・最適航路選択)の徹底
- 陸上電源利用など港湾停泊中の排出削減
特に石炭やLNGなど資源輸送は長距離の外洋航路が多く、風況の恩恵を受けやすいという特性がある。商船三井が石炭輸送船から検証を始め、LNG船・LCO2船へと展開している背景には、こうした航路特性を踏まえた実用化の優先順位があるとみられる。
他社・海外でも進む風力推進の実用化
風力を活用した省エネ航海技術に取り組んでいるのは商船三井だけではない。海外ではフィンランドのノースパワー(Norsepower)社が「ローター帆(回転筒を利用したマグナス効果推進装置)」を開発し、フェリーやタンカーへの搭載実績を積み上げている。日本国内でも複数の海運会社・造船所が凧(カイト)型の推進補助装置や、ローター帆と硬翼帆を組み合わせたハイブリッド型の検討を進めており、風力推進は一社の独自技術という段階から、業界共通の選択肢の一つへと広がりつつある。
風力推進技術には、硬翼帆(ウインドチャレンジャー型)、回転筒を使うローター帆、凧のように上空高くまで揚げるカイト型など、複数の方式が存在する。それぞれ得意とする風向き・船型・設置スペースが異なり、今後は船種や航路の特性に応じて最適な方式を選ぶ、あるいは複数方式を組み合わせるという展開も考えられる。単一の「正解」技術が業界を制覇するというより、複数の技術が併存しながら海運全体の燃費改善に寄与していく可能性が高い。

船会社・荷主にとっての意味
ウインドチャレンジャーの搭載拡大は、商船三井単独の取り組みにとどまらない広がりを持つ。石炭やLNGなどの資源を輸送する船会社にとって、燃費性能はCII格付けを通じて評価される公的な指標になりつつあり、荷主企業にとっても、自社のサプライチェーンにおける輸送段階の排出量(スコープ3排出量)を管理する上で、輸送を委託する船会社の環境性能は無視できない要素になってきている。
荷主側の脱炭素目標との連動
電力会社や資源商社など大口の荷主企業の多くは、自社の温室効果ガス排出削減目標を掲げており、その達成にはScope3(サプライチェーン全体)の排出量削減が欠かせない。松風丸が特定の電力会社向けの専用船として運航されている点は、輸送を発注する荷主側にとっても、燃料節減による排出削減効果を自社の環境実績として位置づけられるというメリットがあることを示している。船会社の技術投資が、荷主企業の脱炭素目標達成を後押しする構図がここにはある。
こうした構図は、電力・資源・素材といった重厚長大産業のサプライチェーン全体に広がりつつある。原料や燃料の調達から製品の製造、輸送、販売に至るまでの各段階でCO2排出量を可視化し、削減を積み上げていく取り組みは、大口の荷主企業ほど株主や取引先からの説明責任を求められやすい。輸送段階の排出削減に貢献する技術を積極的に採用する船会社と長期契約を結ぶことは、荷主企業にとっても自社の排出量報告の質を高める材料になる。
海運業界全体への波及効果
1社の技術開発が業界標準になっていく過程では、実証データの公開と共有が重要な役割を果たす。商船三井が松風丸の燃料節減実績を具体的な数値で公表してきたことは、他の船会社が自社での風力推進技術導入を検討する際の判断材料にもなっている。海外のノースパワー社によるローター帆の実用化事例と合わせて、風力推進技術全体の信頼性が高まれば、業界全体での採用がさらに加速する可能性がある。
海運の脱炭素は複合技術の時代へ
ウインドチャレンジャーの実証結果が示すのは、「1つの技術だけで劇的に排出量を減らす」のではなく、燃料転換・省エネ運航・自然エネルギー活用を組み合わせて少しずつ削減を積み上げていくという海運業界の現実的なアプローチである。
5〜8%という数字は一見小さく見えるかもしれないが、世界の海運船隊全体に広がれば、その積み上げは国際海運全体の排出削減に無視できない規模で寄与する。既存船への改造搭載という世界初の事例が生まれたことも、この技術が実験段階から実用普及の段階へ移行しつつあることを示している。
2009年の東京大学での基礎研究発足から、2022年の実船竣工、2026年の既存船改造搭載完了まで、ウインドチャレンジャーは約15年をかけて着実にステップを積み重ねてきた技術である。派手な発表よりも実測データの積み上げを重視するこのアプローチは、海運業界のように長期間・大規模な設備投資を伴う産業における技術導入のあり方として、一つの参考例になるだろう。
この記事のまとめ
- ウインドチャレンジャーは高さ最大53mの硬翼帆で風力を推進力に変える商船三井の技術。
- 実証船「松風丸」は1日最大17%、航海平均5〜8%の燃料節減を実測で確認した。
- 2030年までに25隻、2035年までに80隻への搭載拡大を計画している。
- 石炭船に加え、既存船改造・LNG船・LCO2輸送船へと応用が広がっている。
- 風力推進は燃料転換や省エネ運航と組み合わせる「複合技術」の一部として位置づけられる。

帆船時代への回帰ではなく最新の工学技術
「帆で船を動かす」という説明を聞くと、大航海時代の帆船をイメージする人も多いかもしれない。しかし、ウインドチャレンジャーは布の帆を人力で操作する帆船とは根本的に異なる技術である。硬翼帆は複合材料やスチールで作られた工業製品であり、センサーとコンピューター制御によって自動的に最適な角度・高さへ調整される。乗組員が帆を上げ下げする作業は不要で、船橋のシステムが気象データをもとに自律的に運用する点は、現代の省エネ技術そのものである。
「主機従」ではなく「帆主機従」という設計思想
東京大学での基礎研究段階では、エンジンを補助的な位置づけとし、帆を主動力に据える「帆主機従」の船型が目標として掲げられ、燃料使用量を従来船の3分の1以下にすることが研究目標とされていた。実際に商用化されたウインドチャレンジャーは、エンジンを主動力としながら帆で燃料消費を補助的に減らす構成になっており、研究段階の野心的な目標と、実際に商業運航で採用可能な現実的な仕様との間で、実用化に向けた調整が行われてきたことがうかがえる。研究目標がそのまま実装されるわけではなく、安全性・運航効率・コストのバランスをとりながら製品化されていくのは、多くの環境技術に共通するプロセスである。
船員の安全確保という視点
大型の帆を洋上で運用するにあたっては、強風時や荒天時の安全確保が欠かせない。ウインドチャレンジャーは台風接近時など危険が予想される場合に帆を収縮させ、船体への風荷重を抑える設計になっている。また、自動制御によって乗組員が帆の操作に時間を割く必要がないため、従来の帆船で必要とされていた専門的な操帆技術や人員配置を新たに用意する必要がない点も、商業運航への導入障壁を下げている。
現代の商船は少人数の乗組員で長期間の航海をこなす必要があり、乗組員に新たな専門技能を要求する設備は導入のハードルが上がりやすい。ウインドチャレンジャーが「操作は自動、乗組員は監視のみ」という形で設計されている点は、乗組員の労働負荷を増やさずに環境性能を高めるという、実務面での配慮が反映された結果といえる。
導入コストと採算性をどう考えるか
新しい環境技術を評価するとき避けて通れないのが、導入コストと投資回収の見通しである。ウインドチャレンジャーのような大型の硬翼帆設備は、帆本体・可動機構・制御システムを含む相応の初期投資を必要とする。一方で、燃料費は稼働年数を通じて継続的に発生するコストであるため、燃料節減率が確保できれば、運航期間が長いほど投資回収がしやすくなる。
専用船・長期契約船との相性が良い理由
松風丸のように、特定の発電事業者向けに石炭を輸送する専用船は、同じ航路を長期にわたって反復して航行する。燃料節減率や風況データを長期間にわたって蓄積しやすく、投資回収の見通しも立てやすい。これに対し、荷主や航路が頻繁に変わる不定期船(トランパー)では、風況条件の変化が大きく、効果の見積もりがより難しくなる面がある。商船三井が石炭輸送のような専用船・長期契約船から搭載を広げてきたのは、この採算性の見通しやすさが影響していると考えられる。
燃料価格の変動というもう一つの変数
燃料節減の経済的価値は、燃料価格そのものの変動にも左右される。重油や船舶用低硫黄燃料の価格が上昇する局面では、同じ節減率でも金額換算の効果は大きくなる。加えて、前述のIMOによるカーボンプライシング(排出への価格付け)が2020年代後半に本格導入されれば、燃料を燃やして排出したCO2そのものにコストが発生するようになり、風力による燃料節減の経済的な価値は一段と高まる可能性がある。
投資判断のポイント
- 航路の風況が安定しているか(外洋の長距離航路ほど効果が出やすい)
- 同一航路での長期運航が見込めるか(専用船・長期契約船ほど回収しやすい)
- 将来の燃料価格・炭素価格の上昇リスクをどう織り込むか
国の支援策も導入を後押し
松風丸の搭載計画が国土交通省の「環境性能等に優れた船舶(特定船舶)導入計画」として認定されたように、環境性能に優れた船舶の導入には税制優遇や補助制度が用意されている場合がある。新技術の初期投資を民間企業だけで負担するのではなく、国の政策的な後押しと組み合わせることで、導入のハードルを下げる仕組みが機能してきたことも、ウインドチャレンジャーが実用化まで到達できた要因の一つといえる。
参考文献・出典
- 商船三井 プレスリリース「電源開発向け既存石炭輸送船へのウインドチャレンジャー搭載が完了」 – 既存船改造の世界初事例
- 商船三井 プレスリリース「商船三井ドライバルク運航船7隻に風力推進補助装置を搭載」 – 2030年までに25隻搭載の計画
- MOL Solutions「WIND CHALLENGER Sea Trial」 – 松風丸の実証航海データ
- Mitsui O.S.K. Lines「World's First Liquefied CO2 Carrier Equipped with Wind Challenger」 – LCO2輸送船へのAiP取得
- MOL Solutions「WIND CHALLENGER Hard Sail Completed」 – 硬翼帆の建造事例
- MOL Solutions「World's first installation of the two Wind Challenger sails for LNG carrier」 – LNG船への2基搭載事例
- 商船三井「BLUE ACTION MOL - WIND CHALLENGER」 – ウインドチャレンジャーの技術概要
- 国土交通省 国際海事機関(IMO)の温室効果ガス削減戦略 – 国際海運の排出削減目標
- 東京大学「記者会見:ウィンドチャレンジャー計画の発足」 – 2009年の研究発足の経緯
- 商船三井「ウインドチャレンジャー搭載船の導入計画が国交省『特定船舶』導入計画として認定」 – 松風丸の政策的位置づけ
※ 信頼性の高い順に配列:政府機関・学術機関 > 査読済み論文 > 専門機関 > 信頼できるメディア