⚡ 30秒でわかる答え

  • ジュゴンは海草の葉部だけでなく地下茎や根まで鼻先で掘り起こして食べ、その跡が幅30cm前後の帯状の「食み跡(フィーディングトレイル)」として藻場に残る。
  • 沖縄本島周辺の胃内容物調査では海草が内容物の95.5%を占め、地下茎・根部が43.2%に達していた。
  • IUCNは沖縄周辺の個体群を成熟個体10頭未満と推定し、近年は沖縄本島より先島諸島で食み跡の報告が増えている。
  • ジュゴンが藻場を掘り返す採餌は、海草の若い芽の再生を促す一方で炭素貯留量に影響するなど、藻場生態系そのものを形づくっている。
7%
ジュゴンが1日に食べる海草の量(体重比)
約10頭
IUCN推定・沖縄周辺個体群の成熟個体数
30cm
海草藻場に残る食み跡の典型的な幅

沖縄の遠浅の海に、幅30センチほどの帯状にえぐれた跡が点々と続いていることがある。海草の葉が食いちぎられ、時には地下茎まで掘り返された「食み跡(はみあと)」——これはジュゴンが海草を食べた痕跡だ。

ジュゴンは海に生きる哺乳類でありながら、陸上の草食動物のように海草を主食とする珍しい存在。しかも葉を食べるだけでなく、鼻先を使って栄養価の高い地下茎ごと掘り返して食べる独特の採餌行動を持つ。

本種は個体数がきわめて少なく、姿を直接目撃することは難しい。だからこそ、藻場に残された食み跡は個体の生息を示す貴重な手がかりとなり、研究者たちはドローンやDNA分析を組み合わせてその痕跡を追いかけている。この記事では、ジュゴンの食べ方の科学と、それが藻場の生態系に与える影響を見ていく。

この記事で学べること

  • ジュゴンが海草の葉だけでなく地下茎・根まで掘って食べる理由
  • 「食み跡」が藻場に残るメカニズムと調査での使われ方
  • 沖縄と先島諸島で報告されている食み跡・目撃・糞DNAの違い
  • ジュゴンの採餌が藻場の生態系サービス(ブルーカーボン等)に与える影響
  • UAV画像解析やAIが個体探索にどう使われているか

ジュゴンとは:海に適応した草食性の海獣

ジュゴン(Dugong dugon)は、ジュゴン目ジュゴン科に属する唯一の現生種で、マナティーの仲間にあたる海生哺乳類だ。体長は成体で約3メートル、体重は300〜400kgに達する。

海生哺乳類でありながら、クジラやイルカのように魚や動物性プランクトンを食べるのではなく、海草(うみくさ/シーグラス)をほぼ唯一の餌とする点が最大の特徴。この食性から英語圏では "sea cow"(海の牛)とも呼ばれる。海に生きる哺乳類の中で、完全な草食性を貫いているのはジュゴンとマナティー、すなわち「海牛目(かいぎゅうもく)」に属する種だけであり、他のクジラ目やアシカ・アザラシの仲間とは全く異なる生態的地位を占めている。

陸上に草食動物の「進化の系統」があるのと同様に、ジュゴンの祖先も陸生の植物食哺乳類から進化し、長い年月をかけて完全に水中生活へ適応したと考えられている。化石記録からは、ジュゴンの仲間が数千万年前から浅海の海草藻場に依存する生活史を続けてきたことが示唆されており、海草藻場という生態系そのものと運命を共にしてきた生物と言える。

世界の分布とオーストラリアの個体群

ジュゴンはインド洋・西太平洋の熱帯・亜熱帯沿岸に広く分布し、東アフリカから紅海、ペルシャ湾、インド、東南アジア、オーストラリア北部にかけて生息する。生息域全体で最大の個体群はオーストラリアに集中しており、同国沿岸には推定16万6000頭が生息するとされ、世界最後の主要な生息地の一つとされる。

一方、ジュゴンの分布の北限にあたるのが日本の南西諸島(琉球列島)で、ここに生息する個体群は世界の分布域の中でも極めて隔離された小さな集団にあたる。分布域の中心であるオーストラリアやインド洋沿岸から見ると、琉球列島の個体群は本流から切り離された「辺境の集団」であり、遺伝的な多様性や個体数の面でも脆弱性が高いと考えられている。

体のつくりと寿命

ジュゴンの体は流線型で、前肢はひれ状のフリッパーに、後肢は退化して尾びれ(イルカに似た三日月形)に置き換わっている。皮膚は厚く、体色は灰色がかった褐色。視力はあまり発達していない一方、上唇周辺には敏感な感覚毛(バイブリッサ)が密集しており、砂に隠れた海草の地下茎を探り当てるのに役立っていると考えられている。

寿命は野生下で70年前後に達するとされ、性成熟には10年前後を要する。出産間隔も数年に一度と長く、一度に生まれる子は基本的に1頭のみ。こうした「増えにくい」生活史も、個体数が一度減少すると回復に非常に長い時間がかかる理由のひとつになっている。

生まれた子ジュゴンは1年半〜2年ほど母親から母乳を与えられながら、少しずつ海草を食べる練習を重ねて独り立ちしていく。この間、母子は非常に近い距離を保ちながら藻場を移動するため、母子連れの食み跡がまとまって見つかることもある。個体数が少ない沖縄では、こうした母子の存在自体が個体群の将来を左右する重要な観察対象になる。

IUCNレッドリストでの位置づけ

  • 世界全体:IUCNレッドリストで「危急(VU)」に分類
  • 東アジア(日本近海含む)個体群:地域評価で「近絶滅(Critically Endangered)」相当
  • 沖縄周辺の個体群:成熟個体は10頭未満と推定
  • オーストラリア沿岸:推定16万6000頭が生息し世界最大級の個体群を維持

海草を掘って食べる:ジュゴン特有の採餌行動

ジュゴンの採餌行動でもっとも特徴的なのが、海草の葉だけでなく地下茎(根茎)まで掘り返して食べる点だ。海草は陸上の草と同じ被子植物の仲間で、海底の砂泥中に地下茎を伸ばして群落(藻場)を広げる。この地下茎にはデンプンなど栄養分が蓄積されており、ジュゴンにとっては葉よりもエネルギー効率の良い食べ物になる。

陸上の草食動物に例えるなら、葉だけを食べるのはウサギが草の穂先をかじるようなものだが、ジュゴンの採餌は畑の根菜を土ごと掘り返して収穫するイメージに近い。この「掘り返し型」の採餌は、海草にとっては地上部だけでなく再生の基盤である地下茎まで失うことを意味し、藻場に与えるインパクトも大きい。

ジュゴンは吻部(ふんぶ、鼻先の部分)を海底に押し当て、上唇にある感覚毛と筋肉質の口を使って海草を根ごと引き抜くように食べる。この採餌スタイルはマナティーとも異なり、ジュゴンにより特化した行動とされる。1日の摂食量は体重の約7%に達するとされ、体重400kgの個体であれば1日に約28kgの海草を食べる計算になる。

沖縄の胃内容物調査が示す食性

環境省が実施したジュゴンと藻場の広域的調査では、沖縄本島周辺で確認された個体の胃内容物の95.5%が海草で占められ、その内訳は葉部が52.2%、地下茎・根部が43.2%だった。半分近くが地下茎・根であることは、ジュゴンが単に表面の葉を食むだけでなく、能動的に掘り返して食べていることを裏付けている。

この調査は、混獲などで死亡した個体や漂着した個体の胃内容物を分析することで得られたデータであり、生きている個体を捕獲・解剖して行われたものではない。個体数がきわめて少ないジュゴンの生態研究では、こうした「偶発的に得られたサンプル」の分析が、生態解明の貴重な手がかりになっている。

海草の部位胃内容物に占める割合主な栄養的な役割
葉部52.2%光合成組織。繊維質は多いが消化しやすい
地下茎・根部43.2%デンプン等の貯蔵組織。エネルギー密度が高い
その他(藻類等)4.5%未満海草以外の混入物とみられる
沖縄本島周辺のジュゴン胃内容物の内訳(環境省調査より)
ジュゴンが吻部で海底の海草を掘り返して食べる様子のイラスト
ジュゴンは吻部を使って海草の地下茎ごと掘り返して食べる

好んで食べる海草の種類

沖縄の藻場には、リュウキュウスガモやウミヒルモ、ボウバアマモなど複数種の海草が混生している。ジュゴンはこの中でも比較的葉が薄く地下茎の柔らかい種を好んで採餌する傾向が報告されており、藻場の中でも種構成によって食み跡のでき方に偏りが生じることが知られている。かたい葉を持つ大型の海草よりも、栄養価が高く消化しやすい種が優先的に選ばれると考えられている。

こうした選択的な採餌は、結果として藻場内の海草の種構成そのものに影響を与える。ジュゴンに好んで食べられる種は一時的に減少し、逆に採餌されにくい種が相対的に増えるといった変化が起こりうるため、藻場のモニタリングでは海草の被度(覆っている割合)だけでなく、種ごとの構成比の変化にも注目する必要がある。

季節による採餌行動の変化

海草の生育は水温や日照時間の影響を受けるため、季節によって藻場の状態も変化する。夏場は海草の成長が旺盛で新芽が多く、ジュゴンにとって採餌しやすい時期とされる一方、水温の下がる冬場は海草の生育が緩やかになり、藻場全体の現存量も減少する傾向がある。こうした季節変動が、食み跡の出現頻度や場所の偏りにも影響していると考えられ、年間を通じた継続的な調査の重要性が指摘されている。

ジュゴンとマナティーの食べ方の違い

  • ジュゴン:海草を主食とし、地下茎まで掘り返して食べる(掘削型)
  • マナティー:海草に加え淡水・汽水域の水生植物も幅広く食べ、葉を中心に摂食(表層型に近い)
  • ジュゴンの尾びれはイルカ型(三日月形)、マナティーはうちわ型で、生息環境の違いも反映している
  • ジュゴンは完全な海生種、マナティーは淡水域にも進出できる点も生態の大きな違い

「食み跡」はどうやってできるのか

ジュゴンが海草を掘り返して食べたあとには、幅30センチ前後、長さ数メートルにおよぶ帯状の裸地、あるいは海草が地下茎付近まで刈り込まれた跡が残る。これが研究者の間で「フィーディングトレイル(feeding trail)」、日本語で「食み跡」と呼ばれるものだ。

食み跡は海草藻場の中に線状・蛇行状に伸びることが多く、一頭が一定時間かけて掘り進んだ軌跡を反映していると考えられている。潮が引いた干潟状の藻場や、リーフ内の浅場でとくに観察されやすい。

食み跡の見た目は、地下茎までごっそり掘られた「深い跡」と、葉だけが食いちぎられて地下茎が残る「浅い跡」に大別できる。跡の深さや幅、蛇行の仕方は個体の大きさや採餌にかけた時間によって変わるとみられ、複数の食み跡が重なり合っている場所は、その海域が繰り返し利用される「お気に入りの餌場」である可能性が高いと解釈される。

目撃が難しいジュゴンにとっての「痕跡調査」

ジュゴンは警戒心が強く、生息数もきわめて少ないため、船上や航空機からの目視調査だけで生息状況を把握するのは難しい。そこで環境省や研究機関は、藻場に残された食み跡の分布を記録することで、直接個体を見なくても「その海域をジュゴンが利用しているか」を推定する手法を長年用いてきた。

航空機による目視調査は天候や海面の状態に大きく左右され、波が高い日や曇天では海中のジュゴンを識別すること自体が難しくなる。船舶からの調査も、ジュゴンが警戒して船を避ける行動を取るため発見率が下がりやすい。これに対し、藻場という「動かない証拠」を確認する食み跡調査は、天候の影響を受けにくく、比較的再現性の高い手法として位置づけられている。

沖縄本島周辺では、リーフ内に形成された藻場に対し、リーフの切れ目(水路)からジュゴンが進入し、水路に近い場所で摂餌を行うことが調査で確かめられている。つまり食み跡の位置は、藻場の地形やジュゴンの回遊経路を読み解く手がかりにもなる。

食み跡調査の実際の進め方

現地調査では、干潮時に藻場が干出するタイミングを狙って調査員が藻場を踏査し、帯状に海草が刈られた跡を見つけ次第、位置をGPSで記録し、跡の幅・長さ・方向、周辺の海草の種類、掘り返しの深さなどを写真とあわせて記録していく。同じ海域を季節ごとに繰り返し調査することで、食み跡の出現頻度や場所の変化から、その海域がジュゴンにとってどの程度重要な餌場かを評価できる。

食み跡は一度できると海草の再生とともに徐々に消えていくため、調査のタイミングによって「見つかる・見つからない」が大きく変わる。このため一度の調査結果だけで生息状況を断定せず、複数年・複数季節のデータを積み重ねて傾向を読み取ることが重視されている。

この記事の要点となる3つの数字をまとめた図版
数字で見る:本文で扱う3つの指標

食み跡調査の限界

  • 食み跡は数週間〜数か月で海草が再生し消えるため、常に「最近の利用状況」しか反映しない
  • 台風後の攪乱や他の海洋生物(ウミガメ等)の摂食跡と誤認するリスクがある
  • 食み跡だけでは個体数や個体識別はできず、目撃情報・DNA分析との組み合わせが必要

沖縄から先島諸島へ:食み跡が示す分布の変化

かつて沖縄本島周辺は、日本におけるジュゴンの主要な生息域として、目撃情報や食み跡の報告が集中していた地域だった。しかし近年の研究では、2019年以前は沖縄本島周辺での目撃が中心だった一方、2020年以降は宮古・八重山などの先島諸島で食み跡の発見数が増加していることが報告されている。

この変化の背景には、沖縄本島周辺での開発や船舶往来の増加による生息環境の悪化に加え、調査体制が先島諸島にも広がったことで、これまで見過ごされてきた食み跡が新たに発見されるようになったという側面もある。つまり「先島諸島でジュゴンが増えた」というよりは、「もともと利用されていた海域の存在が、調査の拡大によって明らかになってきた」という可能性も含めて解釈する必要がある。

沖縄タイムスの報道によれば、環境省の生息調査で沖縄県内の5海域にわたって食み跡が確認され、先島諸島は恒常的な餌場になっている可能性が指摘されている。

糞DNA分析という新しい手法

目視や食み跡だけでは個体の特定や遺伝的な由来までは分からない。近年は、藻場周辺で採取した糞をDNA分析にかけることで、どの個体群に由来するジュゴンがその海域を利用しているかを特定する研究が進んでいる。宮古諸島の伊良部島と沖縄本島・久志の2地点で採取された糞のDNA分析により、離れた地点の双方にジュゴンが実際に来ていたことが裏付けられた事例も報告されている。

沖縄本島から先島諸島にかけての海域とジュゴンの食み跡・DNA調査地点を示す地図イラスト
沖縄本島から先島諸島にかけて食み跡や糞DNA調査が広がっている

こうした手法の組み合わせにより、「沖縄本島周辺の個体群は数十年かけて局所的に絶滅へ向かっている」とする研究がある一方で、「琉球列島全体で見ればジュゴンはまだ生息し続けている」とする証拠も同時に積み上がっている状況だ。

「絶滅」をめぐる評価の難しさ

沖縄本島周辺の個体群については、長年の減少傾向から「地域的に絶滅した、あるいは絶滅に近い」という評価と、それに異論を唱える立場との間で議論が続いてきた。ある研究は沖縄本島に隔離された個体群が局所絶滅への軌跡をたどっていると分析する一方、別の研究者からは、生息状況の判断を急ぎすぎることの政治的・保全上の影響を指摘する声も上がっている。この論点は、ジュゴンの保護をどの範囲・どの海域で優先すべきかという政策判断にも直結するため、科学的な調査結果の解釈自体が重要な意味を持つ。

沖縄と先島諸島、調査結果の違い

  • 沖縄本島周辺:2019年以前は目撃情報が中心。近年は確認頻度が低下
  • 先島諸島(宮古・八重山等):2020年以降、食み跡の発見数が増加傾向
  • 糞DNA分析:離れた2地点(伊良部島・久志)双方でジュゴン由来の糞を確認

ドローン(UAV)とAIが変える食み跡調査

広大な藻場を人手で歩いて食み跡を探すのは労力がかかり、見落としも生じやすい。この課題に対応するため、近年はUAV(ドローン)で藻場を空撮し、画像から食み跡を自動検出する研究が進められている。

人による踏査は、潮の満ち引きや天候、体力的な制約から一度にカバーできる範囲が限られ、複数人での長時間作業が必要になる。UAVであれば、干潮のタイミングに合わせて短時間で広範囲を撮影でき、記録された画像は後から何度でも見返して検証できるという利点もある。撮影データを蓄積すれば、同じ場所の経年変化を定量的に比較することも可能になる。

干潟状の海草藻場をUAVで撮影した画像に対し、深層学習(ディープニューラルネットワーク)を用いてジュゴンの食み跡を自動抽出する手法が開発され、広域かつ効率的なモニタリングの可能性を示している。

技術がもたらす調査の広がり

従来は研究者が直接歩ける範囲、あるいは船で近づける浅場に調査が限られていたが、UAVを使えば潮位や地形の制約を受けにくい広範囲を短時間でカバーできる。AIによる自動検出と組み合わせれば、季節ごとの食み跡の増減や、藻場のどのエリアが集中的に利用されているかといった、これまで把握しづらかったパターンも見えてくる。

画像から食み跡を自動検出する深層学習モデルは、大量の教師データ(食み跡が写った画像とその位置情報)をもとに学習させることで、人の目では見落としがちな薄い跡や、藻の陰に隠れた跡まで検出できる可能性がある。もっとも、藻場の底質や光の反射、波の模様などノイズになりうる要素も多く、誤検出を減らすためのモデル改良や、現地調査によるダブルチェックも引き続き必要とされている。

技術調査でわかりつつあること

  • 食み跡の分布は藻場内でも偏りがあり、水路に近いエリアに集中する傾向
  • 台風など攪乱後の藻場回復と食み跡再出現のタイミングの関連
  • 先島諸島など、これまで調査が手薄だった海域のモニタリング体制強化

市民参加型調査への広がりの可能性

UAVによる空撮とAI解析の組み合わせは、専門機関だけでなく、将来的には地域のダイビングショップや漁業関係者、市民科学(シチズンサイエンス)の枠組みとも連携しやすい手法とされる。実際に沖縄県内では、ジュゴンの目撃情報を広く一般から募る取り組みも行われており、専門調査と市民からの情報提供を組み合わせることで、より広範囲・高頻度のモニタリング体制を築こうとする動きが進んでいる。

ジュゴンの採餌が藻場の生態系に与える影響

ジュゴンは単に藻場から海草を「消費する」だけの存在ではない。適度な採餌による攪乱は、海草の若い芽の再生を促し、藻場全体の生産性や種構成に影響を与えることが知られている。つまりジュゴンは、藻場という生態系を作り変える「エンジニア」的な役割も担っている。

視点ジュゴンがいる藻場ジュゴンがいない藻場(一般論)
海草の更新定期的な掘り返しで若い芽の再生が促されやすい古い株が蓄積し、更新の頻度が下がる場合がある
種構成柔らかく栄養価の高い種が優占しやすい傾向攪乱が少なく、種構成が安定的に推移しやすい
利用する生物食み跡の裸地が一部の底生生物のすみかにもなる裸地が生じにくく、海草被覆率が高く保たれやすい
ジュゴンの採餌が藻場に与える影響(一般的な傾向の整理)

海草藻場は魚介類の産卵場・稚魚の隠れ家であると同時に、海底の堆積物に炭素を長期間閉じ込める「ブルーカーボン」生態系としても近年注目されている。国際的な野生生物保護の枠組み(CMS:移動性野生動物種の保存に関する条約)でも、ジュゴンが利用・管理する海草藻場の炭素貯留量をより正確に定量化し、保全・再生の根拠を強化すべきだとする議論が進められている。

海草藻場が蓄える「ブルーカーボン」は、陸上の森林が蓄える炭素(グリーンカーボン)と並んで気候変動対策の観点から注目される仕組みだ。海草の枯死した組織や根が酸素の少ない海底の泥に埋もれると、分解が進みにくく、長期間にわたって炭素が土壌中に閉じ込められる。ジュゴンの採餌は海草の一部を除去する一方で、健全な藻場の維持・更新を助けることで、結果的にこの炭素貯留機能を長期的に支えている可能性があると指摘されている。

海草藻場が魚介類の生息場所とブルーカーボンの炭素貯留を担う様子を示す断面イラスト
海草藻場は魚介類の生息場所であると同時にブルーカーボン生態系でもある

オーストラリアの事例が示す気候変動の影響

世界最大級のジュゴン個体群を抱えるグレートバリアリーフでも、海草藻場の減少と気候変動の影響でジュゴンの個体数減少が報告されている。2022年の航空調査では、都市部沿岸のジュゴン個体群が2005年以降、年平均2.3%のペースで長期的に減少していると推定された。海草藻場の消失が広範囲のジュゴン個体群に影響しうることを示す事例といえる。

グレートバリアリーフでは、大規模な洪水による濁水の流入や海水温の上昇が藻場に大きなダメージを与え、それに伴ってジュゴンの分布や個体数も変動してきた歴史がある。個体数の多いオーストラリアでも「餌場を失えば減る」という関係は変わらず、これはより個体数の少ない沖縄の個体群にとって、藻場保全の重要性を裏付ける参考事例になる。海草藻場そのものの現状については海草藻場の生物多様性や藻場再生の取り組みで詳しく解説している。

「エコシステムエンジニア」としてのジュゴン

生態学では、自身の行動によって周囲の物理的な環境を作り変える生物を「エコシステムエンジニア」と呼ぶことがある。ジュゴンの掘り返し採餌は、藻場の一部を定期的にリセットし、若い海草の再生を促すことで、藻場全体の年齢構成や種の多様性を維持する役割を果たしていると考えられている。適度な攪乱がむしろ生態系の健全性を保つ例は、陸上の草原における大型草食動物の役割ともよく似ている。

沖縄のジュゴンを守るための取り組み

沖縄県は、これまでの目撃情報や生息状況調査に基づき、ジュゴンの主要な餌場となる海域を選定し、保護対策の検討を進めている。環境省も1997年度以降、藻場の分布調査、ジュゴンの生息状況調査、胃内容物や遺伝学的分析などを継続的に実施してきた。こうした長期モニタリングの蓄積があるからこそ、近年の食み跡分布の変化や糞DNA分析の結果を「過去と比較してどう変わったか」という文脈で評価できる。単年の調査結果だけでは見えない、数十年単位の傾向を捉える基盤になっている。

藻場そのものを守ることの重要性

ジュゴンの保護を考えるうえで欠かせないのが、餌となる海草藻場そのものの保全だ。海草藻場は沿岸開発による埋め立てや水質悪化、船舶のアンカー(錨)による物理的破壊、水温上昇による衰退など、複数の脅威にさらされている。ジュゴンのように特定の生態系に強く依存する種を守ることは、その生態系全体を守ることと表裏一体になる。ジュゴン保護をめぐる詳しい経緯や近年の科学的証拠についてはジュゴンはなぜ絶滅危惧種になったのかで解説している。

漁業や観光との共存

ジュゴンが利用する藻場の多くは、地元の漁業やレジャー利用とも重なる海域にある。混獲(意図せず漁具にかかってしまうこと)の防止や、ジュゴンの餌場付近での船舶速度規制・アンカリング規制など、人の活動とジュゴンの生息を両立させる工夫が各地で模索されている。個体数がきわめて少ない沖縄の状況では、こうした地道な取り組みの一つひとつが、残された個体群の存続に直結すると言える。

世界的に見ても、ジュゴンの主要な死亡要因には混獲のほか、船舶との衝突、生息地の消失が挙げられる。個体数が数百〜数千頭規模の地域ではこうした要因による個体の損失をある程度吸収できる場合があるが、沖縄のように成熟個体が10頭に満たないとされる個体群では、1頭の死亡がそのまま個体群全体の存続可能性を左右しかねない。この点が、沖縄のジュゴン保護を特に緊急性の高い課題にしている。

国際的にも、ジュゴンはワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)や移動性野生動物種の保存に関する条約(CMS)で保護対象に位置づけられており、生息国が連携して調査・保全を進める枠組みが存在する。沖縄の個体群は分布の北限という特殊な位置にあるため、国内の対策だけでなく、こうした国際的な保全の文脈の中でも重要な参照点として扱われている。

私たちにできること

ジュゴンや藻場の研究は専門機関が担う一方、旅行者や地域住民が意識できることもある。沿岸でボートを操船する際に浅い藻場を避ける、目撃情報を自治体や研究機関に提供する、海草藻場の保全活動やビーチクリーンなどの地域活動に参加することも、間接的にジュゴンの生息環境を支える行動になる。

この記事のまとめ

  • ジュゴンは海草の葉だけでなく地下茎まで掘って食べる、海生哺乳類の中でも特殊な採餌行動を持つ
  • その痕跡である「食み跡」は、姿を見せないジュゴンの生息状況を知る重要な手がかり
  • 近年は沖縄本島から先島諸島へと食み跡の報告が広がり、糞DNA分析も分布把握に活用されている
  • ジュゴンの採餌は藻場の生態系やブルーカーボン機能にも影響し、保全は藻場全体の保全と一体で進める必要がある
この記事のポイントを箇条書きでまとめた図版
この記事のポイント。詳しくは各章で解説している

参考文献・出典

  1. 環境省 ジュゴンと藻場の広域的調査(平成13〜17年度 結果概要) – 沖縄本島周辺の胃内容物調査・藻場分布調査の結果概要
  2. 環境省 自然環境・生物多様性 ジュゴンと藻場の広域的調査(平成14年度) – リーフ内藻場の摂餌パターンに関する調査結果
  3. 沖縄県公式ホームページ ジュゴン保護対策・目撃情報 – 沖縄県による生息状況調査・餌場選定の取り組み
  4. 沖縄タイムス「絶滅危惧種ジュゴンの食み跡、沖縄の5海域で発見」 – 環境省の生息調査報道・先島諸島の恒常的な餌場の可能性
  5. Scientific Reports "Fecal DNA analysis...re-expanded a known distribution of dugongs in Ryukyu Islands" – 糞DNA分析による琉球列島でのジュゴン分布の再確認
  6. Scientific Reports "Trajectory to local extinction of an isolated dugong population near Okinawa Island" – 沖縄本島周辺個体群の局所絶滅への軌跡に関する研究
  7. PMC "Deep neural networks based automated extraction of dugong feeding trails from UAV images" – UAV画像とディープラーニングによる食み跡自動検出の研究
  8. WWFジャパン ジュゴンについて – ジュゴンの生態・分布・保全に関する基礎情報
  9. Great Barrier Reef Outlook Report 2024 "Dugongs" – グレートバリアリーフのジュゴン個体数調査結果

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