12万3,100人
令和4年の漁業就業者数(前年比4.8%減、水産庁調べ)
約15分
長崎県五島市の実証実験でAIが赤潮を検知し漁業者へ通知するまでの所要時間
57%
2022年に世界の水産動物生産量に占めた養殖業の割合(FAO「SOFIA2024」)

燃料費の高騰、担い手不足、そして気候変動による海洋環境の変化——日本の漁業は今、大きな転換点に立っている。こうした課題に立ち向かう切り札として水産庁が推進しているのが、ICT・IoT・AIなどの先端技術を漁業と養殖業に取り入れる「スマート水産業」だ。

水産庁は「スマート水産業」を「ICT、IoT等の先端技術の活用により、水産資源の持続的利用と水産業の産業としての持続的成長の両立を実現する次世代の水産業」と定義し、令和2(2020)年度から令和8(2026)年度にかけて「スマート水産業推進事業」を展開している。背景にあるのは深刻な担い手不足だ。令和4(2022)年の漁業就業者数は前年比4.8%減の12万3,100人まで落ち込み、新規就業者数も1,691人と前年度からさらに減少している。世界に目を向けても、FAO(国連食糧農業機関)の報告書「SOFIA2024」は、2022年に養殖業が水産動物生産量の57%を占め、初めて天然漁獲量を上回ったと報告しており、限られた資源と人手でいかに生産性を高めるかは世界共通の課題になっている。

本記事では、沿岸・沖合漁業でのICTブイや衛星データの活用、養殖業での自動給餌システム、ドローン・AIによる赤潮検知、そして企業や自治体による実際の導入事例まで、スマート水産業の全体像を実在の数値と一次情報をもとに解説する。

この記事で学べること

  • 水産庁が定義する「スマート水産業」の目的と政策の背景
  • ICTブイ・海洋レーダー・衛星データによる沿岸・沖合漁業の変化
  • 自動給餌システムなど養殖業でのIoT・AI活用の具体例
  • ドローンとAIを使った赤潮の早期検知のしくみ
  • くら寿司や地方自治体によるスマート水産業の実装事例
  • 普及に向けた導入コストや人材育成などの課題

スマート水産業とは何か——水産庁が掲げる定義と目的

「スマート水産業」という言葉を初めて聞く人も多いだろう。まずは行政がどのようにこの概念を定義し、何を目指しているのかを押さえておきたい。

ICT・IoTを活用した「次世代の水産業」の定義

水産庁は公式サイトで、スマート水産業を「ICT、IoT等の先端技術の活用により、水産資源の持続的利用と水産業の産業としての持続的成長の両立を実現する次世代の水産業」と定義している。ポイントは「資源の持続的利用」と「産業としての成長」という、一見すると相反しかねない2つの目標を同時に達成しようとしている点だ。単なる機械化や省力化にとどまらず、漁業者一人ひとりが持っていた経験や勘をデータとして可視化し、共有・活用できる形にすることが技術導入の核心にある。

水産庁はこの方針を具体化するため、令和5(2023)年8月に「水産分野におけるデータ利活用ガイドライン」と「水産分野におけるプラットフォームを通じたデータ利活用に関するガイダンス」を更新した。誰がどのデータを収集し、どこまで共有してよいのかというルールを整えることは、地味に見えるが技術導入と同じくらい重要な基盤整備といえる。

担い手不足と高齢化という政策の背景

この政策が急がれる理由は、漁業を支える人手が急速に減っていることにある。水産庁の水産白書によれば、令和4(2022)年の漁業就業者数は前年から4.8%減少し12万3,100人となった。新規漁業就業者数も令和4年度は1,691人にとどまり、前年度の1,744人からさらに減少している。就業者に占める65歳以上の割合は増加傾向にある一方、39歳以下の若手就業者の割合も近年は増加傾向にあるとされ、世代交代の芽が育ちつつある。しかし全体としては経営体の後継者不足が深刻な課題であり続けている。

少ない人数で従来と同じ、あるいはそれ以上の生産を維持するには、経験の浅い担い手でも一定の品質で作業ができる仕組みが欠かせない。ICT・IoT・AIによる「見える化」と自動化は、熟練者の技術をシステムに置き換えることで、新規就業者の学習コストを下げ、参入障壁を低くする役割も期待されている。

世界的にも拡大する養殖業とスマート化の流れ

こうした技術導入の必要性は日本に限った話ではない。FAOの「世界漁業・養殖業白書(SOFIA)2024」によれば、2022年の世界の水産動物生産量は約2億2,320万トンに達し、そのうち養殖業が1億3,090万トンと全体の57%を占め、天然の漁獲量(9,440万トン)を初めて上回った。天然資源に頼るだけでなく、限られた海域でいかに効率よく、かつ持続可能に生産するかという課題は世界共通であり、センサーやAIによる管理の高度化は各国で共通の関心事になっている。

  • 漁業就業者の減少と高齢化による労働力不足
  • 燃料価格の高騰による出漁コストの上昇
  • 海洋環境の変化による漁場・資源の予測困難化
  • 熟練漁業者の経験・勘に依存した技術の継承難
  • 世界的な養殖生産の拡大に伴う効率化・持続可能性への要請

「スマート水産業推進事業」とは

  • 実施期間:令和2(2020)年度〜令和8(2026)年度
  • 目的:ICT・IoT等の先端技術による水産資源の持続的利用と産業としての成長の両立
  • 関連事業:スマート水産業普及推進事業、漁獲情報等デジタル化推進事業など
  • 基盤整備:データ利活用ガイドライン・ガイダンスの策定(令和5年8月更新)

また、水産庁が令和2年度から令和8年度にかけて実施する「スマート水産業推進事業」は、単発の実証で終わらせず、複数年度にわたって技術を現場に定着させることを狙いとしている。実証段階で終わってしまう技術は少なくないが、7年間という比較的長い実施期間を設けたこと自体が、現場への定着を重視する姿勢の表れといえる。

用語ミニ解説

  • ICT:Information and Communication Technology(情報通信技術)の略。データの収集・通信・共有を支える技術全般を指す
  • IoT:Internet of Things(モノのインターネット)の略。センサーやブイなど「モノ」をネットにつなぎ、データを自動収集する仕組み
  • AI:Artificial Intelligence(人工知能)の略。画像解析や予測など、蓄積したデータから判断・分類を行う技術

スマート水産業という言葉が使われ始めたのはここ数年のことだが、水産分野へのICT導入自体は、漁業無線や魚群探知機など、より古くから段階的に進んできた歴史がある。今回の政策が従来と異なるのは、個々の機器が単独で情報を表示するだけでなく、収集したデータをクラウド上に蓄積し、複数の関係者が共有・分析できる基盤として設計されている点だ。データが個人の手元だけにとどまらず、漁協や研究機関、時には他地域の生産者とも共有されることで、一人の経験が地域全体の知見へと変わっていく。

沿岸・沖合漁業を変えるICT・AI技術

漁業の現場では、経験と勘に頼ってきた漁場選びや出漁判断を、データに基づいて支援する技術の導入が進んでいる。ここでは沿岸漁業と沖合・遠洋漁業、それぞれの現場でどのような技術が使われているかを見ていく。

ICTブイ・海洋レーダーによるリアルタイム海況把握

水産庁の令和6年度水産白書は、沿岸漁業向けの技術として「自動海洋観測ブイによるリアルタイム環境情報の公開」や「海洋レーダーによる観測」を挙げている。宮崎県では海洋レーダーにより沖合約100kmの範囲を観測する取り組みが行われており、潮流や海況を面的に把握できるようになった。従来は漁業者が実際に船を出して確認するしかなかった沖合の状況を、陸上や船上の画面から事前に確認できるようになった意味は大きい。

宮城県石巻湾でも、定置網漁業とサケ漁を対象にスマートブイを使った実証が行われている。センサーが取得したデータとオープンデータを蓄積し、漁業者がスマートフォンから出航計画の参考情報として確認できるようにする取り組みで、無駄な出漁を減らし燃料コストを抑えることにもつながる。

洋上に浮かぶICTブイが海水温や潮流データを衛星経由で送信するイメージ
ICTブイは水温・潮流などのデータをリアルタイムで漁業者に届ける

人工衛星データとAIによる漁場形成予測

沖合・遠洋漁業では、人工衛星データとAI分析を組み合わせた「漁場形成予測」の開発が進む。水産庁の白書では、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の気候変動観測衛星「しきさい」による海面水温データが、養殖場の環境監視などに活用されていることが紹介されている。海面水温や海流の分布は魚の回遊と密接に関わっており、これを衛星から広域かつ継続的に観測できることは、限られた燃料で効率よく漁場にたどり着くうえで大きな武器になる。

また、かつお一本釣り漁船向けの自動釣り機の開発など、漁場探索だけでなく漁労作業そのものを省力化する技術も並行して進められている。漁場を「探す」段階と、実際に「獲る」段階の両方でデジタル化・自動化が進んでいる点が、近年のスマート水産業の特徴といえる。

漁業の種類主な技術目的
沿岸漁業ICTブイ・海洋レーダー水温・潮流など海況のリアルタイム把握
沖合・遠洋漁業衛星データ+AI漁場予測燃料消費を抑えた効率的な漁場選定
定置網漁業陸上把握システム入網魚種の遠隔確認による省力化
かつお一本釣り漁業自動釣り機漁労作業の省力化・安全性向上
水産庁資料等をもとにした沿岸・沖合漁業でのICT・AI活用例

こうした技術が広がる前は、漁業者が長年の経験から「この季節、この潮回りならここに魚が集まる」といった勘に頼って漁場を選んでいた。もちろん経験に基づく判断力は今も重要だが、気候変動により海水温や潮流のパターンが従来と変わりつつある中で、リアルタイムのデータで経験を補完する意味は増している。ベテランの勘とデータ分析を組み合わせることで、判断の精度を底上げしようというのが、これらの技術の狙いだ。

漁場予測のもとになる衛星データには、海面水温のほかにも、植物プランクトンの量を示す「クロロフィル濃度」や、海面の高さの変化を示す「海面高度」など複数の指標がある。これらを組み合わせることで、魚のエサとなるプランクトンが集まりやすい海域や、暖流と寒流がぶつかる潮目(潮境)と呼ばれる好漁場を、船を出す前の段階からある程度推定できるようになる。長年の経験を持つ漁業者はこうした潮目を肌感覚で見つけてきたが、衛星データはその感覚を裏付け、経験の浅い乗組員への技術継承にも役立つ。

宮崎県の海洋レーダーのように、沖合約100kmという広い範囲を面的にカバーできる観測網は、単独の漁船が持つセンサーだけでは得られない情報をもたらす。複数の漁業者が同じデータ基盤を参照できることで、限られた漁場に船が集中してしまう非効率を避け、燃料コストと労働時間の両面で無駄を減らす効果も期待されている。

養殖業のスマート化——自動給餌と水質管理

養殖業は水産物の安定供給を担う一方、給餌や水質管理には多くの人手と経験が必要とされてきた。ここにIoT・AIを組み込む動きが広がっている。

AIを使った自動給餌システムの普及

養殖業では、水中カメラや水温・溶存酸素センサーと連動した自動給餌システムの導入が進んでいる。魚の摂餌行動をセンサーで検知し、必要な量だけを最適なタイミングで与えることで、餌の与えすぎによるロスや水質悪化を抑えつつ、成長を早める効果が期待されている。給餌は養殖作業の中でも特に人手と時間がかかる工程であり、朝夕を問わず毎日決まった時間に行う必要があるため、自動化による省力化の効果は特に大きいとされる。

餌の与えすぎは単なるコストの無駄にとどまらない。食べ残した餌は海底に沈み、分解される過程で水質を悪化させ、赤潮の一因となる富栄養化を招くこともある。センサーで摂餌状況をリアルタイムに把握しながら給餌量を調整することは、経営効率だけでなく養殖場周辺の海域環境を守ることにもつながる。

水温・溶存酸素・塩分センサーによる遠隔監視

京都府舞鶴市では、京都府漁業協同組合舞鶴とり貝組合とKDDIなどが、地域の特産品「丹後とり貝」の養殖環境をIoTセンサーで可視化する実証を2023年7月から舞鶴湾で実施した。稚貝を入れたコンテナを水深3m・6m・9m・11mごとに沈め、昇降機付きのIoTセンサーで水温・溶存酸素・クロロフィル・塩分などを1時間ごとに計測し、クラウド上に蓄積する仕組みだ。丹後とり貝は育成に約1年を要するとされ、水深によって環境が異なるため、これまでは経験的に判断してきた「どの水深がその年の生育に適しているか」を、データに基づいて検証できるようになった。

実証の目的は、蓄積したデータをもとに養殖手法をマニュアル化し、最適な環境条件を養殖業者間で共有できるようにすることにある。個人の経験に依存していたノウハウを組織的な知見に変えていく取り組みは、担い手が入れ替わっても品質を維持できる体制づくりの第一歩といえる。

自動給餌がもたらす3つの効果

  • 餌の与えすぎ・不足を防ぎ、成長速度と歩留まりを改善
  • 残餌による水質悪化・環境負荷の低減
  • 給餌作業にかかる人手と時間の削減

従来の給餌は、決まった時間に決まった量を人手でまく「定時定量」方式が一般的だった。しかし魚の食欲は水温や天候、成長段階によって日々変化するため、実際の摂餌状況とずれが生じやすい。センサーで摂餌行動をとらえながら給餌量を細かく調整する方式は、こうしたギャップを埋め、餌代という養殖経営の中でも大きな割合を占めるコストを最適化する効果が期待されている。

他地域の実証実験に見る成長スピードの変化

愛媛県愛南町では、ウミトロン株式会社が2018年度・2019年度にかけて、スマート給餌機「UMITRON CELL」と、魚の食欲を判定するAI「UMITRON FAI(Fish Appetite Index)」を使った実証試験をマダイ養殖で実施した。試験開始から1年後の時点で、従来の方法と比較して1尾あたり0.4kg程度の増肉効果が確認され、魚体重を1kg以上に成長させるまでに必要な期間を4カ月以上短縮することに成功したと報告されている。エサ価格の高騰と労働力不足という、温暖な気候とリアス式海岸を活かした養殖漁場である愛南町が抱えていた課題に対する具体的な解決策として実装が進められた。

徳島県海陽町の那佐湾では、KDDIなどが2018年12月から牡蠣のスマート養殖プロジェクトに取り組んでいる。水温・気温センサー、濁度センサー、カゴの揺れを検知するセンサーをLTE通信網でつなぎ、牡蠣が種苗から成品になるまでにどのような環境変化やプランクトンの摂取量を経験したのかをデータとして追跡できるようにした。2020年3月にはIoTシステムの実装が始動し、将来的には機械学習を用いた推論モデルの構築も視野に入れている。目指すのは、養殖の経験が浅い新規参入者でも初年度から収益を得られる仕組みづくりだ。

地域対象主な技術成果・特徴
長崎県五島市クロマグロドローン採水+AI画像解析赤潮検知〜通知を約15分に短縮
京都府舞鶴市丹後とり貝昇降式IoTセンサー水深別の水温・溶存酸素等を1時間ごとに計測
三重県(伊勢湾)黒ノリIoT観測ブイ「うみログ」色落ち予測、40カ所に展開し全国販売へ
愛媛県愛南町マダイスマート給餌機「UMITRON CELL」1年で約0.4kg増肉、成長期間を4カ月以上短縮
徳島県海陽町牡蠣水温・濁度・揺れセンサー生育環境データを個体単位で追跡
大阪府(くら寿司)はまち・本マグロスマート給餌機+長期契約オーガニックはまちの自社生産体制を構築
全国の主なスマート水産業の実証・導入事例(各社・各自治体の発表資料をもとに作成)

給餌の自動化・最適化がもたらす効果は、養殖業者の収支だけにとどまらない。えさ代は養殖経営における最大級のコスト項目であり、水産庁や業界団体の資料でも生産コストの中で大きな割合を占めるとされてきた。愛媛県愛南町の実証結果のように、同じ期間でより早く出荷サイズまで育てられれば、その分だけ海面や生けすを占有する期間が短くなり、同じ設備でより多くの生産回転数を確保できる可能性も生まれる。

ドローン・AIによる赤潮検知——長崎県五島市の事例

養殖業にとって最大級のリスクの一つが、有害プランクトンの異常増殖である「赤潮」だ。魚の大量死につながりかねないこの脅威に、AIとドローンで立ち向かう実証実験が長崎県で行われている。

クロマグロ養殖と赤潮リスク

長崎県五島市はクロマグロの養殖が盛んな地域だが、クロマグロは他の魚種に比べて赤潮への耐性が低いとされ、早期発見が養殖経営を左右する。赤潮が発生してから被害に気づいたのでは手遅れになりかねず、従来は漁業者が定期的に採水し、目視や顕微鏡でプランクトンの種類や密度を確認する、時間と手間のかかる作業に頼らざるを得なかった。長崎大学、システムファイブ、KDDI、五島市は、この課題を解決するためのIoTシステムの実証実験に2019年に取り組んだ。

所要時間を約15分に短縮——KDDI・長崎大学の実証実験

実証実験では、ドローンによる多地点・多深度での採水と、ディープラーニングを用いた画像解析による有害プランクトンの判別を組み合わせた。海水の採水から赤潮の検知、漁業者への通知までに従来かかっていた時間を、IoTシステムの活用により約15分まで短縮することに成功したと報告されている。ドローンは空中からの赤潮分布状況の把握にも活用され、検知結果はクラウド経由で漁業者にいち早く共有される。

人手による採水・鏡検には移動時間や分析の手間がかかり、赤潮の広がりが速い場合には対応が追いつかないこともあった。ドローンによる多地点同時採水とAIによる自動判別を組み合わせることで、人が船で回るよりも短時間で広い範囲をカバーできるようになった点が、このシステムの大きな価値といえる。

この記事の要点となる3つの数字をまとめた図版
数字で見る:本文で扱う3つの指標

海水の採水から赤潮検知、漁業者への通知までの所要時間を、IoTシステムにより約15分に短縮

― KDDI株式会社ニュースリリース(2019年1月22日)

赤潮の原因となるプランクトンには複数の種類があり、その中には毒性が強く魚を短時間で死に至らしめるものも含まれる。プランクトンの種類を見分けるには専門的な知識と顕微鏡による観察が必要で、従来は研究機関や専門の検査機関に依頼するケースも多かった。ディープラーニングによる画像解析は、こうした専門的な判別作業を現場に近いところで迅速に行えるようにする技術として注目されている。

赤潮対策は検知だけで完結するものではない。早期に検知できたとしても、その後に生けすを安全な海域へ移動させたり、酸素供給装置を稼働させたりといった実際の対応が伴って初めて被害を防げる。五島市の実証実験が目指したのも、単なる観測技術の高度化ではなく、検知から通知までの一連の流れを短縮し、漁業者が対応できる時間的余裕を生み出すことだった。どれだけ高精度な検知技術があっても、情報が漁業者に届くまでに時間がかかれば意味が薄れてしまうため、通知までのスピードそのものが技術評価の重要な指標になっている。

企業の参入——くら寿司「KURAおさかなファーム」の挑戦

スマート水産業は行政・漁業者だけでなく、外食・小売企業の参入によっても広がりを見せている。

オーガニックはまち・完全養殖本マグロの生産

回転寿司チェーンのくら寿司は2021年11月、水産専門の新会社「KURAおさかなファーム株式会社」を設立した。持続可能な漁業と安定した水産物供給を目的とし、AIやICT技術を活用した「スマート養殖」により、抗生物質やホルモン剤に頼らない「オーガニックはまち」の生産や、委託養殖による本マグロの出荷にも取り組んでいる。外食企業自らが上流の生産段階に踏み込み、技術投資を行う例として注目されている。

スマート給餌で餌ロスと労働負担を削減

KURAおさかなファームは、養殖テック企業のウミトロン株式会社と提携し、AI・IoTを活用したスマート給餌機「UMITRON CELL」を導入している。魚の摂餌行動や水中環境をセンサーとカメラで捉え、遠隔から最適なタイミングと量で給餌することで、養殖作業の中でも特に労力のかかる給餌の手作業を減らしつつ、餌のロスを抑えて成長を早める効果を狙う。生産は外部の生産者に委託しつつ、生産物は長期契約による全量買い取りで生産者の収入を安定させる仕組みも併せて導入されている。

消費者が店舗で目にする一皿の裏側で、遠隔からスマートフォンやパソコンで給餌状況を確認できる仕組みが動いている。これは、川下の企業が持つ販売力と、川上の養殖現場が持つ技術ニーズを組み合わせることで、投資回収の見通しを立てやすくするビジネスモデルの一例でもある。

海上の養殖生けすとスマート給餌装置、モニターでデータを確認する養殖業者
AI・IoTを使ったスマート給餌機は養殖業の労働負担を軽減する

外食企業が養殖の上流工程にまで踏み込む背景には、水産物の安定調達という経営上の課題がある。天然資源の変動や国際的な争奪戦により、望む品質・量の魚を安定して仕入れることが年々難しくなっている。自ら生産基盤を持つことでこのリスクを抑えつつ、スマート技術によって生産コストと環境負荷の両方を抑えようとする取り組みは、外食産業と水産業の関係を変えつつある一例といえる。

くら寿司のようにチェーン全体で水産物を扱う企業がスマート養殖に取り組む場合、生産現場で得られたデータは品質管理や産地情報の発信にも活用しやすくなる。消費者が「どのように育てられた魚なのか」を知りたいというニーズは近年高まっており、給餌量や水質などのデータに裏付けられた飼育方法は、抗生物質やホルモン剤に頼らない生産という付加価値の説明材料としても機能する。

地域の取り組み——三重県「うみログ」の海況見える化

地方自治体や地域企業も、地元の主要な水産物を守るための独自システム開発に乗り出している。

IoT海洋観測モニタリングシステム「うみログ」

三重県では2019年頃から、県水産研究所、鳥羽商船高等専門学校、地元企業が共同で、IoT海洋観測モニタリングシステム「うみログ」を開発し、伊勢湾の黒ノリ養殖などに活用している。観測装置は水温・水位・画像・GPSの4種類のセンサーを標準搭載し、必要に応じて塩分・溶存酸素・クロロフィルセンサーを追加できる。データは30分ごとに携帯電話回線で送信され、パソコンやスマートフォンからリアルタイムに確認可能だ。

ノリの色落ち予測と養殖判断への活用

ノリ養殖業者は、うみログの情報をもとに養殖の開始時期を判断したり、潮位の異常時に網の高さを調整したり、プランクトンの増殖データからノリの色落ちを予測したりしている。ノリの色落ちは商品価値を大きく左右するため、早めの兆候把握は経営に直結する重要な情報だ。カメラ画像はノリの生育状況の確認や食害の原因調査にも活用されており、導入から約1年で伊勢湾・熊野灘の40カ所に観測機器が設置されるまで普及が進んだ。

うみログのように、県の研究機関・高等専門学校・地元企業が連携して開発したシステムが全国販売にまで発展した例は、地域発の技術が汎用製品として広がる一つのモデルケースといえる。地域固有の課題から出発した開発が、他地域の養殖業者にも応用できる形へと育っている。

うみログの主な機能

  • 水温・水位・画像・GPSを標準搭載、塩分・溶存酸素・クロロフィルは追加可能
  • 30分ごとにデータを自動送信、スマホ・PCからリアルタイム確認
  • ノリの色落ち予測や食害原因の調査にも活用

うみログの開発が県の水産研究所と高等専門学校、地元企業という産学官の連携によって進められた点も注目に値する。研究機関が持つ科学的知見と、企業が持つ機器開発・量産のノウハウ、そして現場の漁業者が持つ実践的なニーズを組み合わせることで、単なる実験にとどまらず全国販売にまで至る製品へと育っていった。地域課題の解決から始まった開発が汎用的な製品として広がっていくプロセスは、他地域でのスマート水産業推進においても参考になる進め方だろう。

うみログのようなシステムが低コストで開発・普及できた背景には、携帯電話回線という既存の通信インフラを活用した点も大きい。専用の通信衛星や特殊な無線設備を新たに整備する必要がなく、スマートフォンと同じネットワークでデータをやり取りできることは、導入コストを抑えるうえで重要な工夫だった。地方の中小規模な養殖業者にとって、初期投資のハードルを下げる設計は、技術の普及速度を左右する要素になる。

スマート水産業がもたらす持続可能性

個別の技術を見てきたが、これらが目指す先にあるのは「効率化」だけではない。水産資源そのものを守り、次世代に引き継ぐという持続可能性の視点が根底にある。

省人化・省力化と担い手確保

水産庁は、スマート水産業の効果として「省人化・省力化による収益性の高い漁業の実現」と「漁業コストの削減」を掲げている。給餌や監視といった重労働をシステムが代替することで、少人数でも経営を維持しやすくなり、新規就業者にとっても参入のハードルが下がることが期待されている。特に、経験を積むまでに長い年月がかかるとされてきた漁場の見極めや水質管理を、データという形で新人でも参照できるようにする効果は大きい。

過剰漁獲・混獲の防止と資源管理の高度化

定置網の入網状況を陸上から把握する仕組みや、混獲を回避する技術は、必要以上の漁獲や本来対象としない魚種の捕獲を減らすことにつながる。漁場予測AIによって燃料消費を抑えた効率的な操業が可能になれば、環境負荷の低減にも寄与する。データに基づく資源管理は、獲りすぎによる資源の枯渇を防ぎ、長期的に漁業を続けられる基盤をつくる取り組みでもある。

こうした取り組みは、個々の漁業者・養殖業者の経営改善にとどまらず、海域全体の資源動向を把握するためのデータ基盤としても機能しうる。将来的には、複数の漁協や自治体がデータを共有し、より広域での資源管理や漁場調整に活用していく可能性も指摘されている。

海洋データを分析する画面と、その先に広がる豊かな海と漁船のイメージ
データに基づく資源管理は、持続可能な漁業の基盤となる

持続可能性という観点では、漁獲・生産のデータそのものが将来の資源評価に役立つという側面も見逃せない。いつ、どこで、どれだけの水産物が獲れた・育ったかという記録が電子的に蓄積されていけば、研究者や行政が資源の増減を正確に把握し、漁獲可能量などの制度設計にも活用できるようになる。個々の経営効率化のための技術が、結果として海全体の資源管理に貢献する構造になっている点は、スマート水産業の重要な意義の一つだ。

資源管理の高度化という観点では、混獲防止技術も見逃せない役割を果たす。本来の目的以外の魚種が網にかかってしまう「混獲」は、対象外の資源を無駄に減らしてしまうだけでなく、選別や再放流の手間という形で漁業者の負担にもなる。入網状況を陸上からリアルタイムで把握できれば、混獲が多い時間帯や場所を避けるといった操業判断にも活かせるようになる。

導入における課題とこれから

期待の大きいスマート水産業だが、現場への普及にはいくつかの壁も存在する。

導入コストとデータ利活用のルール整備

センサーやシステムの導入には初期費用がかかり、小規模経営体にとっては負担が大きい。水産庁が令和5年8月に「水産分野におけるデータ利活用ガイドライン」を更新したように、収集したデータを誰がどう使うかというルール整備も同時に進める必要がある課題だ。個々の漁業者・養殖業者が単独で機器を導入するのではなく、自治体や漁協が実証事業として支援し、成果を地域全体で共有する三重県や京都府の事例のようなアプローチは、コスト負担を分散させる一つの解決策になっている。

人材育成とデジタル格差への対応

高齢の漁業者にとって、新しい機器やアプリの操作は容易ではない場合もある。水産庁は「水産業の明日を拓くスマート水産業研究会」(令和元年5月〜令和2年3月)などを通じて技術と現場をつなぐ検討を重ねてきたが、地域や世代によるデジタル格差を埋める研修・サポート体制の充実が今後の普及の鍵を握る。スマートフォンで簡単に確認できる画面設計や、データを見なくても異常があればアラートだけ届く仕組みなど、使う側の負担を減らす工夫も各事例で意識されている。

  • センサー・通信機器の導入・維持コスト
  • 収集したデータの権利関係・利活用ルールの整備
  • 高齢の漁業者を含めた操作研修・サポート体制
  • 地域や漁業種類ごとに異なる技術ニーズへの対応

普及を後押しする3つの視点

  • 自治体・漁協による実証支援でコスト負担を分散させる
  • 使う側の負担を減らすシンプルな画面・アラート設計にする
  • 地域で得た知見をマニュアル化し、他地域へ横展開する
この記事のポイントを箇条書きでまとめた図版
この記事のポイント。詳しくは各章で解説している

今後の展望として、AIによる画像認識やセンサー技術そのものは、農業や工業などほかの産業ですでに広く使われており、コストは年々下がる傾向にある。水産分野特有の課題である「海水という過酷な環境での機器の耐久性」や「電波の届きにくい沖合での通信手段の確保」などを克服できれば、より多くの漁業者・養殖業者が無理なく導入できる環境が整っていくと考えられる。

技術面の課題に加えて、成果を正しく評価する仕組みづくりも今後の論点になる。愛南町や五島市の実証実験のように、増肉効果や時間短縮を具体的な数値で示せたケースは、他地域への横展開を後押しする説得力を持つ。一方で、海域や魚種によって効果の出方は異なるため、地域ごとの条件に合わせた実証と、その結果を透明性高く共有していく取り組みの積み重ねが、スマート水産業全体の信頼性を高めていくことになる。

参考文献・出典

  1. 水産庁「スマート水産業」 – 定義・政策の概要
  2. 水産庁 令和6年度水産白書 – スマート水産業の推進等に向けた技術の開発・活用
  3. 水産庁 令和5年度水産白書 – 漁業の就業者をめぐる動向
  4. KDDI株式会社 ニュースリリース(2019年1月22日) – 五島・マグロ養殖基地化を実現するIoTシステムの実証実験
  5. くら寿司「KURAおさかなファーム」 – 漁業創生への取り組み
  6. スマート水産業ナビ – 海の健康状態がいつでもわかる「うみログ」(伊勢湾の黒ノリ養殖)
  7. KDDI株式会社 ニュースリリース(2023年8月24日) – IoTで可視化、舞鶴市「丹後とり貝」安定供給に向け実証
  8. ウミトロン株式会社 プレスリリース – 愛媛県愛南町との2年間の研究契約を完了、スマート給餌機でマダイの高成長を達成
  9. KDDI株式会社「be CONNECTED.」 – 牡蠣スマート養殖プロジェクト(徳島県海陽町・那佐湾)
  10. SeafoodSource(FAO「SOFIA2024」報告の紹介記事) – 世界の養殖生産量が天然漁獲量を初めて上回ったとの報告

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