⚡ この記事の要点

鵜飼・簗(やな)・海女という日本の伝統漁法には、乱獲を防ぐ仕組みが古くから組み込まれていた。1300年続く長良川鵜飼、禁漁期とサイズ制限を守る海女漁など、資源管理の知恵を歴史と数字で解説する。

1300年
長良川鵜飼が続く歴史(正倉院文書に記録)
8分の1
鳥羽・志摩の海女数の減少(1972年4124人→2022年514人)
10.5cm
海女漁で自主規制されるアワビの最低殻長

岐阜県の長良川では、今も毎年5月から10月にかけて、篝火(かがりび)を焚いた小舟が川面を進み、鵜匠(うしょう)が手縄でウミウを操ってアユを獲る鵜飼(うかい)が続けられている。1300年以上前から続くとされるこの漁は、単なる観光行事ではなく、狭い漁場で魚を獲り尽くさないための知恵が組み込まれた漁法でもある。

日本各地には、鵜飼のほかにも川をせき止めて魚を待つ簗(やな)や、酸素ボンベを使わず素潜りでアワビやサザエを獲る海女(あま)など、近代的な漁業技術が生まれる何百年も前から続く伝統漁法が数多く残っている。これらに共通するのは、漁期・漁具・獲る量を自ら制限することで、目の前の海や川を「獲り尽くさない」ようにしてきた点だ。

一方で、こうした伝統漁法の担い手は急速に減っている。鳥羽・志摩の海女は50年で8分の1になり、後継者不足は全国の漁村に共通する課題だ。この記事では、鵜飼・簗・海女という3つの伝統漁法を具体的な数字と出典とともに紹介し、そこに込められた資源管理の知恵と、それが今なぜ失われつつあるのか、そして各地でどのような継承の努力が続けられているのかを整理する。

この記事で学べること

  • 鵜飼・簗・海女という3つの伝統漁法の仕組みと歴史
  • これらの漁法がなぜ「獲りすぎない」構造を内包しているのか
  • 海女漁における禁漁期・サイズ制限・稚貝放流という具体的な資源管理策
  • 伝統漁法の担い手が急速に減っている背景と、各地の後継者育成の取り組み
  • 世界農業遺産(GIAHS)が伝統漁業をどう評価しているか
  • 現代の海洋資源管理に伝統知をどう活かせるか

伝統漁法とは何か——獲りすぎない仕組みが漁の中に組み込まれている

「伝統漁法」と一口に言っても、その中身は地域や対象魚種によって大きく異なる。だが日本各地に残る伝統漁法を見渡すと、ある共通点が浮かび上がる。それは、漁具・漁期・漁獲量のいずれかに自然な制限が組み込まれていることだ。

近代漁業との違い

トロール網や巻き網のような近代的な漁法は、広い海域を一度に効率よく漁獲できる一方、対象を選ばず大量に獲れてしまうという課題を抱える。これに対して鵜飼・簗・海女漁は、いずれも一度に獲れる量に物理的な上限があり、漁を行える期間や場所も限られている。効率が悪いことが、結果として資源を守る仕組みになっているという逆説がここにある。

たとえば鵜飼で使われるウミウは、1羽が一晩に飲み込めるアユの量に限りがある。簗は川の一部にしか設置できず、堰き止めた区間から外れた魚は下流や上流に逃れる。海女漁は素潜りという人間の肺活量そのものが漁獲量の上限を決めている。いずれも「もっと獲りたくても、構造的にこれ以上は獲れない」という制約が先に存在しているのが特徴だ。

この記事では、こうした3つの漁法を歴史・技術・数字の3つの側面から見ていく。まず1300年の歴史を持つ鵜飼、次に古事記の時代から続く簗、そして今もっとも急速に担い手が減っている海女という順に取り上げ、最後に世界農業遺産(GIAHS)や海外の類似事例も踏まえながら、これらの漁法が現代の海洋資源管理にどう位置づけられるかを整理する。

この記事で扱う3つの漁法

  • 鵜飼(うかい):ウミウを操ってアユなどを獲る、長良川などに伝わる漁
  • 簗(やな):川を堰き止めて木や竹の簀(す)に魚を誘導して獲る漁
  • 海女(あま):酸素ボンベを使わず素潜りでアワビ・サザエなどを獲る漁

伝統漁法とSDGs

近年、こうした伝統漁法は「持続可能な漁業(SDGs目標14)」の先行事例として、水産庁や地域の博物館・研究機関が改めて価値を評価し直している。効率よりも資源の持続を優先する仕組みが、結果的に長期間にわたって漁場を維持してきたためだ。

「守る」ためではなく「続けるため」に生まれた工夫

重要なのは、こうした制限の多くが、環境保護を目的として後から付け加えられたものではなく、その漁を長く続けるために漁師たち自身が編み出してきた工夫だという点だ。鵜飼の鵜匠は環境保護運動の一環として鵜の首に輪をつけたわけではなく、獲物を持ち帰るための仕組みとして考案した。海女が禁漁期を設けたのも、法律による規制の前に、翌年以降も同じ漁場で生計を立て続けるための自衛策だった。結果として資源が守られてきたのであり、この順序を理解すると、伝統漁法が単なる「昔ながらのやり方」ではなく、長期的な視点に立った実践知だったことが見えてくる。

鵜飼(うかい)——1300年続く、ウミウと鵜匠の漁

正倉院文書に残る1300年前の記録

岐阜市の長良川で行われる鵜飼は、正倉院に伝わる大宝年間(8世紀初頭)の戸籍に、鵜飼を生業とする集団が美濃国にいたと推測される記述があることから、1300年以上の歴史を持つとされる。鵜匠がウミウ(海鵜)を手縄で操り、川面に潜らせてアユを捕らえさせ、鵜の喉に絡めたアユを引き上げるという漁法自体は、この間ほとんど変わっていない。

宮内庁式部職鵜匠という特別な立場

長良川の鵜飼を行う鵜匠は現在6名で、正式な職名を宮内庁式部職鵜匠という。1890(明治23)年に長良川流域の3か所が皇室の御猟場(現在の御料場)に定められ、通年の禁漁区とされたことで、鵜匠は宮内省(当時)に所属する安定した地位を得た。長良川鵜飼は日本で唯一の皇室御用の鵜飼であり、獲れたアユの一部は今も皇室に献上されている。鵜飼で使う漁具一式122点は国の重要有形民俗文化財に、鵜飼漁の技術そのものも国の重要無形民俗文化財に指定されている。

夜の長良川で篝火を焚いた小舟に乗り、手縄でウミウを操ってアユ漁をする鵜匠の様子
長良川鵜飼は5月から10月にかけて、夜間に篝火を焚いて行われる

鵜の首の輪が生む、獲りすぎない仕組み

鵜飼で最も巧妙な仕組みは、鵜の首に結ばれた「首結い」と呼ばれる輪だ。この輪は鵜の喉をわずかに締めるように調整されており、小さな魚は飲み込めても、ある程度より大きなアユは喉を通らず鵜の口の中に留まる。鵜匠はこれを引き上げて回収し、鵜自身にも小魚を飲み込ませて餌とすることで、1羽ごとの捕獲量を自然にコントロールしている。網や釣りのように「獲れるだけ獲る」漁ではなく、鵜という生き物の生理的な限界そのものが漁獲の上限になっている点が、鵜飼を単なる観光ショーではなく資源管理の仕組みとして語れる理由だ。

鵜匠と鵜の関係——2〜3年かけて一人前になる

鵜飼を支えているのは、夜の漁だけではない。鵜匠は毎朝6時から7時頃に起き、鵜の首や羽の状態を確かめて健康を管理し、若い鵜を漁に使えるように訓練する。若鵜が実際の漁で一人前に働けるようになるまでには、鵜匠のもとでおよそ2〜3年の訓練期間が必要とされる。年中欠かさず世話を続けることで鵜匠と鵜の間に信頼関係が育ち、その積み重ねが夜の漁における息の合った連携につながっている。漁の技術だけでなく、この日々の世話も含めて次の世代へ引き継がれていく。

「総がらみ」——クライマックスの追い込み漁

長良川鵜飼では、1人の鵜匠が10〜12羽ものウミウを手縄で同時に操る。漁の前半は「狩り下り」と呼ばれ、鵜舟が観覧船と並走しながら川を下って鮎を捕る。そしてクライマックスとなるのが「総がらみ」だ。6人の鵜匠が乗った6隻の鵜舟が川幅いっぱいに横一列となり、浅瀬に向かって鮎を一斉に追い込む。1回の漁で漁場全体を巻き狩りするこの総がらみも、毎晩決まった手順と範囲で行われるため、際限なく漁場を広げて獲り続けるという性質のものではない。

全国11か所に残る鵜飼、ウミウの多くは同じ海岸出身

観光として鵜飼が行われているのは長良川だけではない。愛知県犬山市の木曽川鵜飼、京都府宇治市の宇治川鵜飼など、鵜飼が今も見られる場所は全国に11か所あるとされる。使われるウミウの多くは、茨城県日立市の伊師浜海岸で捕獲されたものが各地の鵜飼場へ運ばれて使われており、地域を越えて漁の担い手を支える仕組みができている点も興味深い。

開催地河川特徴
岐阜県岐阜市長良川皇室御用。宮内庁式部職鵜匠による鵜飼
愛知県犬山市木曽川岐阜県各務原市側と合同で実施
京都府宇治市宇治川平安時代の文献にも登場する古い歴史
観光として鵜飼が行われている主な河川(全国11か所のうち一部)

獲りすぎない理由

  • 鵜の喉には輪(首結い)がかけてあり、大きな魚しか飲み込めないよう調整されている
  • 1羽の鵜が一晩に捕らえられるアユの量には限りがある
  • 禁漁区・禁漁期が皇室御猟場の指定によって歴史的に維持されてきた

簗(やな)——川をせき止め、魚が「かかる」のを待つ漁

古事記・日本書紀にも登場する古い漁法

簗(やな)は、川の流れを木や石で堰き止め、下流へ落ちてくるアユなどの魚を、竹や木で編んだ簀(す)に誘導して捕らえる漁法だ。日本最古の歴史書とされる古事記・日本書紀にもアユを獲る簗についての記述があり、平安時代以前から行われてきたとみられる。網を投げたり竿を振るったりする漁と違い、簗は「魚のほうから流れに乗ってやってくるのを待つ」という受け身の構造を持つ点が特徴だ。

岐阜県のやな掛け技術が国の文化財に

岐阜県には長良川・木曽川・揖斐川という大きな川が集まり、古くから簗漁が盛んだった。このうち揖斐川の「やな掛け技術」は2016年に国の重要無形民俗文化財に指定されている。現在も夏になると各地の川に観光やな場が設けられ、川を下ってくるアユを新鮮なまま提供する食事処としても親しまれている。奈良県五條市の吉野川、大分県日田市の三隈川など、他の地域でも同様の観光やな場が夏の風物詩として続いている。

狙うのは「落ち鮎」——産卵期という限られた時期

簗漁の多くは、秋に産卵のため川を下る「落ち鮎」を対象にしている。大分県日田市の三隈川のやな場もこの落ち鮎漁の伝統を受け継ぐもので、水郷日田の鮎は全国的にも漁獲量の多さで知られてきた。産卵を終えて一生を終えるアユを、産卵前ではなく川を下る時期に絞って獲るという発想自体が、産卵機会を確保しながら漁を成立させる時期選択になっている。

「待つ漁」であることが資源保護につながる

簗は網や釣りのように魚を追いかけて獲る漁ではなく、川の自然な流れに乗って落ちてくる魚を待って獲る漁法だ。このため漁場は川幅の一部に限られ、漁期も地域や河川ごとに決められている。魚を追い込んで一網打尽にする漁法と異なり、上流側や簗を避けた個体は捕らえられずに残るため、結果として資源の一部が自然に保全される構造になっている。

また、簗を設置する権利や場所自体が地域の漁業協同組合によって管理されており、誰でも自由に設置できるわけではない。設置できる期間・場所を限定することで、川全体で見れば漁獲圧が特定の場所や時期に集中しすぎないよう調整されているとも言える。

簗漁のポイント

  • 川を人工的に堰き止め、落ちてくる魚を誘導して捕らえる漁法
  • 古事記・日本書紀に記述があるほど歴史が古い
  • 岐阜県揖斐川の「やな掛け技術」は国の重要無形民俗文化財
  • 漁期・漁場が限定されるため、獲り尽くしにくい構造を持つ

海女(あま)——素潜りで海に生きる女性たちの技術

酸素ボンベを使わない理由

海女は、酸素ボンベなどの潜水器具を使わず、息を止めて海底まで潜りアワビ・サザエ・ナマコなどを採取する漁師だ。三重県鳥羽市・志摩市を中心に、若狭湾(福井県)、石川県輪島など日本各地の沿岸に伝わる。海女自身が語る「酸素ボンベを使わない理由」は、単に伝統だからというだけでなく、1回に潜れる時間・回数が限られることで、結果的に採りすぎを防ぐためだという証言が三重県などの調査で紹介されている。

国の重要無形民俗文化財に指定

「鳥羽・志摩の海女漁の技術」は2017年3月3日、国の重要無形民俗文化財に指定された。海女漁が文化財として指定されるのは日本で初めてのことで、将来的なユネスコ無形文化遺産登録も視野に入れた取り組みが続けられている。石川県輪島市でも「輪島の海女漁の技術」が重要無形民俗文化財に指定されており、輪島の海女従事者数は約200人で、鳥羽・志摩に次いで全国2番目の規模とされる。

アワビ・サザエは「根付資源」——採りすぎると絶える

アワビやサザエ、ナマコは移動範囲が狭い「根付資源(ねつきしげん)」と呼ばれる生き物で、同じ場所で採り続けると個体群そのものが絶えてしまう。回遊魚のように他の海域から新たな個体が流入してくることが少ないため、地元の漁業者自身が資源を守らなければ、その漁場は二度と回復しないおそれがある。このため鳥羽・志摩の海女漁では、地域ぐるみで厳格な資源管理が古くから行われてきた。

海女の道具——磯着からウエットスーツへ

かつて海女は白い木綿の磯着(いそぎ)を身にまとって海に入っていた。白は視覚的に大きく見えるためサメへの警戒に役立つとされ、鳥羽・志摩地域では1960年代にウエットスーツが導入されるまで、この薄い磯着が使われ続けた。アワビを岩から剥がす際には「磯ノミ」と呼ばれる道具を使い、採った獲物は「磯桶(たらい)」と呼ばれる直径60cmほどの木製の桶に入れる。この磯桶は獲物を運ぶ入れ物であると同時に、海面で一息つくときに体を支える浮きの役割も果たしてきた。道具そのものは時代とともに変化してきたが、酸素ボンベを使わず自分の肺活量の範囲でしか漁をしないという最も重要なルールは、道具の近代化を経てもなお守られている。

潜水時間はわずか50秒——身体の限界が漁獲量を決める

海女の1回の潜水時間はおよそ50秒から1分半程度とされ、潜る深さも平均10m前後、深く潜る海女で15〜20mほどが限界とされる。この短い時間の中で目当てのアワビやサザエを見つけ、獲り、海面に戻ってこなければならない。酸素ボンベを使えば潜水時間を大幅に延ばして採取量を増やせるが、海女漁ではそれをあえて行わない。人間の肺活量という生理的な限界そのものが、1人の海女が1日に採れる量の上限を決めているのであり、これは鵜の喉の輪と同じように、漁具ではなく身体的な制約が資源管理の役割を果たしている例だと言える。

この記事の要点となる3つの数字をまとめた図版
数字で見る:本文で扱う3つの指標

海女の資源管理——禁漁期・サイズ制限・稚貝放流

三重県の具体的なルール

三重県の海女漁では、禁漁期間(おおむね10月から2月)を設けるほか、漁ができる時間帯も制限されている。さらにアワビについては殻長10.5cm以下の個体は海に戻すという漁獲サイズ制限が慣例として守られており、地域の漁業協同組合はこれを自主ルールとして徹底している。サイズの小さいアワビをあえて獲らずに残すのは、産卵を終える前の個体を保護し、翌年以降の資源量を維持するためだ。

毎年の稚貝放流

資源管理は「獲らない」ことだけではない。三重県内の海女漁協では、毎年夏に約2万匹規模のアワビの稚貝を放流する取り組みも行われており、獲る量を制限すると同時に資源を増やす努力が並行して続けられている。稚貝放流と禁漁・サイズ制限を組み合わせることで、資源の「入り」と「出」の両方をコントロールしようとする発想だ。

水産庁が推進する「資源管理」との共通点

水産庁が近年進めるTAC(漁獲可能量)制度など現代の資源管理も、突き詰めれば「獲りすぎを防ぐルールを決めて全員で守る」という発想であり、海女漁が地域単位で長年実践してきた自主規制と本質的には同じ考え方に立っている。違いがあるとすれば、海女漁のルールは行政が上から定めたものではなく、資源を実際に利用する漁業者自身が、代々の経験から作り上げてきたものだという点だ。

取り組み内容
禁漁期間おおむね10月〜2月はアワビ漁を行わない
漁獲サイズ制限殻長10.5cm以下のアワビは海へ戻す
操業時間の制限1日に潜れる時間帯・回数を制限
稚貝放流毎年夏に約2万匹規模のアワビ稚貝を放流
三重県の海女漁における資源管理の主な取り組み

なぜ今、伝統漁法の担い手が減っているのか

50年で8分の1になった海女の数

鳥羽市・志摩市の海女の人数を1972年から追跡している鳥羽市立海の博物館の調査によると、1972年に4,124人いた海女は、2022年には514人まで減少した。約50年で8分の1という急激な減少であり、直近の2017年から2022年の5年間だけでも146人(22%)減っている。より長いスパンで見ると、1949年時点では鳥羽市・志摩市で6,109人の海女がいたとする調査もあり、戦後から現在までの減少はさらに大きい。

背景にある高齢化と漁獲量の減少

海女の高齢化に加え、磯焼け(海藻が減少し岩場が荒れる現象)や水温変化によるアワビ・サザエの資源量そのものの減少も、新たに海女になろうとする若い世代が増えない要因として指摘されている。素潜りという肉体的な負担が大きい漁であることも、後継者確保を難しくしている。

後継者を増やす具体的な取り組み

鳥羽市では、海女漁に新たに従事しようとする女性に対してウエットスーツなど必要な道具の購入費用を支援する事業を行っている。鳥羽市観光協会は旅行サイトと連携した「海女さん応援プラン」を実施し、そこで得た応援金を後継者育成に充てる仕組みも作られている。中には東京から地域おこし協力隊として鳥羽市に移住し、そのまま定住して見習い海女になった例もあり、移住・定住策と伝統漁法の継承を組み合わせる動きが各地で広がりつつある。

鵜飼・簗にも共通する担い手不足

鵜飼の鵜匠、簗の漁師も同様に高齢化と後継者不足に直面している。長良川の鵜匠は世襲が中心だが、次代の担い手をどう育てるかは各地の伝統漁法に共通する課題であり、地域や自治体が観光振興と組み合わせて後継者育成を支援する動きも出ている。

こうした担い手不足に共通するのは、技術の継承に長い年月がかかる一方で、収入や生活の見通しが立ちにくいという構造だ。鵜匠になるには鵜の世話を含め何年もの修行が必要であり、海女になるには危険を伴う素潜りの技術を体で覚える必要がある。即戦力として稼げるまでの期間が長い仕事は、他の職業を選べる時代において後継者を確保しにくい。行政の支援制度や観光収入との組み合わせは、この「修行期間中の生活をどう支えるか」という課題への現実的な対応策でもある。

静かな漁村の港に置かれた漁具と、遠くに見える漁船。人影がまばらな様子
高齢化と後継者不足は、伝統漁法に共通する課題となっている

世界農業遺産(GIAHS)に見る、里山里海の知恵

国連食糧農業機関(FAO)が評価する伝統的な資源利用

世界農業遺産(GIAHS:Globally Important Agricultural Heritage Systems)は、国連食糧農業機関(FAO)が2002年に始めた認定制度で、伝統的な農林水産業とそれに根ざした景観・生物多様性・文化を一体として評価するものだ。

「能登の里山里海」——日本初のGIAHS認定

2011年6月、石川県の「能登の里山里海」が、新潟県の「トキと共生する佐渡の里山」とともに日本で初めてGIAHSに認定された。能登地域の4市5町(七尾市・輪島市・珠洲市・羽咋市・志賀町・中能登町・穴水町・能登町・宝達志水町)にまたがる農業・林業・漁業と、それに根ざした人々の暮らしそのものが認定の対象となっている。輪島の海女漁の技術が伝わる地域も、この能登の里山里海の一部だ。

「清流長良川の鮎」——鵜飼・簗を含む長良川システム

鵜飼や簗漁が行われる長良川そのものも、2015年12月15日にGIAHS「清流長良川の鮎」として認定されている。長良川流域には約86万人が暮らす都市部を含みながら、上流から中流にかけての清流が保たれ、その清流でアユが育つという「長良川システム」全体が評価の対象だ。鵜飼や簗は、この長良川システムの中で人と川、そしてアユとの関わりを何百年も維持してきた具体的な漁の形と位置づけられている。

海と陸を一体で管理する発想

GIAHSが評価するのは、里山(集落・農地・二次林など)や里川・里海(沿岸の漁場)を切り離さず、人の適切な働きかけによって長期間にわたり生物多様性と生産性の両方を維持してきた点だ。鵜飼・簗・海女といった伝統漁法も、この「人が関わり続けることで資源を維持する」という考え方の延長線上にあると位置づけられる。

日本国内で広がるGIAHS認定

GIAHSは2023年11月時点で世界26か国86地域が認定されており、そのうち15地域が日本国内にあった。徳島県にし阿波地域、滋賀県琵琶湖地域、熊本県阿蘇地域、大分県国東半島宇佐地域など、農業・林業・漁業のさまざまな形が対象となっており、能登の里山里海・清流長良川の鮎はその中でも沿岸・河川の漁業を含む代表的な事例にあたる。認定地域数はその後も増え続けており、伝統的な資源利用のあり方への国際的な関心の高さがうかがえる。

能登半島を思わせる里山と里海が接する海岸線の風景。棚田と漁村、穏やかな海が広がる
里山・里川・里海を一体で管理する発想が、世界農業遺産として評価されている

海外にも伝わる、似た仕組みを持つ伝統漁法

済州島の海女「ハニョ」——先にユネスコ登録された海女文化

海女に似た素潜り漁は日本だけのものではない。韓国の済州島には「ハニョ」と呼ばれる海女がおり、機械装置を一切使わず、息を止めて水深10m以上まで潜ってアワビ・サザエ・ワカメなどを採取する。済州島には現役のハニョが約4,000人弱おり、その技術や海の生態への深い知識、安全を祈願する儀礼などを含めた「済州海女文化」は2016年にユネスコ無形文化遺産に登録された。済州島の海女漁業自体も国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産(GIAHS)に認定されている。日本の海女文化がユネスコ登録を目指す中で、済州島は一足先にその評価を得た事例といえる。

中国・桂林の鵜飼——観光として生き残った漁法

中国広西チワン族自治区の桂林では、漓江(りこう)で「鸕鶿(ルーツー)」と呼ばれるカワウを使った鵜飼が古くから行われてきた。これも約1300年前に始まったとされ、長良川鵜飼とほぼ同じ長さの歴史を持つ。実用的な漁としての役割はほぼ失われ、現在は観光体験として継続されているが、「漁として成り立たなくなった後も、観光や文化財として技術を残す」という点は、日本の鵜飼が観光収入によって技術継承を支えている構図と重なる。

地域漁法対象評価・指定
日本(長良川など)鵜飼アユ国重要無形民俗文化財、GIAHS(長良川)
日本(鳥羽・志摩、輪島)海女アワビ・サザエ国重要無形民俗文化財、ユネスコ登録を目指す
韓国・済州島ハニョ(海女)アワビ・サザエ・ワカメユネスコ無形文化遺産(2016年)、GIAHS
中国・桂林鸕鶿(カワウ漁)川魚無形文化遺産・観光体験として継続
日本・韓国・中国に見る、鵜やハニョを使う伝統漁法の比較

共通する点

国や地域は違っても、鵜(カワウ・ウミウ)を使う漁、素潜りで根付資源を獲る漁には、いずれも「一度に獲れる量に生理的な上限がある」という共通の性質がある。こうした漁法が世界各地で無形文化遺産や世界農業遺産として評価されているのは、単に古いからではなく、資源と共存してきた実績が評価されているためだ。

現代に活きる伝統漁法の知恵——観光・教育・地域の取り組み

観光と漁業を両立させる

長良川鵜飼は現在、年間を通じて多くの観覧船客を集める観光資源としての側面も大きい。漁としての漁獲量自体は限られていても、観光収入が鵜匠の生活と技術継承を支えるという形で、漁業と観光が補い合う構造ができている。海女小屋での海女漁の実演・体験なども、同様に観光を通じて技術と収入の両方を維持する取り組みの一例だ。訪日外国人観光客の間でも、素潜りで漁をする海女や、鳥での漁という珍しさから鵜飼への関心が高まっているとの報告もあり、これが後継者問題を解決する糸口になるとの期待も語られている。

地域ぐるみのルール作りという発想

海女漁の禁漁期やサイズ制限は、法律で一律に決められたものではなく、地域の漁業協同組合が自主ルールとして定め、守り続けてきたものだ。行政による規制だけに頼らず、資源を利用する当事者自身がルールを作り、世代を超えて守るという発想は、現代の海洋資源管理においても重要な視点であり続けている。

子どもたちに漁の仕組みを伝える場としても

鵜飼の観覧船や海女小屋、簗場の食事処は、地元の子どもたちが自分たちの地域の漁業の歴史や仕組みを知るきっかけにもなっている。なぜ禁漁期があるのか、なぜ小さなアワビは海に戻すのか、なぜ鵜の喉に輪をつけるのか——こうした一つひとつの工夫を大人が説明できることが、次の世代に伝統漁法の意味を伝える最初の一歩になる。単に技術を継承するだけでなく、その背景にある「なぜそうしてきたか」という考え方まで伝えることが、後継者育成と並んで重要な課題になっている。

内部リンク:関連する記事

水産資源の管理という観点では、乱獲によって資源が崩壊した事例を扱った乱獲で水産資源はなぜ崩壊するのか、禁漁区の考え方を紹介した海洋保護区(MPA)とは?もあわせて読むと理解が深まる。また、伝統漁法にも共通する担い手不足の背景は漁業の担い手不足はなぜ深刻かで詳しく解説している。

この記事のポイントを箇条書きでまとめた図版
この記事のポイント。詳しくは各章で解説している

私たちにできること

  • 旅行先で鵜飼観覧や海女小屋体験などの伝統漁法に触れてみる
  • 海女漁が守ってきたアワビ・サザエなど根付資源を、産地や漁獲方法を意識して選ぶ
  • 地域の資源管理のルールが、なぜそう決められているかに関心を持つ

参考文献・出典

  1. ぎふ長良川の鵜飼(岐阜市公式) – 1300年以上の歴史と宮内庁式部職鵜匠について
  2. 岐阜県観光公式サイト「岐阜の旅ガイド」 – 長良川鵜飼の歴史と文化的価値の解説
  3. ニッポン旅マガジン「鵜飼 全国11ヶ所★完全ガイド」 – 全国の鵜飼開催地と使用されるウミウの産地
  4. 道の駅 藤樹の里あどがわ – 伝統的漁法「梁(やな)」の仕組みと歴史の解説
  5. 三重県 文化財課「文化財としての海女漁の技術」 – 鳥羽・志摩の海女漁の技術の国重要無形民俗文化財指定について
  6. 日本経済新聞「三重・志摩の海女514人 50年間で8分の1に」 – 海女の人数推移データ(1972年〜2022年)
  7. 笹川平和財団 海洋政策研究所「海女をユネスコ無形文化遺産に」 – 海女文化のユネスコ登録に向けた動き
  8. 三重大学「環境・SDGs報告書2022」 – 自然環境と共生する海女さんの漁法についての解説
  9. 世界農業遺産「能登の里山里海」情報ポータル – GIAHSの制度概要と能登の里山里海の認定経緯
  10. 岐阜県「世界農業遺産『清流長良川の鮎』の概要」 – 2015年GIAHS認定と長良川システムの解説
  11. 水産庁「資源管理の部屋」 – TAC制度など現代の水産資源管理の概要

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