スーパーの棚に並ぶ塩蔵わかめや乾燥昆布は、ほとんどが誰かの海の畑で育ったものです。日本のワカメの大部分は養殖であり、その主産地は三陸——つまり、2011年3月11日に最も大きな被害を受けた海です。
津波は、沖に浮かんでいた養殖施設と、それを支える陸の加工場・冷蔵庫・作業場を同時に奪いました。にもかかわらず、三陸のワカメは震災の翌年には市場に戻ってきています。個々の漁業者が自力で立ち直ったからではありません。漁協が施設をまとめて整え、みんなで使うという、日本の沿岸漁業に古くからある仕組みが働いたからです。
そして15年が経ったいま、海藻養殖は復興とは別の局面に入りました。高水温で種苗がうまく育たない年が続き、浜からは人が減り続けています。その一方で、海藻がCO2を吸収する「ブルーカーボン」として国連に報告され、クレジットとして売買されはじめました。この記事では、三陸の海藻養殖が何を失い、何を取り戻し、いまどこに立っているのかを、公的統計と一次資料でたどります。
この記事で学べること
- 東日本大震災で三陸の海藻養殖が受けた被害と、翌年には水揚げが再開できた理由
- 「共同利用施設」がワカメ・コンブの再建で決定的に重要だったしくみ
- 令和6年までの生産統計が示す、回復の到達点と伸び悩みの正体
- 高水温・種苗不良・担い手不足という、復興のあとにやってきた3つの壁
- 海藻養殖にブルーカーボンの価値がつきはじめた科学的な根拠とJブルークレジットの実例
- 食用以外に広がる海藻の使い道と、期待しすぎないための注意点
一夜で消えた海の畑——2011年、三陸の海藻養殖に何が起きたか
ワカメやコンブの養殖は、海の上に何も残らない産業です。収穫が終われば施設をたたみ、季節が来ればまた張る。だからこそ津波が来たとき、被害は「壊れた」ではなく「無くなった」という形で現れました。
海面から養殖施設が消えた
岩手県は、ワカメ養殖の生産量で平成22年(2010年)まで全国一位を続けてきた県です。県の資料は、東日本大震災津波によって海上の養殖施設や漁船が壊滅的な被害を受け、「養殖基盤のほとんどが失われた」と記しています。沖に張られていたロープ、浮き玉、アンカー、そしてそこに育っていた海藻が、丸ごと海から消えたということです。
ワカメ養殖は、秋に種苗を海に出し、冬に育て、春に刈り取る1年サイクルの仕事です。3月は、まさに刈り取りの最盛期でした。1年分の労力と、その年の収入が、収穫の直前に流されたことになります。
そもそも三陸がワカメの一大産地になったのには理由があります。リアス海岸の深く入り組んだ湾は波が穏やかで、養殖ロープを長期間張っておけます。さらに冬に親潮系の冷たい水が入り、山からの河川水が栄養塩を運ぶ。低水温・高栄養・静穏という三拍子が揃った海が、肉厚で弾力のある葉体を育てます。岩手県でワカメ養殖が始まったのは昭和24年(1949年)で、いまでは県の沿岸部ほぼ全域で行われています。
しかしその同じ地形が、津波のときには水位を押し上げる方向に働きました。湾の奥へ進むほどエネルギーが集中し、養殖漁場も、その岸に建つ加工場も、まとめて被害を受ける構造だったのです。

陸の設備も同時に失われた
見落とされがちですが、海藻養殖の被害は海面だけではありません。刈り取ったワカメは、そのままでは商品になりません。茹でて(湯通し)、塩をして、脱水し、選別して、冷蔵する——この一連の陸上工程を経て、はじめて「湯通し塩蔵わかめ」として流通します。沿岸部の低地に建っていたこれらの施設は、津波の直撃を受けやすい場所にありました。
- 種苗生産施設:メカブから胞子を出させ、糸に付着させる陸上水槽。ここが無いと翌シーズンの種が作れない
- ボイル・塩蔵加工場:刈り取り直後の海藻を短時間で処理する設備。鮮度勝負のため漁場の近くに必要
- 冷蔵・冷凍庫:塩蔵品を保管し、出荷時期を調整する
- 荷さばき所・集荷場:漁協が買い取り、選別・計量・出荷する拠点
- 作業場・番屋:ロープの補修や道具の保管を行う共同の場所
それでも翌年には水揚げが戻った
岩手県によれば、養殖ワカメの水揚げは震災翌年の平成24年(2012年)に再開しています。1年サイクルの作物であることが、この場合はむしろ有利に働きました。秋までに種苗と施設さえ用意できれば、翌春には収穫できる。ホタテやカキのように収穫まで数年かかる養殖に比べ、海藻は立ち上がりが速いのです。
ただし「用意できれば」の条件は重い。施設一式を個人で買い直せる漁業者は多くありませんでした。ここで機能したのが、次章で見る共同利用の仕組みです。
海藻養殖が「復興の先発隊」になれた理由
- 1年で収穫できる短いサイクル(秋に種苗→春に刈り取り)
- 魚のように餌を必要とせず、育成コストが低い
- リアス海岸の内湾は、施設さえ張れば波が穏やかで養殖に向く
- 既存の販路(塩蔵わかめ市場)が残っており、作れば売り先があった
なぜ一人では立ち直れないのか——共同利用施設という土台
海藻養殖は「海の仕事」に見えて、実は工程の半分が陸にあります。そして陸の設備は、一人の漁業者が持つには大きすぎる。この構造が、復興の進み方を決めました。
工程の半分は陸で行われる
ワカメが海から食卓に届くまでの工程を並べると、どこに設備が必要かがはっきりします。海上の作業は個人の船と腕でできますが、陸の工程は装置産業に近い。
| 時期 | 工程 | 場所 | 必要な設備 |
|---|---|---|---|
| 初夏〜夏 | 母藻(メカブ)の採取・種糸づくり | 陸上 | 種苗生産水槽、冷却装置 |
| 秋 | 種苗の沖出し・ロープ張り | 海上 | 漁船、ロープ、浮き玉、アンカー |
| 冬 | 間引き・生育管理 | 海上 | 漁船、作業場 |
| 早春 | 刈り取り | 海上 | 漁船、コンテナ |
| 刈り取り直後 | 湯通し(ボイル)・塩蔵・脱水 | 陸上 | ボイル槽、脱水機、塩蔵設備 |
| 出荷まで | 選別・保管・出荷 | 陸上 | 選別台、冷蔵庫、荷さばき所 |
とくに湯通し塩蔵の工程は時間との勝負です。刈り取ったワカメは放置すれば急速に品質が落ちるため、その日のうちに処理しなければなりません。加工場を数十km離れた場所に建てるという選択肢は、実質的にありませんでした。
漁協が「まとめて整える」という復旧の型
岩手県は、震災後の水産業復興にあたって漁協による漁船・養殖施設の一括整備と、集荷場・作業場などの共同利用施設の復旧・整備を柱に据えました。個々の漁業者が自己資金で買い戻すのではなく、漁協が国や県の補助を受けて設備を取得し、組合員が共同で使う。この方式には、当時の状況で決定的な利点がありました。
- 被災して担保も貯蓄も失った漁業者が、借金を負わずに再開できる
- 施設を1か所にまとめることで、少ない予算で多くの人が生産を戻せる
- 誰がどれだけ再開できるかを漁協が調整でき、漁場の再配置がしやすい
- 共同で使う前提なので、高齢者が引退しても設備は浜に残る
共同利用がもたらした副産物
共同利用施設は、震災前から日本の沿岸漁業にあった仕組みです。しかし震災後に整備された施設の多くは、旧来のものより衛生管理と省力化の水準が上がりました。新しく建てるなら、と作業動線や排水設備を見直した浜が少なくないためです。結果として、後述するブランド化や輸出の下地にもなりました。
同じ構図はカキ養殖の復興でも見られます。設備を作り直す局面が、それまでのやり方を見直す機会になったという点は共通しています(→ カキ養殖の復興 三陸が選んだ「減らして育てる」海の再生)。
覚えておきたい構造
- 海藻養殖の再建は「海の施設」と「陸の加工場」の両方が揃って初めて成立する
- 陸の設備は個人には重すぎるため、漁協の共同利用が現実的な解になった
- 共同利用は復興を早めただけでなく、施設の近代化という副次効果も生んだ
数字で見る回復——ワカメはどこまで戻ったのか
では、生産量はどこまで戻ったのでしょうか。農林水産省の漁業・養殖業生産統計と、岩手県が公表しているシェアの数字を並べてみます。
令和6年の全国統計
令和6年(2024年)のわかめ類養殖の収獲量は全国で3万9,700tでした。前年に比べて9,900t(20.0%)の減少です。逆算すれば令和5年は約4万9,600tだったことになります。海藻類養殖全体では27万4,600t(前年比8.0%減)、そのうちのり類が19万4,100t(同3.4%減)を占めます。つまり日本の海藻養殖は、量でいえばのりが主役で、ワカメはその5分の1程度の規模ということです。
| 順位 | 都道府県 | 収獲量(令和6年) | 全国シェア |
|---|---|---|---|
| 1位 | 宮城県 | 17,481t | 44.1% |
| 2位 | 岩手県 | 12,077t | 30.5% |
| 3位 | 徳島県 | 3,626t | 9.1% |
| — | 全国計 | 39,700t | 100% |
宮城と岩手を合わせると74.6%。三陸2県で全国の4分の3を作っている計算です。徳島(鳴門)を加えれば8割を超えます。日本のワカメ養殖は、地理的にきわめて偏った産業だと言えます。

「日本一」は戻っていない
注目すべきは順位です。岩手県は平成22年まで全国一位を維持していましたが、令和6年時点では宮城県に次ぐ2位にとどまっています。生産再開そのものは早かったのに、震災前のポジションは取り戻せていない。これは、後述する担い手の減少と、近年の海洋環境の変化が重なった結果です。
つまり「復興は終わったのか」という問いに、生産統計は単純なイエスを返しません。設備は戻り、生産は再開した。しかし産業としての規模は、震災前の水準へまっすぐ回帰したわけではないのです。
一次情報を確認するわかめ(いわてお国自慢)|岩手県岩手県のワカメ養殖の歴史、震災からの復旧、令和6年の生産量と全国シェアをまとめた県の公式ページ。🔗 pref.iwate.jpコンブは別の物語をたどっている
同じ海藻でも、コンブの事情は異なります。日本で食べられている昆布の約9割を生産するのは北海道です。その北海道で、令和6年のコンブ生産量が統計開始以来はじめて1万トンを下回る見込みとなりました。北海道は令和6年8月に「コンブ生産安定対策検討会議」を設置し、令和7年3月に生産安定対策をとりまとめています。
三陸でもコンブ養殖は行われていますが、規模はワカメに及びません。海藻養殖全体を見ると、震災からの復興という軸とは別に、海洋環境の変化という共通の軸が全国の産地に効きはじめていることがわかります。
海藻養殖のなかでのワカメの位置
海藻類養殖27万4,600tの内訳を見ると、のり類が19万4,100tで全体の約7割を占めています。わかめ類の3万9,700tは全体の約14%。数字だけを見ればワカメは「主役ではない」ように映ります。
ただし産地の経済という視点では話が変わります。のり養殖は瀬戸内海や有明海など西日本が中心で、三陸ではほとんど行われていません。三陸の海藻養殖はワカメがほぼすべてであり、その豊凶がそのまま浜の景気を左右します。全国統計では小さく見える変動が、産地では生活に直結する大きさで効くということです。
ここまでのまとめ
- 令和6年のわかめ類養殖は全国3万9,700t(前年比20.0%減)
- 宮城44.1%+岩手30.5%=74.6%。三陸2県に生産が集中
- 岩手は生産再開は早かったが、震災前の全国一位は取り戻していない
- 北海道のコンブは令和6年に統計開始以来はじめて1万トンを下回る見込みとなった
復興を追い越してきた壁——高水温と種苗
近年の三陸のワカメを語るとき、震災よりも頻繁に話題になるのが水温です。施設も人も揃っているのに、海藻が育たない年が続きました。
2年続いた不作
2024年産と2025年産のワカメは、三陸で連続して不作となりました。令和6年の全国収獲量が前年比20.0%減という大きな落ち込みを示したのは、この影響です。原因は単一ではなく、冬季のしけによる施設の被害、高水温による生育の遅れ、病虫害などが重なりました。
効いているのは「夏の水温」
ここで重要なのは、収穫期の水温よりも種苗生産期(おおむね6〜11月)の水温が翌年の生産量に強く効くという点です。ワカメの種苗は、陸上水槽でメカブから出た遊走子を糸に付着させ、小さな芽まで育ててから海に出します。この期間に水温が高すぎると、芽の生育が進まなかったり、雑藻や細菌の影響を受けやすくなったりします。
岩手県の資料は、ワカメ養殖の工程のうち「陸上の水槽でメカブから出る胞子をロープに付着させる時以外は、すべての工程を海中で管理する」と説明しています。裏を返せば、人が水温をコントロールできるのは種苗の時期だけで、そこから先は海任せということです。海が暖まれば、打つ手は限られます。

2026年の持ち直しが示したもの
一方で、2026年シーズンは明るい材料がありました。日本わかめ協会が2026年6月の総会で報告したところによれば、三陸わかめの水揚げ量は5月12日時点で2万2,227t、前年比24%増。2024・2025年の減産要因のひとつだった病虫害の大きな発生が見られず、「近年にないほど歩留まりが高く、品質も良かった」と評価されています。
ただしこの数字は、業界団体が集計した水揚げベースの実績であり、農林水産省の生産統計(収獲量)とは集計基準が異なります。単純に前掲の3万9,700tと比べることはできません。それでも、環境条件が整えば三陸の生産力はまだ十分にあることを示す結果ではあります。
- 同じ2026年でも、鳴門(徳島)は食害・生育初期の降雨不足・生産者減・強風被害が重なり2〜3割の減産
- 中国産は前年の豊作による相場暴落を受け、養殖面積が約3割縮小
- めかぶは2024〜2026年と不作が続き、国内需要8,000tに対し三陸全体の生産は6,000t程度と需給ギャップが生じている
「豊作の年もある」ことの意味
気候変動の話をするとき、右肩下がりの一本調子を想像しがちですが、実際の海藻養殖は年による振れ幅が大きくなるという形で影響を受けます。良い年もあれば壊滅的な年もある。困るのは平均値が下がることよりも、収入の予測が立たなくなることです。設備投資や後継者の就業判断は、この不確実性に直撃されます。
もうひとつ見落とせないのが、養殖漁場の周囲にある天然の藻場の状態です。高水温と植食動物の食害によって海藻が消える「磯焼け」は、養殖の有無にかかわらず各地で進んでいます。天然藻場が痩せれば、母藻の確保や周辺海域の生産力にも影響が及びます。養殖の不作と磯焼けは、根を同じくする現象として見ておく必要があります(→ 磯焼けとウニ砂漠はなぜ起きる?ケルプの森消失の原因と世界の再生の取り組み)。
海藻養殖が直面する環境リスク
- 種苗生産期(夏〜秋)の高水温による芽の生育不良
- 冬季のしけ・強風による養殖施設の流失
- 病虫害や雑藻の発生(年による変動が大きい)
- 食害(ウニ・魚類)の増加。磯焼けと共通する背景を持つ
- 年ごとの豊凶差が拡大し、経営計画が立てにくくなる
誰が海に出るのか——担い手の現在地
施設が戻り、良い年には良いものが穫れる。それでも生産が震災前に届かない最大の理由は、海に出る人が減り続けていることです。
5年で20%減った漁業就業者
2023年漁業センサスによれば、日本の漁業就業者は12万1,389人で、5年前と比べて3万312人(20.0%)減少しました。年齢階層別に見ると全階層で減っており、とくに65〜69歳の層の減少が大きい。この年代の引退がまとまって進んだことを意味します。就業者全体に占める65歳以上の割合は増加傾向です。
ワカメ養殖は、冬の海で早朝から刈り取り、そのまま陸で茹でて塩をするという重労働です。作業の集中する2〜4月は、家族総出でも人手が足りません。高齢化した経営体から順に、漁場を維持できなくなっていきます。
研修制度という入口——いわて水産アカデミー
岩手県は、担い手を「待つ」のではなく「育てる」方向に舵を切りました。いわて水産アカデミーは平成31年(2019年)4月に開講した1年間の研修制度で、県漁業担い手育成基金が運営しています。座学による水産業の基礎知識と、実際の漁業現場での実践研修を組み合わせ、2026年時点では第8期の研修生が学んでいます。
こうした制度の意義は、漁家の外からの参入経路をつくったことにあります。従来、沿岸漁業への就業はほぼ親から子への継承に限られていました。研修と漁協の受け入れがセットになることで、地縁のない若者にも入口が開きます。
研修制度を詳しく見るいわて水産アカデミー|岩手県岩手県の漁業担い手育成研修制度の概要。研修内容、募集、問い合わせ先が掲載されている公式ページ。🔗 pref.iwate.jp浜が自前で人を育てる
制度だけでは人は定着しません。大船渡市周辺の漁協が策定した浜の活力再生プランでは、SNSを使った情報発信、ベテラン漁業者による指導、漁業青年部や県漁業士会の活動支援、小中学校での漁業体験活動といった取り組みが並びます。就業前の関心づくりから、就業後の技術習得までを地域で受け持つという発想です。
現場の若手からは、「頼りになる親世代がまだ現役のうちに次の担い手を育てたい」という声が聞かれます。ベテランの右腕として数年働きながら技術と漁場を引き継ぐ形は、制度化された研修とは別のルートとして機能しています。
海藻養殖は入口として有利か
新規参入という観点では、海藻養殖には有利な点があります。餌代がかからず、収穫までが1年と短く、必要な漁船も比較的小型で済む。共同利用施設があれば加工設備の投資も抑えられます。一方で、収入が春に集中するため年間を通じた収入源にはなりにくく、多くの経営体はホタテやカキ、ウニ、あるいは漁船漁業と組み合わせています。
三陸の水産復興を全体として見ると、この「組み合わせ」の再構築こそが本丸でした(→ 三陸の水産復興の歩み ― ワカメ・ホタテ・カキ養殖再開からブランド化まで)。
担い手をめぐる論点
- 漁業就業者は2023年時点で12万1,389人。5年で20.0%減少した
- 研修制度(いわて水産アカデミーなど)が家族外からの参入経路をつくった
- 海藻養殖は初期投資が軽く入口に向くが、単独では通年の収入にならない
- 漁場・施設・技術をどう次世代へ引き渡すかが、生産量を左右する
海藻はCO2を吸うのか——ブルーカーボンの科学
ここ数年、海藻養殖に新しい価値づけが加わりました。「海藻はCO2を吸収する」という文脈です。ただしこの話は、正確に理解しないと簡単に誇張されます。
問題は「吸う」ことではなく「留める」こと
海藻が光合成でCO2を取り込むのは当然です。問題は、その炭素がどこへ行くか。海藻が枯れてその場で分解されれば、炭素はすぐ海水と大気に戻ります。気候変動対策として数えられるのは、炭素が長期間、大気から切り離された状態で留まる場合だけです。
コンブやワカメの場合、葉状部がちぎれて潮流に乗り、外洋へ運ばれます。その一部は水深の深い中深層まで沈み、分解されながらも長期間そこに留まる。これが海藻由来のブルーカーボンの主な隔離経路と考えられています。マングローブや海草藻場のようにその場の泥に炭素を溜め込むタイプとは、しくみが違うのがポイントです。

日本が世界で初めて国連に報告した
2024年4月、日本は国連に提出する温室効果ガスの排出・吸収量の報告に、はじめて藻場による吸収量を盛り込みました。2022年度の吸収量として算定されたのは約35万トン。海藻藻場による吸収量を国の報告に含めたのは、日本が世界で初めてです。
これが可能になったのは、算定手法が整ったからです。国土交通省と港湾空港技術研究所が沿岸域の藻場面積の推計手法を開発し、農林水産省が開発した藻場タイプ別の吸収係数と組み合わせることで、全国規模の吸収量を出せるようになりました。水産研究・教育機構は現存量調査の手引きも公開しています。
この「世界初」が意味するのは、日本が特別に海藻を持っているということではありません。海藻藻場の吸収量を国の公式な報告に載せられるだけの計測方法を、先に用意できたということです。国際的には海草藻場やマングローブが先行しており、海藻はIPCCのガイドラインでも扱いが定まっていませんでした。日本の沿岸はコンブ・ホンダワラ類の藻場が広く、そこを数えられるかどうかが吸収量の評価を左右するため、方法論の整備に力が注がれてきた背景があります。
報道発表を読む我が国の沿岸域に生息する海洋植物による二酸化炭素の吸収量が国連に報告されました|国土交通省藻場による約35万トンのCO2吸収量を国連へ報告。海藻藻場の吸収量報告は世界初であることを伝える報道発表資料。🔗 mlit.go.jp「養殖の海藻」はどう扱われるのか
ここで気をつけたいのは、国のインベントリで数えられている藻場と、養殖されている海藻は同じではないという点です。養殖ワカメの大部分は刈り取られて人が食べるため、その炭素は隔離されません。数か月から数年で大気に戻ります。
それでも養殖に吸収が認められる余地はあります。養殖中に自然にちぎれて流出する葉片、施設に付随して繁茂する海藻、そして養殖行為が結果的に藻場を維持・創出している場合などです。後述するJブルークレジットは、まさにこの部分を計測して認証しています。ブルーカーボン一般の仕組みは別記事で詳しく扱っています(→ ブルーカーボンとは?マングローブと海草藻場が海に炭素を貯めこむ仕組みと日本の挑戦)。
誤解しやすいポイント
- 「海藻がCO2を吸う」=「気候対策になる」ではない。炭素が長期間隔離されて初めて計上できる
- 食べたワカメの炭素は隔離されない。食料としての価値と炭素の価値は別に考える
- 海藻の隔離経路は中深層への移送が主で、海草藻場の底泥貯留とはメカニズムが異なる
- 国の吸収量35万トンは日本全体の排出量から見ればごく一部。海藻養殖だけで脱炭素は達成できない
クレジットという新しい値札——Jブルークレジットと海藻養殖
吸収量が計測できるようになると、次に起きるのは市場化です。日本には、沿岸のブルーカーボンを対象にしたクレジット制度がすでに動いています。
Jブルークレジットとは
Jブルークレジットは、ジャパンブルーエコノミー技術研究組合(JBE)が認証・発行する国内初のブルーカーボンクレジットです。JBEは2020年7月に、国立研究開発法人海上・港湾・航空技術研究所らによって設立されました。対象はマングローブ、海草藻場、湿地・干潟に加え、海藻藻場と養殖の藻場まで含みます。
海藻の算定方法は、2013年に公開されたIPCCの湿地ガイドラインにも含まれていません。つまりJブルークレジットは、国際的な標準がまだ無い領域で先行して方法論を組み立てているイニシアティブだということです。
コンブ養殖でクレジットが出た——北海道福島町の例
海藻養殖でクレジットが認証された具体例が、北海道福島町の「北海道ふくしま町“青×蒼”プロジェクト」です。福島吉岡漁業協同組合を代表申請者、福島町を共同申請者とし、コンブ養殖による藻場の創出・保全活動が対象となりました。2018年10月1日から2023年9月30日までの5年間で、369.9 t-CO2が認証されています。
| 購入コース | 数量 | 価格 |
|---|---|---|
| Pコース | 20.0 t-CO2 | 99,000円/口 |
| Qコース | 20.0 t-CO2 | 入札方式 |
| Rコース | 89.9 t-CO2 | 55,000円/t-CO2 |
収入の柱になるのか
現実的に見ておくべきは規模です。福島町の例は5年分で369.9 t-CO2。仮に全量を1トンあたり5万円台で販売できたとしても、5年間で2,000万円弱にしかなりません。これは漁協の事業を支える柱にはなり得ませんが、藻場の維持活動そのものに値段がついたという点に意味があります。
むしろ現時点で大きいのは、クレジットを通じて企業や自治体との関係ができることでしょう。購入企業が産地を訪れ、商品を扱い、体験プログラムに参加する——そうした副次的なつながりが、単価以上の価値を生んでいる例が各地で報告されています。制度の詳しい仕組みは別記事で解説しています(→ Jブルークレジットとは?藻場・干潟のCO2をお金に変える海の脱炭素市場)。
クレジットを冷静に見るための3点
- 認証量は数百t-CO2規模。漁業経営を支える主収入にはならない
- 計測・申請には専門的な調査が必要で、漁協単独では負担が大きい
- 金額よりも、藻場を守る活動が可視化され外部とつながる効果のほうが大きい
食用の外へ——海藻の使い道が広がっている
海藻養殖の将来を考えるとき、食品以外の用途が語られる機会が急に増えました。世界的な動きと、日本での研究の現在地を押さえておきます。
世界では3,650万トンが養殖されている
FAOによれば、2022年の世界の養殖藻類の生産量は3,650万トン(湿重量ベース)で、2020年の3,510万トンから140万トン(4.1%)増えました。金額では約170億USドルに相当します。増加を牽引したのは中国で、マレーシア、フィリピン、タンザニア、ロシアなどが続きます。一方でインドネシア、韓国、日本などは減少しました。
つまり世界の海藻養殖は拡大しているのに、日本は縮小側にいます。国内需要が伸び悩み、担い手が減り、海洋環境も厳しい——三重の要因が重なっている状況です。
牛のげっぷを減らす海藻
近年最も注目されている非食用の用途が、反芻家畜のメタン削減飼料です。紅藻の一種カギケノリに含まれるブロモホルムという成分が、牛の胃の中でメタンを作る微生物の働きを抑えることが知られています。鹿島建設は2024年1月、このカギケノリを陸上水槽で安定的に量産する培養手法を開発したと発表しました。
ただし実用化には課題が残ります。安定的な生産量の確保、揮発しやすい有効成分を逃がさない加工法、長期給与時の家畜への影響評価などです。試験管レベルの効果がそのまま牧場で再現されるとは限らないという点は、冷静に見ておく必要があります。
プレスリリースを読む牛のげっぷ中のメタンガスを抑制する海藻の量産培養手法を開発|鹿島建設紅藻カギケノリを陸上水槽で安定量産する培養手法の開発を伝えるプレスリリース(2024年1月)。🔗 kajima.co.jp農業資材・素材としての海藻
もうひとつ広がっているのが、植物の環境ストレス耐性を高めるバイオスティミュラントとしての利用です。海藻抽出物を農作物に施用し、高温や乾燥への耐性を高める製品が実用化されています。ほかに、生分解性素材、化粧品原料、機能性食品素材など、海藻の用途は多方向に広がりつつあります。

三陸にとっての意味
こうした新用途は、三陸の産地にすぐ利益をもたらすものではありません。カギケノリは三陸で養殖されている種ではなく、バイオスティミュラント原料も海外産の海藻が主流です。それでも重要なのは、海藻という資源に複数の出口ができることです。食用ワカメの相場だけに依存する構造は、豊凶差が大きくなる時代には脆い。用途の多様化は、産地のリスク分散につながります。
海藻の新しい出口
- 世界の養殖藻類生産量は2022年に3,650万トン。日本は減少側にいる
- カギケノリを使ったメタン削減飼料は量産技術の開発段階
- 海藻抽出物のバイオスティミュラントは農業資材としてすでに流通
- 用途の多様化は、食用相場の変動に対する産地のリスク分散になる
復興から適応へ——これからの三陸の海藻養殖
ここまで見てきたことを整理すると、三陸の海藻養殖が置かれている状況がはっきりしてきます。震災からの復旧という課題は、施設の面ではおおむね完了しました。いま向き合っているのは、まったく別の課題です。
3つの局面が重なっている
| 局面 | 課題 | 打ち手の中心 |
|---|---|---|
| 復旧(2011〜2010年代半ば) | 失われた海上施設と陸上加工場の再建 | 漁協による共同利用施設の一括整備 |
| 維持(2010年代後半〜) | 就業者の減少と高齢化、漁場の引き継ぎ | 研修制度、浜での受け入れ、省力化 |
| 適応(2020年代〜) | 高水温・病虫害・豊凶差の拡大 | 種苗技術、品種・漁期の見直し、収入源の多様化 |
厄介なのは、この3つが順番に来たのではなく重なって進んでいることです。設備を新しくした矢先に高水温が来て、収入が不安定になれば後継者は入りにくくなる。ひとつを解決すれば済む話ではありません。
現場で有効性が見えている打ち手
- 種苗生産の高度化:陸上水槽の水温管理を強化し、高水温年でも健全な種苗を確保する
- 漁期・漁場の見直し:沖出しの時期を遅らせる、水温の低い漁場へ配置を変えるなど、海の変化に合わせる
- 省力化と共同化:刈り取り・ボイル工程の機械化、共同利用施設の維持更新
- 複合経営:ワカメ単独ではなくホタテ・カキ・漁船漁業と組み合わせて年間収入を平準化
- 付加価値化:産地表示・ブランド化・認証取得により、量の減少を単価で補う
- 藻場活動の可視化:Jブルークレジットなどを通じて、外部の資金と関心を呼び込む
食べる側にできること
消費者の立場からできることは、思うより具体的です。まず、産地表示を見て国産・三陸産を選ぶこと。ワカメは輸入品との価格差が大きい商品ですが、産地の生産量が減れば、日本の沿岸に海藻養殖という営みそのものが残らなくなります。
次に、旬を知って買うこと。ワカメの収穫は早春で、生わかめが出回るのはこの時期だけです。年に一度、その季節にしか味わえないものとして扱えば、産地の仕事のリズムが見えてきます。めかぶのように需給が逼迫している品目もあり、価格の上昇は不作の裏返しでもあります。
そして、海藻を育てる海そのものへの関心を持つこと。藻場が失われる磯焼けの問題や、藻場の再生の取り組みは、養殖の話と地続きです(→ 魚のゆりかご・藻場の再生|アマモ場の造成と磯焼け対策・ブルーカーボンの価値)。
この記事のまとめ
- 三陸の海藻養殖は、漁協の共同利用施設という土台があったため震災翌年に生産を再開できた
- 令和6年のわかめ類養殖は全国3万9,700t。宮城・岩手で74.6%を占めるが、岩手は震災前の全国一位に戻っていない
- 近年の不作の主因は種苗生産期(夏〜秋)の高水温。2026年は病虫害が少なく前年比24%増と持ち直した
- 漁業就業者は2023年に12万1,389人(5年で20.0%減)。研修制度と浜の受け入れが新しい入口をつくっている
- 藻場のCO2吸収量35万トンが2024年に世界で初めて国連へ報告され、Jブルークレジットで海藻養殖にも値段がつきはじめた
- 課題は復旧から、担い手の維持と気候変動への適応へ移っている
参考文献・出典
- 農林水産省 – 令和6年漁業・養殖業生産統計(海面養殖業の収獲量、わかめ類・こんぶ類・のり類)
- 岩手県 – わかめ(いわてお国自慢):岩手のワカメ養殖の歴史、震災被害と復旧、令和6年の生産量・全国シェア
- 農林水産省 – 2023年漁業センサス結果の概要:漁業就業者数12万1,389人、5年前比20.0%減
- 国土交通省 – 報道発表資料:我が国の沿岸域に生息する海洋植物による二酸化炭素の吸収量(約35万トン)が国連に報告されました
- 環境省 – 我が国インベントリにおける藻場(海草・海藻)の算定方法について(令和6年2月)
- 水産研究・教育機構 – 海草・海藻藻場のCO2貯留量算定ガイドブック<実践編1>
- ジャパンブルーエコノミー技術研究組合(JBE) – Jブルークレジット®認証・発行の公式情報
- 北海道福島町 – 福島町のコンブ養殖におけるJブルークレジットの認証・発行について(369.9 t-CO2)
- 北海道 – コンブの生産安定対策について(令和6年の生産量が統計開始以来はじめて1万トンを下回る見込み)
- 岩手県 – いわて水産アカデミー(平成31年4月開講の漁業担い手育成研修)
- FAO – The State of World Fisheries and Aquaculture 2024(2022年の世界の養殖藻類生産量3,650万トン)
- 鹿島建設 – 牛のげっぷ中のメタンガスを抑制する海藻の量産培養手法を開発(2024年1月)
- 食品新聞 – 三陸わかめ、品質良し 鳴門は2〜3割の減産 日本わかめ協会 総会で報告(2026年6月18日)
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