散歩の途中で見つけた小さなカニ。子どもが砂浜で拾った貝殻。ベランダに来た見慣れない鳥。その「見つけた」を、写真1枚とともに記録して共有するだけで、国の生物多様性政策を支えるデータになる——そんな仕組みが、いま日本各地で動いています。それが市民科学(シチズンサイエンス)です。
研究者だけでは、日本列島の3,000kmを超える長さと、約35,000kmに及ぶ海岸線のすべてを見て回ることはできません。ましてや、それを20年、30年と続けることは不可能に近い。けれど、そこに暮らす人が「今日、この場所で、これを見た」と記録すれば、専門家が一生かかっても集められない「広さ」と「長さ」を同時に持つデータが生まれます。環境省が2003年度から続けるモニタリングサイト1000は、全国約1,000か所の調査地を、研究者・NPO・市民調査員が二十年にわたって見つめ続けてきた仕組みです。
この記事では、市民科学とは何かという基本から、日本で実際に動いている代表的なプロジェクト、スマホとAIが変えた参加のかたち、海辺ならではの調査、そして集まったデータが誰にどう使われているのかまでを、確認できる数字と一次情報にもとづいて整理します。最後には、今日から参加できる具体的な入り口もまとめました。
この記事で学べること
- 市民科学(シチズンサイエンス)が「ただの記録」ではなく「科学のデータ」になる仕組み
- モニタリングサイト1000・いきものログ・全国鳥類繁殖分布調査という日本の3つの基盤
- スマホアプリとAI画像判定が、参加のハードルをどこまで下げたのか
- 砂浜・ウミガメ・サンゴ礁・漂着ごみなど、海辺で参加できる調査の具体例と実績
- 集まったデータがレッドリスト・生物多様性国家戦略・30by30にどう使われているか
- 市民科学データの弱点(場所の偏り・同定ミス)と、研究者がそれを補正する方法
市民科学とは何か——「見つけた」が科学になる仕組み
市民科学(シチズンサイエンス)とは、専門の研究者と市民が協力して行う、市民参加型の調査・研究活動のことです。「科学」と名前がついていますが、参加するのに学位も資格も要りません。必要なのは、決められた方法にそって観察し、正確に記録し、それを共有することだけです。
重要なのは、市民科学が「教育プログラム」や「体験イベント」とは違うという点です。市民科学のデータは、最終的に研究論文や行政の報告書に使われることを前提に集められます。だからこそ、調査の手順(プロトコル)が決められ、記録の形式がそろえられ、データの品質を確かめる工程が組み込まれています。楽しみながら参加できるけれど、出てくるものは本物の科学データ——それが市民科学の面白さです。
専門家だけでは足りない「広さ」と「長さ」
生態系の変化を捉えるには、広い範囲を、長い期間、同じやり方で見続ける必要があります。ある年にサクラが例年より5日早く咲いたとしても、それが偶然なのか温暖化の影響なのかは、1年のデータではわかりません。数十年分の記録があってはじめて傾向が見えてきます。
ところが、この「広く・長く」がもっとも研究資金の付きにくい部分でもあります。派手な発見が出るわけではなく、毎年同じ場所に通って同じことを記録する地味な作業だからです。市民科学は、まさにこの穴を埋めるために発達してきました。地元に暮らす人なら、その場所に毎年通うことができる。趣味のバードウォッチャーなら、記録を取ること自体が楽しみになる。「続けられる理由」を持つ人が担うから、続くのです。

市民科学の3つの型——どこまで関われるか
ひと口に市民科学といっても、参加の深さはさまざまです。おおまかに次の3つに整理すると、自分に合った入り口が見つけやすくなります。
| 型 | 市民の役割 | 具体例 |
|---|---|---|
| 貢献型(データ提供) | 決められた方法でデータを集めて送る | アプリでの生きもの写真投稿、海岸のごみ調査カード記入 |
| 協働型(分析まで参加) | データ収集に加え、集計や解釈にも関わる | モニタリングサイト1000の里地調査、地域の観察会が年報をまとめる |
| 共創型(企画から参加) | 課題設定や調査設計の段階から関わる | 地域の川や海の問題を住民が自ら調べ、行政に提案する活動 |
最初の一歩としては、貢献型がいちばん気軽です。写真を1枚投稿するだけでも、その1件は確実にデータベースに残り、誰かの研究に使われる可能性があります。日本の生きものの豊かさそのものについては、日本の海の生物多様性がなぜ世界有数なのかもあわせて読むと、なぜこれだけ多くの目が必要なのかが見えてきます。
市民科学がうまくいく3つの条件
- 方法が決まっている:いつ・どこで・どうやって記録するかが明確で、誰がやっても同じ形式のデータになる
- データの受け皿がある:集めた記録を蓄積・公開する仕組み(データベース)が用意されている
- 結果が返ってくる:参加者に「あなたの記録がこう使われた」というフィードバックがあり、続ける動機になる
日本の市民科学を支える3つの基盤
日本には、市民の観察を受け止めて科学データに変える「土台」がいくつも整備されています。ここでは中核となる3つを見ていきます。
モニタリングサイト1000——20年続く全国1,000か所の定点観測
環境省が2003年度から実施しているモニタリングサイト1000(正式名称:重要生態系監視地域モニタリング推進事業)は、日本の市民科学の背骨といえる事業です。高山帯、森林・草原、里地里山、陸水域(湖沼・湿原)、沿岸域(磯・干潟・アマモ場・藻場・サンゴ礁)、小島嶼という代表的な生態系に、全国約1,000か所の調査地(サイト)を設置し、同じ方法で毎年観測を続けています。
この事業を成り立たせているのが、研究者だけでなく、NPO団体や市民調査員を含む多様な担い手です。2024年10月に公表された第4期とりまとめ報告書では、20年分のデータから、スズメやヒバリといった身近な鳥の減少、シギ・チドリ類やカモメ類の減少、ニホンジカの確認率の年々の増加、ガビチョウ・ソウシチョウなど外来種の分布拡大といった、日本の自然の変化がはっきりと示されました。
とくに里地調査は、市民参加の成果がわかりやすく数字に表れています。2005〜2022年度の18年間で、325サイト・4,382種・約298万件のデータが積み上がり、チョウ類や鳥類の急減、そこに気候変動の影響が重なっていることが報告されました。これは、地域の観察会やNPOに参加する人々が、毎年同じコースを歩き続けたからこそ得られた記録です。
公式サイトを見るモニタリングサイト1000(環境省 生物多様性センター)全国約1,000か所で20年以上続く生態系モニタリング。調査地の一覧、報告書、参加団体の情報が公開されている。🔗 biodic.go.jp
いきものログ——ばらばらの記録を1か所に集める
せっかく市民が記録しても、それがノートや個人のパソコンの中に留まっていては、誰にも使われません。そこで環境省生物多様性センターが2013年10月に運用を開始したのが「いきものログ」です。国の機関、地方自治体、専門家、そして個人まで、さまざまな主体が持つ生きもの情報を1つのシステムに集積し、共有・提供します。
いきものログには、自然環境保全基礎調査やモニタリングサイト1000といった国の調査データが収められている一方で、ユーザー登録すれば個人でも観察記録を報告でき、公開されている調査に参加することもできます。つまり、国の公式データと市民の観察記録が同じ土俵に並ぶ設計になっている。これが、日本の市民科学における「受け皿」の役割を果たしています。
参加してみるいきものログ(環境省 生物多様性センター)生きもの情報を収集・提供するシステム。誰でも検索・閲覧でき、ユーザー登録すると観察記録の報告や参加型調査への参加ができる。🔗 ikilog.biodic.go.jp全国鳥類繁殖分布調査——2,106人が描いた日本の鳥の地図
市民参加の規模がもっとも明確に数字になっているのが、環境省生物多様性センターと5団体(バードリサーチ、日本野鳥の会、日本自然保護協会、日本鳥類標識協会、山階鳥類研究所)が共催した全国鳥類繁殖分布調査(2016-2021年)です。
この調査には2,106人のボランティアが参加し、全国2,344地点で現地調査が行われました。日本全国を約20km四方のメッシュに区切り、各メッシュにおおむね2コースの調査地を配置。現地調査に加えて文献情報や野鳥観察記録も収集し、メッシュごとの繁殖ランクを色分けした分布図がつくられました。ひとりでは1コース分しか歩けなくても、2,000人が歩けば日本列島全体の鳥の地図が描ける——市民科学の力がもっともわかりやすく現れた例です。
| プロジェクト | 開始 | 規模・実績 |
|---|---|---|
| モニタリングサイト1000 | 2003年度 | 全国約1,000か所/第4期とりまとめで20年分を解析(2024年10月公表) |
| 同・里地調査 | 2005年度 | 325サイト・4,382種・約298万件(2005-2022年度) |
| いきものログ | 2013年10月 | 国・自治体・専門家・個人の生きもの情報を集積・提供 |
| 全国鳥類繁殖分布調査 | 2016年 | ボランティア2,106人・全国2,344地点(2016-2021年) |
スマホが変えた参加のかたち——写真1枚がデータになる
かつて市民科学に参加するには、図鑑で種を調べられる知識と、野帳に記録する習慣が必要でした。ハードルは決して低くなかった。それを一気に下げたのが、スマートフォン、GPS、そしてAIによる画像判定の組み合わせです。
撮るだけで「いつ・どこで・なに」が揃う
生きものの記録として最低限必要なのは、いつ(日時)・どこで(位置)・なにを(種)・誰が(記録者)の4点です。このうち日時と位置は、スマホで撮影した瞬間に写真データへ自動的に埋め込まれます。残る「なに」も、AIの画像認識が候補を提示してくれるようになりました。つまり、参加者がやることは「撮る」だけにまで簡略化されたのです。
これは単に楽になったという話ではありません。参加者の母数が桁違いに増えることで、データの量と地理的なカバー範囲が根本的に変わるということです。年に数回の観察会で数十件だった記録が、日常の散歩から毎日数千件生まれるようになる。市民科学の性質そのものが変わりました。
Biome——日本発のいきものコレクションアプリ
日本におけるその代表格が、京都大学発のベンチャー企業・株式会社バイオームが開発したいきものコレクションアプリ「Biome(バイオーム)」です。2019年4月の正式リリースから7年で、累計ダウンロード数125万、累計投稿数1,000万件以上(2026年4月時点)に達しました。
Biomeの特徴は、撮影場所や時期、画像に写った形状をもとに、約10万種のデータから種の候補を瞬時に提示するAI判定です。図鑑の使い方を知らなくても、写真を撮れば「これはたぶんこの種です」と教えてくれる。ゲームのようにコレクションが増えていく設計になっていて、「調べる」ではなく「集める」楽しさで人を動かす点が、継続率の高さにつながっています。集まった観察データは、外来種の侵入状況や生物多様性の分布を把握する基盤データとして、自治体の都市づくりや環境教育にも使われています。
アプリを見る株式会社バイオーム(いきものコレクションアプリ Biome)京都大学発のスタートアップ。AIによる種判定を備えたいきもの記録アプリを提供し、蓄積データを生物多様性の可視化に活用している。🔗 biome.co.jp
iNaturalist——世界の観察が研究を加速させる
世界に目を向けると、同じ仕組みがさらに大きな規模で回っています。国際的な生きもの観察プラットフォームiNaturalistには、2024年9月時点で2億件を超える観察記録が蓄積され、参加者は約330万人にのぼります。
注目すべきは、それが実際の研究にどれだけ使われているかです。査読誌『BioScience』に2025年に掲載された分析によれば、iNaturalistのデータを使った論文数は過去5年間で10倍以上に増え、2022年だけで1,410本(1日平均およそ4本)に達しました。対象は128か国・638の科(か)にわたり、種の分布モデルの構築が最大の用途となっています。
世界の生物多様性データを束ねるGBIF(地球規模生物多様性情報機構)における存在感も大きく、2022年時点でiNaturalist由来のデータはGBIF全体の6.3%を占めます。膨大な鳥類の記録を除いて計算すると37.2%、分類群別では爬虫類74.0%、クモ綱63.3%、両生類55.1%、腹足綱54.9%と、専門家の調査が手薄なグループほど市民の観察が支えていることがわかります。
「専門家が少ない生きもの」ほど市民科学が効く
鳥類のように熱心な観察者コミュニティが古くからある分類群は、もともとデータが豊富です。一方で、クモやカタツムリ、両生爬虫類のように専門家の数が限られるグループでは、市民の観察記録が世界のデータの過半を占めることさえあります。「珍しい生きものを見つけないと意味がない」ということはなく、むしろ地味で見過ごされがちな生きものの記録ほど価値が高い場合があります。
海と沿岸の市民科学——砂浜・ウミガメ・サンゴ礁・漂着ごみ
海辺は、市民科学がとりわけ力を発揮する場所です。海岸線は長く、干潮の時間帯にしか観察できず、そして誰でも歩いていける。研究者が全部を回るのは不可能だけれど、地元の人が季節ごとに歩けば、確実に記録が積み上がります。
砂浜——170万人が参加した全国砂浜ムーブメント
日本自然保護協会(NACS-J)が2019年度から5年間展開した「全国砂浜ムーブメント」は、日本の海辺の市民科学として最大規模の取り組みです。「砂浜を守る3つのアクション」として、砂浜の生きものしらべ、ごみ拾い、砂浜ノートの活用を呼びかけ、5年間で累計170万人以上が参加しました。
その成果は明確な数字になっています。砂浜ノートの配布数は95,000部、砂浜の生きものしらべで集まったデータは231,682件、拾われたごみは17,673,354個。生きものしらべにはBiomeアプリが使われ、砂浜ごとに種の構成が大きく違うこと——小さな砂浜なのに生物種数が多かったり、逆に広大な砂浜なのに種数が少なかったりすること——が可視化されました。面積が大きいほど豊かとは限らないという、現場のデータでしか見えてこない事実です。
活動レポートを読む「全国砂浜ムーブメント」参加者累計170万人!5年間の活動を報告します日本自然保護協会による砂浜の市民科学プロジェクトの5年間の総まとめ。生きものしらべ231,682件、ごみ拾い1,767万個などの実績を公開。🔗 nacsj.or.jp
ウミガメ——約11万個の標識が描いた回遊の地図
日本の海辺の市民科学でもっとも歴史が長いもののひとつが、ウミガメの上陸・産卵調査です。方法はいたって単純で、夜明けの砂浜を歩き、ウミガメ本体か、上陸した跡(足跡や産卵巣)を探して記録するだけ。特別な装備が要らないからこそ、全国規模で、長期間にわたって実施できました。
さらに、個体に標識(タグ)を付けて再捕獲時の情報から移動や成長を追う標識調査では、これまでに累計約11万個の標識が使われてきました。1つの標識が意味を持つのは、別の場所で誰かがそれを見つけて報告したときだけです。全国に観察者のネットワークがあってはじめて成立する調査といえます。静岡県のように、県の認定を受けた保護調査員が5〜8月の毎日、夜明けに調査を行い、一般の人が同行できる仕組みを設けている地域もあります。
サンゴ礁——「リーフチェック」という共通のものさし
サンゴ礁では、リーフチェックと呼ばれる調査手法が世界共通の枠組みとして使われています。海中に一定の長さのライン(トランセクト)を張り、その線に沿って指標となる生物の数を数え、サンゴの被度を記録する。手順が統一されたマニュアルがあるため、ダイビングができる人であれば、専門家でなくても比較可能なデータを取れます。
水産庁の資料でも、リーフチェックはサンゴ礁の変化を早期に捉えるための日常的なモニタリング活動として位置づけられ、地元の漁業協同組合、市町村、財団、民間団体の協力によって実施されていることが紹介されています。白化がいつ、どの場所で、どの程度起きたのか——その記録の多くは、こうした現地の目によって残されてきました。
漂着ごみ——世界共通のデータカードで「数える」
海洋ごみの分野では、一般社団法人JEANが1990年から日本で展開する国際海岸クリーンアップ(ICC)が、市民科学の典型例です。ICCの特徴は、ただ拾うのではなく、世界共通のデータカードを使って、拾ったごみを種類ごとに数えて記録する点にあります。
「ペットボトル何本」「たばこのフィルター何個」「漁具何点」と分類して数えることで、そのごみがどこから来たのかを推定でき、対策の議論が「なんとなく多い」から「この品目が突出している」へと変わります。数えるという一手間が、掃除を政策提言に変えるのです。具体的な現場の取り組みは海岸清掃と漂着ごみの実態でも詳しく扱っています。

干潟もまた、市民調査が盛んな場所です。潮が引いている数時間だけ姿を現し、そこにしかいない生きものが多いため、地元の観察会が果たす役割は大きい。干潟そのものが置かれている状況については干潟の保全と再生で詳しく解説しています。
集まったデータは、誰がどう使うのか
市民科学に参加する人がいちばん知りたいのは、おそらく「自分の記録は、結局どうなるのか」でしょう。ここが曖昧なままだと、参加は続きません。実際のデータの行き先を追ってみます。
①レッドリストと、保全の優先順位
ある種を「絶滅危惧」と判定するには、どこに何個体いて、それが増えているのか減っているのかという分布と傾向のデータが必要です。この判定に使われる基礎情報の多くは、モニタリングサイト1000や自然環境保全基礎調査、そして各地の観察記録から積み上げられています。モニタリングサイト1000の第4期報告で示されたスズメやヒバリの減少傾向も、こうした長期記録があってはじめて言えることです。
逆にいえば、記録がない場所は「いない」ではなく「わからない」として扱われます。誰も調べていない地域の生きものは、危機に瀕していても評価の俎上に上がりません。市民の記録が空白域を埋める意味は、ここにあります。
②生物多様性国家戦略2023-2030と30by30
日本は2023年3月に生物多様性国家戦略2023-2030を閣議決定し、2030年までに「ネイチャーポジティブ(自然再興)」を実現するという目標を掲げました。その柱のひとつが30by30——2030年までに陸と海の30%以上を健全な生態系として効果的に保全する国際目標です。
日本では既存の国立公園や保護区だけでは面積が足りないため、民間が管理する土地を認定する「自然共生サイト」(OECM)が補完的な役割を担います。ここで問われるのが「その場所に本当に守るべき自然があるのか」という証拠であり、その証拠の一部は地域の観察記録から供給されます。国家戦略自体も、政策立案や意思決定、活動への市民参加を促すために、データの発信・活用を担う人材の育成とツールの提供を掲げています。

③自治体・企業・教育の現場で
国のレベルだけではありません。自治体は緑地計画や環境アセスメントの基礎情報として観察データを参照し、企業は自社の敷地や事業地の自然の価値を示すためにデータを集めます。Biomeに蓄積された900万件を超える観察データが、外来種の侵入状況の把握や都市づくり、環境教育に使われているのはその一例です。
| 使い手 | 使い方 | 必要になるデータの性質 |
|---|---|---|
| 国(環境省など) | レッドリスト評価、国家戦略の進捗把握、30by30の裏づけ | 全国を網羅し、長期間続いていること |
| 自治体 | 緑地・海岸の計画、外来種対策、環境教育教材 | その地域が細かく、継続的に記録されていること |
| 研究者 | 分布モデル、気候変動の影響解析、種の減少要因の特定 | 位置と日時が正確で、同定の確からしさが担保されていること |
| 企業 | 自然共生サイト認定、事業地の自然評価、開示情報 | 対象地の生きものリストと、その根拠となる記録 |
| 地域・学校 | 郷土の自然の記録、探究学習、合意形成の材料 | 身近な場所の、わかりやすく共有できる記録 |
「使われた」が見えると、参加は続く
市民科学が長続きしているプロジェクトには、共通して結果の還元があります。年次報告書の公開、参加者向けの速報レポート、分布図の公開——自分が送った1件がどの点になったのかが見えると、翌年も歩こうと思える。データを集める側にとって、フィードバックは「おまけ」ではなく仕組みの一部です。
市民科学の弱点と、それをどう克服するか
市民科学は万能ではありません。他のあらゆる研究手法と同じように、固有の限界と偏りを持っています。むしろ、その弱点を正直に認識したうえで補正する技術が発達してきたからこそ、市民科学データは研究に使えるようになりました。
①「人が行きやすい場所」に偏る
最大の課題はサンプリングバイアス(標本の偏り)です。市民の観察記録は、駅の近く、公園、有名な観察スポット、休日の昼間に集中します。山奥の谷筋や、深夜の干潟、平日の雨の日は圧倒的に手薄になる。その結果、記録の分布は「生きものの分布」ではなく「人の行動の分布」を映してしまう危険があります。
また、市民から寄せられるのは基本的に「いた」という記録(在データ)ばかりで、「探したけれどいなかった」という不在データはほとんど集まりません。分布を推定するには本来この両方が必要です。保全生態学の分野では、市民調査から得られる在のみデータについて、バイアスに対応した疑似不在データの選び方や、推定精度の評価方法が研究課題として議論されてきました。
対策としては、統計的な補正(観察努力量を推定してバイアスを打ち消す)に加えて、調査地点や調査日をあらかじめ指定する設計が有効です。全国鳥類繁殖分布調査が20kmメッシュに調査コースを割り当てたのも、モニタリングサイト1000が定点を固定しているのも、まさにこの偏りを避けるためです。

②同定ミスをどう減らすか
写真から種を判定するAIは万能ではありません。よく似た近縁種、幼体、傷んだ個体は誤判定が起こります。これに対して各プラットフォームが採っているのは、複数人による確認(コミュニティ同定)と、確からしさのランク付けです。iNaturalistが「リサーチグレード」という区分を設け、複数のユーザーの同定が一致した記録だけを研究用データとしてGBIFに提供しているのが代表例です。
参加者側にできることもあります。種名がわからなくても、写真をきちんと残すこと。全体・横から・特徴のある部分(貝なら殻口、カニならハサミ、植物なら葉のつき方)を撮っておけば、後から専門家が判定できます。逆に、あやふやな種名だけを断定的に登録してしまうと、後で訂正が効きません。「わからない」は、間違った断定よりずっと価値があります。
③続けることの難しさ
20年、30年と続く長期モニタリングは、参加者の高齢化と後継者不足という現実的な問題を抱えています。地域の観察会の主力メンバーが引退すると、その調査地のデータがぷつりと途切れる。長期データの価値は「途切れていないこと」にあるので、これは深刻です。
そのため近年は、アプリを使った気軽な参加層と、定点を守る熟練の調査員の二層構造で設計するプロジェクトが増えています。全国砂浜ムーブメントがBiomeを取り入れたのも、若い世代・家族連れの入り口を広げつつ、蓄積されたデータをNPOの専門的な解析につなげる狙いがありました。
参加するときに気をつけたいこと
- 生きものを傷つけない:撮影のために捕まえたり、石をひっくり返したまま戻さないのは避ける(磯の石は必ず元に戻す)
- 希少種の位置情報の扱い:絶滅危惧種の詳細な場所を公開すると、盗掘・密猟を招くことがある。多くのプラットフォームは位置をぼかす機能を備えているので活用する
- 立入や採取のルールを守る:国立公園、保護区、漁業権のある海域には採取・立入の制限がある。事前に確認する
- 安全第一:磯や干潟は潮の満ち引きで急に状況が変わる。潮位表を見て、単独行動を避ける
気象庁が手放した観測を、市民が引き継いだ
市民科学が「あればいいもの」ではなく「なければ失われるもの」であることを、はっきり示した出来事が日本で起きています。生物季節観測の縮小と、その後の再構築です。
2021年、動物の観測がすべて打ち切られた
気象庁は全国の気象台で、サクラの開花やウグイスの初鳴きといった生物季節観測を長年にわたって続けてきました。季節の進みを生きもので測るこの観測は、統一的な方法で半世紀以上にわたって蓄積された、世界的にも貴重な気候変動の指標データです。
ところが2021年1月から、動物の季節観測はすべて取りやめとなり、植物についても6種目9現象にまで大幅に縮小されました。残されたのは、ウメ(開花)、サクラ(開花・満開)、アジサイ(開花)、ススキ(開花)、イチョウ(黄葉・落葉)、カエデ(紅葉・落葉)だけです。理由は、都市化の進行で対象の生きものを気象台の周辺で観察すること自体が難しくなったことにありました。
都市化によって観測できなくなったという事実自体が環境の変化を物語っているのですが、それはそれとして、数十年続いた時系列がここで途切れることを意味しました。長期データにとって、これは致命的な損失です。
市民の目で観測をつなぎ直す
この事態を受けて動いたのが、気象庁・環境省・国立環境研究所の連携でした。3者は「生物季節観測」の発展的な活用に向けた試行的な調査を開始し、効果的な調査枠組みの設計と運営課題の抽出を進めています。注目すべきは、この試行調査で初鳴きなどの情報収集に環境省生物多様性センターの「いきものログ」が使われていることです。国の観測網が縮小した部分を、市民参加型のデータ基盤が引き取るかたちになりました。
国立環境研究所は「市民調査員と連携した生物季節モニタリング」として全国の調査員を募り、日本自然保護協会も会員の協力を得て観測を再開しています。つまり、気象台の職員が担っていた観測を、全国の市民が分担して引き継いだのです。
この出来事が示していること
- 長期モニタリングは、行政の予算や体制の変化で簡単に途切れうる
- その穴を埋められるのは、その土地に暮らし続ける人の目である
- 受け皿となるデータ基盤(いきものログ等)が先に整っていたから、引き継ぎが成立した
- 「毎年サクラの開花を記録する」ような地味な行為が、数十年後には気候変動の証拠になる
今日から参加する——目的別スタートガイド
ここまで読んで「やってみようか」と思ったら、入り口は思っているより近くにあります。目的別に整理してみます。
まずは1枚の写真から——いちばん軽い入り口
アプリを入れて、散歩の途中で見つけた生きものを撮る。それだけで完結します。種名がわからなくても構いません。AIが候補を出し、他の利用者が同定を手伝ってくれます。1日1件でも、1年続けば365件。しかもそれは、あなたの生活圏という、研究者がまず訪れない場所の記録です。
海辺に行く機会があるなら、潮だまり(タイドプール)は特におすすめです。狭い範囲に驚くほど多様な生きものが集まっていて、しゃがんで10分眺めるだけで数種類は記録できます。
家族・学校で参加する
子どもと一緒なら、砂浜の貝殻しらべやごみ拾い調査が向いています。「拾う」「数える」「分類する」という作業がそのまま調査になるので、成果が見えやすい。夏休みの自由研究として、地元の海岸を1シーズン記録するだけでも、立派な市民科学です。里海という考え方のように、人が関わることで豊かさが保たれてきた日本の沿岸の歴史を知ってから歩くと、見える景色が変わります。
本格的に関わる——定点を持つ
もう一歩進みたい人は、地域のNPOや自然保護団体が実施している定点調査に参加するのが確実です。モニタリングサイト1000の各サイトは全国の団体が担っており、調査員を募集していることがあります。全国鳥類繁殖分布調査のような大規模調査も、実施年には広くボランティアを募ります。同じ場所に毎年通う——このシンプルな行為が、もっとも価値の高いデータを生みます。
記録を「使われるデータ」にする5つのコツ
- 位置情報をオンにする:位置がない記録は、分布データとしては使えない。撮影時にGPSが有効になっているか確認する
- 種がわからなくても投稿する:不明のまま出せば誰かが同定してくれる。あやふやな断定より、正直な「不明」のほうが価値がある
- 特徴が写る角度で複数枚撮る:全体・横・特徴部分。後から専門家が判定できる情報を残す
- ありふれた種こそ記録する:普通種の増減こそ環境変化の指標になる。スズメの減少も、平凡な記録の積み重ねから見えた
- 同じ場所を繰り返し記録する:1回の珍しい記録より、10年分の平凡な記録のほうが、はるかに多くを語る

「参加する科学」がひらく未来
市民科学の価値は、データが集まることだけではありません。自分で記録した人は、その場所の変化に気づけるようになるという点にこそ、長期的な意味があります。去年より貝の種類が減った、去年は見なかった南方系の魚がいた——そうした気づきは、数字を見るだけでは生まれません。
そして、記録を持つ人は、その場所について発言できるようになります。海岸の開発計画が持ち上がったとき、「昔はもっと生きものがいた」という記憶よりも、「10年分の観察記録がある」という事実のほうが、はるかに強い。市民科学は、科学への貢献であると同時に、自分たちの環境について語る言葉を手に入れる方法でもあるのです。

この記事のまとめ
- 市民科学とは、市民と研究者が協力して行う参加型の調査で、集まったデータは論文や行政報告に使われることを前提としている
- 日本の基盤は、環境省のモニタリングサイト1000(2003年度〜・全国約1,000か所)、いきものログ(2013年〜)、全国鳥類繁殖分布調査(2016-2021年・ボランティア2,106人)
- スマホとAI画像判定が参加のハードルを下げ、Biomeは7年で累計投稿1,000万件超、iNaturalistは2億件超(2024年9月時点)に達した
- 海辺では砂浜(全国砂浜ムーブメント:5年で参加170万人・生きものデータ231,682件)、ウミガメ標識調査(累計約11万個)、リーフチェック、国際海岸クリーンアップなどが動いている
- データはレッドリスト評価、生物多様性国家戦略2023-2030、30by30、自治体計画、企業の自然共生サイト認定などに使われる
- 弱点は場所の偏りと同定ミスと継続性。調査設計と複数人確認、二層構造の参加設計で補正されている
- 気象庁の生物季節観測が2021年に大幅縮小した際、市民参加型のモニタリングがその穴を引き継いだ
今日からできること
- いきもの記録アプリを1つ入れて、通勤路や近所の公園で1件投稿してみる
- 次に海に行くとき、潮だまりを10分のぞいて見つけた生きものを記録する
- 地元の自然保護団体・観察会が募集している定点調査を調べてみる
- 海岸のごみ拾いに参加するときは、「拾う」だけでなく「種類別に数える」を足してみる
- 同じ場所・同じ季節に、来年もう一度行って記録する(これが最強のデータになる)
参考文献・出典
- 環境省 生物多様性センター「モニタリングサイト1000」 – 2003年度開始・全国約1,000か所の生態系モニタリング事業の公式サイト
- 環境省 報道発表「モニタリングサイト1000第4期とりまとめ報告書概要版」及び「里地調査2005-2022年度とりまとめ報告書」の公表について – 20年分の解析結果。身近な生きものの減少、気候変動の影響、外来種の拡大
- 環境省 報道発表「自然環境保全基礎調査 全国鳥類繁殖分布調査(2016-2021年)について」 – ボランティア2,106人・全国2,344地点による繁殖分布調査の結果
- 環境省 生物多様性センター「いきものログ」 – 2013年10月運用開始。国・自治体・専門家・個人の生きもの情報を集積・提供するシステム
- 環境省 報道発表「生物季節観測」の発展的な活用に向けた試行調査の開始について – 気象庁・環境省・国立環境研究所の連携による市民参加型調査への移行
- 環境省「生物多様性国家戦略2023-2030 〜ネイチャーポジティブ実現に向けたロードマップ〜」 – 2023年3月31日閣議決定。30by30・自然共生サイト・市民参加とデータ活用
- 環境省「30by30」特設ページ – 2030年までに陸と海の30%以上を保全する目標と、自然共生サイト(OECM)の制度
- 環境省 生物多様性センター「ウミガメの上陸産卵状況(浅海域生態系調査)」 – 全国のウミガメ上陸・産卵調査と標識調査(累計約11万個)の情報
- 水産庁「サンゴ礁を守る漁業者の活動」 – リーフチェックの手法と、漁協・市町村・民間団体による実施体制
- 日本自然保護協会「『全国砂浜ムーブメント』参加者累計170万人!5年間の活動を報告します」 – 生きものしらべ231,682件、ごみ拾い17,673,354個などの実績
- BioScience「iNaturalist accelerates biodiversity research」(2025) – 観察2億件超・参加者330万人。2022年の関連論文1,410本、GBIF占有率6.3%(鳥類除外時37.2%)
- 一般社団法人JEAN「国際海岸クリーンアップ(ICC)」 – 1990年から日本で実施。世界共通のデータカードでごみを分類・計数する市民調査
※ 信頼性の高い順に配列:政府機関・学術機関 > 査読済み論文 > 専門機関 > 信頼できるメディア