⚡ 30秒でわかる答え
- 塩性湿地は、地下の酸素の乏しい堆積物に炭素を長く閉じ込めるブルーカーボン生態系である。
- 世界平均の埋没速度は約218 g C/m²/年とされるが、地域や手法で大きく変わる。
- メタン排出、海面上昇、追加性の証明がクレジット化の主な課題である。
- 保全は炭素の流出防止と、生物多様性・防災の便益を同時に生む。
塩性湿地は、潮の満ち引きを受ける沿岸の草地です。地味な風景ですが、地下には何世紀分もの炭素が積もっています。
気候変動対策として注目される一方で、メタンや海面上昇など課題もあります。この記事では、炭素貯留のしくみと、各国で進むクレジット化の動きを整理します。
数字は研究や地域で大きく異なるため、幅をもって読む姿勢で解説します。
この記事で学べること
- 塩性湿地が炭素をためるしくみ
- 埋没速度など数字の読み方と不確実性
- メタン・海面上昇という課題
- VM0033など各国のクレジット化の動き
- 日本のJブルークレジットの現状
- 保全と再生の具体策
塩性湿地とは何か:海と陸の境目にある炭素の貯蔵庫
潮の満ち引きでつくられる草地
塩性湿地(塩生湿地、tidal marsh / salt marsh)は、潮の満ち引きによって海水をかぶる沿岸の草地です。干潟よりやや陸側、満潮線付近に広がり、塩分に耐えるヨシやアッケシソウ、ウラギク、シオクグなどの植物が茂ります。熱帯・亜熱帯のマングローブが木本の森であるのに対し、塩性湿地は主に温帯から寒帯の海岸に広がる草本の湿地です。
日本では、河口や内湾の奥にヨシ原と一体になって分布します。生態系としての全体像は塩性湿地とは?ヨシ原と希少生物を守る日本の保全で扱っています。ここでは、気候変動対策の観点、つまり炭素をどれだけ貯められるのかに絞って整理します。
ブルーカーボン生態系の3本柱
海の生態系に取り込まれ貯留される炭素を「ブルーカーボン」と呼びます。2009年に国連環境計画(UNEP)などの報告書で提唱された概念で、代表的な生態系は、マングローブ林、海草藻場、そして塩性湿地(潮汐湿地)の3つです。IPCCも2013年の「湿地補足ガイドライン」で、この3つについて温室効果ガスの算定方法を示しています。
- マングローブ林:熱帯・亜熱帯の木本。バイオマスと土壌の両方に炭素を貯める
- 海草藻場:アマモなどの海草。堆積物に炭素が積もる
- 塩性湿地:温帯を中心とした草本。土壌(泥炭状の堆積物)に大量の炭素が残る

なぜ塩性湿地は炭素をためやすいのか
土砂とともに積み上がる有機物
塩性湿地の炭素貯留の主役は地上の草ではなく、地下の土壌です。植物は光合成で大気中のCO2を取り込み、枯れた茎や根が泥の中に埋もれます。潮が運んでくる土砂が毎回少しずつ積もるため、湿地は海面とほぼ同じ速さで垂直に成長し、有機物が上へ上へと埋め込まれていきます。
酸素が少ないと分解が遅い
泥は常に水を含み、酸素が乏しい状態です。微生物による分解が進みにくいため、有機物が長い年月にわたって保たれます。森林の炭素が樹木の寿命や火災で再び大気に戻りうるのに対し、湿地の土壌炭素は数百年から千年規模で残ることがあります。この安定性が、ブルーカーボンが注目される理由の一つです。
面積あたりの効率
研究によって幅がありますが、世界の塩性湿地の炭素の埋没速度は、1平方メートルあたり年に数十〜数百グラムの炭素という規模で報告されています。たとえば、Chmuraらの2003年の世界集計では平均で約218 g C/m²/年、IPCCの湿地補足ガイドラインの既定値はこれより低い水準です。陸上の成熟した森林の土壌と比べても、面積あたりで高い値になりやすいことが知られています。ただし、地域・塩分・地形で大きく変わるため、一つの数字を全国に当てはめるのは危険です。
| 指標 | 報告された値の例 | 備考 |
|---|---|---|
| 世界平均の埋没速度(Chmura et al. 2003) | 約218 g C/m²/年 | 世界の塩性湿地の集計 |
| IPCC湿地補足ガイドラインの既定値 | 約91 g C/m²/年(文献により表記差あり) | 簡易算定用で控えめ |
| カナダ太平洋岸の実測 | 約184 g C/m²/年 | ピート層の基底までの平均 |

貯留量はどれくらい?世界と日本の見積もり
世界の面積と総量
塩性湿地の世界面積は、推定手法によって約5万〜40万km²と大きな幅があります。衛星や地図が不十分な地域が多く、最新の整備でも不確実性は残ります。面積が定まらないと全体の貯留量も定まらないため、世界合計の数字には幅をもたせて読む必要があります。
日本での位置づけ
日本はブルーカーボンの吸収量をIPCCガイドラインに沿って国連へ報告しています。環境省の資料によれば、藻場とマングローブ林による吸収量が算定・報告されており、塩性湿地は方法論は示されているものの、国全体の算定に十分に反映されているとはいえません。干潟や湿地の測定は進んでおり、国内の沿岸生態系の吸収量の一部を担うことが研究で示されています。湿地と炭素貯留|日本のブルーカーボンもあわせて参照してください。
日本の海の吸収量を比べる
- 藻場の保全はJブルークレジットで認証されている(国交省資料では令和5年度の認証は29件、約2,170トン-CO2)
- 藻場のCO2吸収量とJブルークレジットで制度の概要を解説

気候変動の中での二面性:吸収源になるか、排出源になるか
メタンの問題
湿地は炭素をためる一方で、酸素の乏しい土壌ではメタンが発生します。メタンは温室効果が強いガスです。ただし海水に含まれる硫酸イオンがメタン生成菌の働きを抑えるため、塩分の高い塩性湿地ではメタン排出が小さい傾向があります。逆に塩分が低い汽水域では排出が増え、貯留の効果を打ち消すことがあります。クレジット化の際に塩分の基準が設けられるのはこのためです。
破壊されると炭素が出ていく
干拓・埋め立て・排水で湿地が壊されると、長年埋もれていた炭素が酸化して大気に戻ります。日本の干潟は戦後に大きく失われました(干潟はなぜ埋め立てられたのか)。保全は「新たに吸収する」だけでなく「すでにある炭素を逃がさない」意味も持ちます。
海面上昇との競争
海面が上がると、塩性湿地は陸側へ移動できれば生き延びます。しかし堤防や道路で背後が固められていると、湿地は沈んで消える「コースタル・スクイーズ(海岸の押しつぶし)」に陥ります。堆積による嵩上げが海面上昇に追いつくかどうかが、湿地の将来を左右します。
注意
- 吸収量の数字は条件で大きく変わる
- メタンや亜酸化窒素を含めた正味の収支で評価する必要がある
各国のクレジット化の動き
国際的な方法論:Verra VM0033
民間のボランタリー市場では、Verraが策定した方法論「VM0033(潮汐湿地および海草の再生)」が代表的です。湿地を再生・復元したことによる排出削減と吸収増加を、基準となる「何もしなかった場合」と比べて算定します。米国の事例研究では、この方法論を用いた再生プロジェクトで、年間の吸収が数百トンCO2換算規模と見積もられた例があります。ただし、これは特定のサイトの例であり、一般的な既定値ではありません。
国の制度に組み込む動き
国レベルでは、オーストラリアが潮汐湿地再生を炭素クレジット制度(ERF)の対象とする方法を整備し、米国では州単位で沿岸湿地の再生とクレジットを結びつける取り組みが進みました。国のインベントリ(温室効果ガス排出・吸収量の目録)に、湿地の吸収量を加える国も増えています。具体的な制度の細部は更新が早いため、最新の公式資料を確認してください。
日本のJブルークレジット
日本では、国土交通省の認可法人であるジャパンブルーエコノミー技術研究組合(JBE)が「Jブルークレジット」を認証しています。当初は藻場の保全活動が中心でしたが、対象の拡大が検討されており、塩性湿地や干潟の測定手法の確立が課題です。

クレジット化のむずかしさ
測定と追加性
塩性湿地は面積が小さく、一つの場所でも場所による差が大きいため、土壌コアの採取など現地調査にコストがかかります。さらに、クレジットには「追加性」、つまり取り組みがなければ起きなかった吸収であることの証明が求められます。もともと自然に維持されていた湿地の保全は、追加性の説明が難しい場合があります。
永続性と所有権
炭素を長期間とどめ続けられるか(永続性)、海岸の土地を誰が所有・管理しているか(権利関係)も壁です。日本の海岸は国や自治体、漁業権者など関係者が重なります。合意形成の手間がクレジット化の障壁になる一方、地域の漁業者や住民が参加できる仕組みづくりに可能性もあります。
- 追加性:取り組みがなければ起きなかったと言えるか
- 永続性:数十年にわたり炭素をとどめられるか
- 漏出:保全した場所の外で破壊が増えないか
- 測定:地点ごとの差を適切に反映できるか
塩性湿地を守る・取り戻す具体策
保全:まず今ある湿地を守る
もっとも確実で費用対効果が高いのは、既存の湿地を壊さないことです。ラムサール条約の登録湿地には、塩性湿地や干潟が含まれます(ラムサール条約湿地とは?)。保護区の管理や開発規制は、炭素の流出を防ぐ手段でもあります。
再生:堤防の後退と干潟の再接続
海外では、かつて干拓した農地の堤防を意図的に切り開き、潮を入れて湿地に戻す「管理された後退(マネージドリトリート)」が行われています。英国や米国のサンフランシスコ湾などでの例が知られ、洪水緩衝や生物の生息地回復との相乗効果が期待されています。日本でも、河口や海岸でヨシ原再生の試みが各地にあります。
生物多様性や防災との相乗効果
塩性湿地は稚魚の育成場、渡り鳥の休息地(シギ・チドリと干潟)、高波の勢いを和らげる緩衝帯でもあります。炭素だけを目的にせず、複数の価値を合わせて評価することで、事業としての持続性が高まります。

私たちにできること・まとめ
まとめ:数字は幅をもって読む
塩性湿地は面積あたりで見ると炭素を効率よく蓄える生態系ですが、世界の面積推定や吸収速度には大きな不確実性があります。メタン、海面上昇、土地利用との競合も考える必要があり、「万能の解決策」ではありません。一方で、保全すれば炭素の流出を防ぎ、生物多様性と防災にも役立つ、複数の便益を持つ対策です。
身近な行動
- 近くの河口や干潟の保全活動・観察会に参加する
- 地域の湿地や自然海岸の開発計画に関心を持つ
- クレジットの購入や企業の取り組みは、算定方法と第三者認証の有無を確認する
この記事のまとめ
- 塩性湿地は地下の堆積物に炭素を長期間ためる
- 吸収量の数字は地域差が大きく、幅をもって読む
- メタン・海面上昇・追加性が課題
- 保全と再生は炭素以外の便益も大きい
参考文献・出典
- IPCC 2013 湿地補足ガイドライン – 潮汐湿地の算定方法
- Chmura et al. (2003) Global carbon sequestration in tidal, saline wetland soils – 世界の塩性湿地土壌の炭素
- Mcleod et al. (2011) A blueprint for blue carbon – ブルーカーボンの総説
- Ouyang & Lee (2014) Variability of carbon accumulation in salt marshes – 塩性湿地の炭素蓄積の変動
- Verra 方法論一覧 – VM0033 潮汐湿地・海草の再生
- 国土交通省 港湾局 ブルーカーボン関連資料 – Jブルークレジットの認証実績
- 環境省 – 温室効果ガスインベントリと自然環境施策
- ラムサール条約事務局 – 湿地の保全とワイズユース
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