スーパーの鮮魚コーナーに並ぶカレイやエビ、ズワイガニ。その多くは、海底を袋状の網で引きずって獲る底引き網(底びき網・トロール)という漁法で水揚げされています。効率よく大量に魚を集められる一方で、この漁法は海底を巨大なブルドーザーのようにかき削り、そこに広がる生きものの世界を根こそぎ壊してしまう側面があります。
近年の研究は、底引き網の問題が「海の中」だけにとどまらないことを明らかにしてきました。網が海底の泥をかき乱すと、何百年、何千年とそこに閉じ込められていた炭素が巻き上げられ、二酸化炭素として海や大気へ放出される可能性がある——つまり、海底の破壊が気候変動にもつながりうるのです。
この記事では、底引き網がどのように海底環境やサンゴ・生物を傷つけるのか、巻き上げられる堆積物と炭素放出の関係、そして混獲を減らす漁具や海洋保護区といった持続可能な漁法への転換までを、環境省・水産庁・FAO・査読論文などの信頼できる情報をもとに、順を追ってわかりやすく解説します。
この記事で学べること
- 底引き網とはどんな漁法で、日本ではどのように使われているか
- 網が海底を引きずるとき、海底環境やサンゴ・底生生物に何が起きるのか
- 堆積物の巻き上げが、なぜ気候変動につながる炭素放出を招くのか
- 混獲と投棄という「狙っていない命」の問題の大きさ
- 世界と日本で進む規制・海洋保護区・漁具改良などの対策
- 選択的漁具やMSC認証、消費者の選択など持続可能な漁法への転換の道すじ
底引き網とはどんな漁法か
底引き網は、袋の形をした大きな網を船で引っ張り(曳航し)、海底やその近くにいる魚・エビ・カニなどをまとめて獲る漁法です。英語ではトロール(trawl)とも呼ばれ、世界中で使われています。網の口を大きく開いたまま海底をなでるように進むため、通り道にいる生きものを一網打尽にできるのが特徴で、その効率の高さゆえに広く普及してきました。
国連食糧農業機関(FAO)や各種の推計によれば、世界の海面漁獲量のうち4分の1以上が底引き網などの底面に接触する漁法によるものとされます。私たちが日常的に口にする白身魚やエビ、貝の多くが、この漁法とつながっているのです。効率のよさは、そのまま漁業の生産性を支える強みでもあり、だからこそ長い歴史のなかで世界中に広まってきました。
底引き網が生まれた背景には、限られた人手で広い海域から効率よく漁獲を得たいという、ごく自然な要求があります。中層を泳ぐ魚の群れをねらうのではなく、海底付近でじっとしている魚や、砂泥にもぐる貝・甲殻類までまとめてすくい上げられるため、他の漁法では届きにくい資源にもアクセスできます。この「なんでも獲れる」性質が、便利さと環境負荷の両面をあわせ持つ、この漁法の本質でもあります。
網が「口」を開く仕組み
底引き網は、ただ袋を引っ張るだけでは口が閉じてしまいます。そこで、網の左右に「オッターボード(網口を横に広げる板)」を付けて水の抵抗で口を開かせたり、二隻の船で網の両端を引いて広げたりと、さまざまな工夫がされています。網の下端には海底をなぞる重り(グラウンドロープやチェーン)が付いており、この部分が海底と直接こすれ合います。この接地部分こそが、海底を削る「刃」の役割を果たしてしまうのです。
網の口が広いほど、そして重りが重いほど、一度の操業でさらえる範囲は広がり、漁獲は増えます。しかしそれは同時に、一度に削られる海底の面積が広がることも意味します。漁具の大型化・高性能化は、漁業の効率を高めると同時に、海底へのダメージも大きくしてきたという、避けがたいジレンマを抱えています。
- オッタートロール(板びき):一隻の船が、左右のオッターボードで網口を広げて引く方式。
- かけまわし:長い引き綱を海底にひし形に投入し、それを手繰りながら網を引き寄せる方式。
- 二そうびき:二隻の船が並んで一つの網の両端を引き、大きく口を開く方式。

こうして見ると、底引き網は「海底を面でさらう」という点で、他の多くの漁法とは決定的に異なります。釣りや延縄が「点」で魚を選んで獲るのに対し、底引き網は通り道の海底を丸ごと巻き込みます。この違いこそが、漁獲の効率と引き換えに、海底環境への大きな負荷を生む根本の理由です。まずはこの「面でさらう」というイメージを、この記事全体の出発点として押さえておいてください。
「底引き網」と「まき網」はどう違う?
まき網(巻き網)は、群れをなす魚を海の中層で丸く囲んで獲る漁法で、基本的に海底には触れません。一方、底引き網は海底そのものを引きずるため、海底環境への影響がまったく異なります。同じ「網」でも、環境への負荷は漁法によって大きく変わります。
日本の底引き網漁のいま
日本でも底引き網は主要な漁法のひとつです。大きく分けると、沿岸で小型船が営む小型底びき網と、沖合の深い海で操業する沖合底びき網、さらに遠くの海域まで出る遠洋トロールがあります。水揚げされるのはカレイ類、ヒラメ、スケトウダラ、ホッケ、そしてズワイガニやエビ類など、海底付近で暮らす魚介類が中心です。
沖合底びき網には「一そうびき(かけまわし)」「一そうびき(オッタートロール)」「二そうびき」の3つの方式があり、浅いところで水深数十メートル、深いところでは水深600〜1,500メートルほどの海底まで網を入れて操業します。深い海ほど生きものの成長が遅く、いったん傷つけると回復に時間がかかるため、深場での操業は環境への負荷が特に懸念されます。
たとえば「かけまわし」は、船から長い引き綱を海底にひし形に投入し、それを手繰り寄せながら網を引く方式で、日本海側の底びき網で広く使われてきました。一方「二そうびき」は二隻がペアを組んで大きな網を引くため漁獲力が高く、そのぶん海底への負荷も大きくなりがちです。同じ「底びき網」でも、方式によって海底に触れる範囲や強さは変わります。
地域の食文化を支えてきた漁法
底引き網は、冬の味覚として親しまれるズワイガニ(松葉ガニ・越前ガニ)や、各地の白身魚を食卓に届けてきた、地域経済と食文化に深く根ざした漁法でもあります。だからこそ、単純に「悪い漁法だからやめる」という話ではなく、いかに環境への負荷を抑えながら続けていくか、という視点が欠かせません。この記事も、漁業を否定するためではなく、より持続可能なかたちを考えるために書いています。
漁業に携わる人々もまた、資源が細れば自分たちの生活が立ちゆかなくなることを、誰よりもよく知っています。海底環境を守ることは、遠い理想ではなく、明日の漁を続けるための現実的な課題でもあるのです。環境保全と漁業の存続は、対立するものではなく、本来は同じ方向を向いています。この記事では、そのことを念頭に置きながら、底引き網が抱える課題と、その先にある転換の道を見ていきます。


この記事のスタンス
- 底引き網は地域の食を支える大切な漁法である
- 同時に、海底環境や気候への負荷という課題も抱えている
- 目指すのは「禁止か存続か」ではなく、負荷を減らす転換である
海底で何が起きるのか——物理的な破壊のメカニズム
底引き網の最大の問題は、重い網と重りが海底の表面を直接引きずっていくことです。イメージとしては、森を歩いて動物を探すのではなく、ブルドーザーで森ごと平らにしてから、倒れた木の中から獲物を拾うようなものです。網が通ったあとの海底には、深い溝や削り取られた跡が残ります。
海底の表面には、貝やゴカイ、ヒトデ、カニ、海綿(かいめん)、そしてサンゴなど、数えきれないほどの底生生物(ベントス)が暮らしています。これらは砂泥をかき混ぜて栄養を循環させたり、魚のすみかや餌場になったりと、海底の生態系を支える土台です。底引き網はこの土台ごと削り取ってしまいます。
海底の泥や砂の表層は、目に見えない微生物から底生の無脊椎動物までが折り重なって暮らす、薄くて繊細な「生命の膜」のような層です。この層が栄養を分解し、水質を保ち、魚の餌となる小さな生きものを育てています。網が通ると、この膜が物理的にはぎ取られ、かき混ぜられ、埋もれてしまいます。表面が乱されるだけでなく、堆積物が舞い上がって周囲に降り積もり、網が直接触れなかった場所の生きものまで窒息させてしまうこともあります。
回復を左右するのは「頻度」
一度の操業なら、砂泥の海底はやがて生きものが戻ってくることもあります。問題は、良い漁場ほど何度も繰り返し網が引かれることです。生態系が回復する前にまた削られる——このサイクルが続くと、海底はしだいに単純化し、丈夫で成長の速い一部の生きものしか残らなくなります。回復の速さと操業の頻度、どちらが上回るかが、海底の運命を分けます。
「海底の砂漠化」という言葉
同じ海域で繰り返し底引き網が引かれると、複雑な立体構造を持っていた海底が、平らでのっぺりとした状態に変わっていきます。研究者はこれを海底の「砂漠化」と表現することがあります。隠れ家や産卵場が失われ、生物の多様性が下がり、そこに依存していた魚の資源そのものが細っていく——破壊は一度きりでは終わらず、資源の再生産能力の低下という形で漁業自体に跳ね返ってきます。
- 海底の立体的な構造(サンゴ・海綿・貝殻など)が失われ、平坦化する
- 魚の産卵場・稚魚の育つ場所(生育場)が壊される
- 底生生物の多様性が低下し、生態系のバランスが崩れる
- 同じ海域での繰り返し操業ほど、回復の余地が奪われる

深海の生態系は、いったん失われると回復に非常に長い時間がかかる。長寿命な生物を含む場所ほど、その傷は世代を超えて残る。
― 深海生態系に関する研究者の指摘(趣旨)
陸上でたとえるなら、原生林を切り開いて畑にし、収穫のたびに耕し直すようなものです。何度も耕された土地には、もう深い森は戻ってきません。海底も同じで、豊かな立体構造が一度失われると、そこに依存していた魚も、その魚をねらう漁業も、少しずつ痩せていきます。海底の破壊は、めぐりめぐって漁業者自身の未来を削る行為でもあるのです。
「底生生物(ベントス)」とは
海の底で暮らす生きものの総称です。砂泥にもぐる貝やゴカイ、岩に付く海綿やサンゴ、歩き回るカニやヒトデなどが含まれます。目立たない存在ですが、栄養を循環させ、魚の餌となり、海底の生態系を根っこで支える、いわば「縁の下の力持ち」です。
サンゴと底生生物への打撃
海底破壊の影響がとりわけ深刻なのが、成長のきわめて遅い生きものたちです。その代表が、冷たく暗い深海に群落をつくる冷水サンゴ(深海サンゴ)です。熱帯の浅いサンゴ礁とは違い、光の届かない海で数百年から数千年という途方もない時間をかけてゆっくり育ちます。
琉球大学などの研究では、太平洋の海山(水深525メートル)で7,000年以上生きるサンゴ群体が発見されており、8,000年を超えるとされる個体の報告もあります。人類の文明の歴史よりも長く生き続けてきた生命が、底引き網の一引きで砕けてしまえば、それが元に戻るのは私たちが生きているうちには到底望めません。冷水サンゴのくわしい生態は冷水サンゴ(深海サンゴ)の記事でも紹介しています。
サンゴは「海の森」
サンゴや海綿がつくる立体的な群落は、多くの魚や無脊椎動物にとってのすみか・産卵場であり、いわば海の森です。深海の底引き網は、この森を丸ごと伐採してしまう行為に例えられます。ナショナルジオグラフィックなどの報道でも、深海トロールが海底に壊滅的な影響を与えうることが繰り返し指摘されてきました。浅い海のサンゴが直面する白化の問題についてはサンゴの白化が起きる仕組みの記事もあわせてご覧ください。
冷水サンゴの群落は、深海という餌の乏しい環境のなかで、生きもののオアシスのような役割を果たしています。枝分かれした複雑な骨格のすき間に、エビやカニ、稚魚が身を寄せ、それをねらう魚が集まり、小さな生態系がまるごと成り立っています。網の一引きでこの構造が砕けると、そこに暮らしていた無数の命が同時に居場所を失います。壊されるのはサンゴ一種ではなく、それを中心に成り立っていた「生態系まるごと」なのです。
深海は「暗くて貧しい」わけではない
光の届かない深海は、一見すると生きものの乏しい世界に思えます。しかし実際には、冷水サンゴや海綿の群落、化学合成に支えられた生態系など、独自の豊かさを持つ場所が点在しています。深海の生きものの巧みな生き方については深海生物の適応の記事でも紹介しています。こうした場所ほど成長が遅く、ダメージからの回復も遅いため、底引き網の影響を最も受けやすい「守るべき海」だといえます。
| 生きもの | 特徴 | 壊れた場合の回復 |
|---|---|---|
| 冷水サンゴ(深海サンゴ) | 光の届かない深海で数百〜数千年かけて成長 | 数百〜数千年、事実上ほぼ不可逆 |
| 海綿(かいめん)群落 | 魚のすみか・産卵場となる立体構造をつくる | 数十年以上かかる場合が多い |
| 二枚貝・ゴカイなどの底生生物 | 砂泥をかき混ぜ栄養を循環させる | 数年〜十数年(環境しだい) |
| 海藻・海草の藻場 | 多くの魚介類を育てる「海のゆりかご」 | 数年(保全すれば再生も可能) |

「一瞬で壊れ、戻らない」という非対称
冷水サンゴが数千年かけて築いた群落は、底引き網が通り過ぎる数秒〜数分で壊れます。壊すのは一瞬、戻すのは数千年——この極端な非対称さこそ、深海での底引き網が特に問題視される理由です。
巻き上げられる堆積物と炭素の放出
近年、底引き網の新たな問題として注目されているのが炭素の放出です。海底の泥(堆積物)には、プランクトンの死骸や有機物が長い年月をかけて降り積もり、大量の炭素が閉じ込められています。海底は、大気中の二酸化炭素を吸収して長期間しまい込む、巨大な「炭素の貯金箱」でもあるのです。この海の炭素貯蔵のはたらきはブルーカーボン生態系の記事でくわしく解説しています。
ところが底引き網が海底をかき乱すと、この眠っていた炭素が巻き上げられ、海水中の酸素と反応して分解が進みます。その結果、貯金箱にしまわれていた炭素が二酸化炭素として海水へ、そして一部は大気へ放出されてしまう——海底の破壊が、めぐりめぐって気候変動を後押しするおそれがあるのです。
海底の泥のなかは、酸素が乏しく、有機物の分解がとてもゆっくり進む「保存庫」のような環境です。だからこそ、何百年、何千年という長い時間をかけて炭素が安定して蓄えられてきました。ところが網でかき混ぜられると、泥は酸素を含んだ海水にさらされ、それまで眠っていた有機物が一気に分解モードに切り替わります。長い時間をかけてしまい込んだものが、短時間で吐き出されてしまうのです。
泥だけでなく「鉱物」も反応する
ドイツの海洋研究機関GEOMARなどの2025年の研究は、より踏み込んだメカニズムを示しました。酸素の少ない泥の中には黄鉄鉱(パイライト)という鉄を含む鉱物が眠っています。底引き網でこれがかき乱されて酸素に触れると、酸を生み出す化学反応が起き、それが海水中の炭酸水素イオン(気候に中立な形の炭素)を二酸化炭素へと変えてしまう、というのです。つまり有機物の分解だけでなく、鉱物の反応も加わって、CO2の放出量が押し上げられる可能性があります。
どれくらいの量なのか
2021年に科学誌ネイチャーに掲載された研究は、世界中の底引き網による海底のかく乱で、年間で二酸化炭素(水中)にして約0.58〜1.47ギガトンが放出されうると試算し、大きな議論を呼びました。この推計には過大評価だとの批判もあり、その後の研究では、実際に大気まで届くCO2は年間で最大約3.4〜3.7億トン(0.34〜0.37ギガトン)ほどとする、より抑えた推計も示されています。数字の幅は大きく、科学的にはまだ活発に検討が続いている段階ですが、「無視できない規模で炭素が放出されうる」という点は多くの研究が共通して指摘しています。
地域スケールで見ると、世界有数の漁場である北海では、海底に接触する漁具から年間で約100万トンのCO2が放出されるとの推計があります。GEOMARの研究チームは、こうした堆積物の巻き上げによって、本来なら二酸化炭素を吸収するはずの海底が、一時的に「吸収源」から「排出源」へと転じてしまう可能性まで指摘しています。海が持つ炭素吸収のはたらきそのものを、底引き網が弱めてしまうかもしれないのです。
ここで大切なのは、底引き網の炭素放出を、いたずらに恐れることでも、逆に軽く見ることでもありません。海底が巨大な炭素の貯蔵庫であること、そしてそれをかき乱す行為には気候への代償が伴いうること——この視点が、これまでの「魚が獲れるかどうか」だけの議論に、新しい軸を付け加えたのです。海を守ることが、気候を守ることにもつながる。底引き網の問題は、その結びつきを私たちに教えてくれます。
| 範囲・研究 | 推計されたCO2放出量(年あたり) | 位置づけ |
|---|---|---|
| 世界全体・2021年の研究 | 水中CO2で約0.58〜1.47ギガトン | 初期の大きな推計。過大との批判もある |
| 世界全体・その後の研究 | 大気へ最大約0.34〜0.37ギガトン(3.4〜3.7億トン) | より抑えた推計 |
| 北海(世界有数の漁場) | 海底接触漁具から年 約100万トン | 地域スケールの実測ベース推計 |

数字はなぜ幅が大きい?
巻き上げられた炭素のうち、どれだけが最終的に大気まで届くのか、海のどの海域でどれだけ操業されているのか——これらを正確に測るのは難しく、研究者ごとに前提が異なります。だから推計値には大きな幅があります。大切なのは、一つの数字を鵜呑みにするのではなく、「相当な量が放出されうる」という方向性を押さえることです。
混獲と投棄——狙っていない命の問題
底引き網は網の目を通り抜けられない生きものを無差別に集めてしまうため、混獲(こんかく)の多さも深刻な課題です。混獲とは、本当に獲りたい魚(対象種)以外の生きものが一緒に網に入ってしまうこと。ウミガメ、サメ・エイ類、海鳥、イルカなどの海棲哺乳類、そして売り物にならない小魚や幼魚まで、さまざまな命が巻き込まれます。
FAO(国連食糧農業機関)の評価によれば、世界の漁業で捨てられる(投棄される)魚の約6割はトロール漁業由来で、底引き網だけで投棄量全体の約46%(年およそ420万トン)を占めるとされます。底引き網の平均投棄率は約22%——獲れたもののおよそ5分の1が、死んだり傷ついたりした状態で海に戻されている計算です。漁法によっては、漁獲の3〜5割以上が対象外というケースもあります。
投棄が起きる理由はさまざまです。市場で値がつかない種類だから、規定より小さくて水揚げできないから、船の積載スペースを価値の高い魚に回したいから——こうした事情で、生きられたはずの命が海に戻されます。しかも、底引き網で一度網に入れられた魚は、水圧の変化や圧迫で弱っていることが多く、海に戻しても助からないことがほとんどです。「戻す」という言葉のやさしい響きとはうらはらに、その実態は失われた命の山なのです。
幼魚まで獲ってしまう
網の目が細かいと、まだ産卵していない小さな幼魚まで一緒に獲れてしまいます。これは、将来の資源そのものを先食いすることにほかならず、乱獲による資源崩壊を早める一因になります。獲りすぎと資源の枯渇の関係は乱獲と水産資源の崩壊の記事でくわしく取り上げています。
- ウミガメ:網にかかると呼吸ができず溺れてしまうことがある
- サメ・エイ類:成長が遅く、混獲の影響を受けやすい
- 海棲哺乳類・海鳥:意図せず巻き込まれ命を落とすことがある
- 幼魚・小魚:将来の資源を育つ前に失うことになる

近年は、こうして混獲・投棄されてしまう魚を無駄にせず食材として活用する取り組みも広がっています。関心のある方は混獲魚の食材活用の記事や、海棲哺乳類の混獲を扱った海棲哺乳類の混獲の記事もあわせてどうぞ。
「捨てられる漁獲」という見えない無駄
混獲された生きものの多くは、水揚げされずに海へ戻されます。その大半はすでに死んでいるか、生き延びられません。食卓に届かないまま失われるこの「見えない漁獲」は、生態系にとっても、食料資源としても大きな損失です。
世界と日本で進む規制・保護の動き
底引き網の影響が知られるにつれ、世界では規制や保護の動きが広がってきました。太平洋の島国パラオは自国の管轄海域で底引き網を全面的に禁止し、アメリカも太平洋沖の広い海域で深海の底引き網を規制してきました。EUでも一部の深海域で底引き網を制限する動きが進んでいます。国連の場でも、公海の深海底にある傷つきやすい生態系(VME=脆弱な海洋生態系)を保護するため、底引き網の操業に制限を設ける決議が採択されてきました。
こうした規制の背景には、「いったん壊れた深海の生態系は取り返しがつかない」という科学的な認識の広がりがあります。まだ十分に調べられていない海域も多く、どこにどんな貴重な生態系があるのか分からないまま網を引くことのリスクが、国際的に共有されつつあります。分からないなら、まず守る——予防的な考え方が、深海の底引き網をめぐる議論の底流になっています。
保護の柱のひとつが海洋保護区(MPA)です。特に生態系が豊かな海域や、傷つきやすい深海サンゴの群落を保護区に指定し、底引き網などの破壊的な漁法を制限することで、海底とそこに眠る炭素の両方を守ろうという考え方です。海洋保護区の役割は海洋保護区の記事でくわしく解説しています。
日本での取り組み
日本でも、水産庁を中心に資源管理と海洋環境の保全を両立させる取り組みが進められています。網目の大きさの規制で小さな幼魚を逃がす、操業できる区域や期間を定める、資源量に応じて漁獲を管理する——こうした地道なルールづくりが、底引き網を続けながら負荷を抑えるための土台になっています。研究機関でも、底引き網が海洋生態系に与える影響を緩和する漁具・技術の開発が続けられてきました。
近年は、海に炭素を蓄えるはたらき(ブルーカーボン)を経済的に評価し、その保全を後押しする仕組みも整いはじめています。海藻藻場や干潟が吸収する炭素をクレジットとして取引する動きはJブルークレジット市場の記事で紹介していますが、海底堆積物に眠る炭素を守るという発想も、こうした流れと同じ地平にあります。海底を壊さないことが、そのまま気候対策としても価値を持つ時代になりつつあるのです。
海を守ることと、魚を獲り続けることは、対立ではなく両立できる。守るべき場所を決め、獲り方を工夫することが、その第一歩になる。
― 持続可能な漁業をめぐる国際的な議論より(趣旨)
| 対策の種類 | 具体例 | ねらい |
|---|---|---|
| 区域・期間の管理 | 禁漁区・禁漁期の設定 | 産卵期や重要海域を守る |
| 漁具のルール | 網目サイズの規制 | 幼魚を逃がし資源を守る |
| 海洋保護区(MPA) | 破壊的漁法を制限する海域指定 | 海底生態系と炭素を守る |
| 国際的な禁止・制限 | パラオの全面禁止、米国の深海規制 | 特に脆弱な海域を保護する |

持続可能な漁法への転換
底引き網の課題に対して、「漁法そのものをより環境にやさしく変える」動きも進んでいます。ポイントは、海底への接触を減らすことと、狙った魚だけを選んで獲ること(選択性を高めること)の二つです。
混獲を減らす漁具の工夫
網の中に金属の格子(グリッド)を仕込んで、大きなウミガメやサメを網の外へ逃がす混獲防止装置(ウミガメ脱出装置=TED)や、対象より小さな魚が抜けやすいように網目や出口を工夫した選択的な網が実用化されています。オーストラリアのエビ漁では、脱出装置の導入でウミガメの混獲がほぼゼロにまで減った例も報告されています。日本でも、脱出装置や混獲を減らす漁具の研究・開発が続けられています。
こうした漁具の改良は、漁業者にとってもメリットがあります。対象外の生きものが減れば、選別にかかる手間が省け、対象の魚の鮮度や品質も保ちやすくなるからです。「環境にやさしい漁具は、獲れ高が落ちる」という思い込みは、必ずしも当てはまりません。うまく設計された脱出装置は、無駄な混獲だけを減らし、狙った漁獲は守るように工夫されています。環境と経済が同じ方向を向く、その好例が漁具の改良なのです。
海底そのものへの接触を減らす工夫も進んでいます。網の接地部分を軽くしたり、海底から少し浮かせて曳く設計にしたりすることで、削り取る面積や深さを抑えられます。さらに一歩進んで、海底を引きずらないはえ縄・かご漁・釣りといった、より選択性の高い漁法へ切り替える取り組みも各地で模索されています。獲る量を守りながら、獲り方を変えていく——それが転換の核心です。
- ウミガメ脱出装置(TED):網内の格子で大きな生きものを外へ逃がす
- 選択網目・分離パネル:小さな幼魚や対象外の魚が抜けやすくする
- 海底への接触を減らす改良:重りや接地部分を軽くし、削る面積を減らす
- より環境負荷の低い漁法への切り替え:はえ縄・かご漁・釣りなど選択性の高い漁法の活用

認証と消費者の選択
私たち消費者にできることのひとつが、持続可能な漁業でとられた水産物を選ぶことです。その目印になるのがMSC「海のエコラベル」です。MSCは、資源をとりすぎず、生態系への影響を抑え、きちんと管理された漁業に与えられる国際的な認証で、2024年時点で世界約60カ国・およそ572の漁業が認証を取得し、天然の水産物漁獲量の約16.5%を占めるまでに広がっています(日本の認証漁業も複数あります)。
国内の水産企業でも、資源に配慮した調達(サステナブル・シーフード)への転換が進んでいます。たとえば大手のニッスイ(日本水産)は調達方針の見直しを進めており、その取り組みはニッスイのサステナブル調達の記事で紹介しています。また、イオンのプライベートブランドがMSC・ASC認証商品を広げる取り組みはイオン トップバリュのMSC・ASCの記事でくわしく取り上げています。こうした認証や商品は、選ぶ人が増えるほど、持続可能な漁業を後押しする力になります。
誤解のないように付け加えると、MSC認証を取った底びき網漁業も存在します。認証は「どんな漁法か」だけでなく、「資源をきちんと管理し、生態系への影響を抑える努力をしているか」を総合的に見て与えられます。つまり、底引き網そのものを一律に否定するのではなく、より負荷の少ないやり方へ改善を続ける漁業を評価し、後押しする仕組みなのです。私たち消費者がそうした水産物を選ぶことは、改善に取り組む漁業者を応援する一票になります。
「知ること」から始まる転換
持続可能な漁法への転換は、漁業者や企業だけの課題ではありません。どんな漁法でとられた魚なのか、それが海底にどんな影響を与えているのか——こうしたことを知る人が増えるほど、認証商品を選ぶ動きが広がり、改善に取り組む漁業の背中を押します。逆に、関心がなければ、安く大量に獲れる漁法だけが生き残ってしまいます。海の未来を左右するのは、じつは食卓に立つ私たち一人ひとりの選択なのです。
買い物でできる「海への一票」
- MSC「海のエコラベル」のついた水産物を選んでみる
- 旬の魚・地元でとれた魚に目を向け、幼魚の乱獲を招きにくい選び方をする
- 混獲魚や未利用魚を活かした商品を試してみる
- どんな漁法でとられた魚かに、少しだけ関心を向けてみる
まとめ——海底を「守りながら使う」ために
底引き網は、私たちの食卓を支えてきた効率のよい漁法である一方で、海底環境やサンゴ・底生生物を削り取り、眠っていた炭素まで巻き上げて放出しうる、大きな課題を抱えた漁法でもあります。特に、数千年かけて育つ冷水サンゴが一瞬で壊れてしまう非対称さと、無視できない規模の混獲・炭素放出は、私たちに漁業のあり方を問い直すよう迫っています。
けれど、答えは「禁止か存続か」の二択ではありません。海底への接触を減らす漁具、混獲を逃がす工夫、海洋保護区、そして持続可能な水産物を選ぶ消費者——一つひとつの転換を積み重ねることで、海を「守りながら使う」道は確かに開けています。次にお店で魚を手に取るとき、その一尾がどんな海からやってきたのかに、少しだけ思いをはせてみてください。
海の課題は、底引き網だけにとどまりません。海に流れ出て生きものを傷つけ続ける失われた漁具(ゴーストギア)の問題はゴーストギア(幽霊漁具)の記事で、海の生きものを守る保護区の考え方は海洋保護区の記事で、それぞれくわしく取り上げています。底引き網を入り口に、海と私たちの関わり方を、少しずつ見つめ直していければと思います。

この記事のまとめ
- 底引き網は海底を引きずる漁法で、世界の海面漁獲の4分の1以上を担う
- 網と重りが海底を削り、サンゴ・底生生物のすみかを平坦化(砂漠化)させる
- 冷水サンゴは数百〜数千年かけて育ち、一度壊れると事実上戻らない
- 海底の泥に眠る炭素が巻き上げられ、年間最大約3.7億トンのCO2を放出しうる(推計には幅がある)
- 底引き網の平均投棄率は約22%で、混獲・投棄も大きな問題
- 混獲防止装置・海洋保護区・MSC認証・消費者の選択が、持続可能な漁法への転換を支える
参考文献・出典
- 水産庁(農林水産省) – 水産白書「海洋環境の保全と漁業」ほか、資源管理・底びき網に関する資料
- 環境省 – MSC「海のエコラベル」環境ラベル等データベース、サンゴ礁生態系保全行動計画
- FAO(国連食糧農業機関) – 世界の漁業における投棄・混獲に関する技術報告(A third assessment of global marine fisheries discards)
- Nature(ネイチャー) – Quantifying the carbon benefits of ending bottom trawling(底引き網と炭素放出に関する研究・2023)
- Nature Geoscience – Long-term carbon storage in shelf sea sediments reduced by intensive bottom trawling(2024)
- GEOMAR ヘルムホルツ海洋研究センター – Trawling-induced sediment resuspension reduces CO2 uptake(黄鉄鉱の酸化と炭素放出・2025)
- Marine Stewardship Council(MSC) – 底びき網の解説、MSC認証の概要と世界・日本の認証状況
- 琉球大学 – 太平洋の海山(水深525m)で7,000年以上生きるサンゴ群体を発見
- WWFジャパン – 混獲—解決すべき漁業の環境課題—
- ナショナルジオグラフィック日本版 – 深海の底引き網漁で海底に壊滅的影響か
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